二胡LESSON111

久しぶりに行ってきました、二胡のレッスン。
今時分は、一月後に音大附属等の入試があるので、忙しい先生もおられるようです。
いや…全然練習していないのだから、まぁ、気持ちを整理して、やる気出しましょうってことで、今回のレッスンは終わりです。
前からやっている「春詩」を弾いたのですが

「もしかして、この曲、すごく嫌いなの?」

って聞かれてしまいました。
やる気なさそーに弾くからでしょうか(汗)
お芝居ならセリフの棒読み状態です。
実際は、好きも嫌いもないです。
春詩が楽しく弾けない理由は、敢えて言うなら、滑音が多いためか、とにかく自分の音色が気にいらない、それに尽きます。
「自分の音が不愉快だっていう気持ちは分からなくもないけど、私だって5歳の時の滑音と今の滑音じゃ、全然違うんだから、これを我慢して練習して、次のステージ行かないとどうしようもないのよ、諦めなさい」と言われました。
あはは…ナナ先生みたいな人は4歳で初めて二胡を握らされて(でも両親は音楽家じゃないんですよ)、8歳で二胡のグレード試験の最上級をとっちゃった~って人ですからね、神童ですヨ、神童、一緒にしないでください(^^;

理想の音色と、運動神経あるいは脳の情報処理能力の間にものすごくギャップがあると、おそらく、私のようにかなり精神的に辛いと思います。
ところで、私はプロの音楽家でもなければ、子供の頃から音楽専門教育を受けた人でもありませんので、どういう演奏が素晴らしいものなのか、他人の演奏をきちんと評価できませんが、音色に関する好き嫌いというか「こだわり」はキツイような気もします(もちろん個人的な私の基準です)。

先日、どうやら、私は映像と音声だったら、音声の影響の方を強く受けやすいみたいだと書きました。
私の聴覚認知や私が使う擬音語を面白がってくださる人がたまにいらっしゃるので、次回は聴覚認知が人それぞれ違うことについて、もう少し、書いてみたいと思います。

疾走できなくて失踪したい私

最近、レッスンに関する日記がないのは、レッスンに行ってないからです。
更新を気にかけてくださっている方が何人いるのかは分かりませんが、なんか、技術や知識の足しになる話とか、笑える話が書けなくて、ごめん~って感じです。
こういうの、スランプって言うんでしょうかね?
もともと劣等感が強く、悲観的な思考してるので、軽いウツ状態、軽いスランプは今までも何度もあるのですが、ここまで無気力になったのは初めてかも。

昔は、中国に着くなり、空港から先生にメール打って次のレッスンの約束をしたものでした。
スーツケース持ったまま、空港からレッスンに行ったこともあります。
休みで日本にいる間、一人で練習しているわけですから、早く見てもらいたい、休みで鈍ってしまった技能を元に戻したい、必死だったんです。
それが、中国に着いてから3週間も連絡してないなんて、どうかしちゃったんですよね。
ついでに言うと、冬休みから今までの期間、一日、二日、まったく弾かない日もあったりします。

おとつい、同じ三弦の先生に習っている子にばったり会って、「もう新学期始まってるのに、先生に連絡した?音沙汰ないなーって先生が言ってたよ」みたいなことを言われ、さすがにマズイと思い、ショートメッセージ打ちました。
宿題が先生の理想どおりにはきちんとこなせていないことを謝って、レッスンの約束をしたいと書きました。
宿題こなせてないのかバカ者、って感じですが、努力したって出来ないものは出来ないんですよね。

普通の人は、「好きこそものの上手なれ」で、好きなことは上手なものですし、上手にできないなら、早々に諦めるものです。
趣味の世界ですと「下手の横好き」っていうケースもあるかもしれませんが、それはそれで愛されキャラだったりするんじゃないですか?
どっちのパターンにも当てはまらない自分が何故、弾き続けるのか。
弾くのをやめたら、もう、やりたいことなんて何もないし、死ぬしかなくなっちゃって、それがコワかったから(笑)なんですけどね。
前に母に「私に弾くなって言うのは、死ねって言ってるのと同義語だよ」って言ったら凄くびっくりしてたな。
これには、私なりのもっともな理由があるのですが、もともと才能に恵まれた演奏家やレッスンプロの先生はもちろんのこと、音大生や趣味でやってる心身健康な人には理解しがたい理由なので書きません。
ただ楽しいから弾くというのとはちょっと違います。
プロやプロの卵の方がよくおっしゃる、楽しいだけじゃないというのとも全く異なります。
ま、これは当たり前ですね…そもそも、私にはそんな世界とは無縁ですから。

