生の音はいいよね

三弦は独奏は、よほど上手い人じゃないと、すご~くさびしい。
背景音楽があると嬉しいけど、二胡みたいな伴奏CDなんてもんは売っていない。
(そもそも、三弦楽曲だけを収録した演奏家の普通のCDすら、ちまたには売ってないのだ~)

だから自分でMIDI音源作りました。
なんと、二胡との合奏のつもりで起こしました。
どっちも旋律パートじゃん。
だからよく、この二つの合奏なんて無理無理って言われましたが、私は別に変だと思ってないもん。
私の師匠は、三味線で二胡の伴奏しますよ。
でも、私の場合は、あくまで三弦に主旋律弾かせたいので、二胡には、全く同じ旋律を弾くのではなく、よく似た旋律を追いかけてもらいます。

でも、私のパソコン音源では、二胡はないので、バイオリンで代替です。
バイオリンでも、よい音はしません(^-^;
音源どこで手に入れようか…
それとも、誰かに貸してもらって、録音してMP3に変換するか?

実際、どうするか、今のところ決まってませんが、もしボランティア演奏の日、予定が空いてたら、お友達(日本留学中)がはるばる遠方から来て、二胡弾いてくれそうです。
やっぱり、機械演奏より、人間の方がいいよ~
だって、私が機械に合わせるんじゃなくて、彼が私に合わせてくれるだろうし(^^;おいおい。
「いつか一緒に弾いてね~」と2年くらい前に言ったよーな気がするが、その時「いいよいいよ」と言ってくれたのだけど、ちゃんと覚えてくれてたんだね(T-T)感動。
もし、今回は都合つかなくても、また今度「いいよ、いいよ」って言ってくれそうとわかったから、なんか嬉しい~
でも、ちゃんとしたお礼できるように、私もお金持ちにならないといけないよね。
「なんじゃ、こりゃ~、いくら十数年二胡弾いてるからって、こんなにひどい素人の演奏に合わせられねーよ」
と思われないように
残りの日々、練習に励みます。
そもそも、この譜面、自分のパソコンで再生する限りは変じゃないと思うけど、実際に弾いたらどう感じるか分からないしな~
手堅く、筝に伴奏させる譜面書いて、中国古筝演奏者の友人なんて日本にいないから、和楽器の筝演奏者を捜して合わせてみるべきだったか???
↑でもこっちの方が絶対変だ

下手に弾けるぐらい上手くなりたい

仁王様のように優しいトシミネ先生(私の三弦の先生の仮名です)のレッスンでした。

「ちゃう!!!」
というのがおそらくレッスンで彼が一番使うセリフだと思います。

ある先輩に言わせると、言い方がきついので、やる気なくすそうですが、まぁ、あれぐらい言われないと私は身に付かない(動物と同じですみません)ので、いいけど。

「楽譜にどう書いてある?」と聞くので歌ってみせると、
「合ってんじゃん。でもお前が弾いてるのはこうだよ」とド下手な私の演奏をリプレイしてくださる(^^;

昔、のだめの映画を見に行って、へたくそな「ボレロ」の演奏が流れたとき、一緒に見に行った人が
「上手い人って下手に弾く(演技する)方が難しいんじゃないの?」と私に聞きました。
そんなことないよね?
「私の知ってる先生方は、皆下手なところをデフォルメして見せてくれるけど?」って言ったら、
そーなんだと納得してました。

ちなみに今日弾いた曲は、男女の恋の告白も自由でない封建時代、侍女が伝言を伝えるために、二人の間を行き来するため階段を上っている様子、というのがテーマでして(なんじゃ、こりゃですか?)
通常、侍女(少女)は優雅で軽やかに階段を上らなきゃいけないのに(ついでに言えば、二人の仲を取り持っているというちょっとしたハッピーな気分もある)、私の調子だと、階段でこけて落っこちていくらしい。
出だしは、少女が衣装をふわっと切り返して上り始めるべきところ、まるでロボットがカックンと急に振り返って、だ~あぁぁっと崩れ落ちてゆく…。
あんまり先生のモノマネがおかしかったんで、笑ってしまったら
「笑っている場合じゃない、音響効果的に、お前がそう弾いてるんだ!」
ゴメンナサイ。

どうも私はリズム感なくて…っていうか、中国の曲って弾きにくいよ~
頭で音符の長さの理屈は分かっていて、なおかつ歌えるのに、弾くと脳と手が合わない…ORZ
いや、トシミネ先生が傍で唄ってくれれば、ちゃんと合わせられるんですけどね(^^;
私は脳のメモリ足りないんだろうなぁ。
自分の心で唄う場合、唄う事と手の運動という二つの作業をして、それがシンクロしないといけないんだけど、メモリが二作業分確保できん。
だから、誰かにピッタリ合わせるのは一つの作業だから楽ちん。

