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	<title>游鯉の芸術系航海日誌 &#187; 音楽いろいろ</title>
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		<title>中国大陸で三味線の話ができるなんて最高でした</title>
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		<pubDate>Sat, 27 Jun 2015 14:22:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[三味線]]></category>
		<category><![CDATA[中国三弦]]></category>
		<category><![CDATA[民族音楽]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[もう、二週間ほど前のことになりますが、日本三味線入門と題して、中国の中央音学学院の一室でお話をさせていただく機 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>もう、二週間ほど前のことになりますが、日本三味線入門と題して、中国の中央音学学院の一室でお話をさせていただく機会がありました。<br />
中央音大といえば、日本でいえば東京芸大みたいなところなので、この大学のホールで演奏した三味線奏者は少なくないでしょうが、講義室で通訳なしの中国語で、お話しできたのは、私みたいな素人では珍しいかもしれません(^_^;)<br />
たまたま、私の中国三弦の先生がここの先生だったこと、私が一応、芸術系学問の博士課程の大学院生という都合上、このような奇跡が起こったわけです。<br />
それと、あたしだって素人なりに、中国三弦と津軽三味線弾けますし、地唄三味線、義太夫三味線は入門体験レッスンしていただいたことありますから、三弦演奏の腕前はイマイチでも、中国人と日本人の奏者が何考えてるのか、理解しやすいため適任だったと思います。</p>
<p>結論から言えば、めっちゃ楽しかったわ〜<br />
だって、聴いてくれた人が全員、先生の教え子、つまり皆さん、中国三弦が上手に弾ける少数の人たちなので、興味津々で聴いてくれるわけですよ。<br />
私は演奏はあがるけど、講義はあんまりあがらないのね。<br />
で、20年近く大学生と大学院生をしてきた私が経験上言えるのは、ゼミ形式ではないほとんどの授業や講義っていうのは、みんな単位のためにしぶしぶ聴いてるだけだから、目がワクワクしてないのがよく分かる（笑）<br />
もっとも、凄い才能ある先生は講義に興味のない学生を自分の話に引っ張り込むのだろうけど、そういう先生は多くはないし、学術的才能と講義をする才能はまた別モノ。</p>
<p>でも、身内ばかりの中で、皆んなも興味のあることを話すって最高。<br />
しかも、皆さん、ちょっと、教えてあげれば、簡単なフレーズをすぐ弾けちゃうの。<br />
もちろん、ちゃんと津軽三味線になってるかどうかというレベルでは、もちろん、なってないわけだけど（それは私のような大多数の素人日本人だって同じ）、コツみたいなものを掴むのがとっても早い。<br />
久しぶりに「せんせい、質問ですが…」とカワイイ音大付属中学生に言われて、なんか嬉しかったなぁ〜(^_^;)</p>
<p> 日本では三味線という楽器は比較的世間に知られた楽器だし、素人でも簡単な曲がすぐ弾けるようになるのは、文化譜とかが音高ではなく指の位置を示したものだというのも普及に有利な要素なんだろうなぁと、皆さん、考え込んでおられました。</p>
<p>もっとも、三味線の右手は、五本の指を全て使う必要がないということ、撥を使って弾くので、微妙に的を外しても弦には当たってとりあえず音は出るということ、左手は基本的に人差し指と薬指を使うことで、規則的にポジション移動していくので中指や小指も使って複雑なポジション移動しなくてもいいということ、棹が（中国三弦より）短いということ、難しくない入門用の曲もあるということが、歳をとってから始めても、そこそこ弾けるようになる要因だと私は個人的に思ってます。</p>
<p>さて、一週間後、新大阪でお友達が教えている中国撥弦楽器の発表会に友情出演してきます。<br />
弾く前にちょっと話してと言われているので、5分ほど、中国伝統音楽を弾く上で知ってると役に立つかもという話をしたいと思っています。<br />
中国三弦は、大人から始めた素人が人様に聴かせられる名曲がほとんどないっていうのが苦しいですね(^_^;)<br />
大好きな中国曲を弾くつもりですが、本来なら3分半ぐらいで弾くべき速い曲ですが、私はそんなに速く弾けないし、速く弾こうと焦れば、ロクでもない音色にしかならないので、4分半も使って、せめて、三弦本来の音色が出るように落ち着いて弾こうと思ってます。<br />
でも、「おそっ、ヘッタクソめ」と私の友達でもなんでもない普通の聴衆は思うかもしれないので、もう、割り切るしかないですよね。</p>
<p><a href="http://arts.legalio.com/wp-content/uploads/2015/06/image.jpg"><img src="http://arts.legalio.com/wp-content/uploads/2015/06/image-75x300.jpg" alt="hebisyami" width="75" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-2308" /></a><br />
写真は、私の中国三弦の先生がご友人から譲られた戦後間もない頃、上海の骨董屋で売られていた細三味線。<br />
えーなんでヘビカワ〜(^◇^;)<br />
多分、中国の職人さんに猫皮をはる技術がなかったので、ヘビカワで代用したのでしょう。<br />
最初、「これ、沖縄のサンシンってやつ？」と先生に聞かれましたが、この棹の長さでそれはないと思うし、胴の形が三味線そのものだし。<br />
これで、音大生さんが指で弥三郎節を弾いてくれましたが、中華風の弥三郎でした(^_^;)<br />
撥で叩いたら、どんな音だったんだろう…<br />
はり替えたばかりで皮破ったら申し訳ないから、さすがに撥で思いっきり皮を打てませんでした。<br />
講義案を作成するにあたり、お稽古中に話を聞いてくださった津軽三味線小山会の家元先生、本当にありがとうございました。</p>
