ある音楽家の本番前・中・後の過ごし方

中央音大教授、二胡演奏家の趙寒陽先生の本を読み返していました。ずっと前に読んだけど、もう忘れちゃったし、本番前の心理コントロールっていう章が非常に気になったのでそこだけ再読。

まず、最初にガツンと一言。
日頃から、本番でやる曲目はしっかり練習しておけ、技術的に難しい部分は本番前までに完全にできるようにしておけ、本番で運よくできることなんて期待するんじゃないよ!
(游鯉のつぶやき:そらそうだ(^。^))

前日までにやるべきこと。
楽器の調整、伴奏、服装の準備。
(游鯉のつぶやき:ドライブデートの準備みたいですね…車の点検、BGM、服装?)

前日午前。
可能なら会場の下見にいって本番の感覚をつかむとよい。
でも、この時に、演奏方法、弓及び指づかい、楽曲の処理方法について疑問があっても、不用意に変えるべからず。本番終わってから検討しようね。
(游鯉のつぶやき:確かに変えない方がいいかも( ..)φ)

午後。
下見の感触をもとに一、二時間練習。
最高に良い状態で練習は終えること。
嫌になるほど練習してはいけない。
理由は演奏の新鮮な感覚を保つため。
(游鯉のつぶやき:確かに、どんなに好きな俳優さんの顔でも、朝から晩までずっと見てたら、慣れてしまって、カッコよくないかも…)

夜。
軽く楽しい活動をしてもよい。
(游鯉のつぶやき:どんな?)

当日午前。
たくさん練習する必要なし。
基本的な訓練が終わったら、一、二回通して演奏すればよし、この時に途中で止まらないこと。
この時に技術上の難しい部分を何回も練習するのは避けるべし。
理由は、たまたま間違いを犯し、その間違いが刷り込まれてしまうと、夜の本番に影響するから。
(游鯉のつぶやき:激しく同意!)

昼は昼寝して鋭気を養っておくといい。
もし、身心が落ち着かないようであれば、「緊張するな、きっと成功する」「ちゃんと把握してるから、大丈夫」「リラックス」「落ち着け」とか暗示、黙想するといいよ。
(游鯉のつぶやき:し…しかし、これがなかなか効かないんですよ)

午後。
練習する必要なし。
軽い運動をしてもいい。
本番中、胃腸の調子が悪くならないように、晩御飯の量は加減しましょう。
本番前に大小便は済ませておこうね♪
(游鯉のつぶやき:寒陽先生、まるでお父さんみたいにアドバイスしてくれますね(*^_^*))

夜の本番前。
会場に行ったら舞台で、チョコっと弾いてみて、音響に関して把握しておく。
本番準備が終わったら静かなところで座って指を動かしておく。
もし心臓バクバクだったら、深呼吸。
両手を握って、全身に力をいれて数秒後に脱力してみることを数回繰り返してみてください。こうすると緊張が少しは取れますよ。
(游鯉のつぶやき:これはよく本で紹介されている筋肉弛緩という方法ですね)

一つ前の演奏中、舞台脇へ行く。
ここで最後の心身調整のため深呼吸。
舞台へ出て行く時は、大胆に、でも、適切な歩幅で自信を持って歩くべし。
その場に着いたら、聴衆を一望してから座ること。
席の後ろの方の一片を見ればよく、一点を凝視しないこと。
演奏者の視線は聴衆の気を引く効果があるので、間違っても、左右をキョロキョロしない!
理由は、キョロキョロすると、聴衆の注意力が散漫になるからね。
(游鯉のつぶやき:私はかつて演奏中に視線が宙に浮いて左右に揺れたため、トシミネ先生に散々叱られました)

次に伴奏者と小さな音で音合わせ。
往々にして、伴奏者の音より自分の音がチョット低いような気がするものですが、これは錯覚なので注意が必要。
あまり、もたもたとチューニングしているとだんだん焦っちゃうのでほどほどにね。
準備が完了したら、静かに5、10秒後に初めの音を弾きましょう。
自分にとっては心の準備であり、聴衆にとってはこれから始まるよって合図になります。
(游鯉のつぶやき:私はよく急に弾き始めて、トシミネ先生に聴衆を脅してどうする!と叱られました)。

