あいまいが理解できない日本人の私

日本にいる時は、金曜日の夜9時、NHK教育バリバラ(バリアフリー・バラエティ)が面白くてよく見ています。
身体障害者、知的障害者、精神疾患などバリアを感じて生きている人の情報番組ですが、一方的に可哀想だから助けてあげましょう的な番組ではなく、ふーん、そんなこと思ってるんだ、そんなことに困ってるんだ、周囲はこう思ってるんだという相互理解に役立つ構成になっていると思います。
障害者自身、自分をネタにコントしたりもします。
中国じゃ見れないなと思ってたら、コントはネットにもアップされてるんだ〜
すごく面白い。

http://www.nhk.or.jp/baribara/lineup/index.html

夫も私もNHK教育をよく見る方ですが、夫が何故、この番組を見ているのかは分かりません。
夫は教員で、もしかすると大学や大学院に適応できず、途中で辞めて行く学生の中には、自分の病気や障害をカミングアウトする人もいるそうなので、関心があるのかな?
私の場合は、たまーに、障害者や病気の人のエピソードが「あるある」と共感できるものがあって興味深いからです。

生活に支障が出るコダワリ(とらわれ)や感覚過敏がある人は医者に診てもらう方がいいと思いますが、そうでないコダワリとかなら、個性や性格で済みますから、どこからが障害、病気か、グレーゾーンとは何ぞやとも思います。

私は「自由奔放」「子供っぽい」「マイペース」「同時に二つの事が出来ない」「物覚えが悪い」「好きなことしてると他が見えない、聴こえない」「(難しいこと知ってる割には)意外と簡単なことが出来ない」「どうでもいいところに細かい」らしいですが、周囲が大迷惑していると証言すれば、病人や障害者になるかも^^;
「…らしい」と書いたのは、自分でそうしようと思ってわざとやっているわけではないからなんです。
「普通」はそうしない、そう思わない、そんなこと言った人初めてと言われるたびに学習して「普通」を演じないといけませんが、本当はそうしたいと自然に思わないので、たまにボロが出たりして。
最近は自分はKYでコミュニケーション下手だから、もしかして大人の発達障害…と思う人多いのですってね。
日本は個性を認めてくれないし、前例のないことは基本的にやってはいけないので、生きにくいという土壌もあるしなぁ。
人に絶対迷惑かけない、100点どころか120点を求める日本人の美学みたいなもの、スゴイと思いますが、外国だと結構アバウトで、人を振り回す健常者は、いっぱいいる(と思う)けどなぁ。

アテにはならないと言われているWeb上の「自閉症スペクトラム」自己診断テストですが、やってみると、私、高得点出ます…
だから、やっぱり、アテにはならんのでしょう(笑)
↑いや…本当は笑えないのかもしれない(ノ_<)

フラッシュバック

う~ん…月曜日に三弦のレッスン行くの怖い…かも。
ハイ、先週、中国三弦のレッスンに行って、先生に「ここまで、叫んで注意したのは初めて。喉がからからになっちゃったわ。どうして言われたことができないの!」
と叱られて、落ち込んだ帰り道、一時間以上は涙が止まりませんでした。

実は、私の場合、強烈なマイナス感情が起こると、ヒドイ時は、3歳頃から現在までの特定の嫌な記憶が走馬灯のようにぐるぐる思い出されて、傷ついた感情が再現されて止まらなくなるという、いわゆる「フラッシュバック」(かも?)が起こることがありまして…
「フラッシュバック」って災害や犯罪とかに遭った人が、その怖い感情が再現されるというやつ、その他にも発達障害の人が過去の嫌な記憶がさかのぼって蘇る、ってやつらしいので、似てると思ってそう書きましたが、医学的に私のがそう呼べるものかどうか…医療関係者に話したことないので、よく分かりません。

引き金はだいたい、人が怒っている時の声とか、お茶碗が割れたりする時の音なんです。
まぁ、子供の頃にどんくさいし、気がきかないから、よく叱られたし、父が自分自身の感情のコントロールが苦手でよく自己破壊的に切れて、その辺のものに当たり散らして物がたびたび破壊されたからなんでしょうねぇ(^^;
それで、10代、20代の頃は、ますます、自分はだめだめ人間なんだぁ~ってな具合になりがちだったんですが、さすがに歳をとってくると、このままいくとヤバいと分かっているので、思い浮かばないように努力するわけです。
子供の頃、がっことかでよく心理テストみたいなのを、全員が受けさせられたりするでしょう?
私の場合、すごく悪い結果がでたことがあるんです。
担任いわく「ここまで心理状態よくないという結果が出ているのに、不登校にならないのが不思議でしょうがない…」

他人にとって「大したことないことで、そこまでネガティブにならなくてもいいじゃん」と思うようなことが、私の脳内では、実際は引き金になった事柄だけではなく、いくつかの事柄がリフレインしているので、重大問題になっちゃうんだな(笑)。
本人も嵐が過ぎれば、大したことない事だって分かってるんですヨ、それは。
別に、それができなかったからといって即、人間失格じゃないし、逆にできたからといって、優秀な人になるわけでもない…

発作の最後は、斧とかハサミのようなもので、記憶の帯みたいなものを、ずどん、と自分で切るような想像をすると、うまく消えてくれることもあるのですが…
うまく、悪循環を断ち切れなかったらどうしよう…って今悩んでもしゃぁないわな。

