寝ながらカウンセリング?

脳は寝ている間に知識などを整理するらしいですね。
私、たまに考え事が過ぎると、寝ながら引き続き考え事をしているようで(夢か現実かよく分からない状態)、起きた時にあれっ?て思うことがあります。
例えば、コンピュータの不調の原因捜しをしていて(昔のマッキントッシュなどは、よく爆弾マークが出て文書がぶっ飛び、大変でしたね)、寝ている時に夢の中で治してしまい、起きて急いでその方法を試したとか、あります。

昨夜も、絶不調のさなか眠りについたら、案の定、夢の中で雑誌を読んでおりました。
何故か、読んでいた雑誌の記事内容をはっきりと覚えているのですが、心理カウンセリングの先生のコラムでした。
でも、実在の先生の名前やお写真は載ってなかったので、本当のところは、誰が言ってんだか、知りません…私がどこかでたまたま聞いた内容か、はたまた自分の潜在意識が浮上してきただけかもしれません。

そもそも、芸術分野にかかわる行為には、自分以外の他人にとって金銭価値、存在価値なんて全くないので、時間もお金も顧みずに、それをすることを「選択」する行為自体が勇気ある意味ある結果なのだそうです(^^;
それが、選択後に何か意味がついてくる他の行為とは違うらしいです。

もっとも、好きなことを好きなように好きなだけしただけなのに、たまたま人が認めてくれたっていう話もありますが、それはオマケですわね。
そういう意味において、教学の収入源のない絵描きとか、演奏家とかってオマケだけで食べているのだから、本当にスゴイですね(失礼な表現だったらすみません)。

私が大学以降に勉強してきた事っていうのは、すべて趣味としては、お金と時間の浪費という意味で行き過ぎているにもかかわらず、将来何の役にも立たない(立たなかった)っていうのが落ち込みの原因。
でも、そういうおバカな投資は、普通の神経の持ち主には出来ないよね。
おバカも普通のバカじゃなくて、大大大バカぐらいになると、案外、精神的には楽になれるのかも。
修行が足りませんね。

そういえば、昔、「下北サンデーズ」という石田衣良さん原作のテレビドラマが好きでよく何度もDVDを見たのですが(引っ越しで失くしちゃって残念)、こういうセリフありましたわ。
「芝居なんて売れたら終わりだ…」
世の中には、私には意味分からない音楽、芝居、絵画、研究いっぱいありますしね…(笑)

誰かの基準に従って生きよう、社会人としてまっとうだと思われたいと思い始めると、病むんですな…。
とりあえず、まだ貯金あるから、このまま学生続行。

亡き父が、「お前らのために、したくもない仕事に行ってるんだ」「誰のおかげで飯食ってるんだ」って何度か言ったことがありまして、定年退職したら、したいことすると言ってましたが、朝生きてたのに、夜にあっというまに死んじゃいました…50代でしたが。
私が小さい頃は、母も「あんたがいるから離婚ができない」とかよく言いました。
私は何でも真に受ける傾向があるので、本当にそうだと思っていましたが、晩年彼らは結構仲良かったので、つい、頭にきてうっかり言っている言葉だったんでしょうけど、なかなか忘れられない言葉ですね。

私に子供がいない理由の一つに絶対に「あんたのせいで、私は何もできなかった」って言いたくないってのがあります(^^;
私は不器用なので、仕事も勉強も家事も子育てもすべてできる人にはなれません。
大多数の女性がこれをやってるのには、本当に感服します。

疾走できなくて失踪したい私

最近、レッスンに関する日記がないのは、レッスンに行ってないからです。
更新を気にかけてくださっている方が何人いるのかは分かりませんが、なんか、技術や知識の足しになる話とか、笑える話が書けなくて、ごめん~って感じです。
こういうの、スランプって言うんでしょうかね?
もともと劣等感が強く、悲観的な思考してるので、軽いウツ状態、軽いスランプは今までも何度もあるのですが、ここまで無気力になったのは初めてかも。

昔は、中国に着くなり、空港から先生にメール打って次のレッスンの約束をしたものでした。
スーツケース持ったまま、空港からレッスンに行ったこともあります。
休みで日本にいる間、一人で練習しているわけですから、早く見てもらいたい、休みで鈍ってしまった技能を元に戻したい、必死だったんです。
それが、中国に着いてから3週間も連絡してないなんて、どうかしちゃったんですよね。
ついでに言うと、冬休みから今までの期間、一日、二日、まったく弾かない日もあったりします。

おとつい、同じ三弦の先生に習っている子にばったり会って、「もう新学期始まってるのに、先生に連絡した?音沙汰ないなーって先生が言ってたよ」みたいなことを言われ、さすがにマズイと思い、ショートメッセージ打ちました。
宿題が先生の理想どおりにはきちんとこなせていないことを謝って、レッスンの約束をしたいと書きました。
宿題こなせてないのかバカ者、って感じですが、努力したって出来ないものは出来ないんですよね。

普通の人は、「好きこそものの上手なれ」で、好きなことは上手なものですし、上手にできないなら、早々に諦めるものです。
趣味の世界ですと「下手の横好き」っていうケースもあるかもしれませんが、それはそれで愛されキャラだったりするんじゃないですか?
どっちのパターンにも当てはまらない自分が何故、弾き続けるのか。
弾くのをやめたら、もう、やりたいことなんて何もないし、死ぬしかなくなっちゃって、それがコワかったから(笑)なんですけどね。
前に母に「私に弾くなって言うのは、死ねって言ってるのと同義語だよ」って言ったら凄くびっくりしてたな。
これには、私なりのもっともな理由があるのですが、もともと才能に恵まれた演奏家やレッスンプロの先生はもちろんのこと、音大生や趣味でやってる心身健康な人には理解しがたい理由なので書きません。
ただ楽しいから弾くというのとはちょっと違います。
プロやプロの卵の方がよくおっしゃる、楽しいだけじゃないというのとも全く異なります。
ま、これは当たり前ですね…そもそも、私にはそんな世界とは無縁ですから。

三弦の先生はお忙しいのか、呆れてるのか、怒ってるのかわからないけど、お返事ないです。
二胡の先生からは、すぐにお返事をいただきまして、「まぁ、そういうこともあるわね。次のレッスンで、次に何の曲やるか相談しようか」みたいなことを言われました。
ナナ先生は今、市外で演奏のお仕事中らしく、北京に戻ってきたらスケジュール確認して連絡しなおすからってことでした。

ここまでスランプなのに、不思議と三味線だけは毎日弾いてるんですよね。
なんでかなと考えてみると、多分、習った期間が短すぎなので、おそらく、ここまでは出来て当たり前の段階で、悩む余地すらなかったのでしょう。
そのおかげで、「弾くの止めたら死んじゃうかもしれない私」が、いちおう普通の生活がおくれてるわけです(笑)
でも、これも、壁にぶつかったので、乗り越えられなくなるのも時間の問題かもと思っています。

もともと弾く理由が、プロを目指している人と違うのはもちろんのこと、趣味でやってる人とも違うのだから、この先、どうしたらいいのか、何を目標にしたらいいのか、何を弾いたらいいのか、お手本にできる人はいるはずもなく、誰かに相談のしようもない。
この先、なんの成果も出ないことに、これ以上、お金と時間を費やしていいわけもなく…
かといって、他にやりたいことなんてもう何もない…
弾くの止めたら、消えてなくなりたい、疾走じゃない…失踪したい。
それで、思考グルグルというのが、今の私の状態なんだと思います。
いや…本当に失踪なんてしませんから(そもそも国外にいること自体、プチ失踪なのです)、ご心配無用です。