分かりやすさと弾きたいものは、なかなか一致しない

五月のボランティア演奏のために、いちおうMC用の台本書いてみました。

はっきし言って、本人の演奏が素晴らしくて、持ちネタ(演奏できる楽曲数)が多ければ、こんなこと必要ないのかもしれませんが、私の持ちネタは説明しないと面白くも何ともない曲ばかりなんですわ。
だから、曲の由来、つまり物語を講談調に書いてみたんです。

…で、講談師が語れば、それなりに楽しいんだろうけど、
問題は素人の私がきちんと話せるの? …って(笑)

学芸会になっちゃったら、マズイ(^^;
でも、これ話さないと、本当にツマンナイ。

ところで、当日、二胡で一曲、私と合奏してくれることを快諾してくれた友人は、譜面を見て
「久しぶりだなぁ、こういうちゃんとした曲弾くのは…」
と言いました。

彼は地方の師範大学の音楽科を二胡専攻で卒業して、今は日本の大学院で音楽療法勉強しているらしいんですが、週末はよく自分の大学のセンセとボランティア演奏なんかに出かけるらしいんですね。
当然ですが、こういう人からしたら、超簡単な素人受けする普通の曲しか、最近は弾いていないんだと思います。

たまに、中国留学経験のある日本の中国民族楽器を教えている先生も、演奏依頼受けても、
「聴衆に分かりやすい曲弾いてください」と言われて、なんか残念だなぁと思うことあるとおっしゃってました。
まぁ、普通の聴衆に分かりやすい曲は、練習する手間のない曲で、楽って言えば、楽なんだけど、せっかく中国まで行って勉強したのになーってことなんだと思います。
でも、ぜんぜん、なじみのいない曲をいきなり弾いてもツマンナイのも事実で…。

ツマンナイであろう曲を、いかに聴くに堪えうるものにするか…
私がMCして、私の先生に弾いてもらえば、完璧なんだけどな~(笑)
技術的に問題ない人が弾けば、説明なくても聴けると思うけど、そういう状況下でも説明なければ、面白さは50%しか伝わらないと思う…

まぁ、演劇なんかでも、一番いいのは、作家が本当に書きたいもの書いて、それが偶然、ヒットすることだといいます。
受けをねらって書いたものって、結果としてお金になっても、作家は疲れるんですよね…(受けること自体だけを追求するなら話は別だろうけど…)
飯を食うための作品と、自己表現の作品を同時に書いてる人もいるかと思いますけど…

ボランティアだから、本当は聴衆受けするものを弾かなくてはならないんだけど、私、弾けないのよね~

そもそも、私の死んだ父は音楽好きだったけど(一銭の貯金もないくせに、母と結婚した時、立派なステレオだけは持っていた)、クラシック好きで、歌謡曲とかって嫌いだったから、ずいぶん大人になるまで、私聴いたことなかったし(汗)
ちなみに、今もうちの家族ってのは、母は今、地元の音大の院出たイケメンの若手チェリストが好きで、よくお友達にライブに誘われて行ってるようだし、オットは朝から、朝のバロックとかラジオで聴いてるし、民族音楽とか、民謡とかは、私以外、誰も分からない(笑)

二胡LESSON90

まずは長弓

私の場合(というか多くの初心者にありがちと思うけど)、拉弓と推弓の折り返し地点が、よろしくないんです。
まぁ、急激にそこで速度が速くなるわけですね。
つまり、手首の使い方の問題です。
まぁ、よく、魚が泳ぐ時の尻尾のようにといわれてますが、ふにゃふにゃ動けばいいってもんでもないんですよね。
これも、教える先生の方針もあると思うので、私が言ってることを鵜呑みしないでくださいね…
まったく、手首がガチガチに固まっている状態じゃ、上手な弓使い出来ないと思います。
でも、いわゆる、魚の尻尾みたくゆらゆら、あるいはふにゃふにゃ、っていうのは、確かに弓の速度が遅い時はそう見えますが、弓の速度が速くなるにつれて、そんなにふにゃふにゃには見えませんね。

おそらく、他人の話等を聞いていると、世の中には、手首を魚の尻尾みたいにとうるさく言う先生と、手首なんてふにゃふにゃ使うな~と言う先生の二種類があるかと思うんです。
でも、どっちの先生もやってることに大差ないような気がするのは私だけかな?

