三弦が上手く弾けるなら悪魔に魂売るかも

最近、疲れているのか、上手く三弦が弾けるためなら、戯曲「ファウスト」じゃないけど、あの世での魂の服従を交換条件に悪魔と契約してもいいと思ったりします。
音楽を真剣にやったことある人なら、一度ならずともこう思ったことありますよね?
えぇ、この世で三弦が上手く弾けるようになれるのなら、私は地獄で悪魔さん家のメイドさんになってもいいし、お妾さんになってもかまわない、何でもするわよっ!
…私、疲れてるんでしょうかね?

うちの三弦の先生から以前より、「朝、起きたら、すぐに三弦弾け」って言われてたんです。
精神論かと思って、しばらく無視していたのですが、最近、そうでもないんじゃないかと思い始めました。
もちろん、これまでだって趣味程度の人に比べたらずっと長い時間、練習してきたのですが、だいたい午後からやってたんですよね。

で、ここ数カ月、早朝から三弦を弾くことにしました。
ちなみにうちの大学のレッスン室は朝の7時から借りられます。

楽器を弾く人なら、経験あると思いますが、朝は手が動きませんよね?
プロだって、普通は朝っぱらからライブはないので、ラジオとかで朝っぱらから生放送で弾けって言われると結構、手がちょっと鈍いそうです(以前、某演奏家がラジオでそうおっしゃってました)
私としては、あがっちゃって、手が言うことをききにくい時にでも、オタオタせずに対処できるようになるかもしれないし…という考えもあります。

正直、三弦って、大人が必死に練習する楽器ではなかったなって思います。
もちろん、五本の指を使わない奏法やゆっくりした曲というものは存在するので、誰にでもすぐ弾けるようになる曲はあるにはあるんですが…
弦をはじく系の楽器って、本当に猫が引っ掻いても音が出るだけに、凡人が普通にゆっくり弾いても面白くもなんともない音がポンと出るだけなんだよねぇ…
それじゃあ、苦労して大きな三弦弾かなくても、三味線や筝で同じこと(あるいはもっと華やかなこと)ができるよって、ことなんですよね。

ははは~経済学的には、ツマラナイ本をお金がもったいないと思って最後まで読んで、時間を無駄にする方が、もっともったいないっていう考え方があるんですよね?
私がやってることも、そうなのかな~と思いつつも、好きだったら、しょうがないんじゃねぇの?みたいに思うしかないんだなって思います。

舞台下でいくら練習したって、三弦特有の魅力が引き出せないんじゃ、どうしようもない。三弦の魅力を引き出せる腕がほしけりゃ、一歳でも若いうちに負荷かけて練習するしかないんですよねぇ…
バカにつける薬がないのと同じで、悪魔さんは私のところにはやってこないわけで…

ちなみに写真は、親指使って一番太い糸を押さえた場合、で、すぐに一番細い糸を弾かなくてはならないために、人差し指も親指も離さずそのまま保留すると、こういう状態…
これって、手が小さい人、押さえられるのかなぁ?

ほんと、身体的に恵まれた人が子どもの頃から必死にやって、やっと人に聴かせられるほどの腕になれるかもしれないし、なれないかもしれない、で上手く弾けるようになったとしても、誰も聴いてくれない楽器って、本当に哀しすぎ。
shouzhi

大型原創民族音楽劇「大紅灯籠」

「芸術評論」の講義に出たら、先生は講義を早々にお開きにして、皆にミュージカルのチケットをくださったのでありました。今から観に行っておいで〜19時半開演よ、ってな。
大型原創民族音楽劇「大紅灯籠」、英訳すれば、ミュージカル レッド ランタン ですかね。
制作者は北京大学芸術学院民族音楽及びミュージカル研究センターで、つまり我々の先生方が芸術監督だったり、脚本家だったりするわけで、上演場所も北京大学内の劇場(初演は天橋劇場だったと思います)。
だから、二階席の安いチケットが先生のカバンの中にどっさり~
まさか、期末試験は、これ観た感想書け(芸術評論しろ)じゃないだろうなぁ?

