中国大陸で三味線の話ができるなんて最高でした

もう、二週間ほど前のことになりますが、日本三味線入門と題して、中国の中央音学学院の一室でお話をさせていただく機会がありました。
中央音大といえば、日本でいえば東京芸大みたいなところなので、この大学のホールで演奏した三味線奏者は少なくないでしょうが、講義室で通訳なしの中国語で、お話しできたのは、私みたいな素人では珍しいかもしれません(^_^;)
たまたま、私の中国三弦の先生がここの先生だったこと、私が一応、芸術系学問の博士課程の大学院生という都合上、このような奇跡が起こったわけです。
それと、あたしだって素人なりに、中国三弦と津軽三味線弾けますし、地唄三味線、義太夫三味線は入門体験レッスンしていただいたことありますから、三弦演奏の腕前はイマイチでも、中国人と日本人の奏者が何考えてるのか、理解しやすいため適任だったと思います。

結論から言えば、めっちゃ楽しかったわ〜
だって、聴いてくれた人が全員、先生の教え子、つまり皆さん、中国三弦が上手に弾ける少数の人たちなので、興味津々で聴いてくれるわけですよ。
私は演奏はあがるけど、講義はあんまりあがらないのね。
で、20年近く大学生と大学院生をしてきた私が経験上言えるのは、ゼミ形式ではないほとんどの授業や講義っていうのは、みんな単位のためにしぶしぶ聴いてるだけだから、目がワクワクしてないのがよく分かる(笑)
もっとも、凄い才能ある先生は講義に興味のない学生を自分の話に引っ張り込むのだろうけど、そういう先生は多くはないし、学術的才能と講義をする才能はまた別モノ。

でも、身内ばかりの中で、皆んなも興味のあることを話すって最高。
しかも、皆さん、ちょっと、教えてあげれば、簡単なフレーズをすぐ弾けちゃうの。
もちろん、ちゃんと津軽三味線になってるかどうかというレベルでは、もちろん、なってないわけだけど(それは私のような大多数の素人日本人だって同じ)、コツみたいなものを掴むのがとっても早い。
久しぶりに「せんせい、質問ですが…」とカワイイ音大付属中学生に言われて、なんか嬉しかったなぁ〜(^_^;)

日本では三味線という楽器は比較的世間に知られた楽器だし、素人でも簡単な曲がすぐ弾けるようになるのは、文化譜とかが音高ではなく指の位置を示したものだというのも普及に有利な要素なんだろうなぁと、皆さん、考え込んでおられました。

もっとも、三味線の右手は、五本の指を全て使う必要がないということ、撥を使って弾くので、微妙に的を外しても弦には当たってとりあえず音は出るということ、左手は基本的に人差し指と薬指を使うことで、規則的にポジション移動していくので中指や小指も使って複雑なポジション移動しなくてもいいということ、棹が(中国三弦より)短いということ、難しくない入門用の曲もあるということが、歳をとってから始めても、そこそこ弾けるようになる要因だと私は個人的に思ってます。

さて、一週間後、新大阪でお友達が教えている中国撥弦楽器の発表会に友情出演してきます。
弾く前にちょっと話してと言われているので、5分ほど、中国伝統音楽を弾く上で知ってると役に立つかもという話をしたいと思っています。
中国三弦は、大人から始めた素人が人様に聴かせられる名曲がほとんどないっていうのが苦しいですね(^_^;)
大好きな中国曲を弾くつもりですが、本来なら3分半ぐらいで弾くべき速い曲ですが、私はそんなに速く弾けないし、速く弾こうと焦れば、ロクでもない音色にしかならないので、4分半も使って、せめて、三弦本来の音色が出るように落ち着いて弾こうと思ってます。
でも、「おそっ、ヘッタクソめ」と私の友達でもなんでもない普通の聴衆は思うかもしれないので、もう、割り切るしかないですよね。

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写真は、私の中国三弦の先生がご友人から譲られた戦後間もない頃、上海の骨董屋で売られていた細三味線。
えーなんでヘビカワ〜(^◇^;)
多分、中国の職人さんに猫皮をはる技術がなかったので、ヘビカワで代用したのでしょう。
最初、「これ、沖縄のサンシンってやつ?」と先生に聞かれましたが、この棹の長さでそれはないと思うし、胴の形が三味線そのものだし。
これで、音大生さんが指で弥三郎節を弾いてくれましたが、中華風の弥三郎でした(^_^;)
撥で叩いたら、どんな音だったんだろう…
はり替えたばかりで皮破ったら申し訳ないから、さすがに撥で思いっきり皮を打てませんでした。
講義案を作成するにあたり、お稽古中に話を聞いてくださった津軽三味線小山会の家元先生、本当にありがとうございました。