そして一生懸命弾いている時よりも、ぼ~っとしていた方が、合ってたりするのはなぜ?
ありていに言えば、ぼ~っとしている時の方が余分な力が抜けているのでしょうね。
あんまり、私ができないんで(音大生はここまで頭弱くないし…)、先生、もう笑うしかないんですけどね。

プロフィール

演奏者のプロフィールを見ると、たまに「ここまで盛る?」みたいな人がいたりします。
確かにどこの大学を出て、誰に師事したかっていうのは、分かりやすい基準だから、書けることは書くみたいなの分かりますけど、あまりに師事した先生に有名な先生方がたくさん並んでいたりすると、「この人、よほど自分に自信ないんだね」と思っちゃうのは私だけじゃないと思います。
コンクールとかだったら、師事した(接触した?)先生の名前は全部書いて、審査員から外れてもらわなきゃってあるのかな???
…それなら、数回会っただけでも「師事した」って言うのは分かるけど(^^;

でも、それ見て
「ほお~すごい、ぜひ聴きたい」
って思う人もいるんだろうなぁ…

院生の世界でも、今はさほどでもないと思うけど、結局、誰それ教授に指導を受けたことがあるっていうのは、ついてまわる。
そして、それは自分の「信用」となることもあれば、派閥争いで被害を被ったりもすることもあるらしい(笑)

プロフィールなんて、卒業大学と最後に師事した先生ぐらいでいいんでないかい?
実際、それなりの人は子どもの頃からあまり先生を変えてない(変えずに済んでいる)と思うけどな。

でも、プロフィール盛らなくちゃいけない人の気持ち、分からなくもない。
よく、恋人の選択基準で「顔じゃない、心だ」とか言うけど、あれは嘘だってみんな知っているわけで、やはり外見的に良くないとそもそも、心を知ってもらうまでに距離が縮まない。
超能力者でもないかぎり、心は外から見えないんだもの。
仕事を頼む人、教えてほしい人からしてみたら、最低これくらいのレベルは保証できるという「信用」の基準になっているのも事実。

実力が飛びぬけてある人、神的に人を惹きつける能力を持ってる人は、そもそも、何処の大学出て、誰に師事したかなんて、どうでもええもんなぁ。

どこからが「師事したことがある」の範疇に入るのかなぁ。
どっかの大学に正式に入学して(最終的に学位なり修了証のようなものが発行される)そのレッスンを受けたのなら、師事したんだろうね。
でも、どっかの大学に行かなくても、師事することはあるわけで…
それに年齢的なことや期間的なこともあって、正式な学位を受けられないクラスにいて師事した人でも、ちゃんと指導受けたなら、何とか大の誰先生に師事したって書いてるよね。
現に中国の音大留学の人なんかは、(今はそうでもないけど)子どもの頃から英才教育を受けている訳ではないので、普通に大学に入学している人の方がかなり珍しいと思うし。

私の友人の中には、感受性が強すぎる人もいて、以前、こんなことを言ってました。
「心から尊敬できる人じゃないと「先生」って呼べない。」

確かに以前、堅気のお仕事をしているとき、ご年配の方がこう言ってることを思い出し、ほぉ~とも思いました。
表面的に弁護士を「先生」と呼んでいるけど、長年同じ業界で法務なんかをしている人になると、会社的に「先生」のご意見が欲しいだけで、本当は意見もなにも求めてないこともあったりして…
そこに大したことない意見書なんかを出せば、なんでこんな若い奴を「先生」って呼ばなきゃいけないのかねぇみたいに、彼らは実は思っていたりするわけで、若い弁護士さんはちゃんと勉強しないといけないわけで。

私は今のところ、人から先生と呼ばれることはないけど(歳が歳なので、大学にいると「先生」と呼びかけられることはある(汗))、うわ~「先生」って呼びかけてくる人が口先だけでそう言ってるんだなぁって感じちゃったら、もう立っていられないなぁ。

邦楽系だと、名取さんなら誰先生に「師事した」って言うんだろうね。
…っていうか名乗ること自体、名前から誰が先生なのかバレバレになっているわけだし。

私は幸い、どの分野にせよ好きな人しか先生にしてこなかったので、心から「先生」と呼んでます。

先生が好きだから、「先生の音のここが好き、あそこが好き~」って言うのを無邪気に人に話すのであれば、私もそういうところあるから理解できるけどけど、そうじゃなくて自分の先生の業績の自慢(?)をされても、「ほぉ、で、あなたとどういう関係があるの?」と思っちゃうなぁ。

先輩方の中には様々な理由で先生のことが嫌になったり決裂したりする人もいるわけで…
やっぱり、私は、出来る限り先生というものは変える必要なく(たまにXXという曲だけ、作曲者本人に教わったとかいうのは別にして)、一人前になりたいものだと思います。
でも、歳が歳だから、何を以て「一人前」と呼ぶかによっては、もう一人前になれないかぁ(笑)