第四回中国音楽愛好者の集い

第四回中国音楽愛好者の集いを聴きに行ってきました。
これ↓

http://lasa-kikaku.cside.com/thoma/index.php?itemid=829

これ、最初から最後まで聴くと長丁場なのでキツイのですが、私は4時45分頃から聴いていました。

これは、東日本大震災復興応援イベントとして、演奏者も来聴者も募金をするという趣旨のイベントです。
募金ができて、他所の教室の先生や生徒さんの演奏も聴けるという合同発表会のようなノリ。
もし、自分が出演するとか、お友達とか出てれば、1時半から聴いていたかもですが…
三弦聴きそこなったのは残念だったなぁ。
私、今、まともに弾ける曲がないのと、お金払って一緒にステージに立ってくれるようなお友達もいないので、エントリーしませんでした(^^;;
でも、一聴衆としてちゃんと募金したよん。
出演者は確か1曲につき1人2000円、でも和楽器の発表会の床代に比べたらかなり安いよね。
毎年あるので、いつか応募してみよう…

ラストはサプライズゲスト、演奏家ののジョージガオさんが息子さんと一緒に演奏してくださいました。
背が高くて、お父様似でカッコよかったんで、てっきり大学生くらいかと思っていたら、中学生なんだって…最近の子は大きいよう(^^;;
(あたしに言われたくないか)
ガオさんを生で見たことなかったのですが、楽しい方なんですね。
ご自身が改良された二胡の説明を楽しくしてくださいました。
私、この改造二胡を間近で見たことはあるのですが(鳴尾牧子先生がお預かりしていたものをチラと見たことあるだけ)、音を生で聴いたことなかったし、本人をこんなに近くで見たことなかったので、ずーっと笑いがとまらなかった…。
周囲に変態だと思われたかしらん。

最後は残っている出演者全員の大合奏。
別に合同練習をしているわけでもないので、皆がすぐに弾ける曲「ふるさと」。
笛の前奏、一番の次に撥弦楽器が二番、三番を擦弦楽器で終了。
本当にリハ無しだけど、皆さん何年も弾いてるから、合いますよね。
でも、三番で終わりだけど、繰り返し弾こうとしちゃった方が数名いらして、「あれ?」みたいな音が聴こえたので、本当にぶっつけ本番だったのね…。

二胡も、和楽器の世界よりは自由だと思うけど、同門や同じサークルの人と喋って終わりになりがちですよね。
私なんて、先生以外の誰とも二胡について語り合ったことない。
私の二胡先生というのは、4歳から二胡弾き始めて、音大付属行って音大卒業して、オケの助っ人をしながら、子どもに教養として教えている、音大受験生に教えている人なので、技術も思考パターンも私のような普通以上に不器用な人間には、模倣しようがないのです。
だから、年に一回、他所の先生が生徒と一緒に弾いているのを聴いて、こういうのもあるんだなぁと経験できるのが、面白いですね。

二胡LESSON124

maruko
今学期最後のレッスン〜。
私に欠けているものは「自如」。
あえて日本語に訳せば、「自在」とか「思いのまま」。
どんな名曲でも、私の手にかかると、もれなくこの世で一番味気ない「どツマラナイ」演奏になります(^^;;
笑いごとでは済まされない問題ですが、もう、笑うしかないじゃん。
淡々と音符を拾ってるだけなんですよね。
「それは音符の羅列であって、音楽じゃない」とよく言われます。

技術的な原因はいろいろありますが…それ以外も深刻かも。
何かを伝えたいと思って弾いてないしな…
そもそも、誰も私の音楽なんて必要としてないのに、誰に何を語ったらいいのって感じ(^^;;
多くの趣味の人はそれでも、自己満足だけは得ようと努力するのかもしれないけど、私は、上手く弾けなければ、ちっとも楽しくない…。

幼い頃から芸術畑で生きてきた人、親兄弟が芸で飯を食ってる人とは住む世界が違うんでしょうね。
往々にして、子供の頃から弾いている人は、少なくとも自分の身近な人は自分を肯定してくれたと思います。
身近な誰かが喜んでくれるのを見るのが楽しいから、あるいは舞台に立ってお客さんの笑顔が見たいからと、弾いてきたという人もいると思います。
「私」を殺さないと生きられないと長いこと思ってきた自分とは、考え方や自分の存在価値の認識の違いがあると思うな。

