「感動」とは、
美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること。
― スーパー大辞林
脳科学的に、どうしたら、ヒトが感動するのかというメカニズムは分かっていないようです。
そりゃそうですよね。それが完璧に分かれば、クリエーターは苦労しないわな~
芸術にかかわる仕事をしたい人は、医学部に行けって(笑)話になる…訳ないだろ。
私の脳に関して言えば、経験的にある程度、分かっているのは次のようなことです。
1、全く未知のものには感動しない。
これは、反論があるかもしれないなぁ。
これまで見たこともない、聞いたことがない美しさ、新鮮さ→感動した~っていうのは、皆がよくいうセリフだよね。
でも、本当に今まで見たことも聞いたこともなかったのだろうか?
それは実際に見たことも聞いたこともなかっただけで、自分の頭の中にはすでにあったのではないだろうか?
私は、そうよ、これよ、これっていう運命の出会いなのだと思います。
ちょっと、デリケートな話になるかもしれませんが、もともと目が見えなかったり(見え方に問題がある場合もあるでしょう)、聞こえなかったりする場合(聞こえ方に問題がある場合もあるでしょう)、大勢多数の人と違う感じ方をしている筈です。
見えたままではなく、光の具合で判断しているとか、聞こえたままではなく、音の振動の具合とかで判断しているとか…
皆がいいって言ってるからいいと思うというのは、共感であって、感動じゃないと思うんですが…もちろん人と共感することで感動を得るというタイプの人もいると思うんですけど。
もっとも、私の尊敬している人、大好きな人が「XXに感動した」と言えば、その気持ちを知りたくて共感しようとするという恋心に似た原理が働くことはあると思います。
2、いかにいいラベルが貼られていても、ラッピングが綺麗でも分からないものは分からない~
最近、音楽関係でゴーストライター問題とかありましたが…思ったのは、結局、商業的に売れるものって、そのものより、それをラッピングしている物語に人々は動かされるんだなぁということ。
よほど才能がない、時間がない、金がないというのではない限り、ある程度の年月やお金をかければ、普通の人でもある程度の創作は可能なのだと思うんですヨ。
もちろん、何でもかんでもできる天才は、本当はそこらへんにゴロゴロいるわけでもないんで、商業的な創作の場では、皆が得意なことを分担するチーム体制で行っていると思います。
それで一定の質の創作物が継続的に出来あがるわけですよね。
でも、それじゃあ、誰だってできちゃうのよね(ある意味、いいとこどりだから)。
誰にでもできることじゃあ、ドラマにならないから、変なこと思いつく人もいるんだろうか…。
そこまで、故意に嘘をつくのはいけないけど、そこまで悪意なくとも、いい(と思われている)大学に行きたがることや、プロフィールによく分かんないコンクールの受賞歴を並べたりするのも、そういう信用や共感を得るためだったりするわけよね。
でも、しょうがないよね。
これだけ創作の場で素人が簡単に絵を描いたり、小説書いたり、動画撮ったり、演奏したりして、なおかつ無償で提供していて、しかも、クオリティは素人目にはさほど劣っているわけでもないという情報過多の社会では、何かドラマがないとそもそも、人の目に留まらないのだから。
タダでも手に入ることに、わざわざお金出す人もいないもん。
人が芸術にお金を出す場合、純粋にその作品に惚れている場合はもちろんだけど、作品そのものに惚れているって言うより、クリエーターやパフォーマー(の人柄?)に惚れてて、その人たちの将来に期待して出しているんだろうなと思います。
昔、東京のとある美術館で、よく分からない芸術に触れて、「う~ん、よく分からねぇ」と思っていたら、傍にいた人が「これってどこが面白いんでしょうか?」って私に真顔で普通の音量で聞くので、「さぁ~?私もよく分からない」と言って大笑いしたことがありました。
日本人なら、普通は、つい、分かったような顔しちゃうんでしょうね。