本日は「青森の唄祭り」に参加してきました。
これは青森県民謡民舞の全国コンクールなのですが、間に先生方のショーと家元先生方が率いる社中の合奏なども入ります。
小山会社中の合奏に参加してきました。
小山会って大合奏得意なわけですが(そもそも全国的な人数が多い)、ぶっちゃけ、私は大合奏っていうのはあんまり好きじゃないんですよね…
でも、やるのは経験のため、舞台の場数踏むため、いちおう、先生と同じ舞台にいるという満足感が得られるからでしょうか。
ははは…先生は演奏を生業にされてる遠い世界の人ですから、悲しいことに私は10年経ったとしても本当の意味で先生と同じ舞台には立てませんから。
発表会のフィナーレにやる300人近い大合奏って末席の人間にはキツイ~
というのも、あっちとこっちで何か音がズレてるなと感じても、それは反響でズレて聴こえるだけなのか、本当にあっちとこっちでズレはじめているのかよく分からないし、誰に合わせたらいいんだよ~と思うからです。
仕方がないので、家元先生の傍で弾いている先生方の指先と棹の位置を見て、視覚的に合わせることで多分、自分は合っているんだろうと思うしかない…
と、先生に言ったら、「それは場数ふめば、合わせられるようになるものだ」みたいなこともおっしゃってましたね。
確かにそうかもしれないけど…弾きやすい場所に行くには出世するしかない!?(笑)
以前、じょんからの合奏で、家元先生が、長い間があるところで、合わせるために三味線の太鼓のフチをコツコツコツと三拍、マイクの傍に近づけて叩いているとおっしゃったことがあったのですが、本当の最後列ぐらいになると全然聞こえないんですよね(笑)
ある意味、突っ走りすぎる大多数の素人三味線弾き(私もその一人で、すいません)に先生方が無理に合わせてくれてるみたいな感じに聞こえるのです
青民の合奏はいつも人数少なめなので(何十人?)、音が聞き取りやすくて好きかも。
本日は、家元先生がだいぶ少し後ろに下がったところで指揮をとってくださったので、弾きやすかったな。
合わせやすいか否かという視点から言えば、先生と二人だけで弾いている時が一番、気持ちいい…だって、どちらかが旋律をうっかり弾き間違うか、私が音程を外さない限り、絶対に合うんだもの(それは先生が合わせてくれるからでしょうね)。
超大合奏は好きではないと言ったけど、いいところもあります…
それは全くあがらないところ(おい…ってか)。
だって、聴覚的には、お客さんに自分の音だけが飛びぬけて聴こえるわけではないし…
視覚的には、おそらく、お客さんは、全く見ていないか、家元先生の周辺とか前列ぐらいしか見てないでしょう?
私の左目視力は悪くないので、客席のお客さんの反応がはっきり見えますが、お客さんの顔見ても合奏なら平気ですね。
ところで、中国でも二胡や三弦をユニゾンで合奏するというのを見たことあるけど(子どもや素人さんの公益的な演奏イベント)、何百人というのはお目にかかったことがないな…
そもそも、そんなに大勢の人間が、国や地方公共団体の指導者でもなく、会社の上司でも大学の指導教官でもない家元先生の下に集まって時間を費やして、ノーギャラで、他人の音に協調しようって発想は、中国ではありえないだろうな…
それと、中国の今どきの人にしてみたら、皆が同じ旋律を弾くというアジア的スタイルは西洋の重奏スタイルに比べて劣っているというか、おしゃれでないというか、「子供の練習曲か」的に感じるのかもしれない…。
しかしながら、一人ではおおよそ舞台に立てない腕の人間が舞台に立って場数踏むには、合奏はもってこいのスタイルであるには違いない…(^^;
以前、私の中国三弦の先生(中国の某音大教授)に三味線発表会のプログラム見せて雑談していたとき、大合奏の話になって、先輩が「先生も教え子全部集めてやったらどう?」と冗談で言ったら、「あんたたち、一銭の得にもならない、むしろコストに係る費用を負担してまで舞台に出てくれるわけないんじゃない?」と言って笑ってた…。
もちろん、中国にだって、同好の志が集まって、お金出しあってコストに充てて、お客さんは無償の内輪的な演奏会開くことはあると思うけど、そんなに大人数にはならないと思われる…