二胡LESSON94

ついに、二胡のレッスンでも言われちゃいました。

「土泥带水」

中国人の先生に中国語で楽器を教わった人なら、一度は言われたことあるかも。
まぁ、かなり上手い人が、中国へ音楽留学した場合は言われないのかもしれないけどね…

文字通り、泥が水を帯びてるんですヨ!
以前、三弦でも「ぬかるみを歩いている」と言われましたが、二胡でも同じなわけなんです。
瞬時に指が弦から離れてくれず、必要のない余韻(滑音)がくっついて離れない。
別の先生にもそう言われたとナナ先生に行ったら、「まぁ、あなたに限らず、誰でも一度は通る道だから、注意はしないといけないけど、病むほど悩んじゃダメよ」と言われました。
ううむ、三味線にはサワリがあるので、あまり目立たないだけなんでしょうね…きっと、私が弾くと、指が回ってないせいで、そういうどうでもいい余韻が響いてるんだろうな~

ところで、二胡から話はそれるけど、三味線、弾き終わった最後の音の余韻が、何故、師匠のように綺麗に響かないのか、今頃気付きました。
三味線は絹弦を使っているので、音が狂いやすいですよね。
弾いている途中でしょっちゅう、調弦してるかと思います。
つまり、私の場合、あぁ、狂ってきてるなと気付かないこともあれば、狂い始めていることに気付いても、とっさにきちんと弾いている合間に直せないんです。
十二平均律みたいに、「だいたい均等に合ってる」程度じゃ、厳密には綺麗に響かないんですね。
現にピアノの和音って綺麗じゃないものね(私は、日頃、フレットのない弦楽器を弾くので、天に貫けるような和音ばかり聴いているせいか、ピアノに濁りを感じます…それを否定するわけではないです、それはそれで便利です)。

私は三味線の師匠が二本以上の弦を打つ時の音がものすごく好きなのですが、それは打った角度もさることながら、音がピタッと合ってるからなんですね。
協和音だけじゃなくて、三味線の場合は不協和音も多用されますが、その独特の美しく響くピンポイントの不協和音音程がとれてないから、私の音、ちっとも「ご機嫌」に聴こえないのね。

だから、私の曲の最後の音は、最悪(曲なんて、最初と最後が肝心だというのに…)。
弾いていない弦も実際は響いているので、狂っていると、隣の弦もきちんと響かないから、最後の方になればなるほど、師匠の音から遠ざかっていくのは当然だったんだ~
師匠が和音を打つ瞬間を見ると、「ただ普通に弾いてるだけで、見た目は長年弾いている普通の人とあまり変わらないのに、一体、どこが違うんだろう」と思っていたけど、大前提から違ってたんだ(笑)

で、話しは二胡にもどるけど、二胡は三弦や三味線ほど、素人の耳に明確には分かりませんが、内弦と外弦は五度離れているので、きちんと調弦してあれば、かなり綺麗に響く筈ですが、ずれていると、音色も変わると思います。
試しに、外弦の開放弦を弾きながら、内弦が響かないようちょっと軽くつまんでやると、音色が薄っぺらくなります。

糸道

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糸道とは「常に三味線を弾く人 の左人さし指の爪の先に、弦との摩擦でできたくぼみ」ですが、自然についちゃう人もいれば、弾きやすいように自分で爪をそのようにカットしてしまう人もいるようです。

私ですか?
毎日の練習が終わるころには勝手についてしまいます。
で、他の楽器を弾くのにひっかかって不便なので、私はこれをよしとせず、三味線弾く前に爪の先に瞬間接着剤を少し伸ばしておいて、出来ちゃった糸道は後でやすりで削ってある程度、平らに戻してしまいます…
でも、多少は残ってしまいますね。
しかも、硬くなった指先の皮膚に食い込んだ糸の後は、消えませんね~
あまり皮膚が厚くなると、これもたま~にやすりで削ってしまいます(笑)

薬指は、以前はきちんと糸を押さえきれなかったのでボヤけた音しか出ず、仕方がないから爪で押さえてみたらと言われてしばらく爪を伸ばしてました。
でも、もともと深爪だったんで、伸ばすと割れるというか、上にめくれてきて、生爪剥がしという感じでやばいので、結局、切れるとこまで深く切ってしまいました。
わはは、指先はカチカチに硬いので、全然痛くないですけどね。
今は前よりも薬指の力があるので、ちょっとはマシに弦を押さえられますが、やっぱり薬指はおバカだよ。

楽器やらない人は、他人が弾いてるところだけ見て、優雅~と思うらしいけど、実際、その指先はゾウの脚みたく硬かったりして(笑)
しかも私の場合、人差し指の先っぽは斜めに平らになってしまい、先っぽの関節から歪んじゃったしなぁ…
鍛えてるんで、私のデコピンは、右手でも左手でも、普通の女子にやられるよりイタイと思います。
中国琵琶とかやってる子に五本の指で連続デコピンされたらイタイやろうなぁ…

