二胡LESSON104

さて、今回のレッスンは30分くらい、長弓と音階を弾いていたでしょうか。
あはは、私ぐらいの年月習っていて、ある程度簡単な曲は弾ける人がこればかりやるって、日本の教室ではあまりないことかもしれないですね。
いや、中国でも、中央音大のXX先生はこんな簡単なことばかり何度もやらせて、時間の無駄だったというような話はあるようです。
じゃあ、無駄なことしてたの?先生が手を抜いてたの?
むしろ、逆ですよね。

今回のポイントは触角…ちゃうちゃう、「触覚」です。
人間って、いちいち沢山のことに注意を払えないんですよね。
音階を弾く時、私は通常、音程に気を取られて、他の大事なことに注意を払っていません。

子どもの頃、よく騙されませんでしたか?
「バスに3人乗りました。次の駅で2人降りました。次の駅で5人乗りました…」
ときたら、普通考えられる質問は「今、バスに何人いる?」ですが、「バス停何個あった?」とやられると、誰も気にしていなかったので、「あれれ?騙されたよ~」となります。

「スカート穿いてる通行人を数えていてね」と子どもに言えば、普通はちゃんと数えていますが、後で「どんな色が多かった?」「どんな柄が多かった?」と聞いたって、特にお洒落に興味ない子は覚えちゃいないですヨ。こういうことは、予告しておかないと、誰も注意を向けません。

同じですね。素人が音階弾く時、普通は音程の狂いに最大限の注意を払っていますから、誰もそれぞれの音の「振動」「共鳴」が同じかに注意払ってますでしょうか…

言われちゃいました。
私が何気に音階弾くと、それぞれの音の共鳴に、ばらつきがあるのです。
音程はだいたい合っていますから、普通はハイ、OKで過ぎちゃうところですが、盲点ですよね。
どうやって、均一にするか。
それはもう、耳(音量や音質みたいなもの)と指が感じる「振動」の感覚なのですヨ。
心をまっさらにして、音程なんてだいたい合ってりゃいいからというつもりで、指だけに集中すると、弦ってこんなに震えてたんだなぁ、ということに気付かされます。
もっと言えば、楽器って全体が震えてますからねぇ。

ナナ先生の提案は、「夜に真っ暗な部屋で、音階弾きなさい」
まぁ、日頃、目をつぶってても同じことですが、出来れば静かな方がいいからでしょうね。
ちなみに、私は三弦系の楽器を弾く時は、つい棹を見ることがあるので、真っ暗は怖いかもしれないです。棹を見るのもよし悪しで、この前なんてぼけ~っと弾いてたら、高音域で師匠と全然音が合わない。
あれ、押さえてるところはそんなにズレてないと思うけどなぁと思ってたら、糸そのものが緩んでたという…途中で、聴覚で気付いて糸まけよって感じですね(汗)

二胡になりますと、そもそも弦を見たって、そんな音程の微妙な距離なんて視覚でコントロールできる範囲じゃないですから、全然、見ません。
別に暗かろうが、明るかろうが、よそ見してても、第三ポジションくらいまでなら、音程狂わず弾けますよね、普通。
そういう視覚OFF状態であるにもかかわらず、耳は音の高さだけに集中していたので、弦が最大限に振動しているかなんて気にとめていなかったのです。
人差し指で押さえる時、中指で押さえる時、薬指で押さえる時、その弦の振動している感じにばらつきがあるので、綺麗な音が均一に出ていないのです。
例えば、D調なら、暗闇で、薬指でファの音を出して、その振動感覚と同じにように鳴るように、同じ音を今度は人差し指で弾いてみる。
同じ音を違う指で弾いていって、均一かどうかに注意を払ってみる。
そういう練習を一回5時間ぐらいしたら、1日くらい練習せずほったらかして、1日後にまた楽器をさわってみると、あら、前より指の感度が良くなったような気がするよ…
ということがあったりするのだそうです。

まるで少女漫画「ガラスの仮面」の北島マヤがヘレンケラーを演じる前の特訓みたい…
(余談ですが、あれ、まだ終わってないんですね…70年代から連載!?…実写ドラマでマヤを安達祐実さんが演じておられたのがついこの間のような気が…そんな彼女も今は立派な大人…)

目の見えない音楽家の聴覚もさることながら、触覚というものも、目の見える人とは比べ物にならないくらい敏感なのだと思います。
そもそも、目の見える演奏者にとって、目って、譜面を見るということと演出効果以外に何ら役に立ちませんから、練習する時なんて、そもそも目を開けている必要なかったんだよね(笑)。