さるやんごとなきお方の御所望

8月下旬から落語の怪談のCDを聞くことにハマっております。
CDは図書館で借りて来ます。
毎年、夏になると、怪談、聞きに行きたいなぁと思うのですが、私は実は怖いの苦手。
だから、本当に怖い話は大嫌いですが、落語のように笑いあり、昔話の風情漂うものがいいんです。
新内のお師匠さんが出て来たりとか、風流だ〜

さて、先日聞いたのは「耳なし芳一」でした。
さるやんごとなきお方が、お忍びで近くまで来ていらっしゃって、あなたの弾唱を御所望だから、私について来いと言われ、着いて行って琵琶を弾く芳一…

ふと、家の近所の小さな墓地の入り口の門が最近開きっぱなしなことを思い出しました。
この辺、おそらく昔は畑とかだったのかもしれず、うちへ続く近道は私道ばかりで、その墓地も個人宅の敷地に昔からあるものと思われ、猫の額ほどのスペースに古びた墓石がちまちま並ぶ光景。
ううむ、今晩、鎧を来た人が、家の前で、
「さるやんごとなきお方があなたの三味線を是非…」と言ったらどうします?

しかし…私は未だにこの物語のどこが怖いのか分からない…
だって、本当にやんごとなきお方が真剣に演奏を聞いてくれて、喜んで涙流して、ちゃんとお礼までくれるんだよ?
耳を取られたのは、鎧の人には、お経を書き忘れた耳しか見えなかったからで、それも、わざとじゃなくて、自分の主に「耳しか居ませんでした、これが証拠です」という言い訳のために取って行っただけだし。
結果として、芳一さんはますます名声を得て、その後もお仕事いっぱいで、不自由なくお過ごしになったとか…

余談ですが、うちから遠くないところに、「怪談乳房榎」(三遊亭圓朝によって創作された怪談噺)のモデルの一つとされる古木もあったりします。
ちなみに乳房榎は特にこの一本がという特定のモデルがあったわけではないので、某地区のあちこちで祀られているみたいですが(笑)

発表会で困ること

確かサザンの歌だったような気がしますが「恋人は美味なる多面体…」というちょっとエロティックな妄想が膨らむ歌詞がありましたね。
ところで、人間の顔って複雑な多面体だと思いませんか?
しかも喜怒哀楽があるので、一秒と同じ形状を維持してくれないし…
どうして、皆、人の顔をきちんと覚えていられるのか、私には不思議でなりません。

「相貌失認」という人の顔が覚えられない、見分けられない脳の機能障害があります。
先天的なものと事故等の後遺症として現れる場合があるらしいです。
私の場合、そこまでひどくありませんが、人の顔を覚えるのが超苦手で、そういう人の気持ち、半分くらい理解できると思います。
自閉症の人とかも、服装や髪形変わると同一認識できないといいます。
(大多数の人は、モノを見る時と人を見る時に使う脳の場所が違うらしいですが、自閉傾向の人はモノを見る時も人を見る時も同じらしいです)
ひどい人は家族の容貌もはっきりしないらしいですが、私はそこまでひどくないからね…

何が困るかって、皆、同じ紋付袴、着物などを着ている場合、誰が誰だったか顔と名前を一致させるのに苦労するということです。

う~ん、顔は、覚えようと思って多方向からジロジロ何十分も見ないと、覚えられません(多分、それも失礼な話でしょ?)
しかも覚えてもすぐ忘れるという…
普通は、顔を覚えようと思ってなくても、話を聞きながら、何となく顔も覚えてしまうのですよね?
私もマナーとして人の顔を見て話を聞かなくてはならないということは知っていますから、話し手の方を見ているとは思いますが、実を言うと、顔を一生懸命見れば、顔の筋肉の動きを逐一、追うことになり、話の内容が分からなくなってしまうので、話を真剣に聞いてる場合は、目の焦点が合ってない可能性大です…。
近しい人だと、何度も会うし、いろんな角度からその人を見ているし、喜怒哀楽いろんな顔を見ている筈なので、いちおう顔を覚えているということになるのでしょうね。

でも、年に数回しか会わない人の場合、声を聴けば、その人の声とか話し方の癖等で名前と一致させられますが、何が困るかって、相手が黙っていたら自分からは気付かないこと…

よく、お友達などが、空港やレストランで俳優に会ったとか言うことがありますが、私はそんな経験一度もないよ~
「さっきの人、女優のXXさんだよ」と人に言われて、初めてそうだったんだと気付くというか…その頃にはその女優の姿はナシ…
例えば、能年れなちゃんが東京駅にいたとしても、海女の恰好していてくれなきゃ気付かないでしょうね。
おそらく、年に何度も空港や劇場に行けば、絶対、知名度のある誰かを見ているんだろうけど、私は気付きようがないのです。
外国の俳優さんなんて、とりわけひどく、ほとんど同じに見えるし(笑)

