弦舞藝幻

gaoyizhen
中央音大の高藝真さんの修士卒業音楽会に行ってきました。
この方は子供の頃は琵琶を弾いてただけあって、手先がとても器用なんですよね。
名前から見て、きっと親は芸術関係の仕事してるんだろうなぁ。
終わってから、私と先輩は「よかった〜」と繰り返しつぶやいちゃいました。
本当に無駄な動きがなくて美しいフォーム、だから音も美しいのですね。
ついでに本人も美しいし…でも中国人学生って、普段はスッピンでシンプルな服装でメガネとかかけて講義に出てたりするから、美人だと気づかないケースもあったりして。(おさげに三つ編みメガネの学級院長が、ドレスアップしたら凄かったっていう少女漫画の王道みたいな女子が中国の音大にはたまにいる気が…)

一、竹溪辞 作曲:孫小松
三弦、二胡、琵琶の三重奏です。
一段、二段は、茶館とかのBGMみたいで、邪魔にならないいい雰囲気の曲です。
三段目はちょっとアレグロで、琵琶と三弦の滑音が聞きどころ。

二、風雨鉄馬 作曲:白鳳岩
これは、三弦やってる人なら、知らない人はいない名曲。「三弦聖手」と呼ばれた芸人の白鳳岩の作曲で20世紀の作品です。白先生は琵琶や四胡もできる人で(昔の芸人さんは往々にして二、三の楽器ができますが…)、三弦の伝統的なポジション移動を見直し、奏法とかに現代的要素をどんどん取り入れ、三弦の独奏作品を残しました。

三、舞幻 作曲:徐暁林
作曲者がチベット族の舞曲を素材に作曲しただけあって、テンポのいい曲です。

四、草原(第一楽章)作曲:顧冠仁
五、三弦与楽隊協奏曲 (第一楽章) 作曲:楊勇

四は三弦協奏曲として、2006年にシンガポールの楽団のために作曲されたものです。
数日前、彼女の先生から演奏曲目聞いた時に、「じゃあ、オケをバックに弾くの?」って聞いたら、「そんなわけないでしょ、オケを雇ったらいくらかかると思ってんのよ、ピアノ伴奏だけよ〜」って言われちゃいました。シビアですね。

【余談】
実は、中国三弦という楽器は非常にマイナーな楽器なので、子供の頃からこれ一筋っていう人はあまりいません(笑)
様々な理由で別の楽器から三弦専攻に転向する人と、様々な理由で三弦から別の楽器に転向する人も多いからです…。
子供の頃からこれ一筋だったら、もっと上手くなれるのかというとそうでもないんですよ。
というのも、この楽器、もとは津軽三味線なんかと同じで、唄の伴奏楽器だったのですが、独奏楽器として別ジャンルが確立しているので、昔の芸人さんの弾き方では、とてもじゃないけど、弾きこなせないんです。
琵琶の奏法とかも取り入れたり、両手五本の指全部使いますし…。
だから、家族に芸人がいたとして、芸人の爺さんから基礎習ったとかじゃ、役に立たないんです。
弾き方が全く違うから。
かといって、民族楽器独奏というジャンルの三弦をきちんと教えられる人の数は極めて少ないので、多くの人は、最初、数年適当に習って、途中で壁にぶち当たって、自分の弾き方を変えざるを得なくなります。
逆にこれやってる人が、唄の伴奏できるかっていうと、全くできませんよ。
譜面的には簡単だから技術的に手は回るだろうけど、唄の拍の取り方が西洋音楽とは違うので、唄い手にしてみたら、「このボケ、どういう間の取り方するねん」と切れることでしょう(笑)

三弦って技術的にちゃんと弾くには、他の楽器同様、何年もかかるし、その割りに仕事がないので、実に割に合わない楽器なんですよね。
ところで、三弦の先生は、三弦が一番難しいと言い、琵琶の先生は琵琶が一番難しいといい、二胡の先生は二胡が一番難しいって言いますね(笑)
だから、ちゃんと弾こうと思えば、どれもそれなりに難しいのは確か。

でも、二胡とかだと、技術的にちゃんと弾けない人でも、素人相手なら聞かせられるというところがありますからね。
だから、趣味で弾く人が多いのも、わかります。
さほど、技術的に高いものが要求されなくても、素人受けするテンポのいい曲や感じのいい曲があって、そういう曲は、ちゃんと弾けてなくても、素人目にはバレないというか、テンポがよかったり雰囲気がよかったりするので、ごまかせるというか、別に皆が楽しければ、多少、技術的に下手でも誰も苦にならないという意味です。
三弦ってそういう、受けのいい名曲ないもん…
今日のお客さんの大半は関係者だと思うけど、隣のオジサン寝てるし…