そもそも、先生は私によかれと思って注意して下さるわけだけど、あまり忍耐強くない先生だと、さすがに私のどんくささに呆れるのか、或いは私の無表情が「こいつ、私の言ってること、ちゃんと聞いてるの?」と思わせるようで、子供の頃なんて、そのせいで、ヒドイ時は殴られちゃったのよね。
本人は本当に悪気ないのだけど、他人をいらっとさせるのだと思います。
いや…私がそういう時に無表情なのは、多分、そこですごく申し訳なく哀しくなると、さっき書いたみたいに、フラッシュバックしちゃうから、本当に短くて一時間は収拾つかなくなるだろうし、自己防衛してるからなのかも…と思います。
私としては、言ってることは聞いているし、努力もしてるけど、実際は頭で理解できていない(勘違いしている)か、運動能力的に本当に出来ないんだよう~ということなのです。

まぁ、逆に忍耐強すぎて、軽く注意はするけど、全然叱らない三味線の師匠みたいだと「先生、私のこと見捨ててるわけじゃないよね?」って不安になるという…
この前、ハッキリ聞いてみたら、そうじゃないようなので、安心した(^^;
私って、なんとも、まぁ、扱いにくい生徒だこと。

二胡のナナ先生とかだと付き合い長い方なので、注意は細かいけど、あまり言い過ぎると、心理的に私がネガティブになって、余計、悪い方向に走るので、手加減してくださっているのだと思う…
(今週末は忙しくって二胡のレッスン行きませんでした)

「先生」っていろんな生徒がくるわけでしょう?
だから、大変なお仕事だなと思います。
もちろん、先生というのは、医者が患者を断ることできないのとは違って、営利事業としてやっている先生だったら、断れるわけだけど、一生懸命な生徒さんを簡単に断れるものでもないし、本当に大変だと思う…

二胡LESSON105

私はどうも、「たーたた たた」というリズムを弾く時に、よほど気をつけていないと、「たーたた たった」になってしまうらしい…
このリズムパターンは、ご存じ「賽馬」によく出てくるリズムですね。
みーみみ らど そーそそ そみ どーどど どーれど らーらら らら
(もっとも後ろの八分音符は頓弓だから、タッタと書き言葉で表す方が自然かもしれないですが、私がここで言いたいのは、明らかに前の音が短くて後ろの音が長くなることなので、あえてタタとタッタにしときました)

最初は弓の推し方に問題があるのだと思ってました。
でも、開放弦なら、ちゃんと弾けます。
では、ナナ先生の言うように、左手が加わることによって注意がそれるから、左手が右手に影響を与えているのかな?
確かにそういう部分はあると思います。
左手のポジション移動や音程に気を取られていれば、右手のことなんて構っていられない。

しかしながら、一番大きな原因は、どうも私が心の中で歌うメロディにあるらしいと、最近自分で気づきました(汗)
正直に言います。
「たーたた たった」の方が私にとっては自然なんですヨ。
困ったなぁ…
つい、そう、歌っちゃうから、それに手はつられるでしょう?
差別用語になるので、文字としてここにはっきり書けませんが、楽器の先生がよくおっしゃるように、足の不自由な方が歩く時の足音っぽい感じの方が私にはしっくりくるのです。
(もっとも、「たーたた たった」というリズムで人前で弾く人もいらっしゃいますから、譜面をちゃんと見ることのない人は、そういう曲だと思ってる人もいるかも…)

逆に、津軽三味線を弾いている時は、足を引きずるようなリズムが求められることが多々あります。
いわゆる譜面に厳格に忠実に(西洋音楽の譜面の規則どおりに)弾いてなかったりして(笑)
譜面を書いている師匠ご自身がおっしゃるには、こういうものはもともと口伝だったもので、あんまり厳密に譜面を書くと、ご年配の方や民謡の人なんかがついてこれない、譜面が見づらくなる、というようなことらしいです。
だからか、西洋音楽にどっぷり浸かっていらした人(特に西洋クラシック系の習い事が長かった人)が、知らない民謡を独学で譜面を真に受けて弾くと、すごく気持ち悪いメロデイになるという…

私はどうも、譜面に書きにくい、足が不自由な感じのメロディの方が好きな傾向にあって、「じょんから旧節」(いわゆる小山流の簡単な方ではないやつ)なんて、すごく好き。
使われている音自体は、全然難しくないのに、ちゃんと弾こうと思うとリズムが難しい曲なわけで…
でも、師匠は私を止めることなく、弾きたいなら弾いてみりゃいいよ、と教えてくださいました…う~ん、この世界、ピアノやフルートやバイオリンの教則本みたいなのがないので、先生にもよるのかもしれないけど、いったいどういう風に山を登って行くのか、さっぱり見当が付かないです。
師匠は一度も私がやりたいと言いだした曲を「無理なんじゃない?」とか「止めとけ」って言ったことがないのです…。

では、足を引きずるようなメロディというやつは、時には許されて(むしろ歓迎されて)、時には、まったく受け入れてもらえないわけですが、どこまでの足の引きずりなら、許容範囲なんだろうなぁ。
それはジャンルにもよるのかな?