弾く、描く、書く=話す

「よく“障害者でもピアノが弾ける”と演奏会などの宣伝文句に使われるけど、“障害者だからピアノを弾く”“障害者だからピアノが必要だ”、っていうのが本当は正しい感じがすると思う」
これは、広汎性発達障害者のピアニスト野田あすかさんの言葉。
すいません、一字一句覚えていませんが、だいたい、こういう意味だったと思います。
(こうはんせいはったつしょうがい、PDD, pervasive developmental disordersとは、社会性の獲得やコミュニケーション能力の獲得といった、人間の基本的な機能の発達遅滞を特徴とする「発達障害における一領域」―ウィキペディアより引用)

この気持ち、なんか、分かるなぁ。
すべての障害者や心の病を患っている人がそうとは言えないと思うし、心身健康な健常者でも、ある意味、自己表現、他人とのコミュニケーションに欲求不満を抱えている人は、楽器を弾かざるを得ない、絵を描かざるを得ない、文章を書かざるを得ないのだと思うんですよね。
もちろん、健全(?)に、趣味や職業として、弾く、描く、書く人もいるんでしょうけどね。
私にはむしろ健全に弾く、描く、書く人の気持ちは分からないかも。

ちなみに、私は人がコワイです(お友達は除く)
傍からそうは見えないかもしれませんが、本人的には、あまり面識のない大勢の人前で話さなくてはいけない時とか、初対面の人はコワイと思って身構えています。
その証拠に、18歳で就職して以降、鎮痛剤が常備薬で、いつも持ち歩いています。
初めて会う人ばかりの接客業や電話の問い合わせに答えるような仕事はフラフラになります。
初対面の人に会う時とか、会議の前には予め、気休めとして、半分の量とか、少なめに飲んだりもします(結局、頭痛がするので、残りの半分を飲む羽目になることもありますが)。
一番向いていない仕事をしていた時なんかは、薬局のオバちゃんが心配して、あんた薬の飲み過ぎはダメよ、薬飲む前にコーヒーとか飲んで代替してみたら?と注意してくれました。
今は大丈夫ですけどね〜学生兼バイトみたいな生活だから周囲は優しいもの。
子供の頃は、引っ込み思案なのね、内気なのね、恥ずかしがり屋なのね、ってよく言われましたが、違うと思うんだよね(笑)
誰も分かってくれないみたいだけど…
他人の意図が分からないのがコワイ、意図したように伝わらないのがコワイ、よって何か失敗やらかすのがコワイ、人に誤解されるのがコワイ、後で怒られるのがコワイ、結果として人もコワイ(汗)
こんなに、文章だらだら書いてアップするんだから、それはないでしょうと思うかもしれないけど、これは顔が見えないから、平気なのです。
万が一、思ったように伝わらなかったり、誤解されて伝わっても、相手が言わない限り私は知らないし、相手から、お叱りが来たとしても、リアルタイムのやり取りではないので、私のようなワーキングメモリ不足の頭でも、瞬時に返答する必要はなく、じっくり考えて、後で字だけのやり取りで誤解を解けばすむからです。

よく、文章が苦手、書くのは面倒という人が、「書こうと思うと身構えて、なかなか書けない」とおっしゃいますが、それはおそらく、リアルの生活がとても充実していらして、自分をその都度、きちんと表現出来て、周囲の人と共感できているから、そもそも、書く必要がないからなのだと思います。
私なんて、そもそも、「書こう」と意気込んだことなんて一度もなく、むしろ書きすぎるとウザいから削ったり、アップするのを我慢したりします。
パソコンをこうして打っている間にも、書ききれなかったことが頭を通り過ぎていくので、脳にケーブル繋いで、直接、パソコンに入力、出力できたらいいのにと思います。

そんなわけで、私の、書く、描く、弾くという行為も、多分、普通の人の「趣味」とは少し違うような気がします。
好きな曲を適度に上手に弾けたら満足できるというものじゃないんだよねぇ…
(もちろん、そういう一面もありますが…)
書く、描く、弾く、それをしないと死ぬしかないから、やってるんです。
大げさな、と思うかもしれませんが、多分、障害や病気もちの人には何となく分かる気持ちだと思うのですが…
だって、内側にたまっているものは、出さないと、爆発しちゃいますよ。
岡本太郎さんではありませんが、芸術はバクハツだ~~~