そんなわけで、写真が手元にある場合は、事前に眺めるとかして「対策」をします。
でもFBなどでいつも写真を拝見していても、いざ、自分から声をかけようと思うと確信持てず、周囲のお弟子さんがXX先生って呼んでいるのを柱の陰からこっそり確認してたりして…

私は人間に対する関心が薄いのか、たんに視覚認知能力が弱いのか、本当によく分からないのです。
ちゃんと人の話は覚えていたりするんだから、人間に対して興味がないとかそんなことはないと思うのです。
でも、無視されちゃった人にしてみたら、「私のことどうでもいいと思ってるんでしょ」って、思うよね、やっぱり。

ちなみに、普段、知人に気付かなかった時などは、「視力悪くてごめんね~」と謝っていますが、本当は両目の裸眼で1.0見えていたりします。
実は、今は右だけ視力悪くてコンタクトを入れなければ0.1ぐらいしか見えてないこともありますが、通常は両目で見ているので、1.0が普通に見えている筈ですが、もしかすると「立体把握」がおかしいのかもと思わなくもないです(^^;

子供の頃は、もっと視力がよくて、普通に1.5の視力があるにもかかわらず、ものすごく目を近づけて本を読むので不思議がられていました(知らない大人は私のこと近視だと勘違いしていました)。
目の機能としては十分見えているのに、脳がうまく把握できなくて、顔を近づけちゃうんでしょうかね?
自分でもこの奇妙な現象は謎なのです。

というわけで、初めてじゃないのに「はじめまして」って言ったり、付き合い短くないのにこちらから気付かなかったら、本当にごめんなさい。

寝ながらカウンセリング?

脳は寝ている間に知識などを整理するらしいですね。
私、たまに考え事が過ぎると、寝ながら引き続き考え事をしているようで(夢か現実かよく分からない状態)、起きた時にあれっ?て思うことがあります。
例えば、コンピュータの不調の原因捜しをしていて(昔のマッキントッシュなどは、よく爆弾マークが出て文書がぶっ飛び、大変でしたね)、寝ている時に夢の中で治してしまい、起きて急いでその方法を試したとか、あります。

昨夜も、絶不調のさなか眠りについたら、案の定、夢の中で雑誌を読んでおりました。
何故か、読んでいた雑誌の記事内容をはっきりと覚えているのですが、心理カウンセリングの先生のコラムでした。
でも、実在の先生の名前やお写真は載ってなかったので、本当のところは、誰が言ってんだか、知りません…私がどこかでたまたま聞いた内容か、はたまた自分の潜在意識が浮上してきただけかもしれません。

そもそも、芸術分野にかかわる行為には、自分以外の他人にとって金銭価値、存在価値なんて全くないので、時間もお金も顧みずに、それをすることを「選択」する行為自体が勇気ある意味ある結果なのだそうです(^^;
それが、選択後に何か意味がついてくる他の行為とは違うらしいです。

もっとも、好きなことを好きなように好きなだけしただけなのに、たまたま人が認めてくれたっていう話もありますが、それはオマケですわね。
そういう意味において、教学の収入源のない絵描きとか、演奏家とかってオマケだけで食べているのだから、本当にスゴイですね(失礼な表現だったらすみません)。

私が大学以降に勉強してきた事っていうのは、すべて趣味としては、お金と時間の浪費という意味で行き過ぎているにもかかわらず、将来何の役にも立たない(立たなかった)っていうのが落ち込みの原因。
でも、そういうおバカな投資は、普通の神経の持ち主には出来ないよね。
おバカも普通のバカじゃなくて、大大大バカぐらいになると、案外、精神的には楽になれるのかも。
修行が足りませんね。

そういえば、昔、「下北サンデーズ」という石田衣良さん原作のテレビドラマが好きでよく何度もDVDを見たのですが(引っ越しで失くしちゃって残念)、こういうセリフありましたわ。
「芝居なんて売れたら終わりだ…」
世の中には、私には意味分からない音楽、芝居、絵画、研究いっぱいありますしね…(笑)

誰かの基準に従って生きよう、社会人としてまっとうだと思われたいと思い始めると、病むんですな…。
とりあえず、まだ貯金あるから、このまま学生続行。

亡き父が、「お前らのために、したくもない仕事に行ってるんだ」「誰のおかげで飯食ってるんだ」って何度か言ったことがありまして、定年退職したら、したいことすると言ってましたが、朝生きてたのに、夜にあっというまに死んじゃいました…50代でしたが。
私が小さい頃は、母も「あんたがいるから離婚ができない」とかよく言いました。
私は何でも真に受ける傾向があるので、本当にそうだと思っていましたが、晩年彼らは結構仲良かったので、つい、頭にきてうっかり言っている言葉だったんでしょうけど、なかなか忘れられない言葉ですね。

私に子供がいない理由の一つに絶対に「あんたのせいで、私は何もできなかった」って言いたくないってのがあります(^^;
私は不器用なので、仕事も勉強も家事も子育てもすべてできる人にはなれません。
大多数の女性がこれをやってるのには、本当に感服します。