虚しいの…

三味線のお稽古に行ってきました。
このところ、お稽古であがります。
練習してないから?
別に練習していないわけじゃないんですよ。
もちろん、プロの演奏家の練習の仕方に比べたら、量も質も悪すぎる練習の仕方なのでしょうけど、素人の趣味の人と比べたら、私は今、仕事なくて暇だし、面倒みなきゃいけない子供いないし、介護の必要な老人抱えてるわけでもないですから、相当、練習する時間はあります。

結局、どんなに練習したって、人前できちんと弾けなきゃ意味ないじゃないですか…
で、この問題、つきつめていくと、「何かに意味があるとか無いとかっていったい何?」「意味があるとかないとかって、つまり他人の評価?」ということにいきつきます。
でも、中には人からどんなに評価されていても虚しい人というのもいて、結局のところ、人が認めようが認めまいが、自己肯定できないと「意味がある」とは思えないだろうな。
そしてそれを突き詰めていくと、「生きること」にも、意味を求めはじめて、「自分には生きてる意味がない」となって自殺願望が出てくる人もいますよね。
かつて自分はそうでした。

弾いてないと、死にたくなるから、弾いてたのだけど、よく「弾かないと死んじゃう」という私の言葉を間に受けた友人が、私のことをよほどの音楽好きだと勘違いしてくれました(^_^;)
でも、人間、ある程度、歳くってくると、そもそも自分も含めたあらゆる人の人生そのものに意味なんてない、生きること自体、意味なんてないんだわなというところに落ち着くと思います。
神様がまだいいよって言わない以上、生きるしか仕方ないじゃないですか?

私は今晩、無性に虚しかったです。
もちろん、一人で練習してる時は楽しいけど、人前で弾くのは恐ろしく虚しい。
どーせ、上手く弾けないし、上手く弾けたとしても他人にとって何か意味あるわけじゃなし(^_^;)
自分にいつか晴れ舞台があるわけでもなし。
大多数の人は、音楽や書画などの創作物によって、人の心なんて動かせません…
いやはや、すごいアーティストの作品だって「これ、何が面白いんですかね?」ということは多々あります。
(実際、私も美術館で、隣にいた人、それもすごく教養ありそうな人がそうつぶやいた時に、良かった~私もそう思ってたのよね~と笑いをこらえたことがあります)

本人的にはそういうウツ状態で(先生も含めて)人前で弾くのは失礼だから、なんとかテンション上げて人前に出ようと思うのに、上手くいきませんでした。
せいぜい、ニコニコ笑うぐらい…(弾けてないのに笑うのは逆に不謹慎かもしれないけど、泣くわけにもいかず…)

私の身体的、あるいはメンタルなダメダメぶりも、「こういうやつもいる」と先生のデータベースに「蓄積されるという意味において、意味はあるのかもしれないけどね(笑)

そもそも時間芸術自体、私に向いてないのかもなぁ。
絵とかなら、失敗しても塗り直せるし、場合によっては破いて書き直して、一番いいものだけ人前に出せばいい。
でも、音楽は、どんなに影で弾いてきたたとしても、表で弾けなきゃ、=練習してない、と同じだし。

下手でも、ちまたの発表会みたいに本人が一生懸命で、ひたむきだったり、楽しそうに弾いていれば、それはそれで、見てる方も元気もらえたり、楽しい気分になれるかも分からないけど、私は弾いてる自分が虚しすぎて、多分、見た目も最悪。

もう、何もかもやめちゃった方がいいのかなって思ったけど、そうすると、明日からまた死にたくなるから、やめないと思うのでした。
つくづく、ネガティブな動機。

でも、日々日常が生きるのに大変な人や、お金がなくて朝から晩まで仕事して休む間もない人、病気で明日死ぬかもしれない人が、これ、聞いたら、あんたは暇だからそんなこと(虚しいとか)考える余裕あるんだと、言うだろうなと思うのでした。