鏡と私の深い仲

kagami
先日、楽器の練習用に大きな鏡を買いました。
実は、私は自分がこう動くと実際にどう動いているように見えるのかとかいうことを予測する空間把握、立体把握が弱いので、鏡は本来的に必需品なのですが、高いし持ち運びに不便なので、今まで持ってませんでした。

大きな鏡は割れると危険ですが、フィルムミラーというのは割れないし軽いので便利ですね。
強く押さえたりしてヨレないようにするという注意は必要ですが…

鏡は自分を客観的に見られる便利な道具です。
自分では真っ直ぐに弓を引いているつもりでも、余分な力がかかるとか、ボーッとした際に必要な力まで抜けすぎるとかの理由で、まっすぐでないとか、残酷なくらい、自分の欠点を映し出します。
昔、演劇専攻の子が使用する鏡張りの教室で弾いた時、自分の醜さにショックを受けて、一週間ほど食欲不振でした(^^;;

もう、技術的視点から見たら、私の演奏の動きって、ロボットよね…
人間とは思えない(T ^ T)

技術以外の問題では、自分の演奏中の顔を鏡で見ると、ゲロゲロと思います。
ホント、普通に練習しているときの顔って、不愉快そうに弾いてるか無表情か、どっちか。
(あ、音外した、リズムぶれたとか、そういうことばかり考えていて実際、不愉快なので、そういう顔になるのでしょう…無表情なのは自分を表現したいとこれっぽちも思ってないというか、むしろ自分を否定しているからなのだと思います。)
つくづく、この仏頂面を先生はいつも見てるんだなぁと思って申し訳ない…

ちなみに練習ではなくて、心から自由に好き勝手楽しく弾いている時の自分を録画してみたら、基本的に眼は閉じてて、頭がグラグラ動きすぎです。
自分は楽しいからさすがに仏頂面ではありませんが、人が見たら鬱陶しいので、人前では絶対にできない…

顔以外だと、脚も問題だなぁ。
一番、安定する姿勢をとると、膝の間が少し開いちゃうんですよね。
男性はそれでいいかもしれないけど、女性はみっともないよなぁ。
人前では、着物着てるか、ロングスカートはくしかないわよね(^^;;
もちろん、気をつければ膝を閉じていられるけど、それだと余分な力が必要で疲れる…

実は、ワタクシ、ちょいと変な癖があって、子供の頃から、泣くときは、必ず鏡を見にいき、ずっと自分の表情を見ながら、泣いてます…
鏡見て、自分は悲しいんだなって、自覚するのですが、なぜ、そんなことするのか、自分でも謎です…。

役者や演奏家になれる器ではないので、そんなに自分を鏡に映す必要もないのに、子供の頃からつい、鏡で自分を見ちゃうんですよね。
街中の車のガラスや、お店のガラスに映る自分もよく見ます…

で、オシャレなのかというと、その逆で、子供の頃なんて似顔絵がいつも寝癖…
髪のはねた自分を鏡で見ながら、あ、はねてるな〜と思ってただけ。
大人になってからは、ずっとロングヘアにしているのは髪のハネを隠すためでもあります(笑)

自分の姿形を遠くから見ることで、自分がこの世に存在していることを再確認してるということなのかもしれません。

道具は人それぞれ

yumi先日、大勢多数の人が弾きやすいとおっしゃっている弓を試し弾きました。
感想は、「悪くないけど、さほど目から鱗が落ちるほど弾きやすいとは思わなかった」。
一体、私と人はどこがどう違うのだろうとちょっと悩んでしまいました。
その場に居合わせた方には、「普段いい弓をお使いなんですよきっと〜」と慰めていただきましたが、私としては、多分、「初心者ほど力が入ってないけど、プロほど力が抜けていない中途半端な技術レベルなので分かりにくいか、もともと鈍感なんだろう」と思わざるを得ないというか(笑)
その弓をお借りしてこなかったので(写真は私の手持ちの弓なので誤解なきよう)同時に試せないのですが、他の弓が手元にあるのでそれらと自分が通常使っている弓を比べてみると、細くて少し軽いんですよね。
毛があるので正確な重さを測るのは難しいですが、毛を持って竹の重さを測ると、5グラムくらい軽いんです。
一番下のが私の通常の弓です。
一般論として、ある程度の重さがないと力を余分に使ってしまうので弾きにくいはずなんです。
私の弓は軽めなのだろうか?

私の先生は4歳から二胡を始めて音大出て、オケ演奏や小中学校のオケ指導や個人レッスンで飯を食ってる人ですから、彼女の周囲の人間は一定程度、このような弓でフツーに職業として弾いている人がいるわけですが、何がどう違うんだろうなぁ(^^;;

ちなみに私の三味線の撥はめっちゃ重いです…
先生も「重っ‼︎男でもキツくないか、これっ」と言いました。
だから、私が軽めのものしか受け付けないわけでもないんですよ。
これはこれで、スタンダードから外れた撥です。
何せ、大女ですから、力持ち〜なんです(^^;;

結局のところ、自分が長期間使ってきたものに、身体が慣れてしまってそれが一番弾きやすく感じるっていうだけのことなんでしょうかね。

いずれにせよ、自分の思った通りの音が出せれば、なんだっていいんですけどね。

さまよえる中級者は環境が大切かも

「さまよえる中級者」
確か、大学時代に読んだ中国語の先生のエッセイにそんな言葉があったように記憶しています。
今はどうか知りませんけど、中級者向けのよい教材がないんだというような話でした。

習い始めは誰だって楽しいです。
これいくら?
これとこれください。
違う色はないのですか?

