中国音楽愛好者の集い

「中国音楽愛好者の集い」というチャリティコンサートを聴くために、日曜日、太田文化の森ホールに行ってきました。
日本でも本当に二胡弾きさんが多いんですね。
日本人の感性による二胡というものは、こういうものなんだ~とちょっと分かったような気がしました。
というのも、私は二胡を中国で、日本語の分からない中国人からしか習ったことがないもので…

大勢で二胡を弾くという感覚そのものがよく分からなかった私でしたが、この感覚何かに似てるな~と思って、よくよく考えてみると、
「小中学生の頃、クラスで歌った合唱っぽい」かも。

ところで、私は中国人の先生に「やっぱ日本人が弾くとちょっと変わっている」と言われ続け、自分ではさっぱりどこがどう違うのか分かりませんでしたが、人のを聴くとちょっと分かったような気が…

「どこか懐かしい優しいメロディ」
誰しもそういうのが心地よいと感じるわけですが、日本人の場合、そういうのって、唱歌とかなのかなって思います。
新疆とかチベットの少数民族音楽を外国からやって来た二胡という楽器で弾いているのに、日本の唱歌っぽいな~と感じたのは初めての体験でした。
いいとか悪いとかいうんじゃなくて、単純にこういうのも日本でならアリなんだ~と思っただけです。

二胡が日本に根付くとこういうことになるんだ、ということが何となく分かった半日でした。

あと、大三弦と二胡の合奏が聴けて楽しかったです。
あの名曲「二泉映月」を二胡に寄り添って三弦が弾くとこうなるんかい、と感心しました。
確かに私も、大三弦の基本の調がGなので、二泉なんていいかも、と思ったことがありますが、あまりにも有名な曲なので、やる勇気がなかったのよ。
すみません、主旋律の素敵な二胡のメロディをほとんど聴かずに三弦の音を追って、ひたすら三弦の手元を見続け、どういう滑音を合わせるのか、気にしてました。
わはは…職業病ね(^^;;

楽しかったけど、本音言うとちょっと疲れた~
だって、1時半から6時半…長い~
私はがんばって全曲、聴きました(エントリーは30組程度で、一組が1、2曲弾いてるんで
相当な曲数です)

来年は、弾く側になりたい^_^
もちろん、三弦で。
できれば、誰かに二胡か古筝で合わせていただけると楽しいのになぁ。
ちなみに、このコンサートは、弾く側、聴く側、共に募金するちゅう企画だそうで、今年は第三回目、来年もきっとあるのでしょう。
この企画の詳細はラサ企画さんのウェブサイトで確認できます。

http://lasa-kikaku.cside.com/thoma/index.php?itemid=740

今年の七夕はとっても楽しかったです。

tanabata
百原明子先生の中国民族楽器教室の中でも阮、柳琴などの弾撥楽器による第一回発表会にお邪魔させていただきました。
腕はまだまだの私ですが、こんなマニアックな発表会に友情出演させていただき、貴重な体験をさせていただきました。
公の演奏後に泣かなかったのは(感動の涙じゃないよ、悔し涙)、これが初めてかも。
もちろん、ダメダメな部分いっぱいあったし、相変わらず、あがったんだけど、それ以上に、明日につながるアドバイスや気づきがいっぱいあったので、希望というか、そういうのが持てました。

さて、自分の舞台の方ですが、私は三弦の説明をダラダラしてもツマンナイかなと思い、津軽三味線を持ち出して、大きさ、音色、こんなに違うでしょ、みたいなことしてみました。

全体のリポートは、お客さんが書いてくださっているので、私は自分の裏話など、ぶっちゃけます。

今回の想定外の面白ハプニング、いってみよう〜

その1
9時半集合で、最初に集合写真取りましょう、ということでした。
で、私、行ったら、襦袢忘れてました。
私の衣装というのは、知る人ぞ知る、深衣。
着物っぽいやつです。
あちゃー、もう肌に直接、着ちゃえ状態。
これって、三味線の発表会とかだったら、怒られちゃうよね~。
自分のリハが終わったら、ホテル戻って、襦袢を取ってきました。
だから、写真がちょっとマズイんです。
本番はちゃんと着てます。
大切なもん、置いてきちゃうなんて、ダメですね、反省(~_~;)