弾くことはコミュニケーション手段です。
だから、正直に言うと、私は大合奏はあまり好きではありません。
だって、別に誰も一人一人の音を聴いてないし…冗談抜きで300人レベルの合奏だと、人のこと言えませんが、音程やリズムのズレは避けられないので、人とお話しているのとは違います。
一番好きなのは、三味線の師匠とお稽古してる時かもなぁ。
私が弾いて師匠が替手を弾いている時が一番楽しい。
三味線の場合は、昔は口伝だったせいか、他の楽器と違って、先生が看てくださるというよりは、ほとんど一緒に弾いてくださるわけで、師匠はプロだから私がどんなに音程や速度やリズムが狂っても合わせてくれますしね…
弾くという会話が成り立つので、とても楽しいわけです。
(後で録音聞くと、よく、こんなデタラメに合わせてくれたなぁと思います…)
そういう意味で、私は二重奏、三重奏、ぐらいがとても好きです。
嫌いなのは、多重録音…同じ人が同じ楽器で違う旋律を弾いて多重録音すると、一人の人が何十本の指で弾いているようにしか聴こえないので、ものすごく気持ち悪いし、同じ音色しか見えないのでツマラナイ。
大合奏は会話なんてないので、弾く側としてはあまり好きではないけど、舞台に立つよい訓練になるので、機会があれば、淡々とやらせていただこうと思います。
(↑師匠がたまにご覧になっているので敢えて書いておかないと…)

ある種の人達は、野田あすかさんの言葉を借りれば「誰も私の言うことは聞いてくれないけど、ピアノだったら聴いてくれるから、ちゃんと伝えたい、だから頑張って練習する」わけですね。

私は、子供の頃、絵を描くとたまに褒められたけど、自分が納得していなければ、破りました。
私の心の中で思い描いているのと、全然、違えば、意味ないですから。
自分の心の中と、アウトプットされて出てきたものが、ほぼ、同じものであって、且つ、他人も喜んでくれるっていうのが一番いいわけですが、飛びぬけた才能や技術がないとそうはいかないのが辛いところ。
書くことは、手があれば誰だって書けるから(いまやパソコンがあるので手すら要らないですね)、訓練なんて要りません。
だから、一番楽ちんな表現方法です。
直線や曲線を描く、色を付けるのは、ある種の人にとっては訓練がいるのかもしれないし、余計にストレスになるのかもしれないけど、私は別にさほど苦になりません。
音楽はね、知識いっぱいいいるし、結局のところ、運動能力がどうしても必要だから思うようにならないのが悔しいですよね。
思うようにならないので、今のところ、ただ、淡々と技術の向上のためだけに弾いていたりします。

だから、こんなことを書いているわりには、私の演奏は、超ツマンナイ、というわけなのです(汗)。
でも、人とおしゃべりしたいから、下手でも弾かずにはいられない…(すごい矛盾)
私の場合、病んでいるから弾かずにはいられないのです。

二胡LESSON106

「弓を引いたり推したりする動きは、静止していなければならない…」
はぁ?(゜_゜)
実際、動いているのに静止していなくてはならんとな?
言葉を額面通りに受け取ると、ほんと哲学ですねぇ。

ナナ先生曰く、安定した(というか正しい?)動きをしている時、自分では手を動かしているという感覚すらないのだそうです。
まぁ、ものすごく速いスピードで弾く時なんかは、ちょっと力入れなきゃな~程度の力を感じるときを除けば、ある程度の技術レベルに達した人は、「どこそこを動かして~」という意識がなくなるそうです。
実際、弓を引いたり推したりする時、腕、二の腕、手首、指の関節など、様々な部署が連携して微妙な動きをしているわけですが、次にどこを動かして、その次は~なんて脳がいちいち指令出してたら、速い動きに間に合いませんよね。
初心者の動きがぎこちないのは、やはり、いちいち、それぞれの動きを気にしているからでしょう。
複数の動きが統合されて、「弓を引け」という一つの命令で、ちゃんと即、安定した正しく美しい動作に直結する、それが「静止」している動きなのでしょう。

そういえば、脳の指令の統合と言えば、三味線の師匠の回答が実に興味深いのです。
12から14のツボのスリ(滑音)を4回繰り返すところ(14から12に戻るときに滑音は付けない)について、私が「どこで力抜いてるんですか?」と聞いたら、「力なんてどこも抜いてないよ」という答えが返ってきた。