歌えない人は弾けないし、教えられない

声楽や管楽器の人にとっては、呼吸がおかしかったら、メロディにならないので当然、呼吸を意識してることと思います。
でも、撥弦や擦弦楽器の人はどうなんでしょう…
もちろん、上手い人は手も呼吸も合ってると思いますが、実際、手と呼吸がバラバラでも弾けちゃうので、不器用な人(あたし)は呼吸がおかしかったりします。
だから、楽器が歌わないんだということに気づいてから、とにかく意識して、息を吸うべきところで大きく息を吸うようにはしてますが、時々、上手く吸えません(速いフレーズを弾くと息止めちゃって、吐ききれてないので、上手に吸えないんですね)
おそらく、呼吸が浅いというのも、弾くとあがるという現象の原因の一つになってると思います。

私の中国三弦の先生は、意識しても息吸えない私を見かねて、目の前で、メロディをラララと歌いながら大げさに息吸う身振り手振りの演技してくださるんですよ。
あら〜〜不思議…先生の歌の抑揚に合わせて息を整えながら弾くとすんごい楽。
私のヘッタクソな三弦でも、私の心の声に合った音が出て、ちゃんとメロディとして、音の粒が繋がるんです。
プロのピアニストとかでも、ブツブツ歌いながら弾く人がいて、好き嫌い分かれるところですが、なぜ歌っちゃうのかわかる気がします。
私も聴衆に分からない程度にブツブツ歌いながら弾いたら、多分、もう少し、自然な呼吸ができるような気がします(笑)

子供の頃から音楽やってる人は、耳が良くて音程外さず歌えるっていうのは分かりますが(中には弾くのが上手くても音痴な人もいるけど)、先生がラララで歌ってるメロディがあんまり上手なので、歌を習ったこととかあるんですかと尋ねたら、別にないけど、昔から歌うのは好きとおっしゃいました。

なるほど、この前も大風が吹いた日に、「大風来了〜〜」って楽しそうに歌ってたもんな。

そして、もっと納得したのは、
「それに、歌えない人って教えられないと思うわよ。だって、ああしろ、こうしろって言葉で言うのは、単なる「知識」で、本読めば誰だって分かる情報の伝達だけど、こう弾けっていうのをラララって歌ってあげれば、手っ取り早く、イメージ伝わるでしょう?現にあなただって、あっという間に理解して、つられて弾けたじゃない」

ううむ…確かに。
楽器が歌うように弾けとか、何かを語るように弾けって俗に言うけど、これって単なる比喩じゃなくて、上手く弾けてるときって、本当に楽器が体の一部になってて、歌ってるんだよなぁと最近、思うのでありました。

多分、手先が器用で、チャカチャカ凄いことやってても、全然、感動しない演奏というのは、手だけ動いてて、歌ってないからなんだろうなとも思うのでした。
逆に手が大したことやってなくても、歌っていれば(心と手が一致、呼吸と手が一致)、コラァひでぇという演奏にはならないんじゃないかとも思うのでした。

先生と脳味噌交換して弾いてみたい

速く弾ける人が単純に羨ましいです。
何故なら、スピードが出せるということ自体、客観的に非常にわかりやすい基準だからです。
他人の主観に訴える音色で勝負より、速さで客観的勝負が、誤魔化しが効いて、誰にでも「おぉ〜〜すげぇ」と思ってもらえるわけですから…

指を速く動かすために、人間はどうしているのか、これは脳の問題だということがある程度、科学的に分かっているようです。
脳画像診断技術を使った研究によると、指を速く動かそうとすると、より多くの神経細胞が活動することが報告されているそうで、音楽家とそうでない人を比べると、指を速く動かす時、活動する細胞の数が違うみたい。
そして、早期音楽教育を受けてる人とそうでない人で、大差があって、もちろん、日々の練習量で増えたりもするという…。

そして、私は、どうやら、早く弾くための情報処理をする脳ができていないことに加えて、脳が指令を出してから、指が実際に動くまでの運動神経も鈍いんだろうなと思います。
これが、年齢いった人でも、練習である程度、改善できるものなのか、知りたくもないですね、残酷だから。
例えるなら、「あっ、危ない」と思ってブレーキ踏めって脳が指令出しても、すぐにブレーキ踏めてない運転みたいなものかしら。

