楽器を弾く女子に、か弱い人はいない

昨日、津軽三味線の小山貢山先生のお宅へ行ってきました。
なんで自分の師匠以外の人のところへわざわざ行くの?っていう理由は、CD受け取りに行くため。
(別に師匠も知ってるから、問題ないです)
貢山先生は、以前、初心者向けの楽譜とDVDを出してて、それに沿った内容のCDをお出しになってんですね。
中国にも、ちょっとだけ三味線を触ってみたいっていう人もいまして、そういう人にとっては、(日本自体にはあまり興味のない人、とにかく器楽だけ好きっていう若い人にとっては)わけわからん日本の民謡弾いても楽しくないんで、最適な教材なわけです。
そういう人に頼まれて、買ってきました。
普通にオンラインで買いたい人はここ↓

http://store.shimamura.co.jp/shop/g/g4948667200493/

さて、CD受け取るだけなら、送ってもらえばいいじゃん、というところですが、せっかくだから、日本の筝をちょっとだけ教えてもらいました。
彼は、筝もやってますから。

私は以前、ブログにも書きましたが、私が弾く三味線の音は中国三弦の音色に似てて、私が弾く中国三弦の音は中国の古筝の音色に似てて、私が弾く二胡のピチカートは日本の筝の音色に似てるんですって…
筝を弾けもしない私の音が、何だって人にそう言われちゃうのか、気味悪いと思っていました。
単に、私が日本人であるという思い込み、イメージから、そういう感想を持つ人がいるのか、本当に筝っぽいのか、自分でも知りたくなったんです。

ちなみに、うちは高台に建っているのですが、真下のお宅は生田流の師範の先生のお宅らしく、いつも筝の音が聴こえてます…
しかし、長期にわたって習う気もないのに、ほんのお遊びで触りたいだけなのに、そういうお師匠さんのお家のドアをたたく勇気はなく…
一回だけのお遊びでも全然OKっていう貢山先生にお願いしました。
彼は外国人の日本文化体験レッスンよくやってらっしゃるので、一回だけっていうのも気になさらないようです。

で、たった一回だけのお遊びで、自分の音色の謎が解けたかっていうと…
どうでしょうかねぇ…
同じ弦楽器だからね、似てる音出そうと思えば、出るんじゃないかな~
例えば、中国三弦の曲で、中国の古琴の音を模倣した楽曲って、本当にあるし、実力のある人が弾けば、本当にそういう音するしね。
で、私はたまに無意識に、出ちゃうことが、あるっていうだけではないだろうか。
コントロールして出せるなら、それは技術だけど、私のは単なる偶然だから、話にならない。

余談ですが、弦を押したりするとき、普通に下までえいって押せるので、
「初めての人は、ふつう、そこまでしっかり押せませんよ」と言われてしまいました。
まぁ、私の力持ちぶりは、一門の先生方にバレバレな今日この頃ですからねぇ。
師匠にも、「そんな重い三味線と撥は男でも持つのキツイんじゃなーか」って言われましたし、私の三味線持つたび「おもっ!」って言います(それ言うの、何度目?)。
よくブログにコメントくださるドラゴン先生にも、チューナー改造したとき「女の人で自分でできる人は少ないかも」って言われちゃいましたしねぇ。
でも、世の楽器を弾く女性である程度弾ける人って、日頃、日常生活においては、「できないぶりっ子」してるんじゃないでしょうか、って私は思うんですけど(笑)。

「口訳 日本民謡集」買っちゃった

koyaku
「口訳 日本民謡集」仲井幸二郎著 日本図書センター(2013年7月)を買ってしまいました。
この本は1999年に蒼洋社から出版されたものの復刻版でして、むっちゃ、高かった~
二万二千円…
全部、読んで元をとらないと、もったいねぇ~

私、自分が分からない言葉を真剣に聴くと疲れます。
ましてや、自分が意味分からないのに弾き唄うのは、出来ないこともないけど、なんかな~。
というか、意味が分からないと暗譜しにくいよ。
(暗譜のために使う脳みその場所が人と違うんだろうか?)
だから、私は英語の曲とか、一生懸命聴きません…英語は超苦手なんです。
不器用なんでしょうね。