弾いている時の思考と手の距離について。
あんまり先の小節のことを心配してもいけないし、もう過ぎてしまった小節のことを後悔してもいけない。
(游鯉のつぶやき:フラれた時と同じかも。失敗しても、気持ちは、次行こ~♪のノリが大切なんですね)

ロングトーンとか、間奏の時はチョット休憩できるよ。深呼吸したり、肩の力抜いたり、つば飲んだり、頭あげて聴衆の様子を見たりできるね。
(游鯉のつぶやき:ロングトーンで休憩できるかも…って、これは二胡が擦弦楽器だからでしょっ!弾撥楽器だと手が忙しくて、こんな時につば飲み込めないと思いますが…管楽器だと、ますます、それどころじゃないですよね?)

ラストの動作は曲調によって変えるべし。
速くて情熱的な曲なら、ラストの動作はちょっと速めで元気よく。
遅くて静かな曲なら、最後の音を出してから5秒すぎるまでは、その曲の雰囲気を壊さないように、ゆっくり終わる。
(游鯉のつぶやき:あ~やっと弾き終えたって、安心して、最後の音の余韻が残っているうちに、立ちあがっちゃう人とかいますよね。残念です。)

演奏終了後。
すごく興奮していて、力の行き場がなく、大声で叫びたい、或いはぐるぐる走り回りたい、そういう衝動にかられた場合、どうぞ、叫びたきゃ、叫べ、走りたきゃ、走れ!
余ったエネルギーは疲れるまで出しきりましょう。そうすることで、急激な疲労による不調を軽減できるでしょう。
(游鯉のつぶやき:本当か?しかし、確かに私は前回、これを我慢したせいか、翌日も心臓の動悸が元に戻らず、眠れず、大変な思いをしたので、試してみようと思います。しかし、どこで叫んだらいいんでしょうか?頭おかしい人だと思われますよね?)

趙寒陽「通向二胡演奏家之路」人民音楽出版社、2002年 70頁から73頁参照。
すいません、内容を一字一句翻訳したわけではなく、私の理解によりまとめているだけで、寒陽先生の口調は、私の想像上のものですから、イメージぶっ壊れたとクレームしないでね。

二胡LESSON98

本日もナナ先生はオケのリハで大忙し。
私がご自宅へ伺った時、ナナ先生はまだ帰宅しておらず、玄関先でチョット待ちました。
そんなわけで、お留守番時間の長かった4匹のワンちゃん達はご機嫌斜め。
このままゲージに入れっぱなしだと、おそらくレッスン中にぎゃ~ぎゃ~騒いで収拾がつかなくなる確率100%。
「申し訳ないけど、騒いでレッスンに集中できない方が効率悪いから、先に10分ぐらい離して、それから始めていいかな?」とナナ先生のご提案。
で、お部屋の中に離してもらったわんこ達、もう大喜びで私にじゃれてきました。
あ~ワンコの感触、ふわふわ~で気持ちいい。
連れて帰りたい。
多分、ナナ先生も「誰か連れて帰ってくれ、4匹は大変」って思ってるんだけどね(^^;

何といいますが、今回はあまり書くことがありません。
というのも、進歩がないから。
私の演奏にドラマがないのはいつものことです。
ナナ先生には「ここまで来て思うんだけど、いつもいつも、曲を勉強しては弾けるようになるのに、もう一歩先へ行けないのは何故だろうね」と言われました。
「賽馬」はスピードが遅すぎるとおっしゃったので、ナナ先生のリズムに合わせて、どんどんスピード上げて弾いてみたら、「その気になれば、速くたって弾けるのに、なんで自分でわざわざ、自分を縛りつけて前に行かないのかな~」とも言われました。

「これは、練習量とか技術とかそういう問題ではなく、たぶん、心の問題よね?」ってなことを言われました。

その通りだと思います。
これ以上書くと、自分の心の闇を吐き出すことになって、精神状態が非常に悪くなるのと、読んでいる人にも迷惑なので、やめときます。
じゃ、ブログ書くなよって感じですが、いちおう何回目のレッスンなのかの記録ですから(笑)。

スクイは何のためにあるの?