三弦の先生はお忙しいのか、呆れてるのか、怒ってるのかわからないけど、お返事ないです。
二胡の先生からは、すぐにお返事をいただきまして、「まぁ、そういうこともあるわね。次のレッスンで、次に何の曲やるか相談しようか」みたいなことを言われました。
ナナ先生は今、市外で演奏のお仕事中らしく、北京に戻ってきたらスケジュール確認して連絡しなおすからってことでした。

ここまでスランプなのに、不思議と三味線だけは毎日弾いてるんですよね。
なんでかなと考えてみると、多分、習った期間が短すぎなので、おそらく、ここまでは出来て当たり前の段階で、悩む余地すらなかったのでしょう。
そのおかげで、「弾くの止めたら死んじゃうかもしれない私」が、いちおう普通の生活がおくれてるわけです(笑)
でも、これも、壁にぶつかったので、乗り越えられなくなるのも時間の問題かもと思っています。

もともと弾く理由が、プロを目指している人と違うのはもちろんのこと、趣味でやってる人とも違うのだから、この先、どうしたらいいのか、何を目標にしたらいいのか、何を弾いたらいいのか、お手本にできる人はいるはずもなく、誰かに相談のしようもない。
この先、なんの成果も出ないことに、これ以上、お金と時間を費やしていいわけもなく…
かといって、他にやりたいことなんてもう何もない…
弾くの止めたら、消えてなくなりたい、疾走じゃない…失踪したい。
それで、思考グルグルというのが、今の私の状態なんだと思います。
いや…本当に失踪なんてしませんから(そもそも国外にいること自体、プチ失踪なのです)、ご心配無用です。

三味線をいかに異文化圏の楽器と合わせるか

2月4日は六本木のSTB139というライブレストランで、小山豊さんの1stアルバムのリリース記念ライブに行ってきました。
小山豊…津軽三味線小山会三代目、つまり私の所属している流派の次の家元先生になる人ですね。

オープニングは、合奏「津軽じょんから新節」
豊さんの教え子さん数名、小山会の小山慶一さん、小山清雄さんとの合奏でした。
小山流の人なら弾けるいつものやつです。

次は独奏で「津軽小原節」
いや、若い人は若い人の良さがあるのだけど、私、一昨日、青森民謡協会の大先生方の小原節を何回も聴いちゃった後なので、基本、嘘つけない性質でして、本音を…
演奏には、その人の性格や人生経験がにじみ出てくると俗に言われますが、豊さんの音はとっても、若い人らしいおしゃれな感じだと(私は)思っています。
若い人は、皆、手が回って技術的にとてもお上手ですが、豊先生、30年ちょいしか生きてないんだもん…大先生みたいな50年60年の甘いあるいは苦い経験みたいなものはにじみ出るはずもなく(^^;
こればっかりは、どんなに上手な人でも、年を取らないとどうにもならない要素。
私、長生きしますんで、50年後を楽しみにしています。

ここからが、豊さんの魅力全開ってところでしょうか。
民族楽器を使用しつつ、新しい曲をやる。
三味線を使ってるけど、他国の楽器と共演する。
これって、ほんと、難しいことですが、これを難なくやっているのがすごいと思っています。
民族楽器の音色やリズム感の良さを損なわずに、異文化圏の楽器と合わせるんだもの。
そりゃ、下手すりゃ、「なんじゃこりゃ」になりかねません。
最初からギター弾けやって話になってしまいます。
西洋音楽や現代曲に全く迎合してしまっては、何のために三味線使っているのか分からなくなるわけで…
そういう領域で、本当に巧妙に三味線の良さを引き出していると思います。

アルバム収録曲の演奏開始
Koyal( こやーる) / 作曲Nitin Sawhney というしっとりしたいい曲を演奏してくださいました。
Ty Burhoe (タブラ(インドの打楽器))、小湊昭尚 (尺八)、五月 (二胡、中胡(中国民族楽器))
あと、おなじみの「リベルタンゴ」ですが、若い子は皆この曲好きだよね…

次は加藤拓哉 さんが大きな和太鼓を独奏してくださいました。
いやぁ、お顔は覚えられませんが、あの背中はかっこよすぎて忘れられません。
観客には背中向けてたけど、正面はけっこう、すごい顔して叩いてるらしいですよ…