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		<title>歌えない人は弾けないし、教えられない</title>
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		<pubDate>Thu, 11 Jun 2015 18:04:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[中国三弦]]></category>
		<category><![CDATA[民族音楽]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[声楽や管楽器の人にとっては、呼吸がおかしかったら、メロディにならないので当然、呼吸を意識してることと思います。 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>声楽や管楽器の人にとっては、呼吸がおかしかったら、メロディにならないので当然、呼吸を意識してることと思います。<br />
でも、撥弦や擦弦楽器の人はどうなんでしょう…<br />
もちろん、上手い人は手も呼吸も合ってると思いますが、実際、手と呼吸がバラバラでも弾けちゃうので、不器用な人（あたし）は呼吸がおかしかったりします。<br />
だから、楽器が歌わないんだということに気づいてから、とにかく意識して、息を吸うべきところで大きく息を吸うようにはしてますが、時々、上手く吸えません（速いフレーズを弾くと息止めちゃって、吐ききれてないので、上手に吸えないんですね）<br />
おそらく、呼吸が浅いというのも、弾くとあがるという現象の原因の一つになってると思います。</p>
<p>私の中国三弦の先生は、意識しても息吸えない私を見かねて、目の前で、メロディをラララと歌いながら大げさに息吸う身振り手振りの演技してくださるんですよ。<br />
あら〜〜不思議…先生の歌の抑揚に合わせて息を整えながら弾くとすんごい楽。<br />
私のヘッタクソな三弦でも、私の心の声に合った音が出て、ちゃんとメロディとして、音の粒が繋がるんです。<br />
プロのピアニストとかでも、ブツブツ歌いながら弾く人がいて、好き嫌い分かれるところですが、なぜ歌っちゃうのかわかる気がします。<br />
私も聴衆に分からない程度にブツブツ歌いながら弾いたら、多分、もう少し、自然な呼吸ができるような気がします（笑）</p>
<p>子供の頃から音楽やってる人は、耳が良くて音程外さず歌えるっていうのは分かりますが（中には弾くのが上手くても音痴な人もいるけど）、先生がラララで歌ってるメロディがあんまり上手なので、歌を習ったこととかあるんですかと尋ねたら、別にないけど、昔から歌うのは好きとおっしゃいました。</p>
<p>なるほど、この前も大風が吹いた日に、「大風来了〜〜」って楽しそうに歌ってたもんな。</p>
<p>そして、もっと納得したのは、<br />
「それに、歌えない人って教えられないと思うわよ。だって、ああしろ、こうしろって言葉で言うのは、単なる「知識」で、本読めば誰だって分かる情報の伝達だけど、こう弾けっていうのをラララって歌ってあげれば、手っ取り早く、イメージ伝わるでしょう？現にあなただって、あっという間に理解して、つられて弾けたじゃない」</p>
<p>ううむ…確かに。<br />
楽器が歌うように弾けとか、何かを語るように弾けって俗に言うけど、これって単なる比喩じゃなくて、上手く弾けてるときって、本当に楽器が体の一部になってて、歌ってるんだよなぁと最近、思うのでありました。</p>
<p>多分、手先が器用で、チャカチャカ凄いことやってても、全然、感動しない演奏というのは、手だけ動いてて、歌ってないからなんだろうなとも思うのでした。<br />
逆に手が大したことやってなくても、歌っていれば（心と手が一致、呼吸と手が一致）、コラァひでぇという演奏にはならないんじゃないかとも思うのでした。</p>
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		<title>先生と脳味噌交換して弾いてみたい</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Jun 2015 08:49:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[民族音楽]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[速く弾ける人が単純に羨ましいです。 何故なら、スピードが出せるということ自体、客観的に非常にわかりやすい基準だ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>速く弾ける人が単純に羨ましいです。<br />
何故なら、スピードが出せるということ自体、客観的に非常にわかりやすい基準だからです。<br />
他人の主観に訴える音色で勝負より、速さで客観的勝負が、誤魔化しが効いて、誰にでも「おぉ〜〜すげぇ」と思ってもらえるわけですから…</p>
<p>指を速く動かすために、人間はどうしているのか、これは脳の問題だということがある程度、科学的に分かっているようです。<br />
脳画像診断技術を使った研究によると、指を速く動かそうとすると、より多くの神経細胞が活動することが報告されているそうで、音楽家とそうでない人を比べると、指を速く動かす時、活動する細胞の数が違うみたい。<br />
そして、早期音楽教育を受けてる人とそうでない人で、大差があって、もちろん、日々の練習量で増えたりもするという…。</p>
<p>そして、私は、どうやら、早く弾くための情報処理をする脳ができていないことに加えて、脳が指令を出してから、指が実際に動くまでの運動神経も鈍いんだろうなと思います。<br />
これが、年齢いった人でも、練習である程度、改善できるものなのか、知りたくもないですね、残酷だから。<br />
例えるなら、「あっ、危ない」と思ってブレーキ踏めって脳が指令出しても、すぐにブレーキ踏めてない運転みたいなものかしら。</p>
<p>なんで、自分の運動神経のなさすぎに気づいたかというと…<br />
三味線で「秋田荷方節」（若者に人気の民謡の前奏部分で、超速いのがウリ？）をお稽古してもらってた時、先生が丁寧にフレーズの繰り返しの数を数えてくれるのですが、先生の数え方が遅いので、私の中ではとっくに3回目の指令を出した後で、先生が「さーん」とか言うのですよ。<br />
当然、先生の「さ〜〜ん」につられて、私は4回弾いてしまうことになり、NG連発。<br />