張芸謀が映画化もしてるから、皆あらすじは知っていると思うけど、簡単に紹介すると、こんな感じです。
時は民国時代、江南のお金持ちが4人目の奥さん(つまりお妾)をもらいました。
当然、家の中は、4人の女性の愛情争奪戦。
4番目の奥さんはそれに疲れて、旦那さんの息子に恋して告白するも、息子は同性愛者だだったんです~ショック!
3番目の奥さんはお医者様との不倫がばれて、制裁されて井戸に落とされ死亡。
4番目の奥さんは、それを見て発狂。
それでも悲劇は終わらず、発狂している四番目の奥さんの傍らで、5番目の奥さんをおもらいになるところで幕が下ります。

このミュージカルの芸術的意義は、「伝統と現代の融和」。
題材は古い時代の話で、長い袖をヒラヒラなびかせる古典的な舞踊もあるけど、お面を付けた黒服の人たちがラップ踊ってたりもします。
こういうストーリーだけに人物の心理描写が大事なわけですが、第4夫人や第3夫人のもやもやした心境は、お面付けた怪しげな黒服のダンサーさんたちが見事に表現してくれていたような気がします。
蛍光色の線だけがワザと目立つように真っ暗な舞台で踊ってる時とか、気持ち悪かったですぅ。
そして、西洋ミュージカルっぽさを取り入れつつ、京劇を思わせるような歌も歌われます。
舞台美術は、全体的に綺麗でした。
クライマックスに雪(花吹雪?)が降り始めますが、狂った第4夫人が舞台前面、バックで第5夫人が嫁いでくる賑やかさのアンバランスに不気味さを添えていましたね。

音楽はどうだったって?
えと、生演奏じゃないんで、さびしかった~
私的にはやっぱり、京劇みたいに舞台わきで、又はオペラみたいに舞台下でオケが生演奏してほしかったなぁ…
パンフには民族打楽器中心の音楽と書かれていて、実際にも心理描写シーンなどでよく使われていたんだけど、今っぽさを出すためなのか、普通の場面ではピアノの音色が大活躍だったと思います。
まだ22日、23日の晩もやってるはずです。安い席で多分50元くらいかな。

芸術学部って、映画見たり、舞台見たり、美術作品観たりするのが仕事だから、いいなぁってか?
う~ん、批評しようと構えて(いわゆる仕事的に)観るのと純粋に趣味で観るのとは違うような気がするなぁ。
でも、普通、映画や舞台が好きな人が、評論家になったりするんだよね?
分析すればするほど、直観的な感動は無くなってしまうんじゃないかと思うけど、そこはどうなんだろう?

ついでに言うと、私は専門家でもないのに、どうも子どもの頃からドラマ等の見方がおかしいようで、楽しむために観ているというより、「何でここでこの人の顔をアップにしたのか→多分、この人を怪しく見せて犯人だと視聴者に想わせる作戦なんだな→でもこのドラマ2時間枠だし、時間的にこの人が犯人だとしたら間が持たないから、この人は犯人じゃないんだな」ってな具合に制作者の意図を探ってしまうのです(^^;
なんとも、まぁ、しょうもない癖ですねぇ。

どうして音楽には美人さんばかり出てくるのよ?

先日、三弦のレッスンで「柳青娘」という曲の最初の方だけ教えていただきました。
普通にググると潮州の民間筝曲ばかり出てきてしまいますが、私の課題曲は北方芸人さんの間で、三弦弾きになるならこの曲は必須でしょうと言われている三弦曲の方であります。
実際は個々の演奏者によって若干違うので、誰それの演奏譜というものが流通している訳ですが、譜面見てもさ~、なんかさ~、いわゆる音楽の塊が、西洋音楽と違って、やっぱ、耳で覚えないとワケ分かんないわ~

さて、曲のタイトルですが、あんまり良く分からない…
一説には古代の名妓の名前であったとか、美人の芸子さんの総称だとか、言われているようであります。

そういえば、民謡などでも、評判の美人の名前はよく出てきますね。
「みよこ」とか「おしま」とか。
ふと思ったのだけど、すごいブスを唄った曲って、ないのかな。
なんかね、自分が美人じゃないから、敢えて言うけれども、美人じゃない人だって、美人さんが出てくる曲を弾かなきゃいけない(あるいは、弾きたい)わけで、人間、努力すれば、ある程度、化粧等で錯覚を引き起こすことはできるし、演奏が絶妙であれば、普通の人が美人に見えるかもしれない…

不格好で面白おかしい(でも可愛い)という女性が出てくる名曲でもあって、ぜひ、一流の美人演奏者に苦労して弾いてもらいたいわ~とか思う私って、すごい性格ひねくれてますか???

週末は二胡LESSONが定番なのだけど、何せ、レッスンに行っていないので書きようがない(汗)。実はやる気なくて、北京に戻っているのに、ナナ先生に戻ってきたよと連絡してない…来週からちゃんとやります。