セキュリティ検査と税関

北京首都国際空港のセキュリティ検査で、三折三味線ケースがひっかかるのはいつものことなんです。
中に三味線の本体以外の道具いれてますからね。
まず、バチはよく「何これ?」って聞かれます。
ある意味、凶器になり得るので聞くのは当然でしょう。
「日本の三弦の撥だよ」と言うと、大抵は、「あー、こうやって弾くやつね」(中には弾く真似をしてくれる検査官もいる)とスンナリ分かっていただけます。
結構、三味線、知名度高いので、どうということはないです。
(よく戦争もののドラマで日本人の宴会なんかのシーンでも出てきますし…)

しかしっ!
三味線ケースの中には小箱をいれていて、その中に中国三弦用の爪とか、爪を固定するテープなどの小物を入れてるんですが、テープを切るための小さなハサミが入れっぱなしだった^^;
三弦、琵琶、古筝をやる子は必ずハサミもってますからね。
でも、ハサミと言っても、先が丸い小さなものなので、これで人を傷つけるのは厳しいんですが…刃物には違いありません。
当然、没収…かと思いきや、いったんは抜き取って、また検査したあと、行き先を聞かれて「東京」と言ったら、何やらエアチケットのバーコードを読み取ったあとに、無言ですっと返してくれました。
あえて、何で?と聞くのも変なので、そのままポッケに入れてセキュリティ検査場を後にしました。
え?
別に賄賂渡したわけでも、お色気売ったわけでもないですよ(ない色気は売りようもないし…)

いつも、バチとかが検査で引っかかるたびに、エアチケットをコンピュータに記録しているみたいですが、どういう仕組み(意味)なんでしょうね?

それはそうと、今回は、二胡のハードケースを持っていたのですが、日本の税関では何も聞かれなかったなぁ。
…っていうか、ケースだけで、中身は空なので、別に何を聞かれようが、中を見せてと言われても、全然問題ないんです。
「もし、中身が入ってたらどうするんだよ、見なくていいのかい?」とツッコミたいところですが、まぁ、相手も忙しいのでしょう。
おそらく…あくまで私の推測ですが、税関の人って、職業柄、経験的に何か隠していそうな人が分かるのかなぁ。
んでもって、二胡のハードケースって、一見、バイオリンケースっぽく見えるから、持ち慣れてて、堂々としていれば、変だと思われなかっただけかな。

ちなみに、私の中国人の友人(音大卒)なんかは、ニシキヘビ皮の楽器はCITESがないとまずいということを、そもそも知らず、日本の税関は厳しいと私の口から聞いて知ったのが出国数日前、今更間に合うわけもないから、そのまま、日本に行ってしまったけど、何も聞かれなかったそうな…
まぁ、長年自分が使っている楽器だということが、見た目から明白だし、何か言われたら仕事で使うんだと言い切って、卒業証書見せて交渉しようと思ってたみたいなのですが。
↑皆が皆、何事もないとは限らないので、絶対に真似しないでくださいね。

まぁ、上記の対応から判断すると、私の外見って、犯罪者や商売人っぽくはない、ということなのでしょうか(^^;

二胡LESSON103

相変わらず賽馬を弾いてます。
譜面を見ると、弾き始めたのが去年の9月ですから、私、1年も弾き続けてるんだ~
この曲って、皆が弾きたがる曲の割には、実はレベル的に大したことない曲なので(中央音大のグレード試験の3級…ちなみに9級が最高です)、結構、誰でもすぐに弾けるようになっちゃうんで、わ~恥ずかしいったら、ありゃしない。
1年経っても完成してない(^^;
まぁ、ナナ先生も、私に別の曲を弾かせても、結局、どれも似たりよったりのレベルにしか仕上がらないので、その程度のレベルでレパートリーだけ増えていくようなレッスンの進め方はやめようか、っていうことなんです。
技術的に一つ上のレベル行くように、とりあえず、暗譜しちゃってる賽馬を弾きつぶして、ありとあらゆる問題を解決しようということであります。
だから、馬はず~っと走らされてます…

