大人になったら何になる?

昔、夜間の大学生をしていたころ、当時の同級生が「大人になったら何になろうって思うんだー、もう大人なのにね」と笑っていたことを思い出します。
20歳で一回目の大学生(法学部)をしていたときのことです。
彼女は当時、専門学校で英語教師をしていて、本人、すでに外国語学部を卒業してて二度目の大学生なのですよね。
ちなみにこの人は、今は某大学の異文化コミュニケーションという学問の正式な教員になってしまいました…さすが!
ちなみに当時、大学の司法試験勉強会の会長を私がやって、副会長を彼女がしてました。
↑やってた理由は、勉強会に所属していたお兄様方(なにせ夜間部ですから、30代、40代、50?代もいたと思います)が、勉強忙しくて雑用したくない、大学との交渉は「女の子」がやったほうが、先生もいろいろ甘く親身になってくれるに違いないという理由で、私に政治的な腕力があったわけでもなんでもないです(笑)
ただ女子が私とそのお友達しかいなかっただけ…
今、大学教員の彼女は、大人になったら弁護士しようかなーなどと数年前に会ったとき、言ってたっけな。
他にも、看護系の学校を卒業してて、現役の看護師さんとか、助産師さんでやはり短大なんかで先生をしている人が、二度目の大学生をしておられました。

私は今、二度目の大学院生をしてますが、これは、本気でこの道の大学教員目指している人には申し訳ないけど、単なる仮の姿で(社会的身分がないと、生きていくのにいろいろ不都合なんです)、本当は毎日、楽器弾いていたいだけなんです。
つーか、年齢的に企業や大学には勤められないし(もちろん、専門的なキャリアがあれば別ですが、能力は新卒みたいなものだもの)、いまさら、もう一個学位あっても、大学のセンセしないのであれば使い道ないしー
もちろん、学問が好きで、論文も書けるのであれば、やり続ければいいんだけど(そういうオーバードクターは日本にはいっぱいいると思う)、でも本人、20年近くやってきて、もう飽きちゃったし。

私があと30歳以上若ければ、ずっと三味線弾いていられるお仕事をめざしてがんばったのになーと思うことがあります。
例えば、寄席でお囃子弾く人とか、芸者さんとか…
あぁ、でも綺麗で、気が利かないとだめか…
そういうお仕事があることをよく知らなかったし、どうやったらなれるのかもよく知らなかったしなー。

例えば、医者になりたい、弁護士になりたいだったら、開業できるか(利益がきちんとあがるか)どうかは別にして、いちおう、幾つになってもOKですね。
だって、中年の医大生や法科大学院生なんて、その辺に普通にいるよ。
夫が、孫のいる学生さんいるって言ってたなぁ。
もちろん、単なる教養や趣味のために法科大学院くるやつなんているわけもないので、本気で弁護士になるつもりなわけですよ。
そして、苦労はするだろうけど、こういう頭さえ使えばいい勉強は、それこそ、中年だろうが、老年だろうか、本人にやる気さえあれば、なんとでもなる。

でもなぁ、音楽ってねぇ…ある意味、体育系だから、速く手が動くかと言えば、動かないわけよ。
これ、本当に残念だなぁ。

ふと、自分が喫茶店のオーナーだったら、たまにBGMを自分で生で弾いてやるのになーとか思っちゃった。
で、数秒後に、古琴とかなら、喫茶店のBGMでもなんとかなるけど、三弦ってうるさすぎ(笑)
だめじゃん。

まぁね、現実的に考えれば、日本に帰ったら、早朝のアルバイトでもして飯食って、昼間はボランティア演奏とか行って生きていくしかないのかなー
でも、何かの拍子で生活環境変わったら、誰も飯の食えないことに時間を費やす環境を大目には見てくれないだろうから、楽器捨てなきゃいけないんだろうね。
私の周囲は、弾くこと=義務(使命)として勉強している子ばかりだから、ある意味、私のことがうらやましいそうだ。
なにせ、本人、好きで毎日練習してるけど、彼らは、ある意味そうではないからね。
もちろん好きでなかったら、とっくに捨てているのだろうけど、好きなだけではやっていられないのも事実。
でも、天賦の才能があって、周囲から、弾くことを強要されてきた人たち、私にとっては羨ましいですよ。
私は、誰も私に弾けって言わないから、だから弾けるときに、おもいっきり弾いとくんだー

楽器の神様

今日は一日中暗かったです。世界終焉の日ですか?
いえ、別に、外が暗かったのは、大気汚染のせいでも、春の雪のせいでもなく…
朝の暗いうち(夜明け前)に起きて、譜面を手直しして、そのあとは、ず~っとMIDIを修正していたら、なんか外はもう暗い(夕方やん)
後は、二胡パートを弾いてくれるお友達が、弾きにくいところがあるとか、もっとカッコイイ案があるとか言ったら、その都度、手直しすりゃ~いい。

え~、やばい。
今日の昼間、私はなんら練習してないってことだよね???
お菓子とカフェオレとミルクティーしか腹に入れてないということでもある???

こういうのを廃人と言うのでしょうか(^^;
暇人でいいのか…

日中、真面目にお仕事をされている人からしたら、とんでもない極楽とんぼ…
でも、私普通の学生生活してこなかったから、失われた青春を今になって取り戻してるんだと思って大目に見てください。
誰に謝っているのかな~(^^;
いわゆる世間様???

