青森の唄祭り

夏休み、日本にいるため、三味線を弾く時間がちょっと多い今日この頃です。
三味線のお稽古に関しては、レッスン日記をブログで公開してない私ですが、日本にいる時は、一応、お稽古に行ってます。

先日、お稽古に行って「青森の唄祭り」というのが今月25日に東京であるらしいと知りました。
青森県民謡民舞のコンクールらしいんです。
で、聴きに行くことにしました。
ついでに合奏にも参加させていただくつもりです。
(発表会のフィナーレ曲と基本的に同じなので、今更暗譜する必要もない)

思えば、私はたまたま師匠に出会ってしまって津軽三味線弾いてるだけなので、民謡をちゃんと唄えません。
自分が習った曲、聴いた曲なら、普通に歌えるかもしれないけど、いわゆるちゃんとした発声で唄えやしません(^_^;)
私の死んだ父は西洋クラシックばっかりかけているような人で、夫もNHKのFMでクラシック音楽を聴いてるような人です。
私が生まれて初めて手にしたちゃんとした楽器はピアノでした。
中国の大学で勉強したのは中国三弦…。
私の家族で日本の民謡が分かる人いないです。
普通、そういう人は、師匠みたいな演奏家に三味線習おうと思わないよね。
師匠もある時、お弟子さんを紹介してくださいましたが、私の欲しい音じゃないなー、と生意気なこと思ってしまって、結局、師匠に教わり続けています。
ずっと練習し続ければ、それなりに音が拾えるようになるけど、全然、音楽になってなくて、すごく哀しい~。

ふと、このまま何年か弾き続けても、誰かの伴奏してあげられる程上手くなれそうにないし、どよよ~んと寂しくなりました。
唄う方にしてみたら、三味線上手い人じゃないと付き合いきれない(と思う)し、ド下手でも付き合ってくれるというのなら、身内か友人くらいなものでしょう?
上手な人には需要があるけど、下手な人には需要ないもんね。
兄弟子先生の中には唄い手さんにバイトとして来てもらって唄付(伴奏)の練習される方もいるらしいですが。

かといって、若い子が夢中になっているような現代風津軽三味線も、超速く弾けなきゃ、かっこ悪すぎだから、私にはもう無理でしょうね。

普通にゆっくり弾いて、普通に綺麗に弾くのってほんと、難しい。
一握りの人しか、そんな音出せない…
なんか、最近、三味線弾きながら、やるべきことが分からない、方向性見えないな~と思います。

余談だけど、民謡って、男女にまつわる内容も結構あって、短い歌詞から私はいく通りもの物語を想像してしまうのよね。
例えば、津軽小原節なら、
「今夜踊ろうよ盆踊り、可愛いあの子の手を取りて」って師匠が弾き唄うのを聴いてたら、師匠が奥さまの手を握って盆踊りしてる幻覚が見えてしまった。
妄想全開…
妄想してる暇あるなら、ちゃんと弾けよ、と怒られそう…

もちろん、私は師匠みたいな音出せたらいいなーと思って三味線やってるんだけど、子どもじゃあるまいし、生きてるうちには無理だろうよ、ってね、理性では分かっているんだけど、気持ち的には、お稽古が終わるたびに、
すっごく、すっごく悔しい。

「なんでぇ、なんでぇ~そういう音が出るのおぉ」
って、師匠をゆっさ、ゆっさしたいかも(-_-;)
実際に師匠を揺すったことはないけど(当然ですね…)、思わず叫んでしまったことはあります。

ちなみに最近、やっと師匠の三味線の生の音に慣れて、お稽古の帰り、真っ直ぐ家にたどり着けるようになりました。
よく、お稽古の余韻が数時間続いて、テンション上がってしまうらしく、道間違えたり、電車乗り間違ったり…
私は本当にいわゆる方向音痴じゃなくて、道中、他ごとを考えてたり、妄想が邪魔して、まっすぐ家に帰れないだけなんです(^_^;)
正気なら迷わないんです!!
aomori