自分で先生の録音に合わせて弾いてる時は、そのスピードで弾けてたので、ある意味、手の筋力とかの問題ではないはずで…<br />
思わず「先生！数えないでいただけますか‼︎」と険悪な顔をしてしまって…<br />
「よかれと思って数えてるのに、そんなに怒らなくても…」と先生。<br />
（先生、本当にごめんなさい…）</p>
<p>多分、先生は弾きながらご自身のタイミングでお数えになってるわけで、その声を合図に弾いたんじゃ、一定のスピードを超えた場合、先生と合わない訳で、運動神経のいい先生には一生わからないだろうな〜〜と思いました。</p>
<p>ちなみに脳の研究者の報告によれば、演奏家は、脳が間違った指令を出した時（当然、もう、ミスタッチは避けられない）、とっさにそのミスタッチの音を極力小さくするよう、次の指令を出しているらしいです。<br />
私なんぞは、「しまった」と思ってても、もう、次の指令が間に合わないので、ミスタッチ音はそのまま、ダイレクトにボーンと出て行ってしまう訳ね。<br />
だから、手っ取り早いのは絶対にミスをしないこと(･･;)<br />
本気で、こんなことだけ考えてたら、緊張してよけい、ミスりますよねぇ…ある意味、実音聴くまでミスったことに気づかない人の方が幸せなのではないかしらん…</p>
<p>こんなこと書くと、子供の頃、金持ちの家に生まれず、十分に音楽教育を受けてこなかった人は、どんなに練習しても無駄なのよね〜〜というおきまりの結論に行き着き、あえてブログを書く意味もないのですが…</p>
<p>しかしながら、中年や高齢者にも救われる現象が存在するのも事実。<br />
私は、大人になってから、二胡や三弦を習いましたが、先生に恵まれたので、通常、先生が音大受けるような子供にしか言わないような細かいことを素人の大人の私にも言ってくれたおかげで、他人の細かいところが気になります。<br />
つまり、舞台上で、たまに、むちゃくちゃ早弾きしてすげぇと感動されてる場合でも、これ、録音してスロー再生したら、めちゃくちゃ粗が分かるよねっていう場合があること（報酬もらって演奏している人でも、？と思うことはあります）。<br />
ビブラートなんかも、変な癖があっても、それがキモチイイことになってしまう…（もっとも、プロはそれを計算の上でやってて、素人は単純に変にしかならないだけなんだと思うけど…）</p>
<p>本当はちゃんとできてないのに、人に感動されててズルイって言うことが言いたいんじゃなくて、心の底から羨ましい〜〜その秘訣、教えてよと思うのです。</p>
<p>時に、技術と感動ってあんまり関係ないんじゃないかと思ったりします。<br />
もちろん、最低限の技術は必要だけど(^_^;)<br />
もっとも、可愛いとかイケメンであることもプラス要素なので羨ましい限り。<br />
うちわの発表会なら、なおのこと、その人の日頃を知っているだけに、「XXさんらしい、優しい音だよね」とかいう話は、技術そのものに果たして関係あるんだろうか…よく分からないです。</p>
<p>速くてもデタラメだったら音大に受からないけど、別の魅力でそのデタラメをカバーしてる人が、世間では「味があるよねぇ」とか言われるのかもな、と思わなくもありません。</p>
<p>「じゃあ、そこそこの技術で感動を引き出せる人もいれば、完璧に弾いてるのに、場がしらける人がいるって一体どういうこと？」と三弦の先生に質問投げかけたら、<br />
「やっぱし、人間性とか、品格とか、そういう曖昧なものなんじゃない？」とのこと。</p>
<p>ある意味、技術を磨く方が、超簡単かもしれない…ですね(^_^;)<br />
ハイ、とりあえず、脳細胞は歳をとれば死ぬ一方で増えないでしょうけど、使ってない細胞がいっぱいあるらしいですから、こいつらを叩き起こしてみようと思うのでした。</p>
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		<item>
		<title>あがらないためには？</title>
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		<pubDate>Wed, 13 May 2015 12:31:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[三弦のレッスンにて、先生の前で本番だと思って通して弾いたら、極端に緊張してズッコケました… 怖いくらい手が言う [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>三弦のレッスンにて、先生の前で本番だと思って通して弾いたら、極端に緊張してズッコケました…<br />
怖いくらい手が言うこと聞かない(^_^;)<br />
このあがりとか緊張と言われるものの正体が知りたくて、これまでにも医学的、心理学的なエッセイなど読んで勉強したので、なぜ、あがると、身体が言うこと聞かなくなるのかという仕組みは一応、分かっているつもりです。<br />
要するに自律神経…交感神経が高ぶっちゃうことで、心拍数増加や震えなどが出てくるんですよね。<br />
でも、じゃあ、どうしたらええねん、という有効的な解決策が思い浮かばない。<br />
実際、極度に心拍数が上がってしまった時の応急処置はせいぜい、首を冷たくするくらいですね。<br />
とりあえず心拍数を下げられれば、ある程度の身体的不都合（ふるえや発汗などなど）は緩和されます。<br />
でも、これは本番前に首冷やしたって、弾いてる最中にまたぶり返してきたら、どうしようもないわけよ(^_^;)<br />
対応策は、頭の上に氷乗っけて弾く？</p>
<p>ちなみに、プロの演奏家でも、あがるわけですよね。<br />
これは本を書いたお医者さんとかがアンケートとか取っているので、そうなんだろうと思います。<br />
私も、演奏家や役者など舞台に上がる人に、事あるごとに「ねぇねぇ、舞台で緊張とかする？」って聞いてますけど、全然ないと答える人っていないですもんね。</p>
<p>さきほど、たまたま読んだ記事で興味深いことが書いてありました。<br />
プロの演奏家は素人の演奏者と同じくらいあがってしまっていると身体的数値が示している場合でも、筋肉の収縮には影響が出ない、そんな特殊な状況でもコントロールが効くのだそうな。<br />
もっとも、自分の能力一杯一杯のところで弾いているのではなく、能力の数割程度しか使っていないからできるんだろうなと思うのでした。</p>
<p>ぐだぐだと前置きが長くなりましたが、特殊な状況下でも、手が言うこと聞いてくれるようにするには、結局のところ場慣れしかないわけですね。<br />
どんなに日頃練習して完璧だとおもっていても、あがる時はあがる、そういう習性の人は、多分、そう簡単その習性は治らない…。<br />