なんで、自分の運動神経のなさすぎに気づいたかというと…
三味線で「秋田荷方節」(若者に人気の民謡の前奏部分で、超速いのがウリ?)をお稽古してもらってた時、先生が丁寧にフレーズの繰り返しの数を数えてくれるのですが、先生の数え方が遅いので、私の中ではとっくに3回目の指令を出した後で、先生が「さーん」とか言うのですよ。
当然、先生の「さ〜〜ん」につられて、私は4回弾いてしまうことになり、NG連発。
自分で先生の録音に合わせて弾いてる時は、そのスピードで弾けてたので、ある意味、手の筋力とかの問題ではないはずで…
思わず「先生!数えないでいただけますか‼︎」と険悪な顔をしてしまって…
「よかれと思って数えてるのに、そんなに怒らなくても…」と先生。
(先生、本当にごめんなさい…)

多分、先生は弾きながらご自身のタイミングでお数えになってるわけで、その声を合図に弾いたんじゃ、一定のスピードを超えた場合、先生と合わない訳で、運動神経のいい先生には一生わからないだろうな〜〜と思いました。

ちなみに脳の研究者の報告によれば、演奏家は、脳が間違った指令を出した時(当然、もう、ミスタッチは避けられない)、とっさにそのミスタッチの音を極力小さくするよう、次の指令を出しているらしいです。
私なんぞは、「しまった」と思ってても、もう、次の指令が間に合わないので、ミスタッチ音はそのまま、ダイレクトにボーンと出て行ってしまう訳ね。
だから、手っ取り早いのは絶対にミスをしないこと(・・;)
本気で、こんなことだけ考えてたら、緊張してよけい、ミスりますよねぇ…ある意味、実音聴くまでミスったことに気づかない人の方が幸せなのではないかしらん…

こんなこと書くと、子供の頃、金持ちの家に生まれず、十分に音楽教育を受けてこなかった人は、どんなに練習しても無駄なのよね〜〜というおきまりの結論に行き着き、あえてブログを書く意味もないのですが…

しかしながら、中年や高齢者にも救われる現象が存在するのも事実。
私は、大人になってから、二胡や三弦を習いましたが、先生に恵まれたので、通常、先生が音大受けるような子供にしか言わないような細かいことを素人の大人の私にも言ってくれたおかげで、他人の細かいところが気になります。
つまり、舞台上で、たまに、むちゃくちゃ早弾きしてすげぇと感動されてる場合でも、これ、録音してスロー再生したら、めちゃくちゃ粗が分かるよねっていう場合があること(報酬もらって演奏している人でも、?と思うことはあります)。
ビブラートなんかも、変な癖があっても、それがキモチイイことになってしまう…(もっとも、プロはそれを計算の上でやってて、素人は単純に変にしかならないだけなんだと思うけど…)

本当はちゃんとできてないのに、人に感動されててズルイって言うことが言いたいんじゃなくて、心の底から羨ましい〜〜その秘訣、教えてよと思うのです。

時に、技術と感動ってあんまり関係ないんじゃないかと思ったりします。
もちろん、最低限の技術は必要だけど(^_^;)
もっとも、可愛いとかイケメンであることもプラス要素なので羨ましい限り。
うちわの発表会なら、なおのこと、その人の日頃を知っているだけに、「XXさんらしい、優しい音だよね」とかいう話は、技術そのものに果たして関係あるんだろうか…よく分からないです。

速くてもデタラメだったら音大に受からないけど、別の魅力でそのデタラメをカバーしてる人が、世間では「味があるよねぇ」とか言われるのかもな、と思わなくもありません。

「じゃあ、そこそこの技術で感動を引き出せる人もいれば、完璧に弾いてるのに、場がしらける人がいるって一体どういうこと?」と三弦の先生に質問投げかけたら、
「やっぱし、人間性とか、品格とか、そういう曖昧なものなんじゃない?」とのこと。

ある意味、技術を磨く方が、超簡単かもしれない…ですね(^_^;)
ハイ、とりあえず、脳細胞は歳をとれば死ぬ一方で増えないでしょうけど、使ってない細胞がいっぱいあるらしいですから、こいつらを叩き起こしてみようと思うのでした。