色好きな人々(!?)

津軽三味線の「津軽よされ節」が、何度弾いても覚えられません。
歌詞の「あぁ~」とか、「いぃ~」が長すぎて、音がこれから下がるんだったか、上がるんだったか忘れてしまいます。
同じ理由で「本荘追分」もいまだに譜面見ないと弾けない。
別にこれが一週間に数回、30分程度テキトーにお稽古してるのなら、覚えられなくても、他人は理解してくれそうですが、私、毎日、何十回も聴いて、何十回も弾いてるのよ(^◇^;)
ひよこ頭にも程が…。
(人によっては、私の高学歴とこんなことも覚えられないことが結びつかなくて、練習してないんじゃないかと勘違いされて哀しい…)
もう、音符だけ丸暗記したらええやんと思い、そうしようと思っても、似たような伴奏の繰り返しなので、サッパリ…
「春は桜の弘前に…」という部分以外、歌詞も全く覚えられないので、風景すら脳内で途切れ途切れ。

「津軽小原節」は何で覚えられたかって?
この唄は、歌詞がメロディにきちんと乗っかってるから聴けば覚えられるし、数々の忘れそうな怪しいところは、歌詞に基づいて、脳内に映像が流れるからなのです。
だって、これ、可愛らしい恋の物語じゃないですか。
私の脳内には、いつも真夏の夜に、師匠と奥様が手をつないで踊っているところが浮かぶのです。
ネタにしようと思ってわざと書いているのではなく、師匠が唄いながら弾いたのを録音して、何遍も聴いたことと、師匠と奥様が仲良しなのを見慣れているので、必然的に、そのイメージが湧いて出てきて止まらんだけですヽ(´o`;

私の場合、もともと、譜面見るの苦手で、耳が覚えた後でないと譜面見づらいんですよね。
数字って苦手なんです;^_^A
6と9のツボがあるとすると…もちろん、いくら、ひよこ頭な私でも、6と9では9の方が大きいと知ってます。
大きいのだから、棹の下へ(すなわち高音になる)のはいいのですが、三の糸の6がミで、9がソなら、二の糸の9って、実音はドじゃん…。
私の脳内では、「なんで急に6がミで9がドなの???うぉぉ混乱!(◎_◎;)」
となります…
これは、私が簡譜という中国の数字譜を見慣れているせいも悪影響を及ぼしているのでしょうね。
つまり1234567がドレミファソラシなので…数字見るとその数字の音高が思い浮かぶのに、三味線の棹の上の実音は全く違うわけだから。
五線譜ならビジュアル的に波形を脳内再生すればいいんですがね。
だから、音の流れをツボの番号などではイメージできない。
かと言って、何度聞いても歌詞が分からないから、メロディも記憶できない。
大多数の人は、頭が忘れても手が位置を覚えてるんですよね、多分…。

そこで、考えついた私だけのための究極の暗譜方法!
譜面に色をつけちゃるわいっ!
耳で覚えられないというのなら、色のグラデーションで覚えてみようかと…
別に私は色聴ではないので、ピッチに基づいて色が浮かぶわけではないのですが、相対音感に基づく色の割り当てです。
つまり、ド(赤)レ(橙)ミ(黄)ファ(緑)ソ(青)ラ(紫)シ(赤紫)そしてド(赤)に戻るみたいに音と色のグラデーションが一致していれば、色の仕組み的にどっちに行くかを見れば次は上がるのか下がるのか一目瞭然というわけなのです。
(お絵かき好きとか美術関係の人なら分かりますよね?この循環法則)
私以外の人は、目がチラチラしちゃって嫌かもねぇ。
写真は、師匠のよされの文化譜で、フリクションの赤で書きこまれた数字は私の脳内で再生されるメロディの数字譜。
色は相対音階に基づくグラデーション…