お芝居の中の三味線音楽

昨日(8月7日)、世田谷パブリックシアターで「『春琴』―谷崎潤一郎「春琴抄」「陰翳礼讃」より」というお芝居を観てきました。
初演は2008年らしいですが、何度も再演されています。

宣伝文句から簡単に引用すると、こういうお話↓

「幼いころに失明しながらも、三味線の指導者となる春琴と、彼女の衣食住すべてを献身的に世話する奉公人・佐助との究極の愛を描いた物語に、「陰翳礼讃」で谷崎潤一郎が描いた“陰翳のあやに存在する日本の美学”が織り込まれています。」

なんだけども、これじゃあ、谷崎の変態っぽさが伝わらないよねぇ。
原作は、マゾヒズムを超越した本質的な耽美主義とかなんとかって説明されることが多いのでは?
私は原作、何回か読んでいますが、句読点や改行を大胆に省略した独自の文体が特徴でして、それがいい感じなんです(笑)。
原作のあらすじをお知りになりたい方は、ウィキでもご覧になるといいでしょう。

実は、私は谷崎小説に出てくる女性が結構好き。
文句なしで可愛いんだもん。
私が男なら、コロッと言っている可能性大。
この春琴さん、嗜虐的な女性で、佐助さんを蹴るわ、殴るわ…
そういう愛の形もあるのですわねぇ。

一緒に見に行った夫は「俺にそういう気質はないから、分かんねぇ」と言っていました。
まぁ、私の個人的な意見ですが、盲目の美女で三味線の名手である女師匠が殴るから、いいんであって、容姿一般、三味線の腕も一般の私が男性を殴ったら、ただの暴力でしょ。
美人はいいよね。

谷崎さんは足フェチだったのかな?
「こいさん(「こいとさん」の略、関西地方で、主家の末のお嬢さんを呼ぶ語)の足は小っこーて、わしの手のひらに乗るぐらいじゃった」というセリフを晩年の佐助が何度も繰り返し言ってます。

で、肝心の演出の感想を書かなくっちゃ。
そもそも何度もいろんな人が舞台化、映画化しているにもかかわらず、「この舞台」がどうしても見たかった理由の一。
本篠秀太郎先生が舞台で三味線弾くから、です。
単にこの舞台のために作曲して、バックで三味線を弾くっていうんじゃなくて、本篠先生も役者の一人なのです。
演出家サイモンマクバニーは、三味線が分解できるというのを知って、こりゃあ、面白い、ぜひ、組み立てるところから、舞台上でやってほしい、ということになって、舞台にひき上げられてしまったそうです。
本篠先生の過去のインタビュー記事(http://performingarts.jp/J/art_interview/0901/1.html)によれば、何度も舞台上で三味線組み立てるから、三味線傷みやすいし、余計な説明しなきゃよかったって思ったらしいですけどね。

私が何度も何度も「三味線の音、良かったなぁ~」と帰り道に言っていたら、夫は「ああいう三味線って味があっていいよね~津軽とは違うよね~」というものだから、思わずムッとして「津軽だって、しっとりした曲ぐらい、弾けるわい」と言い返してしまいましたわ(^^;

ちなみに専門的なことにちょっと触れると、春琴の世界は地唄三味線の世界なのですが、本篠先生は、端唄、民謡、現代三味線の方ですからね、厳密に言えば、音がちょっと違うわけです。
その点については、本篠先生も、私でいいんですかとマクバニ-に言ったそうです。
まぁ、それはそれ、舞台は舞台ということで、私は別に舞台上で地唄の定番曲聴きたいと思ってるわけじゃないんで、気にもしませんけどね。