そういうもんだと受け入れて上手に一生付き合っていくしかないみたい。</p>
<p>三弦の先生曰く「寮にはいっぱいお友達いるでしょ、暇さえあったら、聴いてくれ〜って三弦持って友達のところへ遊びに行けば、多少マシになるはず」<br />
え？今日から三弦の門付ですか？(^_^;)<br />
そうだな〜回って歩いたら、誰かお菓子くれないかなぁ…</p>
<p>私の二胡の先生も「ちょっとミスったくらい何よ？誰もそんなこといつまでも覚えていないわよ、コロッと忘れて気を取り直して弾き続けなさい」とおっしゃったのですが…「実は、私、割とそういうところよく覚えていて、次にその演奏家に会った時、ふと思い出すんですが…」って言ってしまいました(^_^;)<br />
えぇ、私は多分、妙なところで記憶力がいいのです…<br />
好きな演奏者なら、なおのこと、ちゃんと聴いているので、その人のミスった部分を覚えています。<br />
「でも、いくら、あなたでも、24時間、演奏者のミスを思い出して反芻しているわけじゃないでしょう？だから、気にするな〜」と先生に呆れられました。</p>
<p>ちなみに私は、誰かと一緒なら、それほど緊張しません。<br />
三味線の大合奏などがいい例ですが、別に冷や汗出たりしません。<br />
だって、自分の音、ほとんど聞こえないし、お客さんも、私なんて見てないもんね。<br />
それに、誰かと一緒なら、相手に合わせるのに忙しくてあがるどころではない(^_^;)<br />
多分、意識が、自分に向いていないからだと思います。</p>
<p>自分の能力の3割程度で楽に弾ける曲って、今のところない。<br />
だから、あがればパフォーマンスの低下は避けられず…<br />
やっぱり、頭に氷乗っけて弾く以外、有効な手立てはないのかもしれない。</p>
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		<title>私が弾き続ける理由</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Apr 2015 12:00:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[例えば、手や脳の機能に不都合がある人がどんなに楽器を練習しても、そうでない人みたいに弾きこなすことは不可能だと [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>例えば、手や脳の機能に不都合がある人がどんなに楽器を練習しても、そうでない人みたいに弾きこなすことは不可能だと思います。<br />
（もちろん、障害など不都合な度合いにもよるとは思いますが…）<br />
でも、その人にとっては、「曲を弾くこと」が目的ではなく、「楽器を弾くこと」を通じて、運動機能が向上したり、出来ることがちょっとずつ増えることで、何事にも前向きになったり、単純に音を聞いて楽しい気分になったりすることはあるわけですね。</p>
<p>そういう意味で、「結果」ではなく「過程」を大事にしたいという教え方、習い方もアリだと思います。<br />
別の言い方をすれば、ある曲がちゃんと弾けることを結果としないということ。</p>
<p>しかしながら、発達障害のお子さんを指導したことのある先生がどこかに書いていましたが、その子の特性とペースに合わせて手ほどきして、生徒も喜んで通ってくるし、生徒といい関係は築けているのだけど、当然、定型発達のお子さんより進度が遅いので、「これだけのお金と時間を費やしているのに、まだこの曲が弾けないの？どうなってるの？」と見られてしまうのが辛いのだとか。</p>
<p>素朴な疑問なのですが、そもそも、演奏って、それを職業にしている人は別として、何で人になるべく完璧な形で聞かせることを前提としないといけないんだろ？<br />
なんで大勢多数の人に気にいられるように弾かないといけないんだろ？</p>
<p>演奏家は別ですヨ！<br />
不完全なものや演奏家の自己満足だけで意味分かんないものを見せたり聞かせられたりしたら、私はお金と時間を返せと思います。</p>
<p>ある先生（演奏家）とお話していた際、うっかり、失礼にも「先日の本番演奏中、調子悪そうでしたね、途中でアレッと思いました」と言ってしまったことがあって、その先生は調子の悪かった理由（言い訳？）を延々話してくださいました。<br />
その話の中で「やっぱり、みんなにいいとこ見せたいわけじゃない？」というフレーズが飛び出して、私がポカンとしていたら「演奏家ってそう思うものなのよ」と笑ってました。</p>
<p>私なんて、人にいいとこ見せたいなんて思ったこともないなぁ…<br />
ただ、叱られたり、文句言われたりしないように弾いておこうというのはあったりするけど。<br />
基本的に他人が自分の感性を受け入れてくれるとか、自分に共感してくれるとはあまり思えないのよね（そういう経験に乏しいから）。</p>
<p>私自身、大勢多数の人みたいに、誰それさんの何とかっていう曲の演奏に感動したから習い始めたとかいう経験ってないのよね(^^;<br />
誰それさんの、何とかっていう曲の何分何秒あたりの（或いは何小節目かの、もしくはどこそのこのフレーズの）音符の響き方がたまらなく好き、とかいうのは、よくあるんだけどね（笑）</p>
<p>私が弾き続けてきたのは「生きるため」でした。<br />
少なくとも弾いてる間は「生きてるの辛い」「消えたい」とかいう衝動を抑えることができたからです。<br />
今はそこまでひどい精神状態じゃないので、弾く必要もないのかもしれませんが、やっぱり好きだから弾いてます。<br />
欲しい響きが手に入る前に死ぬわけにいかない…死ぬ前にあの音もう一回、再現したいなぁとか思います。</p>
<p>「知音」という言葉があるけど、本当に自分の音に共感してくれる人がいるって、凄いことだよねって思います。<br />
技術的にうまく弾いたら無条件で誰かが共感してくれるわけじゃないし…。</p>
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		<title>脱力と触覚の関係</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2015 11:55:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[お稽古迷言集]]></category>
