ささやかな夢

園児や小学生が習い事として、普通にピアノやお琴を習いに行くみたいに、二胡とか三味線教えてみたいなぁ…とふと思いました。
じっとしていられない子とか、他の子と合わせられない子とか、普通に譜面読めない、覚えられない子とか、きっと大変だろうなとは思うけど。
私は自分が何で他の子と同じように出来なかったのか、今になって分かるので、そういう著しく才能のない子が高校受験前くらいまで普通に楽しくお稽古続けられるといいのになと思うのでした。

今なら、先生が何で私に切れちゃったのか理解できる(^_^;)
どうやら、自分の主観による世界の見え方、主観的な自分像と、他人から見た私の置かれている状況、客観的事実がもにすごく異なるのですよね。

私、動作鈍くてぐずぐずしてるんですよね。
これは、今もそうで、同時に二つのことができないせいです。
話しながら、別のことができないのであります。
話しながら、或いは話を聞きながら何かを片付けると、手が止まるか遅くなるようです。
ご飯も食べてる量は人より少ないくせに、いつも最後まで食べ続けているのは私。
何故、みんな人の話を聞きながら食べて、なおかつ相槌うてるんですか?
でも、主観的には、聞くのに或いは話すことに一杯一杯で、自分の手が止まって、他人がイライラ或いはハラハラしていることに気づいていないのです。
本人は一生懸命だから、何故、他人が焦っているのかわからない…。

私、何考えてるのか分からない子供だと言われてました。
外では大人しくて従順なので問題児ではないけど、表情に乏しい子だったんですよね。
ある時、親にそう言われて気づきました。
むすっとしてる、モノ食べても、美味しそうな顔しない…と。
普通の顔がどうやらつまらなさそうな顔に見えるらしく、今でもそうなので、人前では、できるだけそうならないよう演技するよう心がけてます。
念のため言っておきますが、笑っている時は、本当に可笑しくて、或いは楽しくて笑っているので、演技と誤解しないでね。
あくまで、いわゆる普通の顔が普通に出来ないっちゅうことです。
もちろん、普通の人が普通にできる普通の顔を、私の場合、意識して、普通の顔を演じているのですから、後でものすごく疲れます。
そのくせ、本人的には、ちょっとムッとして、事実を指摘したくらいのつもりが、本当にオッソロしい目つき、キツイ口調になるらしく…
一生懸命、頭働かせているのに、そういう時に限ってハタからはボケーっと何も考えていないようにしか見えないそうです。
どうしようもない顔なんですわ^^;
だまってても微笑んでいるように見える口元とアニメ声が欲しかった(笑)

先生が言ったことをそのまま実行したつもりでも、そうなってない場合があったり、先生の言ったこと自体、客観的に間違ってることもあるわけで、でも、先生の言うことだから、そうならないわけがないと思い込んでいるので、その後どうしていいかわからず、ボーゼン。
先生に状況説明して、どうしたらいいのか聞けばいいのに、怖くて聞けないという…
怖くてきけない、というのは、どうやら、大多数の人には理解不能みたいなんですよね。
そういう理由でボーゼンとしているのだけど、ハタから見たら何グズグズしてんだという感じですよね。
今なら、自分の気持ちをもう少し表現できて、先生に相談もできるんだけどなぁ。

今なら、そういう一見普通そうだけど問題をかかえている子にどう教えてあげたらいいか、どうやって気持ちを聞いてあげたらいいか分かります^_^;

今の私のささやかな夢の問題点は、私には、子供が素敵と思ってくれるほどの演奏の腕も教えるスキルもないってことなんだよな。
子供は大人と違って残酷だから、悪気なく、事実として「先生下手」って言うかもね(と思うのは、私も子供の頃や若い頃、客観的事実でも、そこで言うべきではないことをうっかり言って、悪気なく人を傷つけてきたので…)。

普通の大人は、大人として子供と遊んであげられる(必要に応じて譲ってあげることができる)、面倒見てあげられる、教育してあげられるんだろうけど、私の場合、一緒になって遊んじゃう…かも。
高校の教員免許の教育実習の時も、私があんまり頼りないせいか、子供の方が私の面倒見てくれたような…。
マズイよね。
自分に子供がいないから(この先も可能性はゼロ)、親に信用もしてもらえないだろうしなぁ…。
うーむ。

