二胡の民謡調ビブラート

どういう練習をしたら、二胡のビブラートが効率的に身につけられるかという解説をしてくれる本や先生は意外と少ない…
多くの天才肌の演奏家や先生は、そのうちできるようになるとしか言わないでしょうね。
ある二胡の先生のブログが面白いのでたまに読んでます。
そこの記事で、演歌、あるいは民謡みたいなビブラートという表現が出てきて、すごーくマスターしたくなりました。
これは二胡のビブラートのうち、一般的なものではないと思いますが、面白そうだな〜と。

冗談抜きで、私、三味線伴奏付きで、津軽民謡を二胡で唄ってみたいのですよ。
二胡がうまく弾けるようになったあかつきには、どなたか兄弟子先生に伴奏していただきたい…真面目な話。
だって自分自身が唄うには、声は低めで全然綺麗じゃないし、肺活量が超少なくて無理無理だから。
もっとも三味線の練習中は自分で唄いながら弾いてますが他人が聞いたら笑っちゃう発声と音程(^◇^;)
聞きたくなくても聞こえちゃった先生と家族だけが知っている…
ほんと、哀しい…

大人の二胡

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ワンコイン先生

先日、岐阜県の実家に遊びに行ってきました。
母が一年位前から習い始めた習字を見せてくれたんだけど、一年前より上達してる~
母は昔は本当に字が下手で(今でもボールペンとかで普通に書く文字は子供なみ)、不器用な人なのだけど、先生のお手本見てなぞって練習してれば、上手くなるものなんだね。

ちなみに、習字に一回1時間程度のレッスンは250円なのだそうな…
まぁ、月に二回は行くから500円だって。
先生は60は超えたおば様で、自分で車を運転していろいろな場所に教えにいってるみたい。

「じゃ、私も一回、ワンコインで三味線教えてあげるけど、どう?」って言ったら、
「え~三味線はやだ~、二胡ならやってみたいかも」と言われました。

しかし、ここで現実的な疑問。
一回ワンコインで二胡教えるって言って、習いたい人、本当にいるんだろうか?
もちろん、腕はそこそこだけど本当に教えるのが上手い先生(もしくは教えるの下手だけどそこそこ有名な演奏家)がその値段提示するのなら、希望者はいっぱいいると思うけど、そうでない人、つまり安かろう悪かろうでいいという人、いるのか?どうなんだろう???

本当にいたら、教えるけど…
多分、この値段、ちまたの先生にふざけるなと怒られるだろうな。
どう考えても生計は成り立たないので、他の仕事で稼いで、ボランティア精神で教えなければこの値段にはできないでしょう。
きちんと(演奏及び教授法の)技術を身につけて、ちゃんとお金とれって叱られそう。

先日、夫と雑談してて、安物のお稽古用の三味線でこのくらいの値段かなぁみたいなことを教えてあげたら、
「え~入門用の楽器で、何万とかするの?俺、学生の頃、遊びでギター弾いたけど何千円だったよ」と言われました。
あなたが大学生の頃って、1970年代でしょ?
今どき新品で何千円って楽器あるの???
そういえば高校生が吹奏楽とかで使うフルートだって、最低でも7,8万はしたと思うけど…私の記憶違い?
私は、楽器の値段やレッスン料に関しては、感覚がマヒしてるけど、普通の人はこちらがかなり低いと思っている値段でも相当、高いと感じるんだなと改めて思いました。

沖縄のかんからサンシンじゃないけど、何千円~1万円で自分で楽器を手作りしていただいて、一回ワンコインで簡単な曲を教えるという文化講座なら需要ある?(^^?
つくづく、音楽ってお金かかるのに、その使ったお金は回収できないものだと思います。
まぁ、そもそも回収しようなんて思っている人は、音楽やりつづけないと思うけど。

特に演奏の才能があるわけでもない人が音楽をし続けたいと思ったら、相当、お金に余裕があるか、ボランティアの演奏やボランティア教授などの形をとって社会貢献することで、自分のしていることを周囲の人(家族?)に納得してもらうしかないんだろうね。
(費やしたお金と時間を無駄にしたんだね、と非難されたり、憐みの目で見られるのを回避するという意味…。)
まぁ、でも自分が楽しけりゃ後悔もなにもないのだけど、やはり、私は母に昔から「あんたはいったいそれで何になるの?」とか、「結局、失敗したんだね」とか「無駄にしたね」と言われるのが心苦しい。
ちなみに私は大学生のころから学費のために働いてきて、自分に相当の投資をしたけど、最終的にまともな仕事についていないので、親しい友人に投資額と収益のバランスが悪すぎて、会社ならとっくに倒産だねと言われたことがあります(笑)
そして、いまだに学生し続けて無駄な時間とお金の投資をし続けているし…