お菓子食べながら、楽器を触るのは不謹慎かもしれませんが…
怒らないでぇ
私の知ってる某先生は、チョコレートやクッキーなどのお菓子とコーヒーを傍らに置いて、ごろごろ寝ころんで作曲するらしいから、別に楽器を汚してなければ、目をつぶってください。
誰に懇願してるんだ?
楽器の神様???
余談ですが…東南アジアかどこかの国で、フレットのある民族楽器のフレットを現代音楽を弾くのに不便だという理由で、西洋人がフレット増やせと職人さんに注文したら、

「フレットの一つ一つには、それぞれ神様が住んでんだ!勝手に減らしたり増やしたりできるか!おととい来やがれ!」

と叱られたんだとか。
音階の一つの音につき、一人の神様が担当していることになりますね。
三弦はフレットないので、棹に神様が一人だけ住んでいるのでしょうか?
たくさんの音を出せるずいぶん、万能な神様ですこと。
三味線も二胡も構造的にフレットがないので、神様はどこに住んでいるのでしょうか。
師匠、今度会ったときに教えてくださいm(__)m

プロフィール

演奏者のプロフィールを見ると、たまに「ここまで盛る?」みたいな人がいたりします。
確かにどこの大学を出て、誰に師事したかっていうのは、分かりやすい基準だから、書けることは書くみたいなの分かりますけど、あまりに師事した先生に有名な先生方がたくさん並んでいたりすると、「この人、よほど自分に自信ないんだね」と思っちゃうのは私だけじゃないと思います。
コンクールとかだったら、師事した(接触した?)先生の名前は全部書いて、審査員から外れてもらわなきゃってあるのかな???
…それなら、数回会っただけでも「師事した」って言うのは分かるけど(^^;

でも、それ見て
「ほお~すごい、ぜひ聴きたい」
って思う人もいるんだろうなぁ…

院生の世界でも、今はさほどでもないと思うけど、結局、誰それ教授に指導を受けたことがあるっていうのは、ついてまわる。
そして、それは自分の「信用」となることもあれば、派閥争いで被害を被ったりもすることもあるらしい(笑)

プロフィールなんて、卒業大学と最後に師事した先生ぐらいでいいんでないかい?
実際、それなりの人は子どもの頃からあまり先生を変えてない(変えずに済んでいる)と思うけどな。

でも、プロフィール盛らなくちゃいけない人の気持ち、分からなくもない。
よく、恋人の選択基準で「顔じゃない、心だ」とか言うけど、あれは嘘だってみんな知っているわけで、やはり外見的に良くないとそもそも、心を知ってもらうまでに距離が縮まない。
超能力者でもないかぎり、心は外から見えないんだもの。
仕事を頼む人、教えてほしい人からしてみたら、最低これくらいのレベルは保証できるという「信用」の基準になっているのも事実。

実力が飛びぬけてある人、神的に人を惹きつける能力を持ってる人は、そもそも、何処の大学出て、誰に師事したかなんて、どうでもええもんなぁ。

どこからが「師事したことがある」の範疇に入るのかなぁ。
どっかの大学に正式に入学して(最終的に学位なり修了証のようなものが発行される)そのレッスンを受けたのなら、師事したんだろうね。
でも、どっかの大学に行かなくても、師事することはあるわけで…
それに年齢的なことや期間的なこともあって、正式な学位を受けられないクラスにいて師事した人でも、ちゃんと指導受けたなら、何とか大の誰先生に師事したって書いてるよね。
現に中国の音大留学の人なんかは、(今はそうでもないけど)子どもの頃から英才教育を受けている訳ではないので、普通に大学に入学している人の方がかなり珍しいと思うし。

私の友人の中には、感受性が強すぎる人もいて、以前、こんなことを言ってました。
「心から尊敬できる人じゃないと「先生」って呼べない。」

確かに以前、堅気のお仕事をしているとき、ご年配の方がこう言ってることを思い出し、ほぉ~とも思いました。
表面的に弁護士を「先生」と呼んでいるけど、長年同じ業界で法務なんかをしている人になると、会社的に「先生」のご意見が欲しいだけで、本当は意見もなにも求めてないこともあったりして…
そこに大したことない意見書なんかを出せば、なんでこんな若い奴を「先生」って呼ばなきゃいけないのかねぇみたいに、彼らは実は思っていたりするわけで、若い弁護士さんはちゃんと勉強しないといけないわけで。

私は今のところ、人から先生と呼ばれることはないけど(歳が歳なので、大学にいると「先生」と呼びかけられることはある(汗))、うわ~「先生」って呼びかけてくる人が口先だけでそう言ってるんだなぁって感じちゃったら、もう立っていられないなぁ。

邦楽系だと、名取さんなら誰先生に「師事した」って言うんだろうね。
…っていうか名乗ること自体、名前から誰が先生なのかバレバレになっているわけだし。

私は幸い、どの分野にせよ好きな人しか先生にしてこなかったので、心から「先生」と呼んでます。

先生が好きだから、「先生の音のここが好き、あそこが好き~」って言うのを無邪気に人に話すのであれば、私もそういうところあるから理解できるけどけど、そうじゃなくて自分の先生の業績の自慢(?)をされても、「ほぉ、で、あなたとどういう関係があるの?」と思っちゃうなぁ。

先輩方の中には様々な理由で先生のことが嫌になったり決裂したりする人もいるわけで…
やっぱり、私は、出来る限り先生というものは変える必要なく(たまにXXという曲だけ、作曲者本人に教わったとかいうのは別にして)、一人前になりたいものだと思います。
でも、歳が歳だから、何を以て「一人前」と呼ぶかによっては、もう一人前になれないかぁ(笑)