100歳まで

私の知っている演奏家・作曲家の先生で、
「まだ、やりたいことがいっぱいあるので、100歳まで生きるわ!なんか、私100歳まで生きるような気がする」
と言った人がいます。

素晴らしい演奏をする演奏家の先生だってやりたいこと、自分はまだまだって思うことが、いっぱいあるわけですね…

そんなすごい人達でも、日々、精進しておられるわけだから、
私なんかが悩むのは、当たり前~ってか、死ぬほど落ち込んで当然。
だいたい、私程度の学習経験で、かなりうまく弾けたら、先生の方が死にたくなるだろうね(笑)。

私が聴きたいのは、あなたの音楽です【二胡LESSON86】

さて、ナナ先生はトシミネ先生(私の大学の三弦の先生)と違って、一緒に弾いてくれることは少ないのですが、今回は、一緒に弾いてくださいました。
ちなみに、トシミネ先生がよく一緒に弾いてくれる理由は、
「お前は、俺と一緒だと何故か、モノ覚えが格段によくなって、なんとなく弾けるようになっちゃうんだよな」ということらしいです。
ハイ、要するに私は、譜面みるのが苦手なんですよ。
それと、相手にいつのまにか同調するのが好きなんでしょうね。
そういう意味では、私のようなタイプは、すごく上手い人を先生にしないと、とんでもない模倣までしてしまうことになりますね(笑)

そういや、津軽三味線の師匠は、いつも同じ旋律を一緒に弾いてくれるか、替手を弾いてくれますね。
唄ってくれるし…太鼓のリズムも足でお取りになって、「千手観音か、あなたは!」って思います。
(他の方のブログを拝見する限りでは、師匠はめったに唄わないそうですが…お稽古の時以外はって言う意味なんだろうなぁ…だって私が唄わない時は唄ってるもの)

さて、話は二胡に戻りますが、
ナナ先生いわく

「あなたが弾いているのは、音符です。私が聴きたいのは、あなたの音楽!」

そうなんですよね。
私のは、お芝居で言ったら「棒読み」の状態なのです。
何が悪いか、そりゃ、一番の原因は、強弱とビブラートで、後はテキトーな間もないということなのでしょう。
よくいえば、強弱記号を無視した「譜面どおり」の演奏ってことです。

しかしながら、私は小学校の時は、朗読や演劇では褒められた方なんですが、自分でお芝居をするのと、音楽を奏でるのとではずいぶん、違うんですよね。
表情や声は、自分の手足ですから、どうにでもコントロールが効きます。
むしろ、意味のあるセリフを棒読みする方が難しいですよね。
自然に感情が入り込みます。
でも、音楽は、表情を支える技術がないと話にならん。
つまるところ、演奏家というものは、楽器が自分の身体の一部になっているということなのでしょうなぁ~

そんなわけで、私の目下の課題曲、「賽馬」「二泉映月」どちらも、旋律的には大きな問題はなく、単に、熟達の域に達するほど練習してないだけと叱られちゃいました。
「語りかけるように弾け」が宿題です。

あ、思い出しましたが、重大な問題が発覚したのでした。
基礎練をしているときは問題なのですが、曲を弾き始めると、内弦を弾く際に、弓がかなり上まで浮いてしまうのです。
余分な力が入るのでしょうね。
おそらく、無意識にそういうダメな弾き方をしている練習時間が長いせいか、二胡の皮の振動にも悪影響が出てきているようです。
前より、雑音が多いのは、もしかするとそのせいと言われました。
早いうちに矯正しないと、私の腕に変な癖がつくだけではとどまらず、二胡ちゃんにも変な癖がついて、いい音がしなくなっちゃう…(やばい、やばい)

これが、冬休み日本帰国前の最後のレッスンかどうか、まだ未定。
ナナ先生いわく「日本に帰っちゃうと、この次は3月っていうのは間が空き過ぎるから、もう一回ぐらい、やっとく?」って何かすご~く熱心におっしゃった…
うぅ…できるのか、自分。どうしよ~

楽器の普及と海外進出

「第一回中日韓国際琵琶コンクール」というポスターを学食の前で見ました。

え?琵琶って言ったって、この三国間の琵琶の間には差があるので、どうやって競争するのさ、と思った私はさっそく公式ウェブサイトhttp://cjk-folk.orgを見ました。
なんのこっちゃない、中国琵琶の国際コンクールってことですね。

そうだよなぁ…外国人が日本琵琶を持って、節付けてまともに唄えるとは思えん(^-^;
その点、中国琵琶はフレットがいっぱいあって、器楽メインだから、言葉の壁がないものね。
(もっとも、伝統的な曲を本当にきちんと弾こうと思ったら、中国民族楽器特有の楽理を知ってた方が味わいは出るでしょうが…)

