三味線らしくない三味線のライブ

2014年7月26日午後5時、「三味線かとう」さんが運営されるライブハウスChito-shan亭でMonochro(鮎沢京吾、田中志穂)という三味線デュオの演奏を聴いてきました。
私、三味線かとうには何度も行っているのですが、 Chito-shan亭は、初めてでした。
お店のどこにそんな場所あったっけ?と思いつつ、三味線かとうに行くと、ちゃんと隣にありました(^^;;
まぁ、見た目、普通のビル(?)だったので、いつも見てるのに気づいてないだけだったか…
たまに傍を走る都電の音が聞こえるので、専門音楽ホールとしては、?な環境ですが、少人数のアットホームなライブや音楽教室の発表会に向いてそうですね。

Monocroさんのライブのライブを一言で言うと
「三味線らしくない音」でしょうか。
これ、普通の三味線弾きに言ったらダメ出しですが、Monochroさんの場合は褒め言葉です。
だって、民謡を弾くわけではなく、オリジナル曲で、Monichroワールドを表現しているのですから、なんだってありでしょう。
それに彼らの場合、民謡が弾けないんじゃなくて(プロフ見たら分かる)、敢えて弾かないわけでしょう?
ですから、当然、撥を使って弾くだけではなく、爪弾かれたり、ピックで弾いたりいろいろな弾き方をされていました。
特記すべきは、やはり、何と言っても「低音三味線」と普通サイズの津軽三味線との合奏でしょうね。
特注で棹の長い三味線を制作してもらったそうです。
もしかすると、私の扱う中国大三弦と同じくらいの長さかもね。
糸や駒は義太夫三味線のものを使用しているそうです。
そして、構え方も津軽のように太鼓を抱え込んで棹の角度が急になるのではなく、どちらかといえば、長唄っぽく太鼓と身体の間の距離があって、棹も低めに構えていらっしゃいました。

私はもともと大三弦と三味線で合奏できないものかと考えていた時期があって、その時にMonocroさんのファーストCDを買いました。
まぁ、実際のところ、低音三味線は絹糸で犬皮なのだから、スチール弦、蛇皮の中国三弦とでは、違いすぎるわけで、結局、真似してみるのはやめましたが…。

笑えるのは低音三味線の裏側。
何か音の抜けがよくないと思ったので、裏の皮に穴を開けたそうですが、開け過ぎちゃったので、ガムテープで補修したとか(笑)
こんなにヒドイ三味線を舞台上から見せてくれた演奏家、初めて見たわ〜
なんかね、棹の長い三弦と大きな太鼓の組み合わせは、音の抜けが悪いっていうのは分かる気がする…
中国大三弦もいろいろな規格のものがあって、某音大の某先生が大音量を追求して完成したといわれている大きな太鼓の三弦もちょっと音がボワンとする気が…。
それに対して、昔からある長い棹、小さめの太鼓の三弦の音色は音の突き抜け方がいい感じ。で、大音量を追求したければ長い棹、小ぶりの太鼓の三弦で奏法を工夫した方が合理的だと私の中国三弦の先生は思っているのですね。
でも、大きな太鼓の裏の皮をぶち抜くなんて私は思いもよらなかったわ〜。

演奏曲目は
Beach
紅のパルマ

モノトーン
とオリジナル曲が続いた後は、映画音楽のカバーで楽しませてくださいました。
その後は桜三章という曲で、大阪国際コンクールにエントリーして惨敗した思い出の曲だそうですが、桜が咲く様と散る様が美しく描き出されたいい感じの曲でした。
ラストはJourneyという曲で、全てピックで弾く曲でした。
タイトル通り沖縄、韓国、インドネシア、中国を旅するようなメロディが印象的な曲でした。

私も三味線を爪弾いて遊んでいて、音だけ聞いた何も知らないご近所の人に「いいですねぇ、沖縄のサンシンですか?」と聞かれたことがありますが、「いえ、三味線で、じょんからです」とは返事できませんでした(笑)
結局のところ、どの三味線/三弦を使っても奏法である程度、別の三味線や三弦を模倣できるということなのでしょうね。

さて、アンコールは、民謡を弾かないMonochroのはずが、「十三(とさ)の砂山」なんてお弾きになっちゃって…
でも分かりますよ、その選曲の意図。
アンコールでご使用になった三味線は、三味線かとうさんが東日本大震災の瓦礫再生プロジェクトに応えて制作したものなんです。
ブビンカというアフリカ原産の硬い木が棹になっていまして、3丁がエレクトリック三味線として被災地に戻り被災地の人を励まし続け、残りの1丁が普通の三味線として三味線かとうさんが保有しているそうです。
十三の砂山という民謡は、洪水?大津波?の襲来により、一夜にして町と村がなくなり多くの人々が亡くなり、災難が去った後に「残った砂山が米ならいいのに」と嘆き悲しんだ、そういう感じの歌詞です。
私も帰るとき、出口にその三味線が展示してあって、お店の方が、どうぞ触ってってくださいとおっしゃるので、びょ〜んと弾いてきました。
地理的な距離があると、つい、遠い昔の遠い外国の出来事のように思いがちですが、今も解決していない問題が山積みっていうことを忘れるなとハッとさせられました。

そして、アンコールのラストは、「花火」という曲のスペシャルバージョン。
打ち上げ花火、線香花火、様々な音楽の花火が打ち上がって、ライブは楽しく終了しました。
Monochroさんは、しばらく活動休止だそうですが、ソロ活動もするB’zみたいな感じでやっていきたいというようなことをおっしゃっていたので、何年か経ったら、パワーアップしたライブがまた聴けるかもしれませんね。

伝統芸能の未来は?