私も三弦が好きで好きでたまらなくて、子供の頃から習った人間ではありませんが、関わった以上、「ド素人で不器用な人でも、この程度の曲なら、この程度の時間で弾けるようになるんだよ」「ど素人でも、だいたい、ここまでならできる」ということを実証するために、練習し続けているようなわけです。
こんな私でも弾ける、耳あたりのいい曲って何かないのかなぁ。

…さて業界の愚痴はこのへんで終わり(^^;;

二次元と三次元の融合舞台

大学の事務所からチケットもらったので、戯曲動漫舞台劇というものを見てきました。
多分、制作関係者がもらうチケットのおこぼれなのかな、非売表示でした(笑)
その名の通り、戯曲(中国伝統地方劇)と動画漫画、演劇の要素を全部混ぜた実験的な舞台でございます。
アニメという二次元の世界と舞台という三次元の世界がどう結びつくのか?

まず、舞台のつくりはこんな感じ。
中央にアニメーションが映し出されるスクリーンがあり、舞台右脇の見えるところは打楽器奏者、左脇は吹奏楽器と弦楽器奏者が座っています。
さらに左右の楽器奏者の脇には小さなスクリーンがあって横書きでセリフが映し出されていました。
普通、舞台のつくりが小さいと字幕ってわりと縦書きの電光掲示板が多いんですけどね(まるで大売り出しのセールの広告みたいだけど)

中央のスクリーンには、背景だけが映し出されることもあれば、人物が映し出されることもあります。
例えば、舞台中央の俳優がスクリーン上のアニメの人物に呼びかけて(建物の二階にいるという設定)、その人物が下に降りてくると、実在する俳優さんが演じるという使い方もできます。
中国の伝統劇の場合、本当に昔ながらのスタイルのものって、日本の歌舞伎なんかと違って舞台が大掛かりではありません。
背景も別に凝ったものを書いたりすることもありません。
最近の大型戯曲になると、西洋のオペラみたいなセットもありですが…
テーブルと椅子があれば本当にオッケーなのです。
後は役者が演技でそこにないもの(例えばドアや川など)を、あたかもあるかのように見せかけたりするんです。
ですから、戯曲とアニメが合体する舞台の場合、人間にできなさそうな効果や、人間がやろうとすると大掛かりな仕掛けを要する効果をアニメに任せてしまうということができます。
また、その他大勢の人間を、実際に役者さんが踊らず、スクリーン上のアニメに任せて、少ない主要人物だけ俳優さんが演じるというのもありです。

スクリーンの一番上手な使い方だなと思ったのは、動物さんたち。
農村が舞台なので、ニワトリとか、豚とか、馬とか色々いるんですが、動物がケケケって笑ったり、動物同士がラブラブでキスしたりする様は、アニメの方が表現しやすくキュートですよね。
歌舞伎だと変なでかいガマガエルとか出てきたりしますけど、あれは本当にセットで作ってるし、それはそれで可愛いけど大変でしょうしね。

ちょっとハテナだったのは、お食事シーン。
普通の戯曲なら、本物のテーブルと椅子がセットとして舞台上にリアルに存在していて、水や食べ物は、役者が演技でそこにあるかのように見せるのでしょうが…
この舞台では、四角い紙を持った人が現れ(この人は黒くないけど、黒子さんみたいなもの)、これがテーブルを上から見た図?で、絵に書いたお食事をそこに貼るのです(笑)
で、役者さんは紙に書かれた背景の椅子の前に立って(座って?)紙コップ持った役者さんにミネラルウォーターの瓶を傾けるという…
子供の頃のおままごと遊びみたいで、笑えるといえば笑えますが、二次元的演出なのすね、きっと(笑)

あと、背景がアニメだと便利なのは、天気を急に変えられることかな。
でも、私としては、それ、中型スクリーンでは美しくないから、あんまりメリットないと思うな〜
宮崎アニメみたいな色の多さと背景だったらそれもありかもだけど、浮世絵的二次元アニメと色使いだからなぁ…。
歌舞伎的に音で雨や風、時の移り変わりを表してくれた方がわかりやすいと思うのは、私が日本人だからだろうか…