今回の宿題は、たったの1から24小節まで。
もっと言えば、最初の一段(6小節)さえ、しっかりできていれば、あとの小節は同じパターンの繰り返しだから、とにかく6小節は完璧に弾いてきなさいとのこと。
1、最初の6(ラ)はフォルテシモで、音頭をハッキリと!
2、次の十六分音符の35(ミソ)は均一に。
3、6535(ラソミソ)の繰り返しは、どんなに速く弾いても右手と左手がキッチリ合うようにする
(私は速くなってくると、左手が一秒遅れるので、当然、雑音が入ります)
1から3までをそれぞれ一日、30分も練習すれば、ずいぶん曲の印象も変わる筈とのことです。

実は、二週間ほど、また日本に戻る予定なので、次のレッスンまで間があきます。

【余談】
今日は、わんこ不在。美容院で洗ってもらって、毛を切ってもらっているそうです。
私の音を聴いてくれる観客がいなくて、ツマンナイな~(笑)。

ところで、ナナ先生に「子どもの民族音楽オーケストラの指導とかに興味ある?」と聞かれました。なんで、そんなこと聞くのかなぁと思ったら、「もうちょっと腕が上がったら、そういうアルバイトしたら?」って勧められちゃいました。
ナナ先生が言うには、北京の小学校は結構、民族音楽教育に関心が高くて、学校にはたいてい民族オケがあって、子どもに教えたりするアルバイトがあるのだそうです。ほとんど習ったことない素人の子どもに教えることになるので、別に演奏のお仕事とかと違ってどこそこ音大出てるとかそういうこと気にしなくていいそうで…
多分、素人の子ども相手なので、腕は演奏家並みに素晴らしくなくても全然構わないけど、子どもに上手く教えられる人、という需要があるんでしょうね。
ナナ先生は今回、自分の演奏のお仕事の都合で、そういうお仕事をお休みすることになったので、ふと、「あなたの腕がもう少しあって、あなたも興味あるのなら、人に教えることは自分の勉強にもなるし、後任に推薦したのになぁ」って、そう思ったのだそうです。
あはは…なんか、私は最近「何のために弾いてるのかなぁ、目標立てようがないんだよね」って悩んでいるのが、何となく先生にも伝わっちゃって、私のモチベーション高めようとしてくださってるのかな?
そうなのよね、「先生」するのって、演奏家並みの技術と魅力は必要ないかもしれないけど、必要最低限の技術と魅力、プラス教える能力はいるからね…
私、(精神年齢低いから)子どもと遊ぶのは好きだけど、面倒見るのは苦手かも。
ちなみに、私は(使い道の全くない)高校の教員免許は持ってるけど、小学校はもってないわ~
自分が不器用だから、出来ない人の気持ちは120%分かるし、どうやったら出来るのかには人一倍、興味あるけどね。

ところで、私には、音程が狂ったり、弾き損ねそうになると(この段階では弾き損ねていないとしても)、とっさに弾くのを止めてしまうという困った習慣があります。
ものすごい「恐怖」を感じるんです。
何に対する恐怖か?
親や先生に叱られる(というより感情的に怒られる)恐怖です。
そういう癖がある人は、おそらく、子どもの時に散々、親や先生に怒鳴られてきた人みたいです。
でも、これって、後々、人前で弾く機会のある人にとって、致命傷になります。
ちょっとぐらい間違っても、本番では止まっちゃいけませんからね。
「その心理的な問題を何とかしなさい」と言われています。
ナナ先生だけでなく、二胡以外の楽器の先生すべてに指摘されていることなんですが…(というか、楽器が違っても、奏者が同じなのだから、基本的にどの先生にも言われることは同じなのです)
何かいい克服方法あるんでしょうかね?

