なんとなくの法則

語学も音楽も、幼い頃からやるに越したことはないという点は同じだと思います。
大人、特に中年以降になってからやるっていうのは、かなり骨の折れることです。
大人になってから、語学をやるメリットは、子供と違って「理屈」で覚えるので、有る意味、それを母国語としている人より、正確で分かりやすい文章が書けたりすることでしょうか。

しかしながら、中には、結構、外国語が話せて、書けるのに文法がまるきり分からないという人がいます。
試験で文法問題が解けるのに、正解を導いた理由を聞いても、「なんとなくぅ」としか言わない人。
私です(^^;;
じゃあ、あんた、どうやって大学院生レベルの外国語マスターしたのよってことですが、もちろん、基礎中の基礎の文法は大学1年2年で習いましたが、後は、毎日、中国人と話して、中国人にメールを送り続けただけです…。
努力というよりも、自分が心に思っていることをどうしても先生(中国人)に伝えたかった、分かって欲しかっただけのことです。
頭に浮かぶ10個のことは、せいぜい、2,3個しか伝えられません。
そして、残りの8,7個は欲求解消のため、ブログなどにぶちまけられるわけです。

音楽も、ビブラートをどうやってかけてるの?とか聞くと、理屈を説いてくださる人もいれば(一般的に教えていることを生業にしている人に多い)、「なんとなくぅ」としか言わない人(演奏家に多いかも)もいたりします。
私は、最初、「なんとなく〜」としか言ってくれない先生に「首絞めたろか…」と思ったりもしましたが(笑)、考えてみると、自分も「どうやって外国語勉強したの?」とか「なんで、作文とかいっぱい書けるの?」と聞かれるたび、「なんとなくぅ」って答えていたことに気づきました。
きっと、首絞めたろかと思った人いるでしょうね。

結局のところ、私みたいな頭悪いタイプの人間は、「慣れ」でしか、物事が覚えられないようなので、心に表現したい音楽があって、どうしても、それを伝えたい、分かって欲しい人がいないと、上手くなりようがないのかなと最近思うのです。
音楽の場合は、そういう音が欲しいと思う憧れの先生は多少いるのですが、その音を盗みたいとは思っても、その先生に、私のこと(私の音色、私の音楽?)を分かってくれとは全然、努力してなかったですねぇ…。

例えば、あることをを表現したいとして、言葉なら10通りの言い回しを知っているので、適切な言葉を選んだり組み合わせたりできるけど、弾き方は、一つしか知らないので、表現の仕様が無いのです。
だから、自分の実際の音と胸の中にある音の不一致が気持ち悪くて仕方が無い。
演奏家は指先の感覚と気持ちは一致するそうなので、私の言う気持ち悪さは、よく分からないでしょうね。

しかし、私を分かって、分かって、って迫ってくるような下手な演奏する厄介な生徒いたら、ウザイですよね(^^;;
そこは職業と割り切って辛抱できるものなのでしょうか?

そもそも、中国語を覚えた時も相当ウザイ学生だったろうと、今なら分かるのですが、当時は必死で気づかなかったし、何よりも先生がいい人すぎて、ずーっと私の話を聴いててくださったのですよ。

いい大人の中途半端な音を我慢強く聴いてくださる人はそうそういるものではないので、どうしたらいいのか?
文章ならブログで無責任にぶっちゃければいいですが(誤字脱字を除き日本語自体の意味が通らない文章書く人は少ないと思う)、音はね…
YouTube?
そんな勇気ないですよ。
失笑されて余計、落ち込むでしょう。

だから、毎晩、練習の最後は、神様に伝えたい音を聴いていただくしかないのでしょうね。