先生は走るの速いですか?(大人のレッスン再考)

「先生は走るの速いですか?」
「いや、速くないけど、何で?」
「そもそも、私と先生の運動能力に、天と地ほどの差があるのかなぁと思って・◇・)?」
「…あのなぁ、単に指の訓練足りないだけだよ!」

上記は、レッスン中のトシミネ先生と私の会話です。
先生は走るの速くないらしいですよ(笑)
機会があったら、別の先生にも聞いてみよ。
私、子どもの頃なんて、短距離速かったよ。
持久走はダメだったけど。

楽器は子どもの頃からやってないとダメ。
これは残念ながら、プロ並みに演奏しようと思う場合、本当のことなんですよね。
脳の命令によって、筋肉を速く動かす能力は、大人になるとどんどん衰えていくわけで(20代後半ですでに退化してゆく)、鍛えようがないのです。
先生方は子どもの頃の訓練で、かなり高みに達しているので、そこから衰えていっても十分使い物になるだけ。
まぁ、でも、プロ並みにはならないだろうけど、上手い素人になるために、可能な限り訓練したいとは思ってるんです。

三味線のお師匠様が私にあまりにも甘過ぎるので(笑)、
「そんなんで、いいんですか?」と言ったことがありますが、
「プロになるわけじゃないんだから、そんなんでいいんだよ~(^-^)」
とおっしゃったことがありました。
そんなに力まないで、もっと、気楽にやればいいんだよ、ってな感じの、励ましだったんじゃないかと思いますが、言われたその日は、眠れないくらいショックでした。

私が子どもだったら、間違いなく「お師匠様みたいになりたい」と言った筈で、
いや、私は図々しいので「お師匠様より、上手くなります」と言っていたに違いないんです。
もう、それは、もちろん年齢的に無理だってことは分かってます(笑)

で、素人がひたすら頑張ってもリターンがあるわけでもないので、「無駄な時間とお金をかけさせてもなぁ」って思うのは、大人の常識ある先生なら同然だとも思うのです。
やってる本人も、正直、一生懸命になりすぎな自分がイタくて可哀そうです。
「あんまり上手じゃないけど、皆で楽しく」やりたいとは思っていない中年以上の人は、
自分でもどこを目標にすべきかも分かんないという問題もありますしね。

「でも、私は、上手くなりたいんだぁ~」

二胡のナナ先生は、6歳の6月6日どころではなく4歳から二胡をやって、音大附属中、音大と進み、音大の関係機関で先生してます。
三弦のトシミネ先生は10歳からだけど(三弦は棹が長いので、3,4歳は無理。4,5歳から琵琶やっていて、小学生くらいから三弦に転向する人も多い)、音大附属中学から音大、務め先も芸術系大学の音楽科という筋金入りなので、大人の学習者のことがよく分かってないんです。
彼らはその世界しか知らない。
彼らの常識は、私の非常識。

それはそれで、私にメリットもあります。
「大人だから、この程度だろ、言ったって無駄」みたいな、日本の普通の音楽教室の先生みたいな妥協がないので、無茶言いますから、本来は努力次第で出来たのに、努力しなかっただけという結果は回避できます(笑)
でも、本当に無茶なことは「それは無茶だよ」ってちゃんと言わないと、身体壊しちゃいます(笑)
大人には、大人用の訓練の仕方を本当は考えていかないといけないんだと思います。
音楽って美術とかと違って、基礎部分は「体育会系」そのものですものね。

さて、大人の無駄な努力といえば、手を無理な方向に無茶して伸ばしたりすること。
子どもの頃からやっている人は、その楽器を弾くために都合いいように、手の方が変形しちゃってるんですよね。
4,5歳から中国琵琶やってる子の指なんて、見てごらんよ~あり得ない拡がり方するから(笑)
大人は手の関節がそうそう変形するものではなく、無理すれば傷めるだけ。
ほどほどに手を拡げられるようになりゃ、もうけもの。
まぁ、無理しない程度なら、努力すれば、多少指は伸びるし、拡がりもするかな。
現に私も左の指の方がちょっと長い。

二胡は右手も左手も大して恵まれて大きくなくても、指があまり拡がらなくても、どうにでもなる楽器だと思います。
いやまぁ、確かに完全な初心者の方は、弦の上に指を置くのがキツイ人もいるかもしれませんが、最悪、千斤(上駒)の位置、下げちゃえば指の間隔が狭くて済むし。
使う筋肉も、日常的に使ってるだろっていう部分が多いと思います。
だから、こんなに普及するんだろうね。