私と師匠の脳みその違いはこうだと思っている。
【私の脳みその指令】
1、左手人差し指を指板にしっかり着けた状態で、12から14のツボに移動する。
2、左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る
3、左手人差し指を指板にしっかり着けた状態で、12から14のツボに移動する。
4、左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る
5、左手人差し指を指板にしっかり着けた状態で、12から14のツボに移動する。
6、左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る
7、左手人差し指を指板にしっかり着けた状態で、12から14のツボに移動する。
8、左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る
全部で8つの指令が出ている…

【師匠の脳みその指令】
1、「左手人差し指を指板にしっかり着けた状態で、12から14のツボに移動して、左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る」を4回繰り返す。
という一つの命令に統合されていると思われる。

だから、私の場合、少なくとも「左手人差し指を指板から離して、12のツボに戻る」時に、あたかも「ここで力を抜かなければ!」という余分に意識するプロセスがあるわけだけど、師匠の場合は、そもそも、どこかで力抜いたっていう意識すらないのだろう…
実際には、左手人差し指が12のツボに戻る時に、力入れっぱなしだったら、指が指板から離れないため、要らないところに変な滑音がついてしまい、正しく弾けるわけがない…

まったく、私の頭はただでさえ、普通の人よりメモリが足りず、加えて手先が不器用なのに、人より多くの指令を出しているのだから、処理スピードが遅くて仕方がない…
10年くらいやってりゃ、そのうち、一つの命令に統合できるんでしょうかねぇ。

音程と振動による感覚

三下りの調弦が分からない…
もちろん、GCF ADG BEAのように、それぞれの弦の間が4度の音程を取ればいいと、頭では分かってます。
以下、感覚の話です。

私の場合、中国三弦が一般的にGDG(三味線で言うところの二上り)で調弦するので、これが私にとってのスタンダードなのです。
そんな訳で、私の中では、三味線の本調子は、「二下がり」で、三味線の三下りは「一下がり」なんですよね。

私は十代の頃、ほんの少しだけバイオリンを習ったことがあるのですが、あれはすべて5度ずつ離れていて、ものすごくピタッと綺麗に調弦できますよね。
隣り合う弦の和音を弾いて調弦します。
ピアノみたいに濁った音色ではないので、和音を弾くと振動が重なるのが分かるんです。
いわゆる完全五度の響きは、超気持ちいい。
雲一つない青空です。

三味線の二上りの場合、一の糸と三の糸はオクターブの関係なので、濁らず綺麗、当然調弦しやすい。
一の糸と二の糸は完全五度なので、これも濁らず合わせやすい。
三味線は、さわりがつきますよね。

本調子も一の糸と三の糸はオクターブの関係なので、濁らず綺麗、当然調弦しやすい。
今度は二の糸と三の糸が完全五度で、濁らず合わせやすい。

で、三下りは?
一の糸と二の糸の間は4度、二の糸と三の糸の間も4度。
合わせにくい〜
いつも、二上りにしてから、一の糸を一音下げて調弦します。

4度って、物理的には完全協和音ですよね?
ふつう、楽典には協和音に分類されているし…
でも、よく対位法的には、あるいは音楽的には不協和音と説明されてますよね?

そもそも協和音って「溶け合う」感じとか「安定」した感じだと言いますよね?
もっとも、感覚なんて、人それぞれだからアテにはならんのでしょうが。
私は、4度ってピタッと溶ける感じがしないので、ダイレクトに4度を正確にさがせないよう〜
もちろん、有る程度なら、ダイレクトに4度に調弦できますが、誤差が出ちゃいます。
だって「蛍の光」の出だしだよね?
ほたぁるの…って歌えば、「ほ」と「たぁるの」の間は4度だからね。
何十年も毎年歌ってるもんねぇ。

ところで、ピアノで2度の和音を弾くと、不協和音なのでめっちゃ気分悪いけど、何で、三味線で弾くと綺麗に聞こえるの?
え?
そう思ってるの私だけじゃないよね?
二上り調弦の三味線で、師匠が一の糸四のツボと二の糸の開放弦を同時に弾くと、あまりの美しさに、私はめっちゃテンションが上がります。
例えが適切かどうか分からないけど、美人な妖怪のお姉さんの吐息みたい。
美人なんだけど、とっても危うい感じで、艶かしいんですが…
ちなみに自分で弾いても上手く響かないんだけど、何でだろう?

三味線て、いわゆる不協和音がどえりゃ〜(名古屋訛り)美しいんですわ。
だから、三下りなんていう調弦もありなんでしょうね。

皆様は、4度をどうやって調弦しているのでしょうか?
4度にどんな感覚を抱くものなんでしょうか?
私の中では、4度は、別れ、哀愁、季節なら秋、色ならセピア色かな。