中国の糸巻き事情

私の三弦の糸巻きは黒檀です。
前は水牛の糸巻きが主流だったそうですが、水牛は滑りやすいらしく、私が買った当時は黒檀の糸巻きにしろと言われました。
二胡は紫檀です(中国語で紫檀と言っているだけで、本当のところ、どういう木の種類か分かりませんが…)。

しかし、まぁ、乾燥がひどいと、木は呼吸をしている訳なので、たまに思いっきり、シュパッと一気に元に戻ったりします。
二胡と違って、三弦は微調整器具がないので、ほんのちょっとだけ音を低くしたいな~というときに、よく、弦を引っ張るのですが、引っ張ったはずみで、シュパッッということもあります(^^;

え?
駒の下の方の弦のところに微調整器具つけたらどうかって?
ダメなんですよ。
そこの部分でも弾くという奏法があったりしますから(笑)
そんなところまで使う曲なんて、滅多にないですけど。

そんなわけで、松脂を砕いて粉にしたものを、糸巻きに付けておいたりします。
まぁ、わりとよく止まるし、木を傷めることもない。
二胡もやっている都合上、松脂なんて、最後まで使いきれずに、乾燥気味になったモノがその辺にあったりするので、砕いて利用します。

ところで、日本の三味線に「滑らない糸巻き」っていうのがあるそうですね。
なんか、前は10万くらいしたのだそうですが、最近、お安いものがあるのだとか。

私は調弦がど下手なんですが(特に滑りやすくなっている先生の三弦の糸巻きなんかは、もう持ったままでは調弦できないので、一度下におろして両手使います)、結局、先生は持ったままちゃっちゃと調弦して、それで、シュパッと戻らないんですから、長年の勘とコツがあるんだろうなと思います。

ちなみに、私の握力は男性並みですから、力の問題じゃないんですよね…
こうやるんだよ、と三弦の先生にも三味線の先生にも教えてもらってますが、一向に上手くなりません。
これ、いつまでたっても下手くそだと、演奏まで下手に違いないという眼で見られるから、上手く回せるようになりたい…

逆に、倉庫に何年もほったらかしにしていたという、すごいアヤシイ三弦を姉弟子が持ってきて、糸巻きがカチカチに固まっていたために、二人がかりで、引っこ抜いたことありました。
姉さまが本体を自らの体重で支えて、私が糸巻きを回しながら引っ張るみたいな感じ。
ペンチもないし、音楽科って男子学生少ないから、その辺歩いてないし、ほんと困りました。

音を食べても美味しくない

タイトルの「音を食べる」は、我が中国三弦の師匠の本日の迷言(?)ではなく、器楽の先生がたま~に使う言葉です。
音大生の俗語なのでしょうかね?
「吃音」と書くそうです。
(注:中国語の場合、「吃」が「食べる」という動詞として一般的に使われていまして、「音」が名詞です。日本語のような差別的意味ではありません)

先生のご出身は中国音楽学院なので、中央音大や上海音大で通じるかは知りません(笑)

音を食べるとはつまり、何らかの原因により、音が抜けてしまうことを指しています。
ポジション移動が間に合わなくて弦を押さえきれなかったか、右手と左手のタイミングが合わなかったか、根本的に楽譜の音を見落としていたか、指が弦に当たらずかすってしまったか等等、まぁ、そんな理由により、音は抜けますわな。

音って食べても美味しくないので、皆さん食べ過ぎにご注意!!!

いい音って、結局のところどういう音なんだろうね

私の好きな民謡に「虎じょさま」というのがあります。
何故、好きかといいますと、出だしの三味線の不協和音がぞくっとするから(笑)

確かに、ピアノで不協和音を弾けば、すごくイヤな感じがします。
だから「不協」和音なのかな~
十二平均律だから嫌な感じなのかと思いきや、私の中国三弦で弾いてみても、やっぱりただの不協和音だなぁという気がするんですよね。
中国三弦と三味線の違い、細かいとこを抜きにすれば、やっぱり「さわり」のせいかと思います。
弦が棹に触れることによって生ずるブーンという音、西洋人にとってはノイズですね。
二胡も倍音というかノイズの多い楽器ですが、そのせいか、日本人はこの音がすごく好きな人多いですよね。
職人さん曰く、ノイズを徹底的に失くしてゆくと、今度はバイオリンっぽく鳴ってしまって、味わいが減ってしまいます。

そういえば、三弦を始めたころ、姉弟子がフォームを変えたから、どうも力加減が分からなくなってしまって、自分の音もよく分からないから聴いていてくれと言われたことがありました。
「こっちの音とこっちの音、どちらがいい音?」と聞かれて悩みました。
だって「いい音」の定義が分かんないんだもん。
つーか、音の好みって国民性あるんだよね。
実は、たま~に私が好きな音と、こうあるべき音が一致しているかどうか自信ないです。

だから、最初に、その国のその分野ですごく上手いと言われている人の演奏を浴びるほど聴いて、「これが基準」って分かってないと、比べようがないというか…
骨董屋の奉公人も、よい品物、本物を見ることによって真贋鑑定の眼が養われると言いますよね。

でも、不思議なことに、数値的には上手い音が出ている(音程やリズム、強弱が割ときちんと合っている)人でも、全然、人を感動させてくれない場合っていうのも実際存在するわけで(現に私は必ずしも一流演奏家と言われる人の演奏を聴いて感動するわけではない)、一体、これはどうしたことか。

かと思えば、練習場所に困って、外で、でたらめ弾いていた私のお稽古の音に「何か感じるものがある~」と言った人もいたっけ。
ただのナンパかもしれないが…(^^;)

人間の感動のメカニズムを知りたいものです~