私が子どもに教えるんだったら、絶対、「そこ、ほら、間違った!」って中断させないようにしようと思います。
↑これを繰り返すと、私のようにものすごい恐怖から逃れられずに止まる子が出来上がるのだと音楽教育の先生が言ってました。
でも、ミスった時に言わないと分からないというか忘れちゃう子、あるいは後で一度にいろいろ言われても、頭の整理ができずに混乱する子(要するに障害傾向のある不器用な子)にはどうしたらいいんだろうね?難しいねぇ~
自分が一度にいろんなことを注意されても忘れてしまう人間だと知っている今となっては、私はレッスンの核心部分では録音させてもらってますけどね。

口伝心授

先日、「伝統文化と音楽パフォーマンス芸術フォーラム」っていう学術研究会を傍聴してきました。

そこで、最近は録先生が大人気という話になりました。
録先生って、要するに録音録画教材のことです。
録先生の真似すりゃ、誰でもある程度、できるようになりますよね。
でもね…
録先生は一方的に教えてくれるだけで、あなたのことなんて考えてくれないんだよね。
しかも、自分はそっくり真似ているつもりでも、本当に真似できているか分かったものではないんですね。

そして、困ったことに、例えば京劇なんて、西洋音楽のリズムではないし、現代標準語のイントネーションで歌ったりしないんですよね。
どうしても、先生が経験を語ったり、その場で動作を修正してあげる必要があります。
伝統芸能の一般的な教授法、つまり、一対一の口伝及び心のコミュニケーションーこれを中国語で口伝心授といいますが、どうしても必要になります。

京劇でなくとも、楽器なんかもそうですよね。
本当にうまくなりたい場合、口伝心授のレッスンしかあり得ないと私は思います。

録先生と生先生、違いを思いつくまま、書くと…

実は、楽器がある程度できる人は、譜面や録音があれば、テキトーなら弾けちゃいますよね。

でも、音の困ったところって、録音と生音違いますよね。

科学的に測れるものでいえば、身体に感じる音の振動が違う。
弦楽器なら、試しに先生の楽器と同じようにきちんと調律した楽器を持ったまま、先生に模範演奏を目の前で弾いてもらった場合、弾いてない自分の楽器も同時に歌い始めます。
歌うとかいう比喩が嫌いな人のために、事実だけ述べれば、開放弦で明らかに、自分の楽器の弦も振動するのが分かるということです。
ちなみに耳の不自由な方の中には身体で振動を感じて、音の違いを感じている人もいると聞きます。

さて、民族音楽などの場合は、リズムやアクセントをいわゆる西洋音楽の譜面どおりに読んじゃいけないわけですが、一緒に弾いた時、聴覚で自分の音程、間の取り方が判断できるという点は、録先生も生先生も同じです。

でも、実は生先生の場合、たまには間違うことあります。
通しで弾いてる時などは、こちらが止まらない限り、とても上手に誤魔化されます。
誤魔化し方も学習できます(笑)

非科学的な面をいえば、録先生の音も素晴らしいけど、生先生の周囲は空気の流れがすごい…
一緒に弾くと、自分も飲み込まれて、上手くなったような気がします。
いわゆる、つられるという現象が起こりますが、つられるって悪いことみたいだけど、うまい人につられるなら、その時の感覚を自分一人の時にも再現できるよう頑張ってみればいいんですよね。

ついでにいうと、譜面は違っていることもあります。
生先生は、譜面のミスプリを教えてくれます。
でも、意外と素人の私の方が譜面のミスによく気づきます。
先生はもう頭で覚えていないので、譜面が見たいように見えてしまうという、玄人ならではの習性があるようです。

ところで、若い先生が生徒の興味をひくために民族楽器を使って西洋音楽を弾くことを全く否定しないけど、西洋音楽のリズムで、東洋の古い曲を教えるのってどうなのかなとたまに思います。
その一方で、世間一般の人に理解し難いリズムと言葉を守ることに意味あるのかいな、と悲観的になる若い先生の気持ちも分からなくもない…そんなことやってたら、同年代の友達できないし、飯食えないからね。
それとも、生徒のリズムやアクセントが西洋流になっていて、「それ直しなさい」と注意して、もうお稽古辞めたいとか、音楽が大嫌いになられちゃうのも、本末転倒?な感じで哀しいから、そのまま、放っておいてるだけなのかな。