2013年03月24日~28日に韓国のソウルで決勝が行われるらしいです。
しかしながら、こういう活動が出来るってことは、日本人や韓国人でかなり弾ける人が存在するということですよね?
まぁ、楽器の普及、交流活動やビジネスという側面もあるんだろうなぁ。

筝なら、日中韓でコンクールしても、なんか共通の技術がある(というか、どれかが出来る人は応用がきく)ような気がしますが、中国琵琶ってどうなんだろ。
もっとも外国人は親が演奏家でもない限り、幼少から始めるわけにもいかず、海外組ということで、本場の音大生や演奏家とは別の土俵で評価を受けるわけだけど、中国琵琶って傍から見ていると、指動かすの大変だよ~

あ~
だったら三弦も東京とかでコンクールしないかなぁ。
自分が出られるかどうかは別として、たくさんの人の演奏、いっぱい聴けるわけでしょ、いいなぁ…

ちなみに、三弦を弾いていると中国人に言うと「あぁ、日本人は三味線弾けるからね、似たようなもんなんでしょう?」と言われます…
確かに似たようなものだけど、トシミネ先生に三味線持たせても、右手がネックですぐには弾けないし(特にスクイがすくいようがない)、お師匠様に三弦持たせても(持ってもらったことなんてないけど)、多分、左手の小指と右手の指全部が30分後に使い物になるとは思えない…
それぞれ別の技術だしなぁ…

でも、三味線って確か、海外でもコンクールやってるんだよね?違ったっけ?
すごいなぁ。

中国の三弦の先生方は真面目に、日本国内での三味線の普及(一言で三味線と言っても日本文化の中の三味線の種類は多いわけだけど)と海外での津軽三味線の流行の理由が知りたいらしい。

思うに、日本文化と三味線に関しては、中国文化と胡琴と同じで、唄の伴奏に最適だったってことだよ。

「三味線という楽器は音が断続的であるために声楽の伴奏として利用するときに、声や歌の文句をあまり邪魔しなくて、伴奏の役目に大変ふさわしい楽器であること。しかしこれと全く反対の事実が、よその民族の場合には見られます。たとえば、中国、インド、アラビアそのほかでは、声楽の伴奏には好んで弓奏楽器、擦弦楽器が用いられます。これは同じ弦楽器のうちでも音が持続するということで、しかも声と似た音色やエクスプレッションを持っているということのために、好んで声楽の伴奏に使われるわけです。」小泉文夫「日本の音」平凡社ライブラリー71、232―233頁より引用

日本人は京胡を伴奏に唄おうとすると唄いにくいって思うだろうけど(っていうか、あんな持続する高音に、日本語がのせられない)、中国人は京胡で普通に唄ってるからな~

津軽三味線が外国人に受け入れられやすいのは、旋律を覚えやすいからじゃないかなぁ。
それと、三味線はメロディ楽器であると同時に、リズム楽器でもあるわけで、音楽専門教育を受けてこなかった人にとっても、調子よく楽しそうに響くのではなかろうか。
三弦が普及しないのは、一流の先生方が人前でお弾きになる美しい曲は、素人の大人には10年練習しても技術的にダマシダマシでも無理なんじゃないかってことだからじゃないのか…
かといって簡単な曲は、美しく聴こえない…猫だって弾ける単純でツマンナイ音としか聴こえない(泣)
大人が必死に努力したら、美しい曲が弾けるかもしれないことを(あるいはやっぱりダメかもしれないことを)、わが身で試さざるを得ない私。

ううむ、技術的には、さほど難しくないのに、美しく聴こえて簡単に覚えられる調子のいい曲ってないものか?
そうしないと、私は日本で単なる趣味としてですら、弾き続けることは困難。
遊んでくれる人(合奏の相手をしてくれる人)や聴いてくれる人がいなけりゃ、一体どうするんだい…
世の中には、山にこもって自分が黙々と弾いていればいいという人もいるが、私は人と合奏したい人なので、自己完結できない。

だから、自分で書くしかないわけで…
あるいは、難しくない素敵な伝統曲はいっぱいあるわけだから、そのまま弾いても現代人にはツマンナイかもしれないけど、そういう著作権という概念のないものを現代風にちょっといじって弾けば美しく聴こえるのかもしれない。
今のところ勉強不足で書けないわけだけど、将来書けたら書けたで、きっと
「こんなもん、三弦音楽じゃね~民族音楽じゃね~」とか言われるのかもしれないな(^-^;
日本人が日本人のために中国民族楽器を使って曲書いたら、絶対、本場の人にとってはおかしいだろ、そりゃ、とは思うけど、文化的背景が違うんだから変容は仕方ないと思ってくれ…