ヒアリング力がありすぎて、リスニング力の弱い私。

え〜音楽の聴音や語学のリスニング力upのノウハウ話でなくてゴメンなさい。
前回に続く、私のひよこ頭絡みの話です。

二胡のレッスン中、高音域の音まで使う曲を弾いていて、あんまり高いので、音程あってるのかどうか分からん(^_^;)という事態に…
高い音が皆同じに聞こえるので、年齢のせいかと不安になり、ナナ先生にそう訴えたら、年取ったら普通は全く聞こえないんだから、聞こえてて区別つかないだけなら、高音を聞く機会が少なすぎて、訓練が足りないだけよ、と言われました。
そうか、そうだよなぁ、モスキート音とか、そもそも、中年には聞こえないんだったね。
よくよく考えれば、二胡の高音と言ったって、たかが知れてる周波数よね。
失礼しました。

人間の耳で「きく」は、中国語では「聽」でして、英語みたく細かい区別はないようです。

英語は大雑把に言えば、こうだっけ?
hearは「勝手に鳥の鳴く声が聞こえてきちゃうのよね〜」って感じで、
listenは「あなたのお話を真面目に聴いてるわよ」って感じ?

私は「耳の機能」としては、30Hzから14000Hzまで聞こえます。
静かなところでは、人が普段気に留めない小さな音もよく聞こえます。
とくにモーター系の音は聞こえちゃいますね。
子どもの頃、冷蔵庫を買い換えたら、霜を取る時にこれまで聞いたことない音が響いて、一人で留守番してた私は怖さのあまり、隣の家に避難しました。
大人にとっては、聞こえない音か、聞こえても小さすぎる音、気にも留めない音だったんでしょうね〜。
「あの時は、何がそんなに怖かったの?」と今だに問われる事件でした。
今だって、地震くる寸前の地響とかも、夜中で眠りが浅ければ、聞こえることがあります。
プロの演奏家のCDとかで、あ、なんか変な音混ざったとかっていうのも、気になります(^_^;)
語学のリスニングスコアは、通常、文法のスコアを上回ります。

でも、実は私、「脳の情報処理機能」として、日常の日本語会話リスニング力がめっちゃ弱いんです。
例えば、宴会などで人が大勢いるところだと、肝心の相手の話を聴き取りにくいのです。「え、何?」と男女構わず、自分の耳を話手の顔の方に持ってくので、異性はきっと困っちゃいますよね…他意はありません、聴き取りづらいだけです。
あと、新幹線のデッキとか、駅のホームとか、デパートとか大学の廊下で、携帯電話に出ると、相手の話が聴こえないので、まず左耳にピッタリ携帯を押し当てて、右手でギュッと右の耳抑えて外の雑音カットして、柱やドアの影に隠れてはじめて電話の主の声が聞こえるという…
見るからに挙動不審な怪しい人ですよね…。

昔からこうだったので、耳が遠いんかなぁ?、ぐらいに思ってたんですが、耳が悪いわけじゃなかったんです。
実は、大多数の人の耳では、聴きたい音だけ選択して、あとのどうでもいい雑音の音量を勝手に調節できるんですってね。
「カクテルパーティ効果」というのだそうです。
そういう、大多数の人が自然にしている調節が、私には出来ない…
だって、これ、中枢神経とかそういう話なので、鍛えて、訓練してできるというものでもないわけで…。
何らかの事情で、脳が情報処理できないとこうなる人がいるらしい。
いえ、あたしは別にそんな珍しい人というわけではなく、意外といるらしいです。
おそらく、昔からそうだと、そういう風に聞こえているのが当たり前なので、まさか、自分が他人と違って聞こえているとは夢にも思わないんでしょう。
我慢の限界を超える聴覚過敏なら、ノイローゼになったりとか、幻聴を疑われて病院送りで気づくでしょうけどね。
私も音楽やってなかったら、自分は耳悪いんやなぁ、で終わってたと思います。

私の場合は、何か趣味に没頭していない限り、つまり普通の状態だと、可聴域の音を全部、混沌とした音として拾ってしまい、肝心の話し手の声が紛れて聞き取りづらいということみたいです。

そのくせ、自分の興味あることをしている時は、集中しすぎて呼ばれても気づかなかったということもあり、ハタからみたら、お前、反抗してるのか?って感じですよね…うぅ、聞こえないものは、聞こえないんだもん。
これって、少人数の合奏は耳に優しいけど、大人数はキツイってことだよね。
自分が当事者でない場合は、誰かの外れた音が、普通の人より気になって気になってしょうがないってことでもある…
それって、やな奴すぎないか⁇。

大昔、手話を習いに行ったことがありました。
ほとんど実践する機会もなく、忘れてしまいましたが…。
耳が聞こえない人は、ハタから「そうは見えない」ので、「聞いとるんか、オラァ」と誤解され、辛い思いをしたというエピソードをたくさん聴きましたが、聞こえすぎるが故に聴こえないって、言ってもわかんないですよね、私と同じ脳の構造した人以外は…(・_・;