弓を返した時に、音がまったく違和感がないように(一直線に聴こえつづける)というのは、手首がうまく脱力していて、徐々に変化しているんだろうなと思います(上手く書けないね…)。
私の場合は、急にぐにゃっと手首が返るから、そこで速度が変わって音に変化が出てしまうのであります。
そして、快弓くらい速くなってくると、実際、手首は外見的にはほとんど固まっているように見えますが(速いから変化の幅が狭いだけ)、中身はやっぱり手首の力抜けてるんじゃないかなと、私はそういう気がします。

次は音階
盲目の人を見習おうと前回のブログで書いた通り、最近は目をつぶって、練習したりもするので、手の感覚がよくなったせいか、ナナ先生に前よりもポジション移動に違和感なくなったと言われました。
わーい。

そういえば、我が三弦の先生、仁王トシミネ先生は、たまに目をつぶっているか、他ごとをしながら私の演奏を聴いてますね。
視覚によって、余分な情報を入れないためなのでしょうね。
他ごとしてて聴いてないかと思いきや、ちゃんと細かいところ、聴こえてるのがコワイ。
目つぶって動かないから、寝てるのかと思ったら、ず~っと聴いていたりするンです、超コワイ。

賽馬

さぁ、私はこの曲を何カ月やってるんでしょうね~
っていうか、この曲で、ありとあらゆる基礎技術を練習しちゃえってことが多分、ナナ先生の目的なんじゃないかな。
いちおう、メロディ弾けちゃってるから、普通の教室の先生だったら、とっくの昔にOK出して飽きさせないように次の課題曲に行っているような気がする…
今回、新しく出された課題は、57、58小節目、60~68小節目にある頓弓。
多くの趣味の人がテキトーに流しちゃう箇所ですよね。
流しちゃうっていうより、技術不足で、弓が勢いで流れていってしまう、あるいは適当に飛び跳ねていくのでしょうね。
まず一つ目の注意点は、二つの音を同じ弓で推すとき、その二つの音をきっちり均等に出すこと(通常、初心者は後の音が長くなりがち…)
つまり弓の長さが均等であること。
二つ目の注意点は、譜面は8分音符が二つだけど、イメージとしては十六分音符の次に十六分休符が入ると思えということ。
そして、その休符のとき、瞬時に弓は止まっているのだと…
それが一番、雑音が入らずに綺麗に聴こえるのだとか…
「そもそも曲自体、速くて流れがあるので、弓が勢いで滑って、コンマ何秒か止まらないよ~」
と漏らしたら
「それが技術と言うものです」と諭されてしまった(^^;

春詩

ハイ、相変わらず、練習不足でございます。
「次に何の音だっけなんて考えながら弾いてちゃだめよ~」と叱られました。
ハイ、すみませんです。
ハ長調の曲ですが、ハ長調の音階弾く時のような指づかいではなく、ちょっと曲の都合で変則的な指使いをするせいか、とっさに混乱して、違う音弾いちゃったりするンですね…
でも、これもたくさん練習してたら、そんなポカミスしないわな。

「出だしは自由なテンポだから、弾く人によってずいぶん処理の仕方が違うわけで、弾きにくいと思うけど、あなた、リズム感はわりとあるのよね」とナナ先生にほめられ(?)ちゃいました。
…っていうか私は譜面読むのは苦手だけど、聴いて真似するのは好きな方で、で、いろんなバージョンがあれば、一応好きな人のを真似します。
はぁ、まぁ、思えば、他の先生にもリズムで叱られることは少ないような気が…
そりゃそうだわな、どの楽器にせよ、課題曲の音源は、何百回も聴いてるんだから(笑)
仁王トシミネ先生には、初見だと「リズムに気をつけんかい!」としかられるんですけど…歌ってもらうとちゃんと合わせられたりするんですよね(笑)

自分で譜面見てきちんと弾けず、歌ってもらって初めて弾けるなんて、動物ですみませんね、って感じですか(^^;

【余談】
レッスンの進め方として、一つの曲をなが~くじっくり、細かくやるというのと、曲をどんどん仕上げていくというのがあると思います。
往々にして後者は趣味の教室の先生なんかが採る方法かな。
もちろん、後者の方法でも長年やってれば、それなりに上手くなるけど、前者の方法の方が技術は伸びるというのがナナ先生のご見解。
つーか、自分と従姉を比べてみると、そうだったと思うとのこと。
まぁ、他の音楽家もそう言ってたような気がする。
もちろん、趣味でやる場合は、曲のレパートリーも増えないと、発表会とかで弾くものなくなっちゃうし、皆と遊べないから、いろんな曲を弾かせてあげないと気の毒だよね。
ご年配の方とかだと、この先、何年楽しめるか、分かんないし。
身体的機能の関係から、努力したからといって技術が飛躍的に伸びるわけでもあるまいって方もいらっしゃるだろうし…
若くて将来が楽しみな人なら、じっくり育ててあげたらいいんだと思う…
じゃあ、この先どうなるか分らない中年(自分)はどうなんだろうね…
ナナ先生も、ビミョーなんだと思う。
私が真剣なのをご存じだから、なるべく、音大附属受験の子なんかと同じような注意の仕方をするけど、じゃあ、10年後に音大、あるいは師範大の音楽科受けて受かる腕になるかっていうと、そら無理でしょう、って分かってるわけで…

歳とってると、日々の進歩と老化どっちが勝ってるのかビミョ―だ。
10年後は老化がもっと激しくなってるだけだしね…もう脳細胞なんて、毎日死んでる数の方が多いし(笑)

中途半端な生徒でスミマセンって感じですね。

大人になったら何になる?

