一度きりの実演と複製可能な実演

私は二胡の先生に完璧主義をやめろとたまに言われます。

私、自由奔放に生きているように思われてるので、えっ?て思う人もいますよね(^^;
私は着てるものとか自由気ままだし…(着物を着ていてもムートンブーツはいて街中へお出かけ)。
お部屋もぐちゃぐちゃ…(片づけ方が分からないのと集中力がない)。
料理させても、よく分からないので、なんでも、切っちゃえ、入れちゃえのノリで調理していつも予期できないものが出来てきたりして、周囲に不思議がられ…
おおよそ、几帳面な性格とはいえず、それで、なんで完璧主義?

こういうことです。

例をあげると、子供の頃、美術の授業で写生をしていて、見回りに来た先生に褒められました。
たまたま、父と見に行ったゴッホ展で、印象派の影響を受けた絵が気にいって、こういう描き方があるんだ~と、ものすごく感動してちょっと真似したら、ウケちゃっただけなんですが…
褒められると、周囲もどれどれ?って見に来ますよね。
子供なので、なんとなく周囲の意見を聞かなきゃと描いているうちに、なんか自分的にはすごく気に入らない絵に変わってしまいました。
最後は適当にごまかして描き上げて、いい成績はもらいましたが、その絵は最終的に破りました。

ちなみに、私と父はすごくよく似ていました。
父は精密な鉄道模型をつくるのが好きで、とても手の器用な人でした。
父が亡くなった後は、母は同じ趣味のいわゆるオタク友達に模型を差し上げましたが、「え?もらっちゃっていいの?きちんと出来てるから、材料費以上の値で売ろうと思えば売れるよ」とおっしゃったそうです。
でも、父は、晩年、木工に興味が移って、精密な船の模型を作って遊んでいたのですが、少しの狂いも許せないのです。
だから、いつも途中で自分の技術のなさに腹が立って、感情の高ぶりのあまり、出来かけの船を壁や床に放り投げていました。
(当然、壊れたりするので、修理するか、そこからやり直しになります…)
船は一隻も完成しませんでしたね(^^;

舞台演奏は、やり直しがききません(練習中は何度やりなおしてもいいですけど(笑))。
「やり直しは、家で細かくやることであって、私の前に来たら、私が止めない限り、あなたは舞台の上にいるつもりで、多少、音程やリズムが狂おうが最後まで弾きなさい。」
先生の言葉は、当然と言えば、当然ですよね。
「最近の子供や才能ある音大生なんかは、例えば、全然練習してきてないのに、先生の前ではいかにも練習してきましたという雰囲気をかもしだして、小手先のゴマカシで、親や先生を騙しにかかるのよね。先生は騙されないけど、普通の人は騙せちゃう。こういうナマケモノでズルイ態度は本当はいけないことだから、私は通常、生徒を叱るけど、あなたにはそれを真似するくらいのズルさを身につけてほしい」
とも言われています。

絵はどんなに破り捨てても、最終的に自分が納得した一枚だけを他人に見せればすみますが、音楽はそういうわけにはいかない。
そういうわけにいくとしたら、録音録画だけですよね。
実際、プロの演奏だって、CDやDVDは録音録画の編集技術、演出の技が効いていて、生とは別の意味で、裏方の編集・演出技術に感動しちゃうわけで…
CDやDVDは、演奏家や俳優の魅力より、裏方の苦労の賜物の占める割合の方が多いと私は思うけど、一般の人は、表に出ている演奏家や俳優の魅力のなせるワザと勘違いしてるだけのような気がする…

納得のいかないものを人前にさらしたくなかったら、あるいは観客の生の「アラさがし」な反応を感じたくなかったら、生の実演をしなきゃいいだけなのかもしれない。
確か、晩年、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏者と聴衆の平等な関係に志向して、コンサート活動やめて、録音と放送メディアに徹したピアニストいたよね?

お客さんって、実演してる側の舞台下の苦労なんて知る由もないから、特に舞台芸術の経験ない人は、残酷なことを平気で言う…。
ぼそっと言っても聞こえちゃうのよね。
そんでもって、自分が言われる側の苦労を知っていたら、自分も言わなきゃいいんだけど、自分がお金を払って見ている場合は、私は貧乏人なので、いわゆる“元がとれなかった”感がものすごく出てきて、そういうアラさがし的な発言がぼそっと出ちゃうことあるわけよね…ゴメン。
でも、本当に優秀なプロは、聞こえていても、それを教訓にして次に活かそう♪って頭が切り替えられるわけですよね。
…っていうかプロならお金を取ってるんだから、あまりにもひどい事を言われるような実演をしちゃダメなわけだけど、素人の場合、自分の成果を見てもらうためとか、自分のやってることの面白さを広めたいとかいう様々な理由で、表舞台に立っているだけだから、文句言っちゃいけないという意見もある一方、お金は取ってなくても人様の貴重な時間を奪うわけだから、あんまりひどければ、言われることがあっても仕方ないのだろうな…と思う人もいる。
でも、どんなに上手なプロでも、評論家にいろいろ言われちゃうこともあるんだよね?

今時は、実演も出版と同じで、才能ある特権階級だけが作品を発表できるわけではなく、ブログなんて評論の書き放題だし、YOUTUBEだって才能あろうが無かろうが(弾いてみました♪)をいくらやってもよいわけよ。
そして自分の好みに合わなければ見なければいい…
ちなみに、私がドラマを鑑賞する場合、実はストーリーそのものを追って、人物に共感したりして感動することは、あまりない…

例えば、映画とかドラマ見ていて、ある人物が非常にアヤシイ行動をとったとします。
「この人、多分、犯人じゃないよね、だって終了まであとXX分もあるし、ここで、こういうシーンを作ったのは、最後に意外なオチをもってくるための布石なんだろうな」と淡々と正直な感想を夫に言ったら「そういうことを淡々と考えながら映画やドラマを見る人、初めてだわ」と言われました…

うーん、私は気にいったドラマを何度もDVD等で見ることがありますが、当然スト―リは熟知しております。
何を見ているのかというと、確かこの次はこうなって、ああなってとストーリーのおさらいしながら、「あぁ、この人物が後でこういう境遇になるのを、このシーンですでに示唆していたんだ~」と一回目で気付かない部分です。
一回性の舞台だと、どんなに隅々まで見ても、あっという間で覚えてられないですよね。

どうでもいいけど、少女マンガの「ガラスの仮面」の北島マヤ、すごいよね、一度見た舞台のセリフ全部覚えていて、後で、一人芝居で子供相手に再現してあげられるその才能。
「のだめカンタービレ」の野田恵、初めて聞いたピアノコンチェルトを、オケ部分とピアノ部分を覚えていて、帰って来てピアノ一台で「こういう感じの楽しい曲だった」とお友達相手に再現してあげられるその才能。

私は繰り返し見聞きしないと、細部まで覚えてない凡人です(笑)
いや、別に覚える必要ないんだけど(笑)
ちなみに、私は別にドラマや芝居を作りたいとか思って勉強している人では全然なくて、これは、単に昔からの癖…