余談ですが、私、トンボの色辞典という90種類の色鉛筆を東京の家に持ってます。
あまり使ってないけど、眺めるのが楽しい^_^
それは今、手元にないので、普通の色鉛筆でしか色つけられないなぁ…
亡き叔父がプラスティックの加工職人をしていて、プラスティック板の色見本を大量に持ってましたが、綺麗ですよねぇ。遊びに行くたびに、それを持ち出して眺めました。
そういえば、私の二胡のナナ先生も30色入りとかのペンを何セットもメーカー違いでやたらもっているのです。
日本製の無印良品のペンや消えるボールペンのフリクションのセットも持ってました。
机の引き出しの中に、一つや二つではなく、わんさかと…
これは、もはや、実用のためではなく、観るためですよね。
三味線の師匠も、フリクションの水色とか紫で譜面に注意書きしてくれるので、普通じゃないなぁ、変わってるなぁと思います。
事務的に使用する人は赤黒青のほかはあまり使わないでしょ、そんな変な色(^^;
この間、師匠に「見当たらないから、もしかして、自分のと間違えって持って帰ってないよねぇ?」と聞かれましたので、適当にその色を使っているのではなく、よほど気に入ってるんでしょうねぇ。

というわけで、みんな、色好き(って、なんか変な意味に取れそうな…)。
*・゜゚・*:.。..。.:*・’(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
yosareiro

ささやかな夢

園児や小学生が習い事として、普通にピアノやお琴を習いに行くみたいに、二胡とか三味線教えてみたいなぁ…とふと思いました。
じっとしていられない子とか、他の子と合わせられない子とか、普通に譜面読めない、覚えられない子とか、きっと大変だろうなとは思うけど。
私は自分が何で他の子と同じように出来なかったのか、今になって分かるので、そういう著しく才能のない子が高校受験前くらいまで普通に楽しくお稽古続けられるといいのになと思うのでした。

今なら、先生が何で私に切れちゃったのか理解できる(^_^;)
どうやら、自分の主観による世界の見え方、主観的な自分像と、他人から見た私の置かれている状況、客観的事実がもにすごく異なるのですよね。

私、動作鈍くてぐずぐずしてるんですよね。
これは、今もそうで、同時に二つのことができないせいです。
話しながら、別のことができないのであります。
話しながら、或いは話を聞きながら何かを片付けると、手が止まるか遅くなるようです。
ご飯も食べてる量は人より少ないくせに、いつも最後まで食べ続けているのは私。
何故、みんな人の話を聞きながら食べて、なおかつ相槌うてるんですか?
でも、主観的には、聞くのに或いは話すことに一杯一杯で、自分の手が止まって、他人がイライラ或いはハラハラしていることに気づいていないのです。
本人は一生懸命だから、何故、他人が焦っているのかわからない…。

私、何考えてるのか分からない子供だと言われてました。
外では大人しくて従順なので問題児ではないけど、表情に乏しい子だったんですよね。
ある時、親にそう言われて気づきました。
むすっとしてる、モノ食べても、美味しそうな顔しない…と。
普通の顔がどうやらつまらなさそうな顔に見えるらしく、今でもそうなので、人前では、できるだけそうならないよう演技するよう心がけてます。
念のため言っておきますが、笑っている時は、本当に可笑しくて、或いは楽しくて笑っているので、演技と誤解しないでね。
あくまで、いわゆる普通の顔が普通に出来ないっちゅうことです。
もちろん、普通の人が普通にできる普通の顔を、私の場合、意識して、普通の顔を演じているのですから、後でものすごく疲れます。
そのくせ、本人的には、ちょっとムッとして、事実を指摘したくらいのつもりが、本当にオッソロしい目つき、キツイ口調になるらしく…
一生懸命、頭働かせているのに、そういう時に限ってハタからはボケーっと何も考えていないようにしか見えないそうです。
どうしようもない顔なんですわ^^;
だまってても微笑んでいるように見える口元とアニメ声が欲しかった(笑)

