アガリ

適度な緊張感は、本番の舞台での演奏を引き立ててくれるとってもいい薬ですが…
度を超すと、演奏の足を引っ張る毒薬です。

その度を超すアガリに悩まされる私。
もっとも悩まされているのは、私だけではないんですがね…
プロでも震える人や、過呼吸気味になる人、蕁麻疹出る人とかいろいろあるみたいなんで、自分はなんてダメなやつなんだと責める必要はないんですけどね。

過去、一番困った状態は、手足の大きな震えにより、まともに弦をはじけなかったこと、押さえるべき弦がきちんと押さえられずすべってしまったこと、手に汗かいて棹が滑らず、ポジション移動が間に合わないことでした。

最近は、そこまでひどいアガリはないですが、やっぱりアガリます。
医者の処方箋のいらない漢方薬なども、本番の前日から飲んでみましたが、効かねぇ~
多少、効くのは、あまりにも心拍数が上がってきたら、かなり心拍数が上がらないうちに、首の後ろ冷やすことぐらいかな~
「冷えピタ」とか、「休足時間」みたいな冷却用のジェルシートを本番は持ち歩こうかな。
本番前は軽い運動がいいみたいだけど、そんなもんじゃ、心拍数や血圧に効かない。

要は子ども時代、親に無条件に褒めてもらったことないから、他人が認めてくれない恐怖からアガるんでしょうね。
(子どもには、親が認めてくれない→生きていけないという図式になり、それが大人になった今も尾を引いているのかもしれません)
実際は、父は外では私の自慢話をする親ばかの一面があったらしいですが、私に対してはまったくそんなことはなかったです。
大学落ちた時なんて、落ち込んでいる私に追い打ちかけるように「恥ずかしいから二度と受けるな」って言ったしなぁ。
(今思えば、私は普通高校を出ていないので、そんな奴が、普通高校出ている人と同じ土俵で試験受けたって受かりっこないんだから、そういうイタイことはするな!って意味だったのかもしれません…わはは、でも、翌年受かったけどね)
母はよく気の利かない私を「出来そこない」って言いました。
(今思うと、私は空気読めない、具体的に言われないとどうしたらよいか分からないグズグズした子どもで、具体的に言われたら言われたで、そのとおり行動してしまい応用の利かない子どもだったんです。今は多少学習してるので、そんなことないと思ってますが、人の気持ちを察するのは相変わらず苦手です。)
でも、そういうことって、言った方は忘れてるんですよね(笑)
そういう私は、実は父によく似ているらしいんですがね。

先日も、三味線のお稽古で師匠が「一応できてるから大丈夫」って言ってるのに「先生、甘すぎ、もしかして私がネガティブだから、そう言ってる?」って言ってしまいました。
うぅ、本当にごめんなさい…
後で、客観的に自分を分析してみると、「そんなことない」って否定してほしいんでしょうね。
むっちゃ、鬱陶しい生徒やな。
「こんなにおバカでも見放さないで」的な、ある意味、甘えてるんでしょうね…反省してます。

心の問題なんだから、無理に心拍数を押さえようとしたって無理。
ダメもとで、アガリに効くとか、自分も他人にも愛情が持てるっていう愛情増加っていう音楽療法系のCDを買ってみました。
聴いてみて効果あったら、アップしてみましょう(^^;

今年の七夕はとっても楽しかったです。

tanabata
百原明子先生の中国民族楽器教室の中でも阮、柳琴などの弾撥楽器による第一回発表会にお邪魔させていただきました。
腕はまだまだの私ですが、こんなマニアックな発表会に友情出演させていただき、貴重な体験をさせていただきました。
公の演奏後に泣かなかったのは(感動の涙じゃないよ、悔し涙)、これが初めてかも。
もちろん、ダメダメな部分いっぱいあったし、相変わらず、あがったんだけど、それ以上に、明日につながるアドバイスや気づきがいっぱいあったので、希望というか、そういうのが持てました。

さて、自分の舞台の方ですが、私は三弦の説明をダラダラしてもツマンナイかなと思い、津軽三味線を持ち出して、大きさ、音色、こんなに違うでしょ、みたいなことしてみました。