そして、次は、
「叩打呼魂(ちょうだここん)」 / 作曲 小山豊 
加藤拓哉(和太鼓)
これ、アルバムの一曲目ですが、私の大好きな曲です。
この曲はアマゾンで250円でMP3買えるみたいですね。
和太鼓の音、どうやって叩いているのかずっと疑問だったのですが、あーゆー風に打ってるんだと分かり、みょうに納得しちゃいました。
あーゆー風って、どーゆー風?
和太鼓をお祭りの和太鼓みたいに横から打つのではなく、ドラムみたいに数個配置して、上から打っているんですよね。

タブラ(インドの民族楽器)もそうですが、三味線って打楽器と相性いいのかも。
前に中国で、中国三弦と新疆ウィグルの小鼓という組み合わせで、中国人の音大生が吉田兄弟さんの「鼓動」を演奏するのを聴いたことあります。

二部は、Soothe(スーズ)という豊さんがやっているバンドの演奏。
和太鼓 ドラム ギター ベース エレキ三味線という構成(あってる?)になっていました。

私、二階の音響設備の真後ろの席におりまして(あえて、こういうマニアックな席が好き)、最初は三味線の音がイマイチだったんですね。
お友達あるいは関係者らしき方が、三味線の音にもう少し焦点当ててみたいなことを音響を調整している方に囁いて調整した後は、とてもバランスよく聴こえるようになりました。

何曲かやられた後、豊さんが「皆さん、踊ってもいいですよ」と冗談でおっしゃったのですが、確かに踊りたくなるリズムの曲ばかりです。
実際、音響さんも、その付近の人(おそらく、この辺にいた人は音楽やってる人?)、皆、上下左右に揺れて、リズム取ってましたからね(笑)

最後の曲は、やっぱりじょんからの曲弾きです。
小山慶一さん、小山清雄さんと一緒に演奏されました。
若くて才能ある人は、手があんなに回っていいよな~

アンコール一曲目はアルバム曲から。
「木漏れ日の唄」、作曲は小山豊

そして、本当に本当の最後の曲は
小山貢先生(小山流の家元先生でお父様です)と一緒に「津軽あいや節」
親子で弾けるってうらやましいな、と素人の私は思いますが、まぁ、子供のころは、いろいろ思うところあるのでしょうね…
ちなみに、ご本人いろいろなところでお話になっているので、書いちゃいますが、6歳の6月6日からお爺様に言われて三味線をやっているけど、高校ぐらいまでは嫌で嫌でしょうがなかったとか。
私の周囲の音大生も最初は嫌で嫌でしょうがなかったという人が多いです。
趣味でやるのと、使命を背負ってやるのとでは訳が違いますから、そういう人にはそういう人にしかわからない苦労というものがあるのだと思います。
私の周囲の音大生も、家族からのプレッシャーなどで心身を病む子もいますからね。
私なんて、「うるさいから、いつまでも弾くな」って親に怒られ、思うように弾けなかったもんだから、親に習わせてもらえて、弾けって強制されるのが羨ましくてしょうがないけどね。
ちなみに、私は、うちは貧乏で親に大学行く必要ないと言われてたんで、夜にこっそり起きて、布団の中でこっそり参考書読んで独学と自分の稼いだお金で夜学に行ったので、大学の講義をサボる人の気持ちもあまりよくわからない(笑)

これからも素敵な曲をどんどん書いて、どんどん演奏してください。
三味線の現代曲に興味ある方は一度聴いてみるのもいいかも。

【余談】
私はこのアルバムをご本人からではなく、私の三味線の先生から買いました。
もともと、私は私の先生のとあるCDが欲しかったので、その話をしてるときに、そういえば、豊さんがこういうの出したんだよっていう話になりました。
で、50を過ぎている先生は、細かい字が見づらくて、奥様に、これいくらだっけ?とお聞きになりました。
奥様もどこに値段書いてあるかよく見えない…
私は視力の方は、右目が悪いけど、左目はとってもよくて、必要のある時だけ右目にコンタクト入れますが、普段は裸眼でよく見えてます。
定価+税と書いてあったのですが、私も今の消費税何パーセントだったっけ、みたいに頭が混乱しちゃいました。
ついでに言うと、あんまりよく見えないなら、適当に安く売ってくれたりしないかな~とか期待したりしましたが(笑)、結局、その日、外国へ行くために空港にいらっしゃる豊さんに奥様が電話されて確認されました。
何が言いたいかって?
その、ほんわかしたやり取りを見ていた私は、豊さんって愛されてるんだなぁ~と思ったというわけであります。
だから、あんな優しい曲が書けるのね。
ほんと、羨ましい。