先生が言ったことをそのまま実行したつもりでも、そうなってない場合があったり、先生の言ったこと自体、客観的に間違ってることもあるわけで、でも、先生の言うことだから、そうならないわけがないと思い込んでいるので、その後どうしていいかわからず、ボーゼン。
先生に状況説明して、どうしたらいいのか聞けばいいのに、怖くて聞けないという…
怖くてきけない、というのは、どうやら、大多数の人には理解不能みたいなんですよね。
そういう理由でボーゼンとしているのだけど、ハタから見たら何グズグズしてんだという感じですよね。
今なら、自分の気持ちをもう少し表現できて、先生に相談もできるんだけどなぁ。

今なら、そういう一見普通そうだけど問題をかかえている子にどう教えてあげたらいいか、どうやって気持ちを聞いてあげたらいいか分かります^_^;

今の私のささやかな夢の問題点は、私には、子供が素敵と思ってくれるほどの演奏の腕も教えるスキルもないってことなんだよな。
子供は大人と違って残酷だから、悪気なく、事実として「先生下手」って言うかもね(と思うのは、私も子供の頃や若い頃、客観的事実でも、そこで言うべきではないことをうっかり言って、悪気なく人を傷つけてきたので…)。

普通の大人は、大人として子供と遊んであげられる(必要に応じて譲ってあげることができる)、面倒見てあげられる、教育してあげられるんだろうけど、私の場合、一緒になって遊んじゃう…かも。
高校の教員免許の教育実習の時も、私があんまり頼りないせいか、子供の方が私の面倒見てくれたような…。
マズイよね。
自分に子供がいないから(この先も可能性はゼロ)、親に信用もしてもらえないだろうしなぁ…。
うーむ。

ヒヨコ頭でも楽器は弾ける

実は、私は脳がどんくさいので、自分の身体の見えない部分の使い方が分からないです。
分かりやすく例を挙げると、目をつぶると自分の手先がどこにあるのか、どういう動きをしたのか分かりづらいということ^^;
自分の身体見取図が不正確(というか不完全?)で、自分と他人(と言っても、全ての他人ではなく自分にとって重要な人)との身体の境界が不鮮明な時があります。
加えて、感覚が過敏なところと鈍いところの差がありすぎます。

夫が机の角に足ぶつけると、自分が「痛っ」と叫んでしまう…
そのくせ、知らないうちに怪我して血を流していても気づかなかったりして、後で、こんなところにカサブタが…と思ったり。
でも、ひどく怪我すりゃ、痛って分かりますよ^^;
歯磨き、特に歯間ブラシは鏡見ながらでないとできない。
逆立ちできないし…かと言って、根本的な腕力が不足しているわけじゃないです。
自分の足先や背中をどうもっていけばいいのか本当に分からないというか、怖いです。
泳げないし…とはいうものの、顔を上げて目を開けたままなら、平泳ぎで50mくらいなら、ノロノロと泳げます。
ちなみには母は、本当にカナヅチで、普通に力抜けば人間って浮くはずなのに、沈んでいきます…力入れすぎてるんだろうねぇ。

こういう人はマイノリティですが、確実に社会に多少なりともいらっしゃいます。他人に信じてもらえないので、さらけ出す勇気がなく、黙っておられるだけかと…運動機能そのものがかなり劣っているわけじゃないので、他人には理解し難いのかも。
あ、別に心配してお医者さん紹介してくれなくてもいいです。
原因おおよそ知ってますから。
決して、やる気ないとか、ふざけてるとか、反抗してるわけじゃないのです。
単にわかんないんですよぉ〜〜〜

そういう人もいるんだという前提で、楽器の練習のお話を続けます。

三弦の弾き方を根本的に変えました。
あまりにも前の方法と違いすぎるので、修正が大変。
厳しい先生だと、どうして言われた通りにできないのかと叱られちゃいます。
だって、言ってる意味と、どうやったら、そのように身体が動くかは別物なので、自分の身体の動かし方がわかりません。
比喩ではなく本当に…。例え日本語で言われても同じですが、多くの先生は私の中国語コミュニケーションのせいと良い方向へ勘違いしてくれて、手を出してくれるので助かります。言葉の字面的な意味は翻訳できるほど、実は承知しています。