		<category><![CDATA[民族音楽]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[「なぜ、最初に脱力と指先の触覚の大切さを教えてくれなかったのか」と世の中の楽器の先生を恨む今日この頃です。 私 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「なぜ、最初に脱力と指先の触覚の大切さを教えてくれなかったのか」と世の中の楽器の先生を恨む今日この頃です。<br />
私は半世紀近く生きてきて、いろんな楽器を少しずつかじりましたが、やっとある先生に出会えて、楽器を弾く際の「脱力」ってこういうものなんだということが分かりかけてきました。<br />
力を抜いて弾くと（というより、最低限の力で如何に合理的に弾くか）、音も変わります。<br />
たまに「正しい（とその業界で思われている）音」が出た時は、思いっきり褒めて、その音がした時の、指先の重みや、腕や指の角度を身体に記憶させてやる助けにしてやるためにクドクド言ってくれる先生は、少ないと思います。</p>
<p>確かにどの先生も「脱力」の大切さを説くものの、じゃあ、どうやったらいいのっていうことを素人に上手に教えられませんよね。<br />
過去の私の先生の中には、脱力を説いているものの、先生の言うとおりに弾くと力を入れないと絶対弾けないという矛盾甚だしい方法を教えてくださる人もいました。<br />
大人の私が彼の言うとおりに何年も弾き続けたら、多分、身体を壊していたと思います。<br />
先生というものは往々にして才能や身体能力に恵まれた人がやっているせいもあって、本人は幼い頃、知らないうちに身に付けたから教えようがないということもあるんでしょうね。<br />
あるいは、努力型の先生でも、長くやっているうちに何となくできるようになったから、他人もそのうちできるとタカをくくっているのか？<br />
凡人以上の人であればできるようになるのかもしれないけど、凡人以下はどうしたらいい？（普通は、そういう私みたいな人は習わないのよね…）<br />
あるいは「プロになるわけでもあるまいし」と、ウザいこと言って嫌われないようにしてるという町の先生もいるかもしれない。<br />
先生方にも、いろいろ、仕方のない事情があると思うので、恨んでもしょうがないんですが、行き場のない怒りみたいなもんが、私の心の中で渦をまいてます。<br />
私は今まで10の力で弾いていたとすると、今は半分の力で同じように（むしろ、もっとマシな音で）弾けます。力を節約できた分、脳みそを他のことへ回せます。<br />
おそらく、極めれば、かつての力の10分の１の力で弾ける筈です。</p>
<p>昔は、演奏家が楽器は身体の一部だと言うのが、全然分かりませんでした。<br />
言葉のあやだろとさえ思っていました。<br />
でも、本当だと思います。<br />
ちゃんと合理的に弾いてさえいれば、腕や手の重みが爪先にかかりますので、弦の触感がよく分かります。<br />
余分な力が入っていれば、弦に触れた時、あまり触感が分からないでしょう。<br />
爪先に重さを感じていない状態で弦を弾くなとクドクド言われました。<br />
二胡だって、合理的に弾いていれば、弓先は自分の指先と一体化して感じられます。<br />
変な話、上手く弾けている時は、指先で自分のお腹を掻いている変な感じがします。<br />
つまるところ、指が弓先まで伸びて一体化して、弦の振動がお腹あたりで響くのが分かるので、まるで、ポリポリとお腹を掻いているかのような錯覚すらするという…</p>
<p>ある人に、「三味線弾く時、つい、同じ撥先ばかり使ってしまう（三味線の撥はどちらの角で弾いてもいい）」と言ったら、「え、違いが分かるなんて（素人なのに）すごいね」と言われてちょっとムッとしました（笑）。<br />
「触感」って、本来、初心者だからこそ、クドく注意を喚起してあげるべきことなんじゃないの？と思う次第です。<br />
確かに、大人が一生懸命やったって、限界が見えているので、冥土の土産にたくさん曲を弾かせてあげればいいのかもしれないけど、別にお迎えがすぐそこまで来ているような人ばかりじゃないんだから…<br />
上手くなれないと結局、楽しくないからやめざるを得ないわけで、演奏家にとっては当たり前のことでも、他人が真似出来るように教えてくれたらいいのにと思ったりするのです。</p>
<p>もしかすると、世の中にはアーティストとしてだけではご飯が食べられないから、食べる手段として教えているだけで、生徒がどうして弾けないのかに無関心な先生もいるのかもしれない（もしかすると、こういう先生の場合、生徒さんの方でもファンクラブのつもりで通っていて、技術の習得は二の次なのかも…）</p>
<p>もっとも、先生サイドでも、基礎をきちんとやろうとすると、ツマラナイ動作を延々やらせたり、難しい練習曲を淡々と弾かせることになるので、生徒さん（お客さん）が来ないっていう悩みがあるのも分からなくもないんですけどね。<br />
あるいは、若い頃は一生懸命教えてたけど、一生懸命教えたにもかかわらず、生徒さんがあっけなく放り出してしまったりやめたりしたんで、教授に情熱がなくなった先生も少なくないのかもしれない。</p>
<p>つまるところ、初心者ほど、自分の習う目的をはっきり意識して先生を選んだほうがいいってことかしらん…と思います。</p>
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		<title>子供の身体能力と大人の頭脳</title>
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		<pubDate>Fri, 13 Mar 2015 06:36:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[二胡]]></category>
		<category><![CDATA[民族音楽]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[子供の身体能力と大人の頭脳があったらコワイものなしだと思う… 先日、二胡のレッスンに行った時、何らかの事情で前 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>子供の身体能力と大人の頭脳があったらコワイものなしだと思う…</p>
<p>先日、二胡のレッスンに行った時、何らかの事情で前のレッスンが終わってなくて、40分くらい待つことになりました。<br />
私の前の生徒さんは二人の子供（別々の家族）。<br />
多分、先生が小学校等で教えている子の補講（？）か個人特訓（？）だったのだと思います。<br />