三弦は、手が大きくないとキツイでしょう。
右手は指を外へ弾くので、これは訓練しないとキツイ。
筝とかは手を握る側に弾くので、これも日常的に使ったことのある筋肉だから違和感ないけど、三弦や琵琶はねぇ…
大人がやるべきじゃなかったと今は思うよ。
やっちゃったものは、しょうがないから、死ぬまでやるよ~(笑)
その点、三味線が多くの人が楽しめるのは、撥を使うからだと思う。
しかも、太棹って言ったって、大三弦に比べたら、棹は短いし…基本的に人差し指と薬指使って、後はほとんど使わなくていいし…
三味線のお師匠様が、初めてのレッスンの時に、手痛くない?疲れてこない?大丈夫?みたいに気を使ってくれたけれど、全然平気だって。
だって普段、もっと過酷なことを半日以上してるんだもん。

さて、興味深いことに、三弦弾きでも、三味線がすぐに弾けるわけではない~ということを発見。
三弦弾きに三味線を持たせてみると、右手で苦労して、爪弾きたいと文句タラタラ。
こんな大きなものはコントロール効かない、トレモロできないってぬかすけど、練習すりゃできるよ!
手首は普段から使ってる筋肉だろうが!
動かそうと思えば、大人だってある程度は速く動かせるよ。
030030のかましをトシミネ先生に教えてあげた時、非常に苦労しました。
三弦でもハジキはありますが、津軽のように人差し指を押さえると同時に薬指で弾くという技法がないので、トシミネ先生は最初は「?」状態でした。
スローモーションでやって見せてあげて、「ゆっくりでいいから、はいどうぞ、やってみて」って言っても、できないものなんですね。
ちなみに、私達の間に言語的な障害はないですよ。
私、普通に中国語喋りますし、トシミネ先生も私の思考パターンと発音に慣れてますからね。
(私の説明が通じていないわけではない)
脳の指令と指がシンクロしないんです。
最後は、トシミネ先生の指を一本一本押さえて、「こういうことなんじゃ!」と手をはたいちゃいました。
ゴメンナサイ、いつもの仕返しです(^^;
あんなに脱力できる人でも、未知のことをしようとすると、すごい手がガチガチなんですね~
思わず「先生でも、手が固まることあるんですねぇ」と言ったら
「だ…だって、頭でいろいろ考えちゃって、それから手を動かそうと思うから仕方ないだろ!」って言われちゃいました。
ムキになるところが可愛いですね~
そんなわけなので、トシミネ先生の脳に三弦を弾くための回路が出来あがっていても、かましの回路がないので、いくら普段手が速く動く人でも、それとこれとは関係ないってことなんですね。

ところで、大人でも努力したら、多少何とかなるものが「脱力」かなと思います。
大人は、普段の生活から肩などに力が入っている人多いみたいですよね。
わたしもそう。
肩の力抜いて、必要な所だけに力が残せるというのを、子どもが母語覚えるみたいに学習できないんだなぁ。
大人は上手く脱力できないので、手が速く動かないっていうことなんじゃないかなぁ。
速く動かそうと思えば、絶対にその加速する力をかけるわけだけど、加速する力以上に、要らない力が入ったままになって、それが速く動く妨げになる。
アクセルふんだら、後は「慣性」で何とかなる筈なのにね~
上手く脱力できるようになれば、自分の現時点での本来の運動能力の範囲の最高値で、動かせるところまで、動かせることが出来るわけですよね。
そうなれば、上手い素人として十分、人前で演奏できるんじゃないか、そう思わなくもありません。

立ってお辞儀する姿勢で、手をだらんとして、肩の力を抜いて手をぶらぶら~(オラウータンのものまね?)してみてください。
すでに、この段階で肩の力抜けずに、手がぶらぶらできない人いるらしいですね。
で、その状態で、丸めた新聞紙か雑誌かなんかを軽く握って、落とさないようにして、手をぶらぶら~
新聞を握りしめてると、何も握ってない状態のときみたいな、ぶらぶら~が出来ないのが大人の素人(笑)
意図的に手全体をぶんぶん、ってなっちゃってたらダメなんですよね。
手先だけちょっとの力が残したまま、後は全部ふにゃふにゃみたいに出来るのが、熟達した演奏者。

脱力、難しいです。
でも、脱力しただけで、あっさり弾けるようになるフレーズも、実は結構あったりするなと思う今日この頃。

今日も、上手な素人演奏者めざして、無駄ではない努力に励もうと思います。

人をたらしこむ演奏技術

演奏を聴いた時、ドキドキすることありますよね?
科学的には、その瞬間に脳から快感物質であるドーパミンが分泌されているのだそうです。
ちなみに、このドーパミンはおいしい食事や性行為など気持ちいい体験をしたときにも分泌されるものらしいので、音楽でそれに匹敵する「快楽」が得られるってなんかすごいですね。

そして、世の中には、ミスもなく譜面どおりに速く弾けているのに、全然、感動しない演奏というのも現に存在します。
自分が弾いている場合もそうなので、反省もこめて、何が足りないんだ?ということをテーマに書いてみようと思います。