おそらく、どんな楽器にせよ、先生が趣味の人間相手に教える場合、往々にして、ある一曲が弾けるようになったら、次の曲、その次は、別の曲、いろいろ弾いたけど、結局のところ、生徒はいつまでも根本的には上手くならないって感じも多いかと思います。
でも、趣味なんだから、続くこと、楽しいと思えることが大事じゃん、ってことなんだと思います。

それとは真逆を行く「曲を教える」んじゃなくて「本事を教える」というのが、私の二胡や三弦の先生のスタンスです。
中国語の「本事」ってなんと訳せばいいのか迷うところですが、辞書を引けば「能力」とか「技能」と書いてあります。
つまり、一ヶ月でど素人に「賽馬」をとりあえず弾けるようにさせてあげるみたいなやり方だと、やり方次第では「賽馬」は誰でも一ヶ月で弾けるようになると思いますが、別の曲弾いてみろというと、全然弾けないというか…自分の頭使って別の曲に応用できないというか、そういう状態になると思うんですね。
いつか、先生の手を離れて、未知の曲の譜面をポンと渡されても、ちゃんと自分で考えて弾けるように育ててあげる、そういうのが「本事を教える」という風に私は理解してます。

でも、芸で飯を食わない(或いは食えない)人が「本事」を学ぶ場合、どこを目標にして歩けばいいんでしょうね?

私は上手くなりたいので(上手く弾けなければ、楽しいとは思えません)、一生懸命弾いてきたけど、最近ますます苦痛が増してきました。
それは手先の技術の進歩が遅くて、身体的な限界があるのに対して、耳や脳や知識の蓄積は年齢に関係なく、早く進歩して、二者のギャップがありすぎるせいかとも思うのです。

かなりウツ入ってるので、しばらく(再開未定)、レッスン日記はお休みします。
レッスンには行くけどね。
写真は私のお友達「丸子」、ナナ先生の愛犬です。
どんなにツマラナイ演奏でも、耳を塞がず聴いてくれます(^^;;
名前の由来は「ちびまる子ちゃん」。

二胡LESSON123

明日は今学期最後のレッスンです。
えぇ、先週の日記を書いていないので、無理やり書いているところです。
多分、軽いウツなのだと思います。
弾くことが苦痛で苦痛でたまんないんです。
正確に言うと、上手くなりたいから、弾きたいんだけど、弾いて自分の音を聴くと頭がガンガンします。
比喩じゃなくて、本当に、この音がウザくて頭痛い…。
幼い頃から親が弾かせてくれて、お金もあって、いい先生に恵まれて、上手く弾けるようになった人に殺意すら覚えます。
結局のところ、「一生懸命」なんて、意味ないんですよね。
皆、一生懸命なのは一緒。
違うのは、才能とお金と練習方法と運…他にもあるかな?

余談ですが、私の先輩ががっこのレッスン室で、大事な書き込みがいろいろしてあったテキスト(楽譜)をなくしちゃったそうです。
誰が持ち去ったのか大方検討はついてるんだそうです。
まぁ、私は彼女らと一回り以上も年も違えば、立っている土俵が違うので、嫌な思いをしたことはありませんが、結構、裏でイジメとか嫌がらせとかあるんですよね…
皆、私に対してはそういう裏の泣き言を言っても、社会生活に影響がないと思うのか、悔しさを吐き出しちゃったりするんですなぁ。
コンクールとかにしても、結局のところ、学校ごとや先生ごとに入選枠みたいなのがあると言いますし、同じ専攻の子は競争相手であってお友達にはなれませんものね。

相手に嫌な思いさせたり、陥れたところで、自分が上手くなれるわけでもなく、そういうことするのは、おバカですね、とは思います。
自分が楽しくないから、順調そうに見える他人も道づれにしてやれってことでしょ。

でもね…他人を呪いたくなる気持ち、分からなくもない(^^;;
虐められちゃったり、嫌がらせされたり、はかりごとに陥れられちゃう子が羨ましくもあるというか…。
イジメにあった子には、
「あなたに魅力があるから、おバカが余計なこと仕掛けてくるのよ、放っておけば天罰下るって」と言ってあげるんだけどね。
私なんて、出来なくて笑われることはあっても、陰でモノ取られたり、先生に有る事無い事告げ口されたりとかいうことは無いもんねぇ…