全体のリポートは、お客さんが書いてくださっているので、私は自分の裏話など、ぶっちゃけます。

今回の想定外の面白ハプニング、いってみよう〜

その1
9時半集合で、最初に集合写真取りましょう、ということでした。
で、私、行ったら、襦袢忘れてました。
私の衣装というのは、知る人ぞ知る、深衣。
着物っぽいやつです。
あちゃー、もう肌に直接、着ちゃえ状態。
これって、三味線の発表会とかだったら、怒られちゃうよね~。
自分のリハが終わったら、ホテル戻って、襦袢を取ってきました。
だから、写真がちょっとマズイんです。
本番はちゃんと着てます。
大切なもん、置いてきちゃうなんて、ダメですね、反省(~_~;)

その2
朝、ホテルで三味線を分解していたら、上駒がぽろっと落ちた…
ひょえ〜
でも、自分が見てる時でよかった、よかった。
知らない間に落っことしてて、組み立てる時に見つからなかったら、下の駒ならともかく、上の駒なんて代わりのもの持ってないよ。
でも、糸を掛けてしまえば、上駒は落っこちてこないので、それでよしとしました。
ははは〜外れるものなんだねぇ。

その3
実は、三弦と三味線の説明をする時、楽器がよく見えるように、リハの時、譜面台を左寄りに置いていただくお約束にしていたのですが、出て行ったら、どうも譜面台が正面に近い…
ううむ、これでは、楽器が見えないぞと思い、私はこともあろうに、足で譜面を左によけてしまった(*^_^*)
だって、左に三味線、右手に三弦で手がふさがってるし、楽器スタンドとかもないし、気持ち的に楽器を下において、手を開けてから、譜面持つ余裕がなかった〜
アァ、お行儀の悪いことしてしもうた。
当然のことながら、お客様に笑われてしもうた〜
でも、何かこの笑いのおかげで、少し緊張が解けましたので、マァいいっか。
淑女にあらぬべき行動、失礼しました。

自分のことで頭いっぱいで、皆様の演奏を一人一人全部聞けたわけじゃなくてすみませんでした。
後で映像記録で拝見します。
でも、合奏は舞台脇から拝聴させていただきました。
こんなにマイナーな楽器で、人が聴いてくれる舞台が作れるってすごいと思いました。
一番たくさんお客さんいた時、多分百人はいたらしい。
しかし、舞台上では、ライトが明るすぎて、私は前から二列目ぐらいの人の顔しか見えなかったけどね。
生徒さんの中には、目の手術とかして目にレンズが入っているので、眩しかったぁって仰ってましたが、あれぐらい明るくないと、舞台では怖い顔になっちゃうんですって。
次の舞台では、彼は演出の一つとしてサングラスかもしれませんね。
かけたら、格好良さそうなおじさまでした。
私は右目だけ悪いのですが、普段、メガネ、コンタクトはしません。
だから、ライトが明るすぎようが関係ない。
左目は裸眼で普通に1.0以上見えてますので、右目にコンタクト入れずに正解だったなぁ。
迷ったのよ、右目にコンタクト入れるべきか。

合奏の「ムーンリバー」、柔らかい音が素敵でした。
最後の合奏曲、「三六」、中国の曲ですが、雰囲気良く仕上がってるなーと思いました。
三弦と琵琶でも、よく合奏される曲ですが、私が同じ曲を三弦でやっても、こんなにいい雰囲気かもし出せないわ、と思います。
大阮という楽器は、三弦専攻の学生が、大学のオケでよく担当に回される楽器ですが、中阮との合奏で聴くのもいいものですよね。

モモ先生、楽器の特徴、生徒の個性を活かす選曲が上手いんですよね。
将来、室内楽やりたい私としては、三弦を活かせるアレンジ、もっと勉強しなくちゃと思いました。

ところで、なんで皆さん、本番前にお弁当ペロリと平らげられるんですか?
モモ先生なんて、あんなに細いくせに、ガッツリ完食。
痩せの大食いってよく言うけど、本当だね。
私は、最初から食べられないって分かってたから、ホテル出てきた時におにぎり一個食べただけ。
ちなみに写真は、本番前、控室にてお弁当完食後のモモ先生と私。

第二回発表会は2年後、楽しみです。
さぁて、2年後は、何弾こうかなぁ。
河南板頭曲って、昔は三弦、琵琶、古筝とよく合奏したらしいんですよ。
うひひ、高山流水あたりを誰かとやりたいかも。

スクイは何のためにあるの?