梁祝
また、関係者の先生からチケットを頂き(^-^)、京劇舞台を聴きに行ってきました。
「京劇なんて、何言ってるか分からないからツマンナイ」なんて言ってたのは、どこの誰よ(笑)ど素人の外国人の私が聴いても感動した!
いえ、別に役者や伴奏者、演出関係者が大学の現役の先生達だから、ヨイショしてるわけじゃないですよ(笑)
結局のところ、主役を演じた張火丁先生が現役の人気京劇役者で、歌が上手いっていうのが最大の魅力なんですよね。
うまく言えないけど、歌い方がドラマチックな気がする(*^o^*)

気になるオケの構成ですが、
普通、昔ながらの舞台だと伴奏者はお客さんに見えない舞台右脇にいるものですし、最近の大型オペラ仕立てですと、ヨーロッパのオペラと同じで床下に入ってしまうものですが…今回は舞台右脇にいるのに、一部の奏者がお客様から丸見え。
で、誰が見えてたのかっていうと、京胡、二胡、三弦奏者の三人。
三弦の馬忠昆先生、京劇三弦というDVD付き教則本を出版してますから、お顔を知ってる人もいると思いますが、カッコいい爺さんですよね〜。
残りの奏者は幕に隠れて見えないけど、月琴、打楽器などの方々がいたと思われます。
ビオラやチェロ、コントラバス、琵琶、笛、箏、笙、阮なんていう方々も、歌の伴奏はしないけど、背景音楽担当としてオケに入っています。

演目は「梁山伯と祝英台」。
ハイ、よく知られた定番ですね。
日本の宝塚でも舞台を平安時代に設定して上演してるくらい有名な中国の民間伝承ですから、大抵の人はご存知かと思いますが、念のためにストーリーをおさらい。

お嬢様の祝英台が男装して都に遊学に出た途中、梁山伯という青年に出会う。
ともに学ぶこと三年、仲良しの二人だけど、英台が女の身であることは秘密。
でも、何となくお互いに恋心を抱いてて、二人とも思い悩んでる。
その後、英台が里に帰る。
梁山伯が会いにいくと英台は馬文才との結婚が決まっていた。
梁山伯は叶わぬ恋を引きずって病死。
英台が嫁ぐとき、梁山伯の墓を通りかかると急に大風が吹く。
英台が墓の前に行くと墓が開き、その穴に身を投げると二匹の蝶(二人の化身)が出てきてひらひらと飛んでいった。
終わり。

演出的にビックリしたのは、やっぱり梁山伯が病死するシーンでしょうね。
英台に許嫁がいると判明後、急に場面が変わって病の床に就く梁山伯。
「英台、英台…」と叫んだかと思ったら、そのまま、バタって死んじゃった。
ええっ、1分も経ってないよ(^^;;
普通、オペラでも歌舞伎でも、死にそうな人って、苦しみながら一曲歌ったり、踊ったりしない?
で、皆して「まだ死なないね」ってイライラするのが定番なのに、この演出は「太快了吧(早すぎだろ!)」と呟く人続出。

でもね、ここを端折ったのも分かるのよ。
だって、ここは適当に済ませて、次の場面、梁山伯の墓の前で、祝英台扮する大スターの張先生にたっぷり歌ってもらいましょうってことなのよ。

たっぷり歌っていただいた後はラスト!
ラストは歌ではなく舞がメイン。
ドライアイスもくもくで、舞台がこの世らしからぬ世界を表現。
大勢の蝶に扮したお姉さんたちがヒラヒラ舞った後は、バックの白い幕が切って落ちて、蝶になった梁山伯と祝英台の登場。
二人で手に手を取って舞ってお終い。

カーテンコールは、お客さん大喜びで総立ち!
みんな、夜も遅いのに、なかなか帰らないから、役者さんは何度も舞台に出てきてご挨拶。

すごいなぁ〜
ある関係者の先生が講義で興味深いこと言ってました。
「伝統芸能って、現代人にとっては面白くない、所詮今の人達に昔のものはわからないと思い込んでて、この何十年も新しいものを創ろうと努力してきたけど、ちょっと方向違いだったんだなぁと最近思うんだよね。数字的に見ても、売れる演目って本当に昔からある演目なのよ。皆がよく知ってるやつ。で、演技や歌が昔の名人にも劣らないものを見せることで、お客さんはちゃんとついてくるんだよね。もちろん、年寄りだけじゃなくて、京劇なんて身近じゃなかった若い子達も、もっと知りたいと興味を持ってくれる。だから、なんだかんだ言って、客の勉強不足を恨むとか、演出家のアイディア不足を問う前に、役者が昔の人に劣らぬ技術を身につけないとね。古いとか新しいとか関係なく、いいもんはいいのよ」

耳があいたた…
京劇役者に限らず、舞台下の10年の練習は舞台上の1分って言いますものね。