うーん、私としては、アニメならアニメだけみたいな〜
せっかくの現代的試みを評価しなくてごめんね。
好みの問題だけど、アニメがあるなら、前でたまに役者さんが演技してくれなくてもいいかなって(笑)
その代わり、歌う時だけは、役者さんが舞台の右か左か中央で、思いっきり歌って欲しい。
アニメの演技にオケと歌手が見えるところで演奏してくれるという演出の方が好きかも(もちろん、そういう場面もありました)。

それは、多分、私が演技にあまり興味がなくて、音を聴きたい人だからなのかも。
役者が演ずる舞台を大切にするなら、役者さんがその本領を発揮して、ひたすら演技と歌と踊りに専念して、オケは見えないところにいてくれたほうがいいなぁ。
私の脳って、多分、あれもこれも処理できない不器用なところがあるので、役者がめまぐるしくアニメとすり替わる演出は、いくら、アニメが役者の特徴をきちんと模倣していても、頭の切り替えがしんどい。
実際、どんなにデキる役者さんでも、歌と踊りと演技、全てオール満点って人なかなかいないわけだから、ストーリーと演技は全部アニメに任せて、舞台の上は純粋な音楽会にしちゃうってのはダメなのかしら…。
じゃあ、アニメ映画と変わらないって?
そうでもないよ、生の楽器の音と生の声って、映画とは全く違います。

で、肝心のストーリーは面白かったのかって?
あんまり覚えてない(^◇^;)
昔から、どうして、ここでこういう演出するんだろうとか、どういう効果を期待してるんだろうとか、そんなことばっか気にして映画とか舞台とか観ちゃうんですよね…

私の大の仲良し

仲良しの満琉(ミチル)ちゃんのこと書きます。
満琉ちゃんは、日本生まれですが、外国ぐらしが長いので変わってるとよく言われます。
日本語の喋り方がおかしい…
毎日一緒にいる私の影響が大きいのかもしれない…ゴメンヨ。
見た目はそこそこ可愛い。
チャームポイントは、とぉーっても長い首、キラキラ美しい〜
先日、成り行きで、満琉ちゃんが音大の先生の前で日本語で唄ったら、「いい声してるね」って褒められた。
あれれ?日本語ド下手くそだけど、そんなこと外国人には関係ないらしく、声が明るくていいって、言われてた。
日本社会じゃ、みんなと同じじゃないから馴染めなくて、浮いちゃう子だったのにねぇ。
先生が、同じく同年代の日本人の娘さんがいるXXさんを引き合いに
「XXさんのところの子は、こういう声じゃなかったけどね」としみじみ言うので
「だって、XXさんとこのお嬢さんは、もっと身体細いし、小さいですからね。」と私。
そして、日本の女の子にも色々いるってことで、最後に
「XXさんのお嬢さんは猫ですけど、満琉ちゃんは犬ですし」と付け加えておきました。

…分かる人はすぐ気づいたと思いますが、満琉ちゃんは、私の津軽三味線のことです。
乾燥の超キツイ北京にずっといても、破れないでがんばってもらわないと困るという私のリクエストに応えて、ゆるゆるの高くない皮が貼られています。
日本人は日本でこういう三味線は持たないかと…
でも、全て安もんというわけではなく、棹だけは上等でズシっと重い(硬い)んです…
何故なら、私は花梨の棹を数カ月もしないうちにかなり擦りへらしてしまうような怪力女だから、硬い木でないと、棹をいちいち修理に出せるかいってことです。
普通のか弱い女子には構えたり、持ち歩くのに不便かも。
職人さんの言葉で言うと「この木は素性がいい」そうで。

日本人の三味線弾きに「?」な顔されるたび、「職人さんの名誉のために言うと、私の無理なお願いを色々考慮して作ってもらったので、こういう音なんですよ(^^;;」とはっきり説明してきましたが、曲や演奏技術ではなく、「音そのもの」って何をもって良しとするかは、本当に国や地域、文化、人それぞれなんだなぁと思います。
ついでに言うと、作ってもらった当初よりもっと皮はゆるくなってるだろうし、楽器って何よりも奏者の癖が染み付くんですよね。
ほんと、私、ほぼ毎日、弾いてますから…(そのわりに下手ですまん)
私の三味線の先生は、お立場上、否定的なことや主観的な好き嫌いは、あまりハッキリおっしゃいませんが「日本の三味線ぽくない音だよね」と私の弾き方も含めて客観的事実を淡々と…(^^;;
私のような人は、どういう音を目指したらいいんでしょうね(汗)