音程と振動による感覚

三下りの調弦が分からない…
もちろん、GCF ADG BEAのように、それぞれの弦の間が4度の音程を取ればいいと、頭では分かってます。
以下、感覚の話です。

私の場合、中国三弦が一般的にGDG(三味線で言うところの二上り)で調弦するので、これが私にとってのスタンダードなのです。
そんな訳で、私の中では、三味線の本調子は、「二下がり」で、三味線の三下りは「一下がり」なんですよね。

私は十代の頃、ほんの少しだけバイオリンを習ったことがあるのですが、あれはすべて5度ずつ離れていて、ものすごくピタッと綺麗に調弦できますよね。
隣り合う弦の和音を弾いて調弦します。
ピアノみたいに濁った音色ではないので、和音を弾くと振動が重なるのが分かるんです。
いわゆる完全五度の響きは、超気持ちいい。
雲一つない青空です。

三味線の二上りの場合、一の糸と三の糸はオクターブの関係なので、濁らず綺麗、当然調弦しやすい。
一の糸と二の糸は完全五度なので、これも濁らず合わせやすい。
三味線は、さわりがつきますよね。

本調子も一の糸と三の糸はオクターブの関係なので、濁らず綺麗、当然調弦しやすい。
今度は二の糸と三の糸が完全五度で、濁らず合わせやすい。

で、三下りは?
一の糸と二の糸の間は4度、二の糸と三の糸の間も4度。
合わせにくい〜
いつも、二上りにしてから、一の糸を一音下げて調弦します。

4度って、物理的には完全協和音ですよね?
ふつう、楽典には協和音に分類されているし…
でも、よく対位法的には、あるいは音楽的には不協和音と説明されてますよね?

そもそも協和音って「溶け合う」感じとか「安定」した感じだと言いますよね?
もっとも、感覚なんて、人それぞれだからアテにはならんのでしょうが。
私は、4度ってピタッと溶ける感じがしないので、ダイレクトに4度を正確にさがせないよう〜
もちろん、有る程度なら、ダイレクトに4度に調弦できますが、誤差が出ちゃいます。
だって「蛍の光」の出だしだよね?
ほたぁるの…って歌えば、「ほ」と「たぁるの」の間は4度だからね。
何十年も毎年歌ってるもんねぇ。

ところで、ピアノで2度の和音を弾くと、不協和音なのでめっちゃ気分悪いけど、何で、三味線で弾くと綺麗に聞こえるの?
え?
そう思ってるの私だけじゃないよね?
二上り調弦の三味線で、師匠が一の糸四のツボと二の糸の開放弦を同時に弾くと、あまりの美しさに、私はめっちゃテンションが上がります。
例えが適切かどうか分からないけど、美人な妖怪のお姉さんの吐息みたい。
美人なんだけど、とっても危うい感じで、艶かしいんですが…
ちなみに自分で弾いても上手く響かないんだけど、何でだろう?

三味線て、いわゆる不協和音がどえりゃ〜(名古屋訛り)美しいんですわ。
だから、三下りなんていう調弦もありなんでしょうね。

皆様は、4度をどうやって調弦しているのでしょうか?
4度にどんな感覚を抱くものなんでしょうか?
私の中では、4度は、別れ、哀愁、季節なら秋、色ならセピア色かな。

フラッシュバック

う~ん…月曜日に三弦のレッスン行くの怖い…かも。
ハイ、先週、中国三弦のレッスンに行って、先生に「ここまで、叫んで注意したのは初めて。喉がからからになっちゃったわ。どうして言われたことができないの!」
と叱られて、落ち込んだ帰り道、一時間以上は涙が止まりませんでした。

実は、私の場合、強烈なマイナス感情が起こると、ヒドイ時は、3歳頃から現在までの特定の嫌な記憶が走馬灯のようにぐるぐる思い出されて、傷ついた感情が再現されて止まらなくなるという、いわゆる「フラッシュバック」(かも?)が起こることがありまして…
「フラッシュバック」って災害や犯罪とかに遭った人が、その怖い感情が再現されるというやつ、その他にも発達障害の人が過去の嫌な記憶がさかのぼって蘇る、ってやつらしいので、似てると思ってそう書きましたが、医学的に私のがそう呼べるものかどうか…医療関係者に話したことないので、よく分かりません。

引き金はだいたい、人が怒っている時の声とか、お茶碗が割れたりする時の音なんです。
まぁ、子供の頃にどんくさいし、気がきかないから、よく叱られたし、父が自分自身の感情のコントロールが苦手でよく自己破壊的に切れて、その辺のものに当たり散らして物がたびたび破壊されたからなんでしょうねぇ(^^;
それで、10代、20代の頃は、ますます、自分はだめだめ人間なんだぁ~ってな具合になりがちだったんですが、さすがに歳をとってくると、このままいくとヤバいと分かっているので、思い浮かばないように努力するわけです。
子供の頃、がっことかでよく心理テストみたいなのを、全員が受けさせられたりするでしょう?
私の場合、すごく悪い結果がでたことがあるんです。
担任いわく「ここまで心理状態よくないという結果が出ているのに、不登校にならないのが不思議でしょうがない…」

他人にとって「大したことないことで、そこまでネガティブにならなくてもいいじゃん」と思うようなことが、私の脳内では、実際は引き金になった事柄だけではなく、いくつかの事柄がリフレインしているので、重大問題になっちゃうんだな(笑)。
本人も嵐が過ぎれば、大したことない事だって分かってるんですヨ、それは。
別に、それができなかったからといって即、人間失格じゃないし、逆にできたからといって、優秀な人になるわけでもない…