今までも小中学生の生徒さんに遭遇し、チラとレッスンを拝見したことはありましたが、だいたい芸術関係の学校を目指してる子とかだったので、上手だったのですが、この子たちは、本当に素人でした。</p>
<p>うわ～</p>
<p>私、初めて聞きました。ちょっと冷や汗が出る雑音というやつを…<br />
よくバイオリンや二胡を習い始めの人の雑音を、漫画などでは、<strong>ノコギリ</strong>とか、<strong>豚や鳥を絞めた叫び声</strong>とか言いますが…<br />
実を言うと、私、そこまでスゴイ音に遭遇したことがないんです。<br />
自分が習いたての頃でも、力さえ抜けば、そうはならないというか…</p>
<p>もっとも、私の初心者の頃は余分な力を別の余分な力で抑制しているだけで（例えるなら、「アクセル踏みながらブレーキ掛けて、適度な速度にしている状態」）、本来、目指すべきの「余分な力を入れず、最小限の力だけ、必要な方向に循環させている状態」ではなかったですけど。<br />
まぁ、今も余分な力が入っているけど、少なくとも、あ、余分な力入ってるわという自覚はできるようになりました。</p>
<p>後で、先生と雑談してる時に、先生は、子供は子供のメリット（身体能力、変な思いこみがないので正確な動作を最初から教えてあげれば吸収がいい）があるけど、頭を使って練習しないので、結局、上達するかどうかは、保護者にかかっているところが大きいと言ってました。<br />
普通の小さな子供は、先生の言った通りに練習してきていないというか…、気の向くまま、メロデイ弾いてお終いというか…<br />
最後に先生がちょっと厳しめに「いい加減にただメロディが弾ければそれでヨシにするか、その辺の子たちより上手くなりたいのか、自分で決めなさい」と言ってましたが…<br />
ちなみに私の二胡の先生は、音大受けるような生徒さん以外の人に対しても、「どうせ趣味なんだから教え方も適当に楽しければそれでいい」「真剣に教えてもこっちが疲れるだけ」というスタンスではないので、非常にキビシイ…（中国三弦の先生も同じです）<br />
教えることは一緒にしておいて、結果として、その人の精神と身体の限界まで、実現できるところまで実現できたらいいと先生は思っているんでしょうね。<br />
そういうことなので、先生にとって私という高齢の生徒は、「人間、やる気と時間と適切な指導があれば、天性の身体能力と音感に欠けていても、二胡ぐらいある程度弾けるようになる」という実例になっているようです（笑）<br />
まぁ、日本には、金銭的余裕のある人が多いし、努力家が多いのか、「大人」になってからゼロから始めた人でも、ある程度なら二胡弾ける人はかなりいると思うけど…<br />
中国人はみっともない努力して自分がマスターしても何の得にもならないけど、子供の芸事に使えば有益だと考えるのかもしれない。</p>
<p>大人は言葉でいろいろ教えてあげれば、きちんと自分で練習できるけど、結局、仕事の合間にやる趣味だから、練習時間が足りなかったり、子供の頃なんらかの楽器や舞踊などをやっていたかどうかや、年齢によって差はあるでしょうが、関節の柔軟性に難があったり、指と脳神経の繋がりが悪かったりとデメリットがありますよね。<br />
中国の大部分の親御さん（別に子供が音大目指している訳ではない）は、自分が出来ないことを子供にやらせているので、自分に芸事の上達の経験ないから、X時間練習したからOKみたいに練習させるだけみたいです。</p>
<p>私の母も私が習いたいと言えば、ピアノ程度の月謝の習いごとは普通にさせてくれましたが、私以上に不器用な人なので、私ができなくても叱りもしないけど、練習をみてくれるわけではありませんでした。<br />
もっとも、音楽でご飯を食べている多くの人は、子供の頃、親が練習を傍でずっと監視しているので、相当嫌だったとは思いますが…<br />
「あなたぐらいの熱心さがあったら、子供の頃からやっていれば、そこそこ上手くなったのにね。逆に天賦の才能ある子でも、ちょっと練習すれば、親を騙す程度の演技が出来ちゃうから、努力せずに一生過ごす人もいたりして、もったいないケースも多い」と二胡の先生に言われたことがあります。</p>
<p>そうなんですよね、私もそう思います、目標が高くなければ、才能なくても、適切な指導に基づいて、適切な練習をちょっとの時間やれば、誰でも上手くなるものだと思います。<br />
人間誰でも得意分野っていうのがあると思いますが、適切な時期に誰かがその優れた部分に気付いてあげて、よい先生に巡り合えて環境に恵まれていた人は幸せだと思います。</p>
<p>もし、タイムスリップできるなら、30年前に戻って、小さな自分の練習を傍で見てあげたいよ。</p>
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		<title>無感動</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Mar 2015 02:11:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[最近、音楽や芝居の公演やライブで、感動してないな～と思う。 あの人、上手いね、と思う事はあっても、手放しで「楽 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>最近、音楽や芝居の公演やライブで、感動してないな～と思う。</p>
<p>あの人、上手いね、と思う事はあっても、手放しで「楽しかった～」という経験はここ数年ないかも。<br />
（社交辞令で楽しかったと言うことはあると思うけど、この楽しかったは、プロとして、さすがですねと言う意味で、ワクワクしました、鳥肌立ちました、ドキドキしました的な感覚とは無縁）</p>
<p>大部分は、あそこミスったね、なんでミスったのに受けてるんだろうねとか、容姿が綺麗だとミスっても可愛いから、羨ましいなぁとか、非常に冷めて見ている。</p>
<p><strong>そもそも、「感動」って何だろう？</strong></p>
<p>感動する脳のメカニズムは解明されていない…<br />
私は、演ずる側の技術の上手下手には、ハッキリ言って関係ないと思う。<br />
なぜなら、その道のプロが目の前で、一生懸命何かしてくれても「ふーん」としか思わないこともあるから。<br />
受け手のコンディションによって、演者とコミュニケーションが取れている、共感できた、演者との距離が近いと錯覚した時、感動というものに近づくのではないかなとも思ったりする。</p>
<p>私自身、精神的に、金銭的に余裕がないんでしょうね。<br />
