他人さまの時間を頂くにあたって

五月初め、日本帰国中、仕事を一つ引き受けました。「仕事」とは普通、報酬をいただいてやるもののことを言うと思いますが、私の恩師(中国法、比較法学の研究者)はよく、お金にならない作業でも「お仕事」と言い、「今、どんなお仕事されていますか?」とおっとり聞くような方でした。1931年生まれの人ですから、親しい間柄でも敬語がやたら多くて、弟子に論文指導するときですら「ご進言申し上げますが…」と言う人だったなぁ~

というわけで、引き受けた「お仕事」の案をメモってみます。

70代の方々が集まる茶話会(?)みたいな場で、何か弾いてみない?というお話をいただきました。
ありがたいことに、「やりたいものをやりたいように、やってもいいよ」ということなんです。
そこで、考えました。

私に一体何ができるだろう…

いくら、報酬を頂くわけではないと言っても、こりゃヒドイというものをお見せするわけにはいかないでしょう…
他人さまの時間を頂くわけですからね。

というわけで、三味線と二胡は選択から消えました。
これらの楽器は、タダで、上手い人の演奏を聴くことができます(笑)。
三弦は、私、まだ下手ですが、この先、誰かがタダで弾くことはまずないし、お金出したって、そういう機会がほとんどないので簡単に聴けるものではないんで、これしかないでしょう。
じゃ、何弾く?っていうか、何が弾けるのかという問題。
最近の若い人は、速い西洋曲のアレンジ曲や、超絶技巧が披露できるものばかり弾きますが(弾かされているんですが…)、そういうのは、ギター弾きに弾いてもらえば?って思います。
それと実際、私の腕では、速い曲は弾けません。
中国人演奏家も教育者も、子どもや若者に広めたい一心で、西洋的な現代曲を作曲したり、教えたりする傾向が強いみたい。
私からしてみたら、西洋音楽は西洋楽器にやっていただければいいわけで、何も民族楽器でモーツアルト弾くことないじゃん。
でも私も昔は、中国の曲を何も知らなかったから、日本の唱歌とか片っぱしから弾いてみたりしましたが、それは和楽器の方が合うよね(^^;

私自身、好きなのは中国の民間伝統曲です。
しかし、ここにも落とし穴が…
民間の伝統的な曲というのは、往往にして、技術そのものは難しくないのです。
だから、簡単そうに見えて、実は恐怖の曲でして、音色が綺麗で、リズムの特徴をつかんでいないと、ものすごく単調でツマンナイ曲になっちゃうんですな(汗)
でも、他に弾けないから、とりあえず、そういうもの弾きます。

もっとバラしちゃうと、本当は人前で弾くべきじゃない腕なのですが…(私の音楽科の先輩方だってお金取れる?な腕の人いるもの。そこらへんが二胡みたいに3、4歳からやっているので全体的なレベルがやたら高いという世界じゃない。)
後、10年経って、上手くなっている保証もないし、10年後に人が弾いてよと言ってくれる保証もないので、弾いちゃいます。

上述の通り、素人が伝統曲弾くと、実にツマラナイ。
三弦系の楽器って、猫が弦を引っ掻いただけで音出る楽器なので…ほんと基礎技術がきちんとしてないと、聴衆も容赦なく「ツマンナイ音」って顔に出るからな、ほんと、憐れです。

じゃあ、どうしようかな。
そこで、考えました。
曲を聴かせようと思うから、無理があるんだって。
三弦独奏で、聴衆を納得させられる人って、私が思うには、ほとんどいないんだし、素人が弾くだけで、満足してもらえるはずないじゃない?
古い曲にはそれなりの物語がくっついてます。
じゃあ、最初にその曲の物語を、一人芝居するか、語ってしまえば?
よく、コンサートでは曲の間にMCが入って、お客さんとコミュニケーションをとったり、楽しませてくれます。
私の場合は、語りの間に曲が入ればいいんじゃないかと。
そして、上手く語れなさそうだったら、講義してしまえ…ってこれは文化講座か???
自分にできることするしかないじゃん。

そもそも形式とは、人間が定めたものなので、なければ、自分が創ってしまえばいい。

↑某先生のウケウリです。
邪道ですか?(笑)

二胡LESSON88

ほんと、もう、いまさら言うのもなんだけど、ポジション移動に余分な力入ってるって指摘されました。
その通りなんです。
自分でも力入ってるなぁって分かりますもん。
別に二胡に限ったことではなく、私が扱う楽器のすべてに言えることだったりします。
音程合ってればまだ許せるのに、余分な力入ってなおかつ音程ずれてて、いちいち直すんだから、何やってんだか。
ナナ先生には「音程気にし過ぎのあまり、力入ってるんじゃないの?」と言われましたが、
私としては、どうせ、力入ってるなら音程ぐらい合ってくれてもいいじゃんかよ~と自分の腕に文句言いたい。

多分、私は生れてからこれまで、脱力ってものを楽器を弾く時に経験したことがないんだと思います。
実は三弦なんかになると、左腕どころか、右手にも力が入り過ぎてくるので、半日練習したら肩がパンパンです。
多分、一番、力が入っているのが三弦、次が二胡かな、三味線は…基本的に変な指使いがないので、一番楽かも。
でも、やっぱり力入ってます。
どんなに、いろんな人の指導法や練習方法を読んで、訓練してみても、力抜けないのよ。

