演奏に性差は関係あるのかな

ラ・フォル・ジュルネ(東京では2005年にスタートし、2012年までに延べ526万人もの来場数を集めたクラシックの音楽祭)のコンサートに行ってきました。
今年のラ・フォル・ジュルネのテーマは「パリ、至福の時」。ビゼーから、ドビュッシー、ラヴェル、サティ…19世紀後半から現在までのフランスの作曲家たちのこの150年間、パリを彩った音楽。私としてはラヴェルのピアノ曲を聴きたいところでしたが、のだめの影響なのか、そもそも日本人受けするのか、チケットがなかった…
あちらこちらの駅やビルなどで行われている野外ミニコンサートなどは無料。
でも、毎回思うのは、360度すべてに聴衆がいる(場所によっては頭上にも聴衆がいる)ような野外ステージに上るって勇気あるなぁ…後姿にも手が抜けないなんて…すごい怖くない(^^?

しゃ~あないので、勉強でもしてみるかと思って、全然知らないプーランク「2台のピアノのための協奏曲」なんて聴いてみました。
オケは香港シンフォニエッタで、指揮は葉詠詩(イプ ウィンシー、1960年 – )。
有能な中国人女性指揮者って聞いてたけど、見た目が小柄でショートカットで少年みたいだった…。わ~信じられない、私より10歳以上年上なのに、あの爽やかな小年っぽさは一体どういうわけ???
指揮者と言えば、お爺ちゃんというイメージがあるので、こんなかわいらしい人が、香港のオケ(当然多国籍)をまとめてるなんて、凄すぎ、信じられない。
「女性だから、やれない」っていうのは、私は好きじゃないので、なんか女性が少ない分野で女性ががんばってるのを見ると「やった~」って思ってしまう。

余談だけど、私の母は、私が子供のころ、真顔で「男の人は女の人より能力的に優れていて、女は劣っているのよ」ってなことを言いました。
それにすごく違和感を覚えました。
う~ん、確かに日本社会では男性は大変だし、社会が円滑に回っていくためには男性を立てるというのは大切だけど、女性が根本的に劣っているというのとは違うんでないかい?
生物的な差違から、女性が体力的にできないことも結構あるし、社会的に女性がやれない(やると社会的に排斥される)こともあるけど、楽器演奏とかに至っては、男女差なんてあるのかなぁと思います。

でも、指揮者は男性、ハープは女性、お琴は女性、尺八は男性、みたいに、その方がしっくりくると思われている分野ってあるんですよね…たぶん。

そういえば、でっかい大三弦ですが、身体的条件から見たら、体や手の大きな男性優位なんだけど、実際はモンゴルとかじゃ女性奏者が多いみたい(前にコンサートで、習う子は昔から女の子が多いと言っていた)。

ううむ…確かにオーケストラなんかの楽器によって、向き不向きの性格があるというので、指揮者なんかだと社会的に信用されやすくて、他人が無条件に従ってくれて、子供のころから何かにつけてリーダー的役割を求められる男性に向いているのかな?

でも、世の中には定形外の男女がいるんだよな~
私は女性指揮者も好きだし、お琴を弾く男性も素敵だと思いますがね…

表現活動と鑑賞の関係

板橋区立美術館で「日本近代前衛絵画史 1910s~1940s」(入場無料)を見てきました。

これといって大感動した作品はなかったのですが、気になる資料が展示してあったので、紹介します。
造形芸術について語られたものですが、音楽にも言えることなのかななんて考えてみました。

我々が絵を描いたり物を作ったりするいわゆる造形活動をする時、普通その表現の面にのみ留意される傾向が強い。
例えば、絵を描く時、先ず手の訓練が第一だと考えがちなのである。
ところが実際は、絵を描いている途中で我々は何度も自分の作品を観察したりしながら描き進めていくのである。
この観察や見当が大切なので手を休めて対象を見つめる、作品を見つめる、さまざまと検討してみる。
途中のできばえを味わってみる、そして自分なりに批判もしてみる、といった一連の活動が腕の上達を助ける鑑賞の領域に属する心の働きで造形活動は常に表現と鑑賞の両面が一体となって作用していることが分かるのである。
一般的には描き方の指導は行きとどいていても
鑑賞の指導は本人まかせで、あんがいおざなりにされている。

「表現活動と鑑賞指導」美術家連盟会長 山本日子士良 文化連いたばし第二号(昭和54年5月26日)より引用

確かに自分の演奏の最初の鑑賞者って自分ですよね。
たまに自分の練習している時の音を録音して聞いてみると、穴があったら入りたい。
自分を客観的に見つめることの悲しさったらありゃしない、こんなつもりで弾いていないってことばかり。
適切に鑑賞できる人は、上達するのも早いんだろうな。
そして、そういう人は限界なんてなくって、ずっと上達し続けるんだろうなー

「鑑賞の指導はおざなり」って言ってるけど、確かにそうなんだけど、これって教えられるのかな???
技術的な問題は、どこがおかしいとか、こうあるべきなのに、ってわりと自分でも気づくけど(初心者の頃はそれも難しいけど)、技術から離れた問題になってくると、絵も音楽も何が正解かなんて究極のところ、誰にもわからない…
すべて正しいのに、ツマラナイ絵や音楽っていうのが現に存在するわけで(^^;

先生は弾く技術は教えられるけど、何がいいとか、どうとかは結局のところ、教えられないような気がする。
そういう意味では、親が芸術家の人ってうらやましい…
子どもの頃からいいものを見聞きしていれば、勉強なんてしなくとも、自然に鑑賞というものが身についている…

そして、なにより難しいのは、その当時、めちゃくちゃけなされた作品が後に代表作になることあるし、評論家にめちゃくちゃ言われた芸術家が、後世に名を残すこともあるわけよね。