初夢…は外国のお屋敷にいたようだ

場所:さる大きな洋館のお屋敷のらせん階段の踊り場。
インド人と思われる男女とすれ違う私。
彼らは階段を上って来て、私は降りていく方。
女性は女優さんと思われるぐらい綺麗な人。
男性も彼女と同じくらいの年。
すれ違いざま、インド人男性が私に
「わぁ~ 君、背が高いんだね、ボクと同じくらいある」と背比べをしてくる。
インド人女性も「わぁ~ホントだわね」
と無邪気にそれを眺める。
私達の他愛もない会話を傍から見ていた執事さんがこっちへやってくる。
そして「このお屋敷の秘密を知っている?」と問う。
いきなりそんなこと聞かれたって知る筈もない。
そもそも、このお屋敷の主人と私達はどういう関係なんだろう?
でも、何となくではあるが、インド人の男女と私はこのお屋敷の主のゲストとういう設定のようなのだ…
一体、どういう経緯で、何のためにこのお屋敷に泊っているのかは、忘れてしまった。
こんなにお金持ちなんだから、パーティか何か開いていたんだろうか?
で、くだんの執事が言う「このお屋敷の秘密」とは
「8か月前にとある女中が子どもを生んだ」ということでした。
(主の隠し子だということを暗示しているようだ)
そこで目が覚めてしまった。

今回の夢はあまりにも、ストーリーが何だか舞台の一幕みたいなんだよなぁ。
夢占い辞典でもみるか…

姿三四郎に使われた音楽って…

お正月早々から、熱を出してしまったので、夕方までダウンしてました。
しかしながら、5時頃にはすっかり気分もよくなってきたので、レッスン室を借りに行きました。
元旦早々、借りるおバカは私以外にもやっぱりいました。

6時頃、管理のおじさんがやってきて、「これからご飯食べに行くんだよね。練習終わって降りてきた時に誰もいないと学生証返せないと困ると思って、今、鍵を返してもらって、学生証も今返すね。君が出るときは、内側から鍵かけてそのまま出ちゃえばいいから」と学生証を返してくれました。
わはは、アバウトな管理だな。
というか、元旦から借りるおバカは常連に決まっているから、管理人も安心してるんだろうな。

さて、このおじさん、私が日本人なのを知っているので、昔見た日本のドラマの話をしてくれました。
「姿三四郎」という柔道家の物語。
多分1970年代に中国で放送されたような気がするとのことで、だとすると日本ではそれより前に放送されてたんでしょうね。
後でネットで調べたら、結構、何回かドラマ化されているようで、彼が見ていたのは一体何年版のなのだろう???
で、そのドラマでは「いかにも日本!」っていう音楽が流れていたのだそうです。
「ボクは音楽のことはよく分からないけど、それって、三味線なんじゃないかな~」と聞かれましたが、何せ、私自身「姿三四郎」を見たことがないので、何とも答えようがない…
以前にも、40、50代の大学院生に「姿三四郎」には感動したと言われたことがあり、ううむ、話を合わせるために見ておいた方がいいのかも、と思わなくもありません。
しかし、今は韓国ドラマが世間を賑わせていて、日本ドラマっていうと、昔のものを引き合いに出されるので、私も知らない(見たことない)ものがあるんだよなぁ。

十八歳のピュアな夢

あけましておめでとうございます。皆さまの初夢はいかがでしたでしょうか?
というわけで、今回は寝て見る夢ではなく、リアルな夢の話。
ちなみに、中国語では昨夜、夢を「見た」とは言いません。
あえて直訳すると、夢を「つくった」と言います。
日本語の受動的な表現と違って、あくまで自分の脳が紡いているという主動的な表現ですね。

さて、日頃、大学生と一緒にいることが多い私です。
そうすると、必然的に「将来何になるの?」という、若い子ならごくごく当たり前の話題になることもあります。

苦笑せざるを得ないのは、たまに「游鯉は仕事したことあるの?」と真顔で尋ねられる時。
いや、これ聞かれるの一度や二度ではないので、よほど「しっかりしてなさそーに見えるのか、自分…反省」ってな感じです。
18の頃は公務員してました。
多分、あの頃が一番、きちんとお金を稼いでいたと思います。
実際、その後、学歴やスキルが高くなるにつれ、お金が儲けられなくなりました(皮肉だね~)
18の頃の夢は「大学に行くこと」だったなぁ。
20歳で勤労大学生になった後は、ついこの間までは、教員になるつもりだったけど、結局、なれなかったなぁ。
でも、向いてなかったのでよかったんだと思います。
文系の場合、研究を続けたければ、教員くらいしか道ないでしょ。

そんなわけで、今更「将来、何になるの?」と問われても困っちゃうんだよなぁ(^^;
君たちが思っている以上に、私の実年齢は高いのだよ…

子どもの頃から音大や芸術系大学の附属中に通い、この世界でやってきた子たちのすべてが、音楽家や役者になれるわけでもないので、みんなそれなりに挫折がありますが、若い子はいいね、可能性が多くて。
ミズキちゃんは筝を通じて、文化交流みたいな仕事がしたいと言ってました。
ウタちゃんは、何が何でも弾く仕事がしたいので、いくら給料が安くても、楽団員の路線を目指すみたいです。

さて、彼女らにしてみれば、私がひとつの楽器に専念せず、あれもこれも練習しているのがかなり不思議なようで「そんなに練習してどないするねん」と言われてしまいました。
「いや、合奏曲を作りたいから、いろいろな楽器の特徴が知りたいんだよ」と言ったら、
「楽団結成して、芸術監督にでもなるんか?」とさらに聞かれ(突拍子もないこと言うよね、若い子は…いや、彼女らが生きてきた世界では、こういう結論もありなのだろう)
「と…とんでもない、金も人脈も演奏の実力もなくて、どこの誰が私についてくるんだよ~」と現実を言わざるを得ない。

「別に、リアルで楽団結成しなくても、私の頭の中でできれば、それで十分」と付け加えたら
「そうか、游鯉は作曲家になりたかったんだね」と納得されてしまいました(^~^;

まぁ、作曲“家”ってのは大げさだが、やりたいことそのものは、間違っていないため、訂正していないので、そういうことになっている今日この頃。
で、この夢がかなったとしても、やっぱりお金は儲けられないのでありました…