念のために、言っときますけど…
たまに「日本語お上手ですね」って日本人に言われますけど…
私、母語が日本語の日本人です(笑)

この本だって、日本に存在するすべての民謡が収録されているわけではない…
当然、ありとあらゆる説が網羅されているわけではない…
でも、前よりは、私の心のモヤモヤの一部がスッキリしました。

譜面に現れないけど、何かがそこにあるのは間違いないもの

先日、盆踊り踊りたいなぁ~というブログ記事を書いてから、子供のころに聴いたあの曲はなんという曲なのか、とかが気になって、だいたいの察しをつけて動画サイトで確認したりして遊んでいました。
曲名知らないだけで、実は聞き覚えのある曲ってあったりするものなんですね(^^;

三つ子の魂百までではありませんが、そういう身体で覚えている曲というのは、間のとり方が楽だということに気づきました。
だって、自分が何となくでも踊れる曲は、その動作の初めから終わりに必要な時間を理屈ではなくて、身体が分かっているということですから。

こういう曲って、四分の二拍子とかそういう理屈ではありませんしね…

先日の津軽三味線のお稽古での会話
師匠「こういうリズムをキープしてれば、だいたい何とか形になるものだから」
私「それが、一番難しいんじゃないんですか~(笑)。先生は子供のころから聴いてるから、いいけど、私には、何の縁もゆかりもありませんから」

そう、私は師匠の音に恋してなければ、絶対に弾かなかったと思うよ、津軽民謡。
だって、何を言っているか、意味分からないもの。
(もちろん、調べたり、本読んだりするから、なんとなく歌詞の意味は知っていますが、一字一句、説明できないし、その曲にまつわる思い出があるわけでもない。)

師匠が、自分が教えるのは一つのパターンにすぎないので、いろんな人のを聴いてみたらいいよとおっしゃったので、聴いてみると、本当にいろんな伴奏があるし、いろんな唄い方があるわけで、知れば、知るほど、自分との間に溝がありすぎて、正直、いやになってきました。
曲が、単に譜面通りに弾けたからって、何かいいことあるわけでもない。
そんなの、ある程度、何らかの器楽の勉強をしたことがある人なら、できて当たり前だから、嬉しくも楽しくもなんともない。
ましてや、誰かが聴いてくれて、喜んでくれるものでも有り得ない。

本当に手に入れたいものは、もっと先のものなわけで…
でも、三味線まともに構えられず、きちんと撥が振り下ろせないのに、そんなこと言ってもねぇ、ってことなんですが…(いじいじ…)
もちろん、楽器のド素人の人から見たら、私は普通に三味線構えて、普通に弾いているように見えるかもしれないけど…正直、私は、ある日、突然、言語機能を失った人みたいな気分で弾いてます。
思ったように喋れないのに、喋ろうとして、他人が分かってくれない寂しさを当り散らしている感じ?

科学的に分析すれば、私が弾くじょんから新節の前弾きは、師匠のいうように
「きちんと撥付ができていないから、例えば前撥に行くときの距離、滞空時間が短くて、それが結果的に、妙にせわしなく聴こえる」原因になっているのかもということなんだろうし、感覚的に分析すれば、私が楽しいとも面白いとも思わず、ただ、ミスりませんように~、撥をひっかけませんように、とだけ気を遣いながら弾くので、ただ曲がせわしなく過ぎていくだけ、ということなのかもしれない。

こういう、譜面には表せないものが、何年かやってれば身につくものなのか、不毛の努力なのか…正直、分からない。
もちろん、自分に何の縁もゆかりもない曲でも、再現不可能ってことはない(と思いたい)。
努力すれば何とかなる(かもしれないと思いたい)。
そうでなかったら、どんな国、どんな地方の民謡も地元の人以外は弾いちゃダメってことになるし、日本人がバイオリンでヨーロッパの古い曲を弾くとか、二胡で中国音楽を弾くとか、逆に外国人が三味線弾くのが無駄な努力であり、無意味ってことですしね。