私が三弦でしたいこと

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写真は、中国の民族楽器「阮」(中国語読みでRUAN、日本語読みだとゲンです)によるコンサートを収録したDVDであります。
タイトルが三弦なのに、なにゆえ別の民族楽器の説明から入るかな。
でも、前提としてちょっと関係あるので…
阮は唐代にはすでに存在した古い楽器でして、現代のものですと四本の弦で、ピック使って弾きます。
最近の楽器の改良などを経て、大きさ(音域)によって大阮、中阮、小阮とあります。
まぁ、ギターなんか弾ける人には簡単な楽器かと…
フレットありますから、多少音感悪くても何とでもなります(笑)

これも三弦と同じくらいマイナーな民族楽器ですから、ちまたに流通しているCDやDVDの数は少ないです。
このDVDも珍しい類、中央音大の楽団の世界初演の作品ばかりを集めたものだそうです。
基本的にすごく西洋っぽい演奏でした。
最初の曲なんて、阮とオーケストラの共演で、西洋音楽(きらきら星変奏曲、エリーゼのために、ボレロ等、誰でも知ってる名曲ばかり)のメドレーだもんね。
さすが、音の粒が美しい現代的な演奏でした。

う~ん、阮は楽器の音色とか構造上、西洋音楽と融合させやすいんだよね。
それに比べて三弦って…音が特殊すぎで、オケの中でメロディ弾くと浮くし、かといって声楽以外の楽器の伴奏をさせると何かチョット変。

私は民族楽器で西洋音楽を聴く(又は弾く)のは嫌いじゃないですが、本当に弾きたいものは、伝統的な曲なのです。
中国の人の発想は、楽器や音楽を改良・発展させて、西洋に出来る限り近づこうとするけど、私にしてみたら、西洋もんは西洋の楽器がやればいいわけで、私から見た中国も外国なので中国らしさ、捨ててほしくないんですよね。

唄手さんに歌ってもらって、三弦伴奏するのも、まぁ、それはそれで面白いけど、
私が本当にしたい事は、具体的に言えば、二つか三つの民族楽器だけを使用した室内楽です。
昔は、琵琶、筝、三弦、二胡などの楽器で、芝居の前座又は唄の前奏として、ユニゾン合奏したわけですが…
でも、ユニゾンで弾くって、今の人にとってはきっと、ツマンナイんだよねぇ。

大合奏も人数多ければ多いほど、音量とインパクトはあって、演出として見る分には豪華だけど、西洋的感覚に慣れた人からしたら「何で同じ旋律を皆で弾くかな~」ってことなんでしょうね。
私も見る分には楽しいと思うけど、自分が弾く側だったら、あるいは目が見えなかったとしたら、別にあんまり感動しないです(三味線の師匠もたまにこのブログ見てらっしゃるだろうから、問題発言かな…好みの問題だから、しょうがないよね)。

私はメロディとメロディが交差するような合奏ができないか日々、夢を見ているのですが、今のところ、本人の勉強と技術不足でできません(笑)
お友達のミズキちゃんは、筝とチェロのデュオCDでお薦めの曲があって、すごく素敵だと言っていました。
↓こういう感じです。
http://v.youku.com/v_show/id_XNDkyOTU5NDQ=.html
でも、三弦とチェロは…ビミョ―だろう(^^;
しかしながら、私は三弦と二胡はいけると思っているのです。
とりあえず、ボランティア演奏で試しにやっちゃうつもりです(^^;
失敗だったら、ゴメン。

だって、例えば大鼓(唄い手さんが、太鼓と板を自分で打ちながら唄って、三弦などが伴奏する伝統芸能です)の前弾及び伴奏なんて、三弦、四胡、琵琶だしねぇ。
あれから、唄を取ってしまい編曲しなおしたら、現代人が聴いて楽しい音楽、できそうな気がする。
事実、そういう独奏曲はある…

ちなみに京韻大鼓という大鼓の一種はこんな感じ。
私の好きな駱玉笙先生

http://www.56.com/u72/v_Mzk4OTM3MTc.html

冗談抜きでうちの大学の「民族音楽概論」という講義をとると、これ唄わされます(^^;
でも、こういうのを唄わさせられる音楽科は他大学ではないんじゃないですか(笑)
もう、忘れちゃったぁ~

ちなみに、大学の民族器楽専攻でやる三弦は、三弦の規格をある程度統一してしまい、地方の伝統芸能を寄せ集めてきて、興業の前座で弾かれた小曲、または歌唱の前の前奏部分が独立して残っている器楽曲、伝統芸能を元にして作られた現代の独奏曲、少ないですが西洋オケとのコンチェルト、中国の筝や琵琶から移植した曲、外国から移植した曲(例えば、モーツアルトの「トルコ行進曲」、日本の筝の「さくらさくら」等)を演奏しているわけです。

三弦って筝と違って、ピアノみたいに十二平均律とかでもいい音がするわけじゃないし、その土地の文化にドロドロに染まった変わった音がするんだから、無理に外国に迎合するより、伝統に染まっちまった方がいいんでないかという気がするんです…
でも、以前、ネットの動画で見た三弦と新疆手鼓にアレンジされた鼓動(原曲は吉田兄弟さんの三味線曲)は悪くなかったです。
でも、あれは、伝統をぶち壊す今っぽさというよりも、ものすごく伝統を意識してるような気がするんですが…。