何かを見たり聴いたりしても、そのお金と時間に見合った（と世間が認めてくれる）何かを自分のものに出来なければ、すごい無駄なお金と時間を費やしたと人様に思われるんだろうなと思うだけで、私自身、演者や作品自体を見てあげていないというか…<br />
簡単な例を挙げれば、この作品を観たっていう「価値」は、後でレポートや話のネタになるかどうかという実質的な利益の損得勘定。<br />
そんな眼で他人や他人の作品を見ているから、裏を返せば、自分が舞台の上に上がったとき、「どうせ、相手は私を見ていないし、聞いていない」と思わざるを得ず、淡々と義務を果たすだけになる…（もちろん、私みたいに心を閉ざした意地の悪い観客ばかりではないだろうけど）<br />
そして、そういう投げやりな気持ちで無表情で舞台に立った場合、技術が未熟なだけに、結果として、ロボットにも劣るんだよねと思うわけで…</p>
<p>生まれつき、そのままの自分でも多くの人に受け入れられていると感じられる人がうらやましい。<br />
一部の人は、生まれつき世間から浮いていると感じているものの、それを乗り越えて自己を表現することで、アーティストとして一部の人に認めてもらえて、うらやましい。<br />
大多数の技術的に未熟な人でも、楽しく仲間と何かを共有できることで、満足感を得ていて、すごくうらやましい。</p>
<p>本日のブログ内容は、努力しても技術が追いつかず、大勢多数の人と感覚がズレてて、感覚を共有できる仲間もいない私の愚痴。<br />
…というか、多分、心理学的には「感動できない私ってこんなに不幸」と酔うことで、自分を特別視し、この気持ちを松葉づえ代わりにして生きているのかもしれない…（この感覚が分かる人は多分、ちょっと、心を病んだご経験ありかも…）</p>
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		<title>間接的自己肯定</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Feb 2015 02:19:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[ごきげんなモノたち]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[NHK教育に「ハートネットTV」というのがある。 どういう番組かというと、番組ホームページから、引用すると…  [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>NHK教育に「ハートネットTV」というのがある。<br />
どういう番組かというと、番組ホームページから、引用すると…</p>
<blockquote><p>
障害や病のある人、悩んでいる人、支える家族や共感する人。現代社会には、さまざまな「生きづらさ」と向き合っている人がいます。そんな「生きづらさ」を抱える全ての方々のために、ハートネットTVはスタートしました。“当事者の目線”を大切に、ほかのメディアやニュースとは違う視点で「生きづらさ」を掘り下げ、シリーズ化して放送しています。</p></blockquote>
<p>昨日、大森靖子（おおもり せいこ）が出ていたので見てみた。<br />
彼女は学生時代、周囲から浮きまくっていたらしい…<br />
話を聞いていると、そりゃ、あんた、浮いて当然やわと思う…<br />
私自身、全然知らない人だったし、若くもない私にとって別に音楽的に共感できそうなシンガーソングライターでもないんだけど、以前、夫が「私が好きそうな子」だと教えてくれた人。<br />
時々、夫は新聞や深夜ラジオで、ちょっと変わった音楽や美術、舞踊の人が出てくると、後で、なぜか「私の好きそうな人」だよと教えてくれる（笑）。</p>
<p>大森靖子の音楽はよくわからないけど、一点、ものすごーく共感できたことがある。<br />
彼女は、いつもクマのぬいぐるみナナちゃんを持ち歩いている。<br />
絶対的に自分を肯定してくれる「誰か」がナナちゃんらしい。<br />
人間には「絶対的に自分を肯定してくれる誰か」を期待できないわけで、「絶対的に自分を肯定してくれる誰か」を自分で作り上げなきゃ生きていけない人いるんだよ。<br />
（多分、大多数の人は自分で自分を直接的に肯定できるので、間接的に肯定するというまどろっこしいことはしない）<br />
その気持ち、よく分かる。</p>
<p>なんども死にたいって思ったらしいけど、自殺は殺されるのと同じだから、悔しいからしなかったそうだ(^_^;)<br />
↑ここは私と違う…私はオバさんなので、放っておいてもあと数年で死ねるので、あえて死のうと思わなくなった…歳とるとだんだん、いい加減になる（笑）</p>
<p>しかし、生きづらさを抱えていない人はいないと思うんだよね。<br />
ただ、大多数の人が感じる生きづらさとは違う生きづらさを抱えている少数派がいるわけで、そういう人たちの中で才能ある人がアーティストと呼ばれるようになっていくような気がする。<br />
少数派の生きづらさを感じていても、大多数の人の感性や常識に無理して迎合できる人や、才能ない凡人の少数派は、どうやって生きてったらいいんでしょうねぇと、私なんかはよく思うのである。</p>
<p>私の最近のお気に入りは、ウサギの奏（カナ）ちゃん。<br />
<a href="http://arts.legalio.com/wp-content/uploads/2015/02/image.jpg"><img src="http://arts.legalio.com/wp-content/uploads/2015/02/image-300x300.jpg" alt="kana" width="300" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-2256" /></a></p>
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		<title>さまよえる中級者は環境が大切かも</title>
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		<pubDate>Tue, 23 Dec 2014 21:27:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>游鯉</dc:creator>
				<category><![CDATA[中国語と日本語]]></category>
		<category><![CDATA[音楽いろいろ]]></category>