舞台装置ですが、畳の使い方がうまいです。
畳を並べ替えて、お座敷になったかと思えば、ある時は畳が道に見えたり、お師匠さまのお家の廊下に見えたりします。

二時間くらいの舞台ですが、飽きが来なかったなぁ。
というのも、二時間、ずっと春琴の話ばかりだったら、飽きる人もいるかもしれない。
飽きなかったのは、この舞台そのものが、ある中年女性が、スタジオでラジオドラマ(春琴)の収録をしているという場面設定になっていて、彼女は春琴のストーリーテーラーであり、そのわきで、春琴が上演されている、というつくりになっているからです。
時折、ドラマ収録に休憩が入って、その際に、親子ほど年の離れた年下の彼氏に電話しながら、思わずクスリと笑えるセリフが飛び出すんです。
観劇の合間に、一人芝居(漫才?)見ているような感覚とでもいえばいいのでしょうか。

お芝居が終わった後、劇場を出る際
「全然、分からなかった」と言っているお客さんもいましたけども…
もしかすると、単に主演の深津絵里さんのファンだからとかいう理由で来ちゃっただけで、ストーリーそのものを知らなかったのかな?
う~ん、原作読んでから行く方がいいかもね。

そんなこんなで、素敵なお芝居でしたよ♪
みんなテレビがツマンナイって思ってるなら、たまにはお芝居も、いいですよ。
でも、お金がかかるんだよなぁ(笑)

中国音楽愛好者の集い

「中国音楽愛好者の集い」というチャリティコンサートを聴くために、日曜日、太田文化の森ホールに行ってきました。
日本でも本当に二胡弾きさんが多いんですね。
日本人の感性による二胡というものは、こういうものなんだ~とちょっと分かったような気がしました。
というのも、私は二胡を中国で、日本語の分からない中国人からしか習ったことがないもので…

大勢で二胡を弾くという感覚そのものがよく分からなかった私でしたが、この感覚何かに似てるな~と思って、よくよく考えてみると、
「小中学生の頃、クラスで歌った合唱っぽい」かも。

ところで、私は中国人の先生に「やっぱ日本人が弾くとちょっと変わっている」と言われ続け、自分ではさっぱりどこがどう違うのか分かりませんでしたが、人のを聴くとちょっと分かったような気が…

「どこか懐かしい優しいメロディ」
誰しもそういうのが心地よいと感じるわけですが、日本人の場合、そういうのって、唱歌とかなのかなって思います。
新疆とかチベットの少数民族音楽を外国からやって来た二胡という楽器で弾いているのに、日本の唱歌っぽいな~と感じたのは初めての体験でした。
いいとか悪いとかいうんじゃなくて、単純にこういうのも日本でならアリなんだ~と思っただけです。

二胡が日本に根付くとこういうことになるんだ、ということが何となく分かった半日でした。

あと、大三弦と二胡の合奏が聴けて楽しかったです。
あの名曲「二泉映月」を二胡に寄り添って三弦が弾くとこうなるんかい、と感心しました。
確かに私も、大三弦の基本の調がGなので、二泉なんていいかも、と思ったことがありますが、あまりにも有名な曲なので、やる勇気がなかったのよ。
すみません、主旋律の素敵な二胡のメロディをほとんど聴かずに三弦の音を追って、ひたすら三弦の手元を見続け、どういう滑音を合わせるのか、気にしてました。
わはは…職業病ね(^^;;

楽しかったけど、本音言うとちょっと疲れた~
だって、1時半から6時半…長い~
私はがんばって全曲、聴きました(エントリーは30組程度で、一組が1、2曲弾いてるんで
相当な曲数です)

来年は、弾く側になりたい^_^
もちろん、三弦で。
できれば、誰かに二胡か古筝で合わせていただけると楽しいのになぁ。
ちなみに、このコンサートは、弾く側、聴く側、共に募金するちゅう企画だそうで、今年は第三回目、来年もきっとあるのでしょう。
この企画の詳細はラサ企画さんのウェブサイトで確認できます。

http://lasa-kikaku.cside.com/thoma/index.php?itemid=740