それは、二胡のレッスン中に湧き上がった疑問でした。
「スクイ」って「救いようがないおバカ」のスクイじゃないですよ(^^;
いわゆる、弦をはじく楽器でいうところの、アップ・ピッキング’(上に向かってはじく)です。
え?なんで、二胡の弓を推したり、引いたりしてる時に、そんなこと考えてるのよって?
えーこういうことです。

人間って生理的には、弓をひくのはわりと自然に出来ますよね。
だから、拉弓(弓を右へひっぱる)から弾き始めるのは割とスムーズ。
でも、推弓(弓を左へおす)から始めるのって、やりにくいよね。
西洋音楽でいうところの二拍子なら、強弱だから、拉弓、推弓の順番で、それなりにリズムもあってる。
これを逆にしても、推弓できちんと強拍が出せるか…
で、練習のために、推拉推拉推拉推拉…とひいていた筈が、拉推拉推拉推…あれっ、どこで変わっちゃたんだい?ってなことが起こります。
弓を推そうが引こうが、できるだけ同じ音色、強さで弾けるようにしてみようという訓練しますよね。

中国の弾く系の楽器でも、弾(下へ向かってはじく、いわゆるダウン)、挑(上へ向かってはじく、いわゆるアップ)をやると、ダウンは重力があるので、誰でも結構、スムーズに大きな音が出ちゃいます。
それが、アップになると、ふにゃらとなる。
特に琵琶や三弦という、ピックを使わず指の爪で弾く楽器になると、初心者は顕著にアップが弱い。
というのも、アップは親指を外側に動かすことで、弦を下からはじくので(つまり手を握る時と逆の動きを速く行う)、これは日常生活では使わない筋肉を動かす必要があるため、まず動かし方が分からない。
で、器用に動かせたとしても、指の力のない人は、大きな音出ません。
それを解決するために、何をするか、挑弾挑弾…つまりアップ、ダウン、アップ、ダウンの順ではじく練習するんです。
そして、親指と人差し指の力を同等になるように鍛え上げ、なるべく同じ音色、音量で弾けるようにします。

ところが…三味線にはそういう概念ないみたいなのよね。
そもそも、ゆっくりめの曲なら、打ってばかり(ダウンばっかり)、アップが必要なところはわざわざ「スクイ」と表記してあって、それ以外は糸をスクウ必要がない…
だいたい、打つときとスクウときでは、音色が違って当たり前なんだから、音量や音色を均一にする必要もないので、そんな訓練をわざわざしない。
津軽なら、打つ時(ダウン)は皮まで叩いて、タンと抜けるような音、あるいは前の方で打つ時のッという音を出すけど(そうでない時もある)、アップ(撥で弦をすくいあげる)は、そもそも皮に触れようがないので皮を叩く音は聴こえない。
スクウときの音にもいろいろあるけど、いずれにしても、アップをダウンと同じ音色目指すなんてことは、ないこともないが主流ではない。
ううむ、それが独特の味わいになってるんだなぁ…と思ったりして。
まぁ、撥の角度によっては、ギターみたいに普通にタタタタ…と均一にトレモロできてしまうけど(ピックと同じように動かせないこともない)、それはここ最近の洋楽、現代曲を意識した話でしょう?
中国人には、でかい撥でタタタタ…と弾くのは、信じられないらしく…よほど熟達した先生でないとできないと思ってる人も多いけど、意外とそうでもないので、師匠よりはずいぶん遅いスピードだけど、スクってみせると、器用だねと言われる…いや、私が器用というより、日本人全般がわりと器用なのでは???

「別に均一じゃなくたって、これがいいんだよ」という三味線のスクイって何か面白い。

もっとも、中国三弦のアップも、民間曲なんかでは、わざわざ4回連続挑(アップ)なんていう表記がしてあったりします(本来、何も指定がなければ、人差し指のダウン、親指のアップという順で交互に弾くお約束です)。
この変な指定の意図は何かと先生に聞いたら、これだけ遅いスピードなら別に4回連続の人差し指の弾(ダウン)でも同じ効果出せると思うけど、要するに弱めで揺れる音を楽に出せるから、そういう指定したか、そうでなければ、視覚上の問題だろうね、との回答でした。