賽馬は相変わらずだし…
今回は、レッスンについて書くこともないので、脱線して雑談。

雑談のテーマは「もう、やめたい(^^;」
つーか、このセリフ、二胡習って一日目から、毎日、一回は心の中で言ってるな。
でも、先生に直接、言っちゃったことはない。
一度だけ我慢してもしても涙が止まらなくなって、半泣きしたことはあったな。
実にナナ先生に申し訳ないと思いつつも、泣いたらどうにかなるものでもないのに、子どもじゃあるまいし…
ナナ先生はなんていうか、私よりう~んと年下ですが、10代から生徒をもっているだけあって、心はすでに女将さんみたいな感じです。
自分もかつて泣いたことあるんだろうし、たまに子どもの生徒がこらえきれなくて泣くのをいっぱい見てきただろうから、なんかもう、どっしり構えている感じ、

じゃあ、三弦はやめたくなったことないのかっていうと、最初の1年はやっぱりやめたいと何度も言いました。
私は上手くならないと楽しいとは思えないタイプです。
その「上手」の基準もかなり高いというか素人がそこまで思っちゃいけないレベルなんで、挫折することが最初から分かっているわけで、じゃあ、本来、楽器なんて歳とってからやっちゃあいけないんですよね。

トシミネ先生に何度も嘆きながら、三弦やめる~やめる~って言ったんだよね。
今思うと、よく忍耐強く、「もうちょっと経ったら楽になる、面白くなる」ってとアヤしてくださったものだと思います。
…っていうか、ぶっちゃけ、トシミネ先生も私が手の大きい日本人だから教えたかっただけです(日本人なら絶対に三味線弾けるし(んなわけないけど、彼はそう思ってた)、将来ずっと弾いてもらいたい、そういうことです)

今は直接トシミネ先生に「やめたい」と嘆くようなことはしないけど、「もっと早くやめるべきだった」とつい周囲に言ってしまいます。
もう、今更、やめてもねぇ、つぎ込んだ時間とお金は帰ってこないし…
実際、三味線やギター弾ける人は、一日もかからずに私のレベルに達すると思うので、すごく複雑な気持ちです。
ただ、ギター弾きと私の違いは、技術は10倍、彼らの方が上手いに決まってるけど、中国語分からないから、伝統曲弾けないでしょ、ってことぐらいかな。
もちろん、譜面はあるから、彼らは譜面どおりにキッチリ弾けるでしょうけど、譜面どおりに弾いていいわけじゃないんだよね。
まず、音階が違うし(この派の曲のファ#は、十二平均律のファ#より高めとかいう類です)、あと、西洋的なリズムじゃない(四分の二拍子で譜面が書かれていても、西洋の四分の二拍子ではなく、本当は「八板」なんだよという類)、西洋音楽ではない別のルールがあるんだよ)ってところは、ちゃんと勉強しないと分かんないよねってことぐらいです。
中国人だって若い子は板式なんて、うちの大学みたいに、戯曲を唄わされる必須科目でもない限り、意識してないと思う。
だから、若い子は譜面どおりに弾くので味も素っ気もないけど、民間の年配の芸人さんが弾くと、技術自体は大したことないけど、味があるわけです。
トシミネ先生は私の前にも一人、学生時代に日本人を教えたことがあると言ってましたが、あんまり中国語出来なかったみたいで、もう、その生徒の名前が思い出せないって言ってます。
つまり、ず~っと見よう見まねで教えて弾いてただけで、お前みたいにべらべらいろんな愚痴言わなかったし、雑談もしたことないとのことです。
私もたま~に比喩や四字熟語分からないことありますが、そういう時は「ぽか~ん」とアホ面しているらしく、「意味、分かんないのかよ、かくかくしかじかって言えば分かるか?」と言い直してくださいます。
トシミネ先生は私よりチョットお若いのですが、いつもお父さんみたいだと思います(汗)。
学生時代から子ども相手に教えてきたせいか、心が親父さんぽくなるんでしょうか…

三味線はやめたいといったことはないですね。
だって、やめたいって言ったら、日本じゃやりたい人は多いし、上手い人はかなり多いから別にこの芸能を伝承しなきゃって先生も思ってないから、「あ、そう」って言われるだけのような気がする。
これ言ったらこれっきり最後だと思うから、怖くて言えないよね。
ただ、三味線の場合は、ほんと、心から欲しい、心から盗んでやりたいとい思う音っていうのに出会ってしまったので、とりあえずやめません。
ちなみに、師匠は私より年上ですが、ヨイショしてるわけではなくオジサンには見えないです。
もしかすると彼の場合は若い頃からご年配の人を教えてきたせいで、ナナ先生やトシミネ先生とは違った歳のとりかたをしてるのかも。
もうやめたいと言って泣いたって、きっと唖然と見てるだけで、絶対アヤしてくれないと思います(^^;

壁に浮かんだ呪いの言葉

レッスン室の壁に書かれた呪いの言葉。
直訳すれば「ゴミ捨てる奴は死ね!」って感じでしょうか。
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壁に書かれた呪いの言葉

確かに学生たちは自分が日頃使わないレッスン室(ピアノがあって防音がされた部屋)の利用マナー悪いンです。
お菓子や食べたものの包装、煙草の吸殻が下に落ちているのって、いい加減にせい!ですよ。
…もっとも食べ物食べちゃいけないんですが、練習量長い人になると、ご飯食べるためにいちいち鍵返して外出ると、次に同じ部屋が借りられるとも限らず、楽器をもってあっちこっちしたくないというのも分かるのですが…
私だって、パンやお煎餅、こっそり食べます。

ゴミはトイレに設置してあるゴミ箱に捨てろ~
煙草吸うなよ~(そもそも、楽器置いてあるんだから、燃えたらどないする!)
実はレッスン室で煙草を吸うのは、生徒ではなく先生が多いので、規定とか処罰とか全然意味ない…

呪いの言葉が「下手くそは死ね!」じゃなくて良かったあ
↑好きで下手なわけじゃないもんね(^^;
自分を励ますために、自分で楽器ケースに書いておくのはアリかもゞ( ̄∇ ̄;)