音楽学者のLeonard Meyer氏は1956年の著書でこんなことを言っている。

「人は音楽を常に予測して聴いており、そこから少し外れることによって情動が生まれる」

情動とはすなわち、驚きや緊張、感動と言ってもいいだろう。

作曲家はこのことをよく知っていて、適度に予測を外しながら感情表現をコントロールしている。

—音楽と恋愛はなぜドキドキするのか【心を動かす音の心理学】~齋藤 寛 より引用。
http://www.yamaha.co.jp/ongakukiji/news.php?no=13733

よく、恋愛などでは、ある人の予想外の部分を見せられたりすると、コロッとまいってしまうことがあると言われていますよね。
人は意外な一面というやつに弱いんです。
だから、音楽なんかもそういうことがあるらしいんです。
作曲家は、よくある和声進行をしときながら、突然、なんかちょっと違う音を出してきて、聴衆をたらしこもうとしているわけですね(笑)

演奏家もそうだと思うんです。
淡々と音符を弾くだけじゃ、誰も恋に落ちてくれないので、これでもかこれでもかと、あらゆる手段(駆け引き?)をお使いになるようです。

分かりやすいのが、音の強弱。
準備段階で、ある程度、音量落としておいて、ここぞというときに、どおぉーんと音量を上げれば、誰しも心拍数が上がるので
「このドキドキ、まさか恋?」
と勘違いしてくれる人もいる…かもしれない。
{( ̄□ ̄; そ、そんなアホな~

あと、間の取り方とかも大事かも。
原則、譜面どおりなんだけど、
リズムが変わらないギリギリのところで、飛んだり跳ねたり、まったりともたれてみる。
ずっと同じ調子だと、単調で飽きてくるというか、慣れてしまって何も感じなくなるけど、
ころころ表情を変えることで、
「え、コイツに、こんな一面もあったんだ」と思わせればしめたもの。
( ̄∀ ̄牛) うっしっし…

それからやっぱり音色でしょうか。
普段、そっけないくせに、ここぞというときだけ、「ねぇ、ねぇ」と甘えた声(音)
を出せる人もいるんだよなぁ。
ツンデレは、人気ありますξ゚⊿゚)ξ

大人だと、速弾きというのには限界があるので、この音色の変化ってやつを追及するのは、いい考えかもしれないと最近思います。
これは、確かにビブラートのかけかたとかで音色が変わるので、やっぱり手が速く動かなきゃダメじゃんっていう部分がないとは言い切れませんが、左手を上から下へ下から上へ、16分、32分音符の連続という技巧に比べたら、何とかなりそうじゃないかな。
こう言っちゃなんだけど、作者本人が弾いている「二泉映月」を聴きましたが(昔の録音なので雑音いっぱい…)、技巧的には今の若い子の方が運動能力や知識がずっと優れているわけですが、ああいう素朴な感じとか、人生の色みたいなものは、若い子にゃ絶対に出せないと思うんですよね。

なんて、書いていると、
素晴らしい演奏者って、舞台の下でも、すごくモテるんじゃないか
と思います(笑)
お師匠様方、さぞや、おモテになるんだろーなー
いいなー .。.:*・゜゚・(´ー`).。*・゜゚・*:.。.

余談だけど、音楽科の女学生、数人が言うには…
「音楽やってる男性って、あちこちの女の子に優しくって、当てにならないから、付き合いたくない」
わはは…
でも、私の知っている男性の器楽の先生は同業者や教え子と結婚して、仲よさそうだけどなぁ。
じゃ、音楽やってる女性はどうなのよって思うけど、男性の口から、「当てにならないから、付き合いたくない」と聞いたことはないなぁ。
というより、そういう人をお嫁にもらったら、ピアノとか筝とか、大きな楽器がくっついてきちゃうから、置き場所に困るとか、いつも練習で大量の音を出すからどうしようとか、それに耐えうる家が借りられないかもしれず、大変だっていうのはあるかもしれない…

ちゃんとした内容を期待して読み始めた方、m(。-_-。)mス・スミマセン

飲む杏仁豆腐 (*´・д・)?


「飲む杏仁豆腐」です。
…ってそんなわけないだろう。
アーモンドパウダーと氷砂糖が入っておりまして「クリスタルシュガー アーモンドティ―」と書いてあります。
つくり方は、たんにカップに入れて、熱湯を注ぐだけ。

でも、これに寒天加えたら、「杏仁豆腐」になるんじゃないかと思います。

なにゆえ「台湾昔ながらの味」って日本語で書いてあるんでしょうね?
日本語があるとお洒落に見えるからなのかしらん?
昔ながらの味そのものを知らないので、評価しようがないのですが、アーモンドの粒粒が入っていて濃厚な感じはしました。
でも、その辺で安く売っているア―モンドパウダーがかかっただけの牛乳寒天みたいなのとは違います。
カロリー高そうなので朝ご飯がわりです。