昔、夜間の大学生をしていたころ、当時の同級生が「大人になったら何になろうって思うんだー、もう大人なのにね」と笑っていたことを思い出します。
20歳で一回目の大学生(法学部)をしていたときのことです。
彼女は当時、専門学校で英語教師をしていて、本人、すでに外国語学部を卒業してて二度目の大学生なのですよね。
ちなみにこの人は、今は某大学の異文化コミュニケーションという学問の正式な教員になってしまいました…さすが!
ちなみに当時、大学の司法試験勉強会の会長を私がやって、副会長を彼女がしてました。
↑やってた理由は、勉強会に所属していたお兄様方(なにせ夜間部ですから、30代、40代、50?代もいたと思います)が、勉強忙しくて雑用したくない、大学との交渉は「女の子」がやったほうが、先生もいろいろ甘く親身になってくれるに違いないという理由で、私に政治的な腕力があったわけでもなんでもないです(笑)
ただ女子が私とそのお友達しかいなかっただけ…
今、大学教員の彼女は、大人になったら弁護士しようかなーなどと数年前に会ったとき、言ってたっけな。
他にも、看護系の学校を卒業してて、現役の看護師さんとか、助産師さんでやはり短大なんかで先生をしている人が、二度目の大学生をしておられました。

私は今、二度目の大学院生をしてますが、これは、本気でこの道の大学教員目指している人には申し訳ないけど、単なる仮の姿で(社会的身分がないと、生きていくのにいろいろ不都合なんです)、本当は毎日、楽器弾いていたいだけなんです。
つーか、年齢的に企業や大学には勤められないし(もちろん、専門的なキャリアがあれば別ですが、能力は新卒みたいなものだもの)、いまさら、もう一個学位あっても、大学のセンセしないのであれば使い道ないしー
もちろん、学問が好きで、論文も書けるのであれば、やり続ければいいんだけど(そういうオーバードクターは日本にはいっぱいいると思う)、でも本人、20年近くやってきて、もう飽きちゃったし。

私があと30歳以上若ければ、ずっと三味線弾いていられるお仕事をめざしてがんばったのになーと思うことがあります。
例えば、寄席でお囃子弾く人とか、芸者さんとか…
あぁ、でも綺麗で、気が利かないとだめか…
そういうお仕事があることをよく知らなかったし、どうやったらなれるのかもよく知らなかったしなー。

例えば、医者になりたい、弁護士になりたいだったら、開業できるか(利益がきちんとあがるか)どうかは別にして、いちおう、幾つになってもOKですね。
だって、中年の医大生や法科大学院生なんて、その辺に普通にいるよ。
夫が、孫のいる学生さんいるって言ってたなぁ。
もちろん、単なる教養や趣味のために法科大学院くるやつなんているわけもないので、本気で弁護士になるつもりなわけですよ。
そして、苦労はするだろうけど、こういう頭さえ使えばいい勉強は、それこそ、中年だろうが、老年だろうか、本人にやる気さえあれば、なんとでもなる。

でもなぁ、音楽ってねぇ…ある意味、体育系だから、速く手が動くかと言えば、動かないわけよ。
これ、本当に残念だなぁ。

ふと、自分が喫茶店のオーナーだったら、たまにBGMを自分で生で弾いてやるのになーとか思っちゃった。
で、数秒後に、古琴とかなら、喫茶店のBGMでもなんとかなるけど、三弦ってうるさすぎ(笑)
だめじゃん。

まぁね、現実的に考えれば、日本に帰ったら、早朝のアルバイトでもして飯食って、昼間はボランティア演奏とか行って生きていくしかないのかなー
でも、何かの拍子で生活環境変わったら、誰も飯の食えないことに時間を費やす環境を大目には見てくれないだろうから、楽器捨てなきゃいけないんだろうね。
私の周囲は、弾くこと=義務(使命)として勉強している子ばかりだから、ある意味、私のことがうらやましいそうだ。
なにせ、本人、好きで毎日練習してるけど、彼らは、ある意味そうではないからね。
もちろん好きでなかったら、とっくに捨てているのだろうけど、好きなだけではやっていられないのも事実。
でも、天賦の才能があって、周囲から、弾くことを強要されてきた人たち、私にとっては羨ましいですよ。
私は、誰も私に弾けって言わないから、だから弾けるときに、おもいっきり弾いとくんだー