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		<description><![CDATA[「さまよえる中級者」 確か、大学時代に読んだ中国語の先生のエッセイにそんな言葉があったように記憶しています。  [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>「さまよえる中級者」<br />
確か、大学時代に読んだ中国語の先生のエッセイにそんな言葉があったように記憶しています。<br />
今はどうか知りませんけど、中級者向けのよい教材がないんだというような話でした。</p>
<p>習い始めは誰だって楽しいです。<br />
これいくら？<br />
これとこれください。<br />
違う色はないのですか？</p>
<p>それでも、十分楽しい。<br />
だんだんできるようになれば、もっと上を目指すようになります。<br />
でも、訛ったネイティブの言葉が直感的に分かるほど、中国語ができるわけではない中級者は字幕抜きで映画やドラマ見て分かるかどうか…。<br />
私なんぞは、中国長いので、別に字幕見なくても分かりますが、おおよそこういう意味なんだということが分かっていても、難しい言い回しや、ことわざ的言い回しを聞くと、とっさに字幕見て確認しちゃいますね（笑）<br />
上級レベルの楽しいものを見聞きできないレベルの人で、簡単なものに飽き飽きしている人は、一体、何を見聞きしたら、レベルアップするのでしょうね。</p>
<p>会話とかになると、初級レベルの人は、周囲も外国人なので、がんばってるね～と簡単な会話の相手してくれますが、中級の下ぐらいのレベルだと、本人は言いたい事いろいろあっても、言葉にならないので、相手も分からないから、相手にできない…（というか、最初はいいけど、毎日だと恋人でもない限り相手するのが非常に疲れる）<br />
自分の会話レベルが中の上ぐらいなら、その言いたいことのそのまんまの語彙がなくても、子供と同じで、「ああして、こうして、こういう感じのもの」というまどろっこしい言い方ではありますが、相手になんとか伝えられるので、相手も「こういうこと？」って簡単な言葉で言い直してくれるので、それを覚えていけばいいわけですね。<br />
でも、中級の上レベルになると、実際話したのは、かなり変な言い回しであっても、相手は分かってしまえば、あえて、訂正してくれなくもなります。<br />
中級者は上級者に移るには、とびきり才能あるか、かな～り親切な友達や先生が周りにいないと難しいんですよね。</p>
<p>私の場合、通訳はど下手ですが、翻訳なら報酬を頂けます。私は頭の回転が特段遅いので母語の日本語であっても人の話が分からなかったり、意図を読み違えたり、深く考えすぎてすぐに返事できなかったりするので、すぐに受け答えしないといけない通訳は苦手です。その手の訓練の講座に少し通ったこともありますが、諦めました。<br />
私が専門性のキツイ書類の翻訳やチェックで、わずかながら報酬がいただけるのは、私の稚拙な中国語に付き合ってくれた前の大学院時代の指導教官のおかげです。<br />
彼は日本語が全く分からない人で、私は彼に何が何でも自分の考えを分かって欲しくて喋り続けたし、書き続けました。<br />
ただ、くだらない日常会話だったら彼だって聞く暇ないでしょうけど、私が話し続けたのは、彼がまぁ聞いてても苦にならない内容（つまり日本の法制度や最近の判例です）でした。<br />
先生は本当に人当たりの良い方で、私は先生が怒ったりイライラ他人にやつあたりするのを見たことがありません…<br />
私は自分のことがあるので、日本にいる中国人留学生には相手がどんなに訳の分からない日本語話してもできるだけ親切にしてあげようと思います。<br />
それが先生への恩返しでもあると思うので。</p>
<p>さて、語学の勉強も楽器のお稽古もよく似てるところがあると言われますよね。<br />
（完全に一緒にはできないけど、始めるのは年齢が若いにこしたことないとか、上達のグラフが直線ではなく階段状であるとかいうような類似性がある）。<br />
入門レベルの本はいっぱいあっても、そこから、どうやってレベルアップするっていう素人向けの本ってないよね。<br />
だいたい、才能ある人は、基本的な弾き方が分かったら、自分でどんどん先生や演奏家の真似して上手くなっていくだけだから、あえて、そんなもの必要ない。</p>
<p>初心者とか、子供とかが簡単な曲を弾いていれば、頑張ってるね、って周囲も応援してくれるけど、大の大人の中級者はどうだろう？<br />
あなたぐらいのレベルなら、周囲は聞きあきてるし、あえて応援してあげる必要性も感じないし…<br />
ある程度の曲が弾ければ、ボランティアや交流の場とかで人前で弾く機会はあると思うけど、これって先生と二人きりで勉強してる人には、多分、機会はない。<br />
ついでにいうと、そういう場で弾く曲は、受けのいい簡単な曲に限られるので、弾いてるうちに、場数を踏むということ以外の意味はなくなってくる…</p>
<p>初心者には、皆で仲良くやれるお茶会や勉強会はけっこうあると思うし、上級者は上級者のマニアックな勉強会や報酬のもらえるレベルの高い経験が蓄積されてくるけど、もう少し難しいことにチャレンジしてみたいけど、かなり上手な人達の集まりには入って行けない素人の中級者はどうなんだろう？</p>
<p>才能ある人は、この中級レベルにいる期間が短くて済むからいいけど（というか、これがないか、あっても、あっという間ではなかろうか）、普通の人は、この段階で、もう飽きたと言って辞めるか、上を目指すのは諦めて、まったりとお茶飲みながら初級レベルを何十年も続けるか（それが楽しい人もいるので別にそれはそれで構わないと思う）。<br />
でも、才能ないけどひたすら頑張る中級者は、いつか報われるのだろうか？</p>
<p>語学や器楽について、特別才能あるわけでもないのに、それで報酬がもらえる人の共通点…<br />
これができないと死んじゃうという環境に長く置かれていたということ。<br />
昔の芸人さんは、それできないと、一座においてもらえない、明日の舞台までにできなければ、養父母でもある座長から飯食わせてもらえないから、必死に覚える…（苦）<br />
（文字通り、飢え死にの可能性あり…）<br />
留学生が語学できるようになるのは、できなきゃ、生活できない、授業受けられない、卒業できない、これまで使ったお金と時間の言い訳が家族にできない、自分が払ってきた犠牲に見合うだけの収穫がないとムカつくという境地に追い込まれているからでもありますよね（笑）。</p>
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