無音

どうもお疲れ気味なのか、音が気に触ってしょうがないです(^^;
絶対音感のある人は、風の音やコップがぶつかってコーンと響く音ですら、音名で聴こえて疲れるといいますね。
私は絶対音感ないので、そんなどうでもいい音に疲れることは無いのですが、多少なりとも相対音感はあるらしく、メロディや調がはっきりしているものになると、相対音感に基づく階名が聴こえ始めちゃうんです…
うちのがっこの第二教学楼の防音室は、隣の部屋の音がはっきり聴こえます。
もともと一つの防音室を、後から二人で使えるように真中で二つに区切ったらしく、通常レッスンのあるときは、妨げになるので隣の部屋は学生に貸しません。
で、私はわりと集中力あるので、自分がしっかりしている時は、自分の音以外聴こえないのですが、体調が悪いと隣の部屋の音が聴こえ始め…
そのうち、階名が頭の中をぐるぐる…

芸術系のがっこに在籍している以上、音から逃れられないので、あぁ、疲れる…
そういえば、世の中には無響室ちゅうものがあるらしい。
要するに研究実験用に作られた「無音」の場所。
でも、実際には無音ではないらしい。
というのも、前衛芸術家、ジョン・ケージが言うところによれば、「無音」を聴こうとしてハーバード大の無響室に入ったものの、二つの音、一つは高く、一つは低い音が聴こえるのだそうで、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音らしいのです。
思うに、少なくとも、自分の心臓の音は聴こえちゃうんでしょうね。
真夜中に静かな場所でも、キーンとか、し~んって響く音、あれ、何なのでしょうね?
もしかして、あれが、神経系の音?
そのようなワケで、無音は生きている以上、不可能なわけです。

(先天的に聴覚障害があって、そもそも、音というものが何か分からないという人の場合はどうなのか、私は専門家じゃないので、よく分かりませんが…)

さて、話が飛びますが、この無響室で音の不可能性をみたという認識が、ジョンケージを「4分33秒」の作曲へ導いたと言われてます。

この曲は、音楽は音を鳴らすものという常識を覆す、「無音の」音楽である。
楽章を通して休止することを示すtacet(オーケストラにおいて、特定の楽器のパート譜に使用されるのが普通である)が全楽章にわたって指示されているので、演奏者は舞台に出場し、楽章の区切りを示すこと以外は楽器とともに何もせずに過ごし、一定の時間が経過したら退場する。
ウィキペディアより引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%88%8633%E7%A7%92

将来、誰かに「得意な曲は何ですか?」って聴かれたら、「4分33秒」と答えたい…
しかし、ちゃんとしたフォームで4分33秒過ごすのは意外と大変そうだな~

二胡LESSON95

久しぶりのレッスンです(^◇^;)

最初っから、ナナ先生に
「すいません、人前で弾いてから、心の調整がうまくいってないんで、練習もなんか中途半端なんです、なるべく早く心の調整しようと努力中」と言いました。
「まぁ、そんなことだろうなーとは思ったけど、私たちでも、上手くいかないことばかりだから、強くならないとねー」って励まされました。

というか、ナナ先生も昨夜、いろいろ思うことあったそうで、その話をしてくださいました。
差し支えない範囲で書くと、まぁ、こんな感じ。

昨夜は、オカリナ奏者の周子雷先生とお仕事一緒だったのだそうです。
周先生といえば、今でこそ、大先生ですが、別に中央音大とか中国音大あたりを出ていらっしゃるわけではなく、地方の芸術学院を竹笛専攻で卒業されたものの、若い頃は音楽以外のお仕事もされたことあって、いろいろご苦労があったらしい。
オカリナと中国民族楽器と合わせたり、オカリナの古代中国っぽい音色と現代流行歌っぽいものの融合を目指して、いろいろ創作するものの、最初は、相手にされないか、良くてもせいぜい「何とかっぽいね」「何とかに似ててイイネ」ってな賛辞で、個性を認めてもらえず、それがすごく悔しかったのだそう。
でも、めげずに頑張って今があるんだよってね。
ナナ先生も、多くの人により受け入れてもらえるような、現代風な音楽と二胡の融合みたいなのを若い頃(今でも二十代のお若さだけど、音大生は精神年齢早く成長しがちだから、多分中学生くらいのことだと思われる…)は夢見てたのに、いつの間にか、日々の忙しさに追われて、そっちのけになっているので、恥ずかしく思ったのだそうな。
人は普通、年取るにつれて、夢が叶わないと、もうええわい、と投げてしまうけど、周先生はずっと投げなかった…すごいなーってね。
で、今や、大先生なんだけど、その地位に安住してボーッとしてるわけではなく、まるで少年みたいに、次にやりたいことの夢見てるんですよね。