発作の最後は、斧とかハサミのようなもので、記憶の帯みたいなものを、ずどん、と自分で切るような想像をすると、うまく消えてくれることもあるのですが…
うまく、悪循環を断ち切れなかったらどうしよう…って今悩んでもしゃぁないわな。

そもそも、先生は私によかれと思って注意して下さるわけだけど、あまり忍耐強くない先生だと、さすがに私のどんくささに呆れるのか、或いは私の無表情が「こいつ、私の言ってること、ちゃんと聞いてるの?」と思わせるようで、子供の頃なんて、そのせいで、ヒドイ時は殴られちゃったのよね。
本人は本当に悪気ないのだけど、他人をいらっとさせるのだと思います。
いや…私がそういう時に無表情なのは、多分、そこですごく申し訳なく哀しくなると、さっき書いたみたいに、フラッシュバックしちゃうから、本当に短くて一時間は収拾つかなくなるだろうし、自己防衛してるからなのかも…と思います。
私としては、言ってることは聞いているし、努力もしてるけど、実際は頭で理解できていない(勘違いしている)か、運動能力的に本当に出来ないんだよう~ということなのです。

まぁ、逆に忍耐強すぎて、軽く注意はするけど、全然叱らない三味線の師匠みたいだと「先生、私のこと見捨ててるわけじゃないよね?」って不安になるという…
この前、ハッキリ聞いてみたら、そうじゃないようなので、安心した(^^;
私って、なんとも、まぁ、扱いにくい生徒だこと。

二胡のナナ先生とかだと付き合い長い方なので、注意は細かいけど、あまり言い過ぎると、心理的に私がネガティブになって、余計、悪い方向に走るので、手加減してくださっているのだと思う…
(今週末は忙しくって二胡のレッスン行きませんでした)

「先生」っていろんな生徒がくるわけでしょう?
だから、大変なお仕事だなと思います。
もちろん、先生というのは、医者が患者を断ることできないのとは違って、営利事業としてやっている先生だったら、断れるわけだけど、一生懸命な生徒さんを簡単に断れるものでもないし、本当に大変だと思う…

二胡LESSON105

私はどうも、「たーたた たた」というリズムを弾く時に、よほど気をつけていないと、「たーたた たった」になってしまうらしい…
このリズムパターンは、ご存じ「賽馬」によく出てくるリズムですね。
みーみみ らど そーそそ そみ どーどど どーれど らーらら らら
(もっとも後ろの八分音符は頓弓だから、タッタと書き言葉で表す方が自然かもしれないですが、私がここで言いたいのは、明らかに前の音が短くて後ろの音が長くなることなので、あえてタタとタッタにしときました)

最初は弓の推し方に問題があるのだと思ってました。
でも、開放弦なら、ちゃんと弾けます。
では、ナナ先生の言うように、左手が加わることによって注意がそれるから、左手が右手に影響を与えているのかな?
確かにそういう部分はあると思います。
左手のポジション移動や音程に気を取られていれば、右手のことなんて構っていられない。

しかしながら、一番大きな原因は、どうも私が心の中で歌うメロディにあるらしいと、最近自分で気づきました(汗)
正直に言います。
「たーたた たった」の方が私にとっては自然なんですヨ。
困ったなぁ…
つい、そう、歌っちゃうから、それに手はつられるでしょう?
差別用語になるので、文字としてここにはっきり書けませんが、楽器の先生がよくおっしゃるように、足の不自由な方が歩く時の足音っぽい感じの方が私にはしっくりくるのです。
(もっとも、「たーたた たった」というリズムで人前で弾く人もいらっしゃいますから、譜面をちゃんと見ることのない人は、そういう曲だと思ってる人もいるかも…)

逆に、津軽三味線を弾いている時は、足を引きずるようなリズムが求められることが多々あります。
いわゆる譜面に厳格に忠実に(西洋音楽の譜面の規則どおりに)弾いてなかったりして(笑)
譜面を書いている師匠ご自身がおっしゃるには、こういうものはもともと口伝だったもので、あんまり厳密に譜面を書くと、ご年配の方や民謡の人なんかがついてこれない、譜面が見づらくなる、というようなことらしいです。
だからか、西洋音楽にどっぷり浸かっていらした人(特に西洋クラシック系の習い事が長かった人)が、知らない民謡を独学で譜面を真に受けて弾くと、すごく気持ち悪いメロデイになるという…

私はどうも、譜面に書きにくい、足が不自由な感じのメロディの方が好きな傾向にあって、「じょんから旧節」(いわゆる小山流の簡単な方ではないやつ)なんて、すごく好き。
使われている音自体は、全然難しくないのに、ちゃんと弾こうと思うとリズムが難しい曲なわけで…
でも、師匠は私を止めることなく、弾きたいなら弾いてみりゃいいよ、と教えてくださいました…う~ん、この世界、ピアノやフルートやバイオリンの教則本みたいなのがないので、先生にもよるのかもしれないけど、いったいどういう風に山を登って行くのか、さっぱり見当が付かないです。
師匠は一度も私がやりたいと言いだした曲を「無理なんじゃない?」とか「止めとけ」って言ったことがないのです…。

では、足を引きずるようなメロディというやつは、時には許されて(むしろ歓迎されて)、時には、まったく受け入れてもらえないわけですが、どこまでの足の引きずりなら、許容範囲なんだろうなぁ。
それはジャンルにもよるのかな?