ヒヨコ頭でも楽器は弾ける

実は、私は脳がどんくさいので、自分の身体の見えない部分の使い方が分からないです。
分かりやすく例を挙げると、目をつぶると自分の手先がどこにあるのか、どういう動きをしたのか分かりづらいということ^^;
自分の身体見取図が不正確(というか不完全?)で、自分と他人(と言っても、全ての他人ではなく自分にとって重要な人)との身体の境界が不鮮明な時があります。
加えて、感覚が過敏なところと鈍いところの差がありすぎます。

夫が机の角に足ぶつけると、自分が「痛っ」と叫んでしまう…
そのくせ、知らないうちに怪我して血を流していても気づかなかったりして、後で、こんなところにカサブタが…と思ったり。
でも、ひどく怪我すりゃ、痛って分かりますよ^^;
歯磨き、特に歯間ブラシは鏡見ながらでないとできない。
逆立ちできないし…かと言って、根本的な腕力が不足しているわけじゃないです。
自分の足先や背中をどうもっていけばいいのか本当に分からないというか、怖いです。
泳げないし…とはいうものの、顔を上げて目を開けたままなら、平泳ぎで50mくらいなら、ノロノロと泳げます。
ちなみには母は、本当にカナヅチで、普通に力抜けば人間って浮くはずなのに、沈んでいきます…力入れすぎてるんだろうねぇ。

こういう人はマイノリティですが、確実に社会に多少なりともいらっしゃいます。他人に信じてもらえないので、さらけ出す勇気がなく、黙っておられるだけかと…運動機能そのものがかなり劣っているわけじゃないので、他人には理解し難いのかも。
あ、別に心配してお医者さん紹介してくれなくてもいいです。
原因おおよそ知ってますから。
決して、やる気ないとか、ふざけてるとか、反抗してるわけじゃないのです。
単にわかんないんですよぉ〜〜〜

そういう人もいるんだという前提で、楽器の練習のお話を続けます。

三弦の弾き方を根本的に変えました。
あまりにも前の方法と違いすぎるので、修正が大変。
厳しい先生だと、どうして言われた通りにできないのかと叱られちゃいます。
だって、言ってる意味と、どうやったら、そのように身体が動くかは別物なので、自分の身体の動かし方がわかりません。
比喩ではなく本当に…。例え日本語で言われても同じですが、多くの先生は私の中国語コミュニケーションのせいと良い方向へ勘違いしてくれて、手を出してくれるので助かります。言葉の字面的な意味は翻訳できるほど、実は承知しています。

聞いて分からないのなら、先生を模倣すればいいじゃん。
その通りですね。
で、模倣しようとすると、本当に見えた通りに自分もやっているかどうかっていうのは、じぃ〜っと自分の手先を見ないと分からないのです。
だから、どうやら、どの先生も不思議に思うようです。
どうして、穴が空くほど、他人や自分のやってることを見つめるのかが…。
普通、音の場所がわからなくて、三味線とかだと棹を見る、ピアノなら鍵盤を見る人は多いと思いますが、そうじゃなくて、私はただ弾けばいいだけの先生や自分の手そのものを見るんですね。
だって、言われた方向に弾いているのか、本当に見ないと分からないんだもん。

それと、楽譜見ろって言われると、じぃ〜と楽譜を見続ける必要があるので、他の感覚がいっきに麻痺して、今、何してるのかが分かりません。
例えば、車の運転なんかさせた日には、目に映るもの全てに集中するので、情報処理と身体制御が困難で、ぐったりと疲れます。
車から降りて、貧血おこしてクラっときて以来、別に好きで免許とったわけじゃないのでペーパードライバーです。

じゃあ、あんた、子供の頃から、どうやって、楽器弾いてきたの?
…って思いますよね^^;
楽譜は基本暗譜、いつも間違いそうになる箇所だけ、譜面のあそこに書いてあったと場所を記憶していて、本当に忘れそうになったら、そこだけパッと見る、そういうことです。
暗譜そのものは、音源でメロディとリズムを覚えています。

初めての行為、慣れない行為は、ずっと見てないといけない…。
関係ないかもしれないけど、電子レンジもよく見つめるらしい。
セットすれば勝手に出来上がるのに、ずっと前で待ってしまうのは何故だろう?
流石に洗濯機は見つめない…それは中が回っているのが見えないから、面白くないせいかと…^^;

で、先日、先生がおっしゃいました。
「いい音がしたら、見てなくても動作は正しいはずだから音色で聴き分けなさい」

なるほど、一理あるなぁ。
音色と自分の行為の関連性なら、私のヒヨコ頭でも覚えていられたわ。

でもね、「いい音」という概念は実はくせ者。
それは、その文化圏の中で良しとされている音なので、自分の思ういい音と全然違うのよね。
もちろん、自分の好きな音とその業界で言われてるいい音がほぼ完全に一致する場合もあります。
私の場合は三味線の師匠の音がそれで、だからお稽古代心配した師匠に、弟子を紹介しようかと言われた時に、師匠じゃなきゃやだ〜と断りました。

この際だから、ついでに言うと、子供の時に、協和音とか不協和音とか、メジャーとかマイナーとか、寂しい感じでしょとか、先生は勝手にいろいろ概念を押し付けるけど、私にはそう聴こえないんだが…と思うこともあったなぁ。
だってさぁ、増四度とか、欧米では悪魔の音とかって嫌がられるんだって?
私的にはめっちゃ、怪しくていい感じよ。
どういう風に聞こえるかを、音を聴かないうちから、同意を求めないでほしいわ。

だから、三弦の場合、「ほら、今の音、いい音したでしょ」って言われると、そうか、これが目指す音なのね、と記憶するようにしています。
本当は自分的にはそれが理想の音でなくとも。
三弦の目指すべき音はいい音っていうより、私的には中国の路地の匂いプンプンで、ちょっとキツイ感じなのよね。

そういえば、実際、名人と呼ばれる人の中にも、どうしたら、そんなフォームとそんな姿勢で長時間、弾いていられるの?という人がいらっしゃる(私がそう思うのではなく、今まで交流してきた全ての先生が口にしたセリフ)。
だから、王道というのはあるのだろうけど、一ミリの差もなく先生と同じように動かせるわけもないのだから、そこは無視していいのか…
という結論に落ち着きました。

もしかして、私のようなマイノリティ以外の人は皆、普通に当たり前にそうしてきたのか?
ははは…先生方、世の中にはこういう人もいるのよっていう参考にしてくださいm(_ _)m