譜面のプリントミス

譜面のプリントミスって、意外と多いですよね。
二胡、三弦、三味線、いろいろ見つけてしまいます(^^;

私は譜面読むの苦手で、聴いて覚える方なので、何度も聴いた後、確認のために譜面見ると、あれ?と思うことがあります。
逆に、市販されているCDとかでも、演奏家がミスってる(数音すっ飛ばしている)というのもないこともないですが…こっちは、稀ですね。

でも、今日、発見したのは、中国三弦のむか~しの曲で、もとはと言えば、口伝だったもの。
だから、演奏家によって、ところどころ、違うのは当たり前だったりします。
そんなわけで、私も間違ってるんじゃないかと判断できず、でも、1年前の、先生の演奏録音を聴いたとき、譜面どおりに弾いてない…ということでお尋ねしたら、先生も即答できない…と悩んじゃいました。

結論は、曲全体の構造からみて、私が指摘したパターンの方が道理に合っているので、多分、そっちが正しいだろうと…
実際、先生だって無意識に、当時、譜面見てたのに、譜面どおりではなく、私が思ってたように弾いてたわけだしねぇ。
おそらく、先生も子どもの頃、そういう風に習ったから、無意識にそう弾き続けてきたんじゃないんですかねぇ。

翻訳の校正とかでもそうだけど、人って自分の見たいようにしか見えないんですよ。
譜面も、そう思ってるとそういう風に見えてしまう。
だから、何年も誰も気づかないまま、時が過ぎていることもある(^^;
で、私のような素人は、玄人の方と違って、見たいように見えるものがまだ育っていないので、先入観なしに譜面を見るから、気付くわけですな(笑)
譜面の校正は、高弟にさせるのではなく、初心者に一度弾かせた方がすぐに分かるんでないかい?(笑)

緑の屋上ステージ

えっと、最近では、ビルの屋上に緑が植えてあったりするんですよね?

で、ビルの屋上に行くと、一面、緑の植物に囲まれていて、
屋外ステージがあったりして…
そこで、オーボエ(…かなぁ?)のお兄さん(…おじさんかも?)が演奏してるんです。

そういう夢を二回見ました。

で、そういうステージに行ったこともなければ、それが誰なのか分かんないんです。
誰かお心当たりありません?
あ、それ、俺だって思う人、
あ、そいつなら知ってるからもっていう人、
あ、そういう、ステージに上がったことあるって人
そういうステージ観に行ったことあるって人
コメントくださると嬉しい(^―^;

すんごい綺麗なんです。
時々、ものすごく綺麗なこの世とも思えない風景を夢に見ることありますが、もしかすると、ワタシ、たびたび黄泉の国との間を行き来してるんでしょうかねぇ…
そういう緑のステージ、現実世界でも行ってみたいなー
見るだけじゃなくて、自分もそこで弾きたいです(笑)

屋外は楽器に悪そう?(笑)

分かりやすさと弾きたいものは、なかなか一致しない

五月のボランティア演奏のために、いちおうMC用の台本書いてみました。

はっきし言って、本人の演奏が素晴らしくて、持ちネタ(演奏できる楽曲数)が多ければ、こんなこと必要ないのかもしれませんが、私の持ちネタは説明しないと面白くも何ともない曲ばかりなんですわ。
だから、曲の由来、つまり物語を講談調に書いてみたんです。

…で、講談師が語れば、それなりに楽しいんだろうけど、
問題は素人の私がきちんと話せるの? …って(笑)

学芸会になっちゃったら、マズイ(^^;
でも、これ話さないと、本当にツマンナイ。

ところで、当日、二胡で一曲、私と合奏してくれることを快諾してくれた友人は、譜面を見て
「久しぶりだなぁ、こういうちゃんとした曲弾くのは…」
と言いました。

彼は地方の師範大学の音楽科を二胡専攻で卒業して、今は日本の大学院で音楽療法勉強しているらしいんですが、週末はよく自分の大学のセンセとボランティア演奏なんかに出かけるらしいんですね。
当然ですが、こういう人からしたら、超簡単な素人受けする普通の曲しか、最近は弾いていないんだと思います。

たまに、中国留学経験のある日本の中国民族楽器を教えている先生も、演奏依頼受けても、
「聴衆に分かりやすい曲弾いてください」と言われて、なんか残念だなぁと思うことあるとおっしゃってました。
まぁ、普通の聴衆に分かりやすい曲は、練習する手間のない曲で、楽って言えば、楽なんだけど、せっかく中国まで行って勉強したのになーってことなんだと思います。
でも、ぜんぜん、なじみのいない曲をいきなり弾いてもツマンナイのも事実で…。

ツマンナイであろう曲を、いかに聴くに堪えうるものにするか…
私がMCして、私の先生に弾いてもらえば、完璧なんだけどな~(笑)
技術的に問題ない人が弾けば、説明なくても聴けると思うけど、そういう状況下でも説明なければ、面白さは50%しか伝わらないと思う…

まぁ、演劇なんかでも、一番いいのは、作家が本当に書きたいもの書いて、それが偶然、ヒットすることだといいます。
受けをねらって書いたものって、結果としてお金になっても、作家は疲れるんですよね…(受けること自体だけを追求するなら話は別だろうけど…)
飯を食うための作品と、自己表現の作品を同時に書いてる人もいるかと思いますけど…

ボランティアだから、本当は聴衆受けするものを弾かなくてはならないんだけど、私、弾けないのよね~

そもそも、私の死んだ父は音楽好きだったけど(一銭の貯金もないくせに、母と結婚した時、立派なステレオだけは持っていた)、クラシック好きで、歌謡曲とかって嫌いだったから、ずいぶん大人になるまで、私聴いたことなかったし(汗)
ちなみに、今もうちの家族ってのは、母は今、地元の音大の院出たイケメンの若手チェリストが好きで、よくお友達にライブに誘われて行ってるようだし、オットは朝から、朝のバロックとかラジオで聴いてるし、民族音楽とか、民謡とかは、私以外、誰も分からない(笑)