しかしながら、このボランティアでやるというのも、最近では、ボランティアなのに、プロの方に限るという募集があったりして、すごく滑稽だなと思うのでした。
子どものころから時間やお金を大量につぎ込んできて、才能もある方が、交通費すらお金採れないのは実に気の毒だと思います。
インターネットの発達で、小説にせよ、絵にせよ、音楽にせよ、今、タダが当たり前、そして、ブログやYOUTUBEなどによって、素人でもいくらでも、作品を公開でき、一億クリエーターの時代ですから、本当に運やカリスマ性がないと芸の道でお金はもらえないんだろうなと思います。

大合奏に思う

本日は「青森の唄祭り」に参加してきました。
これは青森県民謡民舞の全国コンクールなのですが、間に先生方のショーと家元先生方が率いる社中の合奏なども入ります。
小山会社中の合奏に参加してきました。

小山会って大合奏得意なわけですが(そもそも全国的な人数が多い)、ぶっちゃけ、私は大合奏っていうのはあんまり好きじゃないんですよね…
でも、やるのは経験のため、舞台の場数踏むため、いちおう、先生と同じ舞台にいるという満足感が得られるからでしょうか。
ははは…先生は演奏を生業にされてる遠い世界の人ですから、悲しいことに私は10年経ったとしても本当の意味で先生と同じ舞台には立てませんから。

発表会のフィナーレにやる300人近い大合奏って末席の人間にはキツイ~
というのも、あっちとこっちで何か音がズレてるなと感じても、それは反響でズレて聴こえるだけなのか、本当にあっちとこっちでズレはじめているのかよく分からないし、誰に合わせたらいいんだよ~と思うからです。
仕方がないので、家元先生の傍で弾いている先生方の指先と棹の位置を見て、視覚的に合わせることで多分、自分は合っているんだろうと思うしかない…
と、先生に言ったら、「それは場数ふめば、合わせられるようになるものだ」みたいなこともおっしゃってましたね。
確かにそうかもしれないけど…弾きやすい場所に行くには出世するしかない!?(笑)

以前、じょんからの合奏で、家元先生が、長い間があるところで、合わせるために三味線の太鼓のフチをコツコツコツと三拍、マイクの傍に近づけて叩いているとおっしゃったことがあったのですが、本当の最後列ぐらいになると全然聞こえないんですよね(笑)
ある意味、突っ走りすぎる大多数の素人三味線弾き(私もその一人で、すいません)に先生方が無理に合わせてくれてるみたいな感じに聞こえるのです

青民の合奏はいつも人数少なめなので(何十人?)、音が聞き取りやすくて好きかも。
本日は、家元先生がだいぶ少し後ろに下がったところで指揮をとってくださったので、弾きやすかったな。

合わせやすいか否かという視点から言えば、先生と二人だけで弾いている時が一番、気持ちいい…だって、どちらかが旋律をうっかり弾き間違うか、私が音程を外さない限り、絶対に合うんだもの(それは先生が合わせてくれるからでしょうね)。

超大合奏は好きではないと言ったけど、いいところもあります…
それは全くあがらないところ(おい…ってか)。
だって、聴覚的には、お客さんに自分の音だけが飛びぬけて聴こえるわけではないし…
視覚的には、おそらく、お客さんは、全く見ていないか、家元先生の周辺とか前列ぐらいしか見てないでしょう?
私の左目視力は悪くないので、客席のお客さんの反応がはっきり見えますが、お客さんの顔見ても合奏なら平気ですね。

ところで、中国でも二胡や三弦をユニゾンで合奏するというのを見たことあるけど(子どもや素人さんの公益的な演奏イベント)、何百人というのはお目にかかったことがないな…
そもそも、そんなに大勢の人間が、国や地方公共団体の指導者でもなく、会社の上司でも大学の指導教官でもない家元先生の下に集まって時間を費やして、ノーギャラで、他人の音に協調しようって発想は、中国ではありえないだろうな…
それと、中国の今どきの人にしてみたら、皆が同じ旋律を弾くというアジア的スタイルは西洋の重奏スタイルに比べて劣っているというか、おしゃれでないというか、「子供の練習曲か」的に感じるのかもしれない…。

しかしながら、一人ではおおよそ舞台に立てない腕の人間が舞台に立って場数踏むには、合奏はもってこいのスタイルであるには違いない…(^^;

以前、私の中国三弦の先生(中国の某音大教授)に三味線発表会のプログラム見せて雑談していたとき、大合奏の話になって、先輩が「先生も教え子全部集めてやったらどう?」と冗談で言ったら、「あんたたち、一銭の得にもならない、むしろコストに係る費用を負担してまで舞台に出てくれるわけないんじゃない?」と言って笑ってた…。
もちろん、中国にだって、同好の志が集まって、お金出しあってコストに充てて、お客さんは無償の内輪的な演奏会開くことはあると思うけど、そんなに大人数にはならないと思われる…