それは、二胡のレッスン中に湧き上がった疑問でした。
「スクイ」って「救いようがないおバカ」のスクイじゃないですよ(^^;
いわゆる、弦をはじく楽器でいうところの、アップ・ピッキング’(上に向かってはじく)です。
え?なんで、二胡の弓を推したり、引いたりしてる時に、そんなこと考えてるのよって?
えーこういうことです。

人間って生理的には、弓をひくのはわりと自然に出来ますよね。
だから、拉弓(弓を右へひっぱる)から弾き始めるのは割とスムーズ。
でも、推弓(弓を左へおす)から始めるのって、やりにくいよね。
西洋音楽でいうところの二拍子なら、強弱だから、拉弓、推弓の順番で、それなりにリズムもあってる。
これを逆にしても、推弓できちんと強拍が出せるか…
で、練習のために、推拉推拉推拉推拉…とひいていた筈が、拉推拉推拉推…あれっ、どこで変わっちゃたんだい?ってなことが起こります。
弓を推そうが引こうが、できるだけ同じ音色、強さで弾けるようにしてみようという訓練しますよね。

中国の弾く系の楽器でも、弾(下へ向かってはじく、いわゆるダウン)、挑(上へ向かってはじく、いわゆるアップ)をやると、ダウンは重力があるので、誰でも結構、スムーズに大きな音が出ちゃいます。
それが、アップになると、ふにゃらとなる。
特に琵琶や三弦という、ピックを使わず指の爪で弾く楽器になると、初心者は顕著にアップが弱い。
というのも、アップは親指を外側に動かすことで、弦を下からはじくので(つまり手を握る時と逆の動きを速く行う)、これは日常生活では使わない筋肉を動かす必要があるため、まず動かし方が分からない。
で、器用に動かせたとしても、指の力のない人は、大きな音出ません。
それを解決するために、何をするか、挑弾挑弾…つまりアップ、ダウン、アップ、ダウンの順ではじく練習するんです。
そして、親指と人差し指の力を同等になるように鍛え上げ、なるべく同じ音色、音量で弾けるようにします。

ところが…三味線にはそういう概念ないみたいなのよね。
そもそも、ゆっくりめの曲なら、打ってばかり(ダウンばっかり)、アップが必要なところはわざわざ「スクイ」と表記してあって、それ以外は糸をスクウ必要がない…
だいたい、打つときとスクウときでは、音色が違って当たり前なんだから、音量や音色を均一にする必要もないので、そんな訓練をわざわざしない。
津軽なら、打つ時(ダウン)は皮まで叩いて、タンと抜けるような音、あるいは前の方で打つ時のッという音を出すけど(そうでない時もある)、アップ(撥で弦をすくいあげる)は、そもそも皮に触れようがないので皮を叩く音は聴こえない。
スクウときの音にもいろいろあるけど、いずれにしても、アップをダウンと同じ音色目指すなんてことは、ないこともないが主流ではない。
ううむ、それが独特の味わいになってるんだなぁ…と思ったりして。
まぁ、撥の角度によっては、ギターみたいに普通にタタタタ…と均一にトレモロできてしまうけど(ピックと同じように動かせないこともない)、それはここ最近の洋楽、現代曲を意識した話でしょう?
中国人には、でかい撥でタタタタ…と弾くのは、信じられないらしく…よほど熟達した先生でないとできないと思ってる人も多いけど、意外とそうでもないので、師匠よりはずいぶん遅いスピードだけど、スクってみせると、器用だねと言われる…いや、私が器用というより、日本人全般がわりと器用なのでは???

「別に均一じゃなくたって、これがいいんだよ」という三味線のスクイって何か面白い。

もっとも、中国三弦のアップも、民間曲なんかでは、わざわざ4回連続挑(アップ)なんていう表記がしてあったりします(本来、何も指定がなければ、人差し指のダウン、親指のアップという順で交互に弾くお約束です)。
この変な指定の意図は何かと先生に聞いたら、これだけ遅いスピードなら別に4回連続の人差し指の弾(ダウン)でも同じ効果出せると思うけど、要するに弱めで揺れる音を楽に出せるから、そういう指定したか、そうでなければ、視覚上の問題だろうね、との回答でした。