聞いて分からないのなら、先生を模倣すればいいじゃん。
その通りですね。
で、模倣しようとすると、本当に見えた通りに自分もやっているかどうかっていうのは、じぃ〜っと自分の手先を見ないと分からないのです。
だから、どうやら、どの先生も不思議に思うようです。
どうして、穴が空くほど、他人や自分のやってることを見つめるのかが…。
普通、音の場所がわからなくて、三味線とかだと棹を見る、ピアノなら鍵盤を見る人は多いと思いますが、そうじゃなくて、私はただ弾けばいいだけの先生や自分の手そのものを見るんですね。
だって、言われた方向に弾いているのか、本当に見ないと分からないんだもん。

それと、楽譜見ろって言われると、じぃ〜と楽譜を見続ける必要があるので、他の感覚がいっきに麻痺して、今、何してるのかが分かりません。
例えば、車の運転なんかさせた日には、目に映るもの全てに集中するので、情報処理と身体制御が困難で、ぐったりと疲れます。
車から降りて、貧血おこしてクラっときて以来、別に好きで免許とったわけじゃないのでペーパードライバーです。

じゃあ、あんた、子供の頃から、どうやって、楽器弾いてきたの?
…って思いますよね^^;
楽譜は基本暗譜、いつも間違いそうになる箇所だけ、譜面のあそこに書いてあったと場所を記憶していて、本当に忘れそうになったら、そこだけパッと見る、そういうことです。
暗譜そのものは、音源でメロディとリズムを覚えています。

初めての行為、慣れない行為は、ずっと見てないといけない…。
関係ないかもしれないけど、電子レンジもよく見つめるらしい。
セットすれば勝手に出来上がるのに、ずっと前で待ってしまうのは何故だろう?
流石に洗濯機は見つめない…それは中が回っているのが見えないから、面白くないせいかと…^^;

で、先日、先生がおっしゃいました。
「いい音がしたら、見てなくても動作は正しいはずだから音色で聴き分けなさい」

なるほど、一理あるなぁ。
音色と自分の行為の関連性なら、私のヒヨコ頭でも覚えていられたわ。

でもね、「いい音」という概念は実はくせ者。
それは、その文化圏の中で良しとされている音なので、自分の思ういい音と全然違うのよね。
もちろん、自分の好きな音とその業界で言われてるいい音がほぼ完全に一致する場合もあります。
私の場合は三味線の師匠の音がそれで、だからお稽古代心配した師匠に、弟子を紹介しようかと言われた時に、師匠じゃなきゃやだ〜と断りました。

この際だから、ついでに言うと、子供の時に、協和音とか不協和音とか、メジャーとかマイナーとか、寂しい感じでしょとか、先生は勝手にいろいろ概念を押し付けるけど、私にはそう聴こえないんだが…と思うこともあったなぁ。
だってさぁ、増四度とか、欧米では悪魔の音とかって嫌がられるんだって?
私的にはめっちゃ、怪しくていい感じよ。
どういう風に聞こえるかを、音を聴かないうちから、同意を求めないでほしいわ。

だから、三弦の場合、「ほら、今の音、いい音したでしょ」って言われると、そうか、これが目指す音なのね、と記憶するようにしています。
本当は自分的にはそれが理想の音でなくとも。
三弦の目指すべき音はいい音っていうより、私的には中国の路地の匂いプンプンで、ちょっとキツイ感じなのよね。

そういえば、実際、名人と呼ばれる人の中にも、どうしたら、そんなフォームとそんな姿勢で長時間、弾いていられるの?という人がいらっしゃる(私がそう思うのではなく、今まで交流してきた全ての先生が口にしたセリフ)。
だから、王道というのはあるのだろうけど、一ミリの差もなく先生と同じように動かせるわけもないのだから、そこは無視していいのか…
という結論に落ち着きました。

もしかして、私のようなマイノリティ以外の人は皆、普通に当たり前にそうしてきたのか?
ははは…先生方、世の中にはこういう人もいるのよっていう参考にしてくださいm(_ _)m