その2
朝、ホテルで三味線を分解していたら、上駒がぽろっと落ちた…
ひょえ〜
でも、自分が見てる時でよかった、よかった。
知らない間に落っことしてて、組み立てる時に見つからなかったら、下の駒ならともかく、上の駒なんて代わりのもの持ってないよ。
でも、糸を掛けてしまえば、上駒は落っこちてこないので、それでよしとしました。
ははは〜外れるものなんだねぇ。

その3
実は、三弦と三味線の説明をする時、楽器がよく見えるように、リハの時、譜面台を左寄りに置いていただくお約束にしていたのですが、出て行ったら、どうも譜面台が正面に近い…
ううむ、これでは、楽器が見えないぞと思い、私はこともあろうに、足で譜面を左によけてしまった(*^_^*)
だって、左に三味線、右手に三弦で手がふさがってるし、楽器スタンドとかもないし、気持ち的に楽器を下において、手を開けてから、譜面持つ余裕がなかった〜
アァ、お行儀の悪いことしてしもうた。
当然のことながら、お客様に笑われてしもうた〜
でも、何かこの笑いのおかげで、少し緊張が解けましたので、マァいいっか。
淑女にあらぬべき行動、失礼しました。

自分のことで頭いっぱいで、皆様の演奏を一人一人全部聞けたわけじゃなくてすみませんでした。
後で映像記録で拝見します。
でも、合奏は舞台脇から拝聴させていただきました。
こんなにマイナーな楽器で、人が聴いてくれる舞台が作れるってすごいと思いました。
一番たくさんお客さんいた時、多分百人はいたらしい。
しかし、舞台上では、ライトが明るすぎて、私は前から二列目ぐらいの人の顔しか見えなかったけどね。
生徒さんの中には、目の手術とかして目にレンズが入っているので、眩しかったぁって仰ってましたが、あれぐらい明るくないと、舞台では怖い顔になっちゃうんですって。
次の舞台では、彼は演出の一つとしてサングラスかもしれませんね。
かけたら、格好良さそうなおじさまでした。
私は右目だけ悪いのですが、普段、メガネ、コンタクトはしません。
だから、ライトが明るすぎようが関係ない。
左目は裸眼で普通に1.0以上見えてますので、右目にコンタクト入れずに正解だったなぁ。
迷ったのよ、右目にコンタクト入れるべきか。

合奏の「ムーンリバー」、柔らかい音が素敵でした。
最後の合奏曲、「三六」、中国の曲ですが、雰囲気良く仕上がってるなーと思いました。
三弦と琵琶でも、よく合奏される曲ですが、私が同じ曲を三弦でやっても、こんなにいい雰囲気かもし出せないわ、と思います。
大阮という楽器は、三弦専攻の学生が、大学のオケでよく担当に回される楽器ですが、中阮との合奏で聴くのもいいものですよね。

モモ先生、楽器の特徴、生徒の個性を活かす選曲が上手いんですよね。
将来、室内楽やりたい私としては、三弦を活かせるアレンジ、もっと勉強しなくちゃと思いました。

ところで、なんで皆さん、本番前にお弁当ペロリと平らげられるんですか?
モモ先生なんて、あんなに細いくせに、ガッツリ完食。
痩せの大食いってよく言うけど、本当だね。
私は、最初から食べられないって分かってたから、ホテル出てきた時におにぎり一個食べただけ。
ちなみに写真は、本番前、控室にてお弁当完食後のモモ先生と私。

第二回発表会は2年後、楽しみです。
さぁて、2年後は、何弾こうかなぁ。
河南板頭曲って、昔は三弦、琵琶、古筝とよく合奏したらしいんですよ。
うひひ、高山流水あたりを誰かとやりたいかも。