それでも、十分楽しい。
だんだんできるようになれば、もっと上を目指すようになります。
でも、訛ったネイティブの言葉が直感的に分かるほど、中国語ができるわけではない中級者は字幕抜きで映画やドラマ見て分かるかどうか…。
私なんぞは、中国長いので、別に字幕見なくても分かりますが、おおよそこういう意味なんだということが分かっていても、難しい言い回しや、ことわざ的言い回しを聞くと、とっさに字幕見て確認しちゃいますね(笑)
上級レベルの楽しいものを見聞きできないレベルの人で、簡単なものに飽き飽きしている人は、一体、何を見聞きしたら、レベルアップするのでしょうね。

会話とかになると、初級レベルの人は、周囲も外国人なので、がんばってるね~と簡単な会話の相手してくれますが、中級の下ぐらいのレベルだと、本人は言いたい事いろいろあっても、言葉にならないので、相手も分からないから、相手にできない…(というか、最初はいいけど、毎日だと恋人でもない限り相手するのが非常に疲れる)
自分の会話レベルが中の上ぐらいなら、その言いたいことのそのまんまの語彙がなくても、子供と同じで、「ああして、こうして、こういう感じのもの」というまどろっこしい言い方ではありますが、相手になんとか伝えられるので、相手も「こういうこと?」って簡単な言葉で言い直してくれるので、それを覚えていけばいいわけですね。
でも、中級の上レベルになると、実際話したのは、かなり変な言い回しであっても、相手は分かってしまえば、あえて、訂正してくれなくもなります。
中級者は上級者に移るには、とびきり才能あるか、かな~り親切な友達や先生が周りにいないと難しいんですよね。

私の場合、通訳はど下手ですが、翻訳なら報酬を頂けます。私は頭の回転が特段遅いので母語の日本語であっても人の話が分からなかったり、意図を読み違えたり、深く考えすぎてすぐに返事できなかったりするので、すぐに受け答えしないといけない通訳は苦手です。その手の訓練の講座に少し通ったこともありますが、諦めました。
私が専門性のキツイ書類の翻訳やチェックで、わずかながら報酬がいただけるのは、私の稚拙な中国語に付き合ってくれた前の大学院時代の指導教官のおかげです。
彼は日本語が全く分からない人で、私は彼に何が何でも自分の考えを分かって欲しくて喋り続けたし、書き続けました。
ただ、くだらない日常会話だったら彼だって聞く暇ないでしょうけど、私が話し続けたのは、彼がまぁ聞いてても苦にならない内容(つまり日本の法制度や最近の判例です)でした。
先生は本当に人当たりの良い方で、私は先生が怒ったりイライラ他人にやつあたりするのを見たことがありません…
私は自分のことがあるので、日本にいる中国人留学生には相手がどんなに訳の分からない日本語話してもできるだけ親切にしてあげようと思います。
それが先生への恩返しでもあると思うので。

さて、語学の勉強も楽器のお稽古もよく似てるところがあると言われますよね。
(完全に一緒にはできないけど、始めるのは年齢が若いにこしたことないとか、上達のグラフが直線ではなく階段状であるとかいうような類似性がある)。
入門レベルの本はいっぱいあっても、そこから、どうやってレベルアップするっていう素人向けの本ってないよね。
だいたい、才能ある人は、基本的な弾き方が分かったら、自分でどんどん先生や演奏家の真似して上手くなっていくだけだから、あえて、そんなもの必要ない。

初心者とか、子供とかが簡単な曲を弾いていれば、頑張ってるね、って周囲も応援してくれるけど、大の大人の中級者はどうだろう?
あなたぐらいのレベルなら、周囲は聞きあきてるし、あえて応援してあげる必要性も感じないし…
ある程度の曲が弾ければ、ボランティアや交流の場とかで人前で弾く機会はあると思うけど、これって先生と二人きりで勉強してる人には、多分、機会はない。
ついでにいうと、そういう場で弾く曲は、受けのいい簡単な曲に限られるので、弾いてるうちに、場数を踏むということ以外の意味はなくなってくる…

初心者には、皆で仲良くやれるお茶会や勉強会はけっこうあると思うし、上級者は上級者のマニアックな勉強会や報酬のもらえるレベルの高い経験が蓄積されてくるけど、もう少し難しいことにチャレンジしてみたいけど、かなり上手な人達の集まりには入って行けない素人の中級者はどうなんだろう?

才能ある人は、この中級レベルにいる期間が短くて済むからいいけど(というか、これがないか、あっても、あっという間ではなかろうか)、普通の人は、この段階で、もう飽きたと言って辞めるか、上を目指すのは諦めて、まったりとお茶飲みながら初級レベルを何十年も続けるか(それが楽しい人もいるので別にそれはそれで構わないと思う)。
でも、才能ないけどひたすら頑張る中級者は、いつか報われるのだろうか?

語学や器楽について、特別才能あるわけでもないのに、それで報酬がもらえる人の共通点…
これができないと死んじゃうという環境に長く置かれていたということ。
昔の芸人さんは、それできないと、一座においてもらえない、明日の舞台までにできなければ、養父母でもある座長から飯食わせてもらえないから、必死に覚える…(苦)
(文字通り、飢え死にの可能性あり…)
留学生が語学できるようになるのは、できなきゃ、生活できない、授業受けられない、卒業できない、これまで使ったお金と時間の言い訳が家族にできない、自分が払ってきた犠牲に見合うだけの収穫がないとムカつくという境地に追い込まれているからでもありますよね(笑)。