私はどうも、「たーたた たた」というリズムを弾く時に、よほど気をつけていないと、「たーたた たった」になってしまうらしい…
このリズムパターンは、ご存じ「賽馬」によく出てくるリズムですね。
みーみみ らど そーそそ そみ どーどど どーれど らーらら らら
(もっとも後ろの八分音符は頓弓だから、タッタと書き言葉で表す方が自然かもしれないですが、私がここで言いたいのは、明らかに前の音が短くて後ろの音が長くなることなので、あえてタタとタッタにしときました)
最初は弓の推し方に問題があるのだと思ってました。
でも、開放弦なら、ちゃんと弾けます。
では、ナナ先生の言うように、左手が加わることによって注意がそれるから、左手が右手に影響を与えているのかな?
確かにそういう部分はあると思います。
左手のポジション移動や音程に気を取られていれば、右手のことなんて構っていられない。
しかしながら、一番大きな原因は、どうも私が心の中で歌うメロディにあるらしいと、最近自分で気づきました(汗)
正直に言います。
「たーたた たった」の方が私にとっては自然なんですヨ。
困ったなぁ…
つい、そう、歌っちゃうから、それに手はつられるでしょう?
差別用語になるので、文字としてここにはっきり書けませんが、楽器の先生がよくおっしゃるように、足の不自由な方が歩く時の足音っぽい感じの方が私にはしっくりくるのです。
(もっとも、「たーたた たった」というリズムで人前で弾く人もいらっしゃいますから、譜面をちゃんと見ることのない人は、そういう曲だと思ってる人もいるかも…)
逆に、津軽三味線を弾いている時は、足を引きずるようなリズムが求められることが多々あります。
いわゆる譜面に厳格に忠実に(西洋音楽の譜面の規則どおりに)弾いてなかったりして(笑)
譜面を書いている師匠ご自身がおっしゃるには、こういうものはもともと口伝だったもので、あんまり厳密に譜面を書くと、ご年配の方や民謡の人なんかがついてこれない、譜面が見づらくなる、というようなことらしいです。
だからか、西洋音楽にどっぷり浸かっていらした人(特に西洋クラシック系の習い事が長かった人)が、知らない民謡を独学で譜面を真に受けて弾くと、すごく気持ち悪いメロデイになるという…
私はどうも、譜面に書きにくい、足が不自由な感じのメロディの方が好きな傾向にあって、「じょんから旧節」(いわゆる小山流の簡単な方ではないやつ)なんて、すごく好き。
使われている音自体は、全然難しくないのに、ちゃんと弾こうと思うとリズムが難しい曲なわけで…
でも、師匠は私を止めることなく、弾きたいなら弾いてみりゃいいよ、と教えてくださいました…う~ん、この世界、ピアノやフルートやバイオリンの教則本みたいなのがないので、先生にもよるのかもしれないけど、いったいどういう風に山を登って行くのか、さっぱり見当が付かないです。
師匠は一度も私がやりたいと言いだした曲を「無理なんじゃない?」とか「止めとけ」って言ったことがないのです…。
では、足を引きずるようなメロディというやつは、時には許されて(むしろ歓迎されて)、時には、まったく受け入れてもらえないわけですが、どこまでの足の引きずりなら、許容範囲なんだろうなぁ。
それはジャンルにもよるのかな?