好い音を求めて幾千里

知人が、三弦の弾き方(手や指の筋肉の使い方)を全く変えました。
音色も変わりました。
どちらの音色が好い悪いの問題ではなく、違うとだけ言っておきましょう。
現にどちらの弾き方にもプロの演奏家がおられます。
その人は、大学に入るまでの5年間弾いてきたやり方を全く変えたわけですから、大変な苦労があったと思います。
普通は身についたものを変えるには、それを身に付けた期間の倍の期間を要すると言われています。
ついでにいうと、今までの先生との間に溝もできてしまいました。
なぜ、その人がスタイルを変えたかについては、私もいろいろ差し支えるので書かないことにします。

ちなみに、私の今の弾き方というのも、実際のところ、厳密に言えば、私の先生と全く同じスタイルの弾き方ではありません。
先生も、私の身体的な限界や、最終的に日本に戻ること(将来、聴衆や学習者になってくれる対象が基本的に日本人であるという現実)を承知なので、自分のスタイルをすべて守らせることは諦めているから、関係が険悪になるということは今のところはないのですが…。

そんな私ですが、三味線の師匠には「あなたの三味線の音は、何か大三弦みたいな変わった音するよね」と言われました。
そして、逆に、私の三弦の音を聴いた兄弟子先生に「なんか、三味線っぽい音しなかった?」と言われたことがあります…中国三弦には日本の三味線のようなサワリ(弦が上駒ではなく棹に触れるときに発生するビィーンという感じのノイズです。日本琵琶だともっと顕著にびょ~~んっていうノイズがつきますよね。)がない筈なのに、それが聴こえたって言うんです。
まぁ、弦のテンションが緩いので、弾き方によっては、そういうことあるでしょうね。
私の三弦の先生にも、何か変な音が入るから棹を見せてみろと言われたことありますが…

大三弦の音ってやつは、大きく「中国の芸人さんの昔ながらの三弦伴奏っぽい音」「中国琵琶っぽい現代的な音」に大別されると思います。
プロはどちらのスタイルにもいます。

じゃあ、あんたの音はどっち派って聞かれると…実は、どっちでもない。
演奏姿を見ていない人に、隣の部屋で誰かが筝を弾いていると、何度か勘違いされたことがあります(汗)。
ちなみに、二胡でピチカートする時も、「日本の筝みたいな音がするよね」と最初に言われました(それは気をつけて直すようにしてます)

確かに、昔から私の周囲では筝の音って身近でした。
近所にお師匠さんがいたり、仲の良いお友達が習いごととしてやっていたりしました。
今の東京の家でも、斜め下の家(家は高台の一番上にある)は生田流の筝のお師匠さんが住んでいて、筝のお稽古の音が聴こえます。
でも、私は、筝は弾けない~

科学的に言えば、弦をはじく時の角度、爪が弦を通過するスピード(爪が弦に触れている時間といってもいいかも)、弦が爪のどこにあたっているのか、弦と爪の材質など、そのすべてが音色には関係してくる筈なので、それが、人と違う、ついでに言うと、何が自分にとって心地よく感じるのかという感覚(これを感性というのだろうか)ってやつも、他の人と違うんでしょうねぇ。

そもそも、「好い音」の基準が私にはわからないんですよ。
もちろん、雑音が入るとか、かするとか、リズムが乱れるとかそういう技術的な話ではなく、純粋な音色の話。
誰が聴いても分かる騒音と楽音の違いではなく、「好い音」っていうのは、乱暴に言えばその国、その業界の人が、長年、心地よいと思ってきた音であって、どの国の人も、どの業界の人もそれが一番いいって思っている音じゃないじゃない?
そんなん、親兄弟が一流の演奏家でもない限り、知ったことじゃないわい。

とりあえず、7月7日に人前で弾かなくてはならないので、それまでは、今のまま弾いて、そのあと、今後のことを考えたいと思います。

型を破るのは型ができていないうちは、絶対にやっちゃいけないことですが、その型が自分には絶対に一生身に付けられないと数々の証拠により推測できる場合、どうしようもないじゃないですか…