そもそも、私、道歩きながら、別のことできないし、皆がウルサイ道路歩きながら、普通に携帯に出て、話聴きながら相槌打てるのが凄いなぁと思ってたんですよね(^◇^;)

二胡LESSON108

実は、先週、次回は絶対に途中で止まらずに、とりあえず最後まで「賽馬」を披露せいと言い渡されていました。
だから、弾きましたよ、最後まで全力疾走…
(曲の演奏が馬の競争っぽくあるべきであって、あんたの心臓が走ってどうするって感じですが…)
当然、途中で、本人もピッチが若干高くなってきたと分かっているので(ポジション移動したときに往々にして若干高くなるのです)、何とか次の開放弦がくる前に戻そうとするんだけど、戻りきらずになんつーか、悲惨。
でもね…ナナ先生、褒めてくれました。
「それでいいのよ、それで。どうせ、どこまで上手くなったとしても、問題は残っちゃうんだから、問題が起きた時に瞬時に誤魔化せるようになればいいんだから。それにあなたの場合、全体にピッチが上がるっていうだけで、個々の音程がデタラメに狂っている訳ではないから、ちょっと気を付ければ済む問題なんだし。」
演奏はともかく、私の姿勢というか態度、意識の進歩を喜んでくださったということのようです。
でも、瞬時に直せる運動神経がないのと判断のスピードが遅いので、最初から狂わない方がいいんですが…といっても不器用だから誤差を最初から最小限にすることもできない。
あ~、二胡って本当に残酷な楽器だと思う。

というわけで、技術篇はここらで一段落、次から演奏に表情付けようね~という訓練が始まるのでありました(^^;
まだ、「賽馬」終われへん…

そおいえば、季節の変わり目、なんか二胡ちゃんの弦の真ん中くらいのAの音の雑音がすごいわ…。
これって、楽器の構造上、ある程度は仕方のないことでして…
駒とかいろいろ見ても、別に問題なさそうなので、結局、弾きこむしかないのよってことで、しばらく雑音無視して思いっきりガーガー鳴らして調整したら、少し好くなりました。
でも、ガーガーいわせている私とナナ先生を横目に、ぐーすか寝ていられるナナ先生ん家のわんこはスゴイなぁ。
ナナ先生いわく「子供の頃から聴いているから慣れてんのよ」

【余談というか覚書】

「賽馬」の表情の付け方は、細かいところは人それぞれだろうけど、一応、楽譜から読み取れる表情の付け方を教えていただきました。
当たり前のことなのかもしれませんが、実際、やれてない(^^;

まず出だしのラは、フォルテシモ、きちんとアクセントをつけて大きな音を出すには、弓の速度が肝心でして、すばやく弓を引いたら(ある意味、ここの動きはほとんど目に見えないくらい速い)、すぐに弓の速度をかなり落とすとアクセントの出来上がり(言うは易し…)
大きな音と言っても、実際のところ、どこまで大きな音が出せるかは個人差があるでしょう。だから自分の出来る範囲の大きめの音を出す。そしてこの先は、この音との対比で強弱をつけるしかないわけよね。
5、6小節目のラソミソ*4は、ラにきちんとアクセントをつけること。そして、音量をだんだん大きくしていく。
7、8小節、23、24小節の装飾音はきちんとその音符の上に付けること。他の音符を侵食してはいけない。
11、12小節及び15、16小節、21、22小節のレミレド*4は、5、6小節目のラソミソ*4と基本同じ。
17、18小節のレーラドの後16文音符は均一に崩れないように。
25~28小節のフォルテシモ、ここからは、弓をいっぱいまで使いきる。29~32小節は前のフォルテシモとの対比でピアニシモ。
52小節のミレ(八分音符)はピアノ、音量をすとんと落とす。
57~68小節 たーたた たったのリズムを綺麗に。
69~72小節 換弦に気をつける(遅くならないように)
73~88小節 ピチカート奏法 私が弦をはじくとまだ音量がイマイチ足りない感じだったりする…できるだけ、綺麗に弾くには指のほんの先っぽだけで弾くのではなく、指のもっと下の方(第一関節のちょい上ぐらい?)から指先まで使っちゃっても大丈夫らしい。
92~100小節 十六分音符をキチンと均一に、音の粒が綺麗に聴こえるように弾く
105~小節 音量をだんだん大きく…
109~112小節 ミレドレ*8 はミにきちんとアクセントをおく。
113~115小節 ラは最後の方でちょいとビブラートをかける。