救いようのないおバカ

さきほど、ケイタイを見たら、昨日付けのナナ先生からのメールが届いており、「レッスンは明日の10時にいらっしゃい」と書いてありました。
基本、レッスンは土曜日か日曜日と決めてあるのですが、ナナ先生のご都合(オケのリハや、大学の用事等)で変動するので、だいたい前日か前々日に連絡をくださいます。

しかしながら…
昨日の日付のメッセージということは、レッスンは今日の10時、え~~~!!!
なんで?今日はいったい、何曜日だっけ?
ケイタイを見ると、今日は土曜日と表示されている。
え?今日は金曜日だろ?
それとも、も…もしかして、私、まる一日眠ってて、曜日を勘違いしてるのか???
もう午後だし、どうしよう、私、無断欠席だぁ~~~

…とパニくって、ふとケイタイではなくiPadを見たら、今日は「19日金曜日」と表示されていて、ケイタイ見ると今日は「20日土曜日」である。

そういえば、昨日夜遅くにケイタイを充電しました。
めちゃくちゃ古いケイタイなので、内蔵電池がもうやられているらしく、電池が切れるたびに、日付及び時間も設定し直さないといけない。
そこで、メインマシンのノートパソコン(ずっと前から使っているLet’s note)見ながら日付設定したのでした。
そして、私のパソコンはずっと設定を変えていないので、日本時間を指しているのですわ。
すなわち、一時間の時差があり、北京時間の夜11時は、日本時間の零時、日付が変わっていたのでした。
∑( ̄[] ̄;)!ホエー!

し…しかし…後で考えてみると、まず通信電波事故を疑わずに、自分の曜日感覚や、自分がまる一日意識不明だったのではなかろうかと疑うあたりが、もう、どうしようもない廃人なんでしょうね…。

人前であがらない方法

人前であがらない方法がやっと分かりました。分かってしまうと実に「何でこんな簡単なことに今まで気付かなかったのか」と言う感じで、バカバカしい。
でも、自分にもあがらない状態があるんだということが分かったからといって、その状態にもって行く方法はやっぱりまだ、訓練中であります。

どういう時にあがらずにすむか、結論から言ってしまえば、自分の今していることに対して心から「楽しむ」ことです。
ね?なんだ、簡単でしょ。

先日、初対面の人に弾いている自分を録画されて、弾く前は心拍数上がって、これはヤバいと思っていたのに、先生と一緒に弾き始めたら、楽しくって楽しくって仕方がなかったので、自分があがっていたことをすっかり忘れていました。
多分、楽しくなかったら、そのままあがり続けて、最終的には手足に震えが出て、指が棹の上からすべってたかもしれない…

でも、楽しむ前に、様々な要因で不安がつのって楽しめないから、あがるんですね(私の場合ですが…)
どうして、誰も指摘してくれなかったのか。
多分、音楽家なんて、みんな、そんなの当たり前のこと過ぎて、わざわざ言うまでもあるまいってことだったんでしょうね(^^;
凡人は言われなきゃ分かんないんだよう~

「練習しろ」「場数踏め」「他人はそれほど自分のことなんて何とも思っていないんだから」な~んてことは、よく言われました。
「練習する」のは当たり前のことだし、
「場数」は自分じゃどうしようもないし、
「他人はそれほど自分のこと…」は、そんなこと、凡人は言われなくとも知ってます!
だからこそ、その瞬間に自分の伝えたかったことが伝わらなかったら、どうしよう(嫌だ)という恐怖がつのるんだろうが…
「他人はそれほど自分のこと…」という指摘は、よくハウツー本に書いてあるのですが、正直、アホかと思ってしまいました。
これは、ある意味、才能あふれる美男美女におくるアドバイスでしょう。

ところで、あがり克服法の一つとしてリラクゼーションの訓練があります。
簡単に言うと、こんな感じです。

部分的な筋肉(下肢、腹胸、腕肩首、顔など)の緊張→筋肉の弛緩
を繰り返し練習なのですが、筋肉の緊張時に息を吸い、筋肉の力を抜いて息を吐き出すときに、「リラックス」「それでいい」「大丈夫」等のキーワードを唱えるようにしておく。
この一連の動きを十分繰り返すと、脳がこのキーワードとリラックスした状態を結び付けるようになり、最終的には緊張状態を経なくても、キーワードだけでリラックス状態になれるそうです。

人気漫画「のだめカンタービレ」(アニメ化、ドラマ化、映画化されましたね)ですが、

巨匠シュトレーゼマンは、
「さぁ、楽しい音楽の時間です」
と言って舞台に出ていきます。

のだめちゃんなんて、サロンコンサートで弾く前に
「楽しんで弾くので、がんばって聴いてくださいね♪」
なーんてふざけたことを言います。
きっと、本人たちに自覚は無いだろうけど、このセリフはある意味、心身を好い状態へ持って行くためのスイッチなのでしょうね。
改めて見ると何気ないセリフも、また別の面白みがありますね(笑)

二胡LESSON93

早く人間になりたい……と言いますのも、私が弾くと、人間味のない、ブチブチ切れのある、まるで、電話かけて機械に応答されたみたいな、そんな音しかでないからです。
まだ、本当の機械音やコンピュータサウンドなら、音程やリズムが超規則正しいのでマシなわけですが…
私の場合、ミスプログラムされた機械音じゃ、どうするよ、って感じですね。

あぅ…
でも、10年、20年やったところで、ナナ先生みたいになれるかと言えば、あり得ないわけで。
彼らの幼いころの10年と私の10年は質が違いすぎるからね。
雲の上の人、別世界にいる人たちと同じ土俵で物事を見ても仕方がない。
でも、せめて、ドラえもんとか、初音ミクちゃんのように、人間ではないけど、二胡で人間並みに話せるようになりたいよう~

さて、相変わらず、注意点はあまり変わらないので書くこともない…

「次の課題曲、決めてきた?」とナナ先生に聞かれたので
「『牧羊女』あたりがいいかなぁと思って。私、新疆とか、少数民族系の旋律好きなんですよね。」と言ったら
「あらぁ、だったら、『葡萄熟了』にしなさいよぉ~これ、私、大好きな曲で、大学に入る前までは、暇さえあったら弾いてたわ~綺麗よね~」と言われてしまいました。

ここで、突然、余談ですが…

私の経験によると、幼いころから音楽専門教育を受けてきた先生方に「先生の得意の曲は何ですか」とか、「好きな曲は何ですか」と聞いてまともに答えてもらったためしがないので、ナナ先生が、これ好きって自主的に言ったのには驚きました。
もの心つく前から楽器やってるような人は、あれもこれもできるし、また、あれもこれも弾けないようじゃ使い物にならないので、どれも得意って言うよりしょうがないのかと思っていました。
また、「得意な曲」っていうのは、自分が主体的に思うものではなく、結局、他人に「XX先生はYYを弾かせると最高だ」みたいに受動的に評価されちゃうものなのかもしれませんよね。
でも、「好きな曲」は、実はやっぱ、あるんですねぇ。

で、本題に戻る…

「え???だってこれ、難しいよ~」と思わず叫んでしまいました。
「しかも、A調だよ、私、A調の曲なんて今までひとつも弾いたことないし、スケールも毎日練習してない調子だよ」というようなことを立て続けに言ってみたら
「だから、新しいこと覚えられるし、いいんじゃないの~」とにこやかに言われ、次までにこれの頭の部分をさらってくるように言われました。
いくら、新疆の旋律が好きッて言っても…できるかなぁ(^^;
ナナ先生の意図は、私に好きな曲を弾かせて、人間味のある演奏をさせることのようです。