ナナ先生曰く、ナナ先生含めたオケ共演者、いわゆる中央音大出のデキル人で、周先生の若い頃の環境に比べたら、恵まれてて、みんなまだ若くて腕はいいのに、もう老人みたいに世の中憂いてて、くすぶってて、本当、恥ずかしかった…。
ナナ先生にもいろいろ夢があるんだと思いますが、思い通りにならないこと、いろいろあるみたい。
いゃ〜周先生と一緒にいたら、元気だしていこーっとという気になったんだそうです。
やる気って伝染しますよね(笑)。

ナナ先生、言ってました。
普通、宴会でやる演奏なんて、皆、飲み食いや話に夢中で、演奏なんてどうでも良くて、誰も聴いちゃいないんだけど、周先生の演奏は、全員、テーブルの上のものに手をつけず、音に釘付けになってたって。
耳に心地よい演奏って本当にあるんですね。
周先生曰く、続けること、これ、一番大事とのことです。

さて、付け足しの二胡レッスン。
長弓に関しては「あなた、もう基本は出来てるし、別の人が見たら、絶対に独学の人じゃない、ちゃんと然るべき訓練してきた人って絶対にバレると思うよ」とのこと。
ただ、これは、あくまで長弓をやってる時だけ規範的なだけで、いったん、他のこと、例えば、複雑なフレーズ弾いたりするとみだれてしまうんです。
意識しなくてもできる、まるで呼吸のように、弓を動かすという境地に達して、やっと、曲が自在に操れるわけで…
アァ先は長い(−_−;)

本日は、私の練習不足により、賽馬だけ聴いていただきました。
ヤッパリ進歩なし。
問題点はいつも同じってことは、それをクリアするための練習してないってこと、そのいつも止まる一小節を徹底的に頭使って、練習しなさいと叱られました〜。

【余談】
一ヶ月も二匹の子犬を見てなかったら、、小犬ではなく、大犬になっていました。
ナナ先生曰く、親犬はダメなことはダメって叱れば、言うこと聞くのに、子犬はいうこと聞かないし、じゃあ、体罰で分からせようとすれば、余計ふざけてエスカレート、ダメだコリャ。

三弦合奏譜

合奏譜

先日、「曹東扶筝曲集」という譜面を手に入れました。私は別に筝(日本語口語的にはお琴というべきか)が弾けるわけではないのですが、これには合奏譜が付いているので買っちゃいました。
板胡、中国琵琶、中国十六弦筝、中国三弦での合奏譜って、ちまたに流通していないですからね。
初版は1979年なんですが、2000年に第二版が出ており、なかなか書店でお目にかかれなかったのですが、先日、ふと本棚にあったのでGET。

前にも書いたことあったような気がするけど、私は合奏してみたいんです。
できれば、同じ楽器だけで同じメロディだけを一緒に弾く大合奏ではなく、別の楽器を使って、別のメロディを弾きたい。
別に中国楽器だけにこだわっている訳でもなく、和漢折衷でも面白いかもしれない。
でも、三弦入れてどうやったらいいのか、分からないので、勉強したいと思います。
三弦系の楽器は、その国の文化にどっぷり浸かり過ぎているので、合奏的に扱いのムズカシイ楽器みたいで、作曲家に嫌われているようです。
昔は普通に三弦の入った合奏が存在してたのになぁ…

日本ではおそらく中国琵琶をかなりのレベルでちゃんと弾きこなせる人は少ないと思うし、私自身は中国琵琶に対する思い入れが全くないし(これが入ると華やかなとこを全部もっていかれてしまうので、そこは三弦にやらせたい!)、ついでに言うとD調面倒くさいんで、私としては、二胡、筝、三弦あたりでG調として、編曲しなおせばいいんではないかと思ってます。
日本には二胡や筝が弾ける人はかなり多いと思うし。

宝くじ、当たんないかなぁ~
当たったら、好きな演奏家を口説き落として、こういうマイナーで商業ベースにのらない楽曲を弾いてもらって、マニアックなCDを制作して、毎晩聴きたいと思います(笑)。
最近お疲れ気味なので、もう、変な妄想が止まらない。
先日の悪魔に魂売る話ではないけど、悪魔さんにお願いして、大金持ちになって、音楽家のパトロンになって、変な室内楽団作って、コンサートホール建設してみたいかも。
半端ではない大金持ちになれるんだったら、CD制作しなくても、毎晩、生聴きゃいいか~
で、死後は悪魔さん家のメイドとしてこき使われる…
それもいいかもしれない。

…朝からバカな妄想してる場合ではなく、今日はとりあえずレッスン行って、叱られてきます…