さて、ナナ先生はトシミネ先生(私の大学の三弦の先生)と違って、一緒に弾いてくれることは少ないのですが、今回は、一緒に弾いてくださいました。
ちなみに、トシミネ先生がよく一緒に弾いてくれる理由は、
「お前は、俺と一緒だと何故か、モノ覚えが格段によくなって、なんとなく弾けるようになっちゃうんだよな」ということらしいです。
ハイ、要するに私は、譜面みるのが苦手なんですよ。
それと、相手にいつのまにか同調するのが好きなんでしょうね。
そういう意味では、私のようなタイプは、すごく上手い人を先生にしないと、とんでもない模倣までしてしまうことになりますね(笑)
そういや、津軽三味線の師匠は、いつも同じ旋律を一緒に弾いてくれるか、替手を弾いてくれますね。
唄ってくれるし…太鼓のリズムも足でお取りになって、「千手観音か、あなたは!」って思います。
(他の方のブログを拝見する限りでは、師匠はめったに唄わないそうですが…お稽古の時以外はって言う意味なんだろうなぁ…だって私が唄わない時は唄ってるもの)
さて、話は二胡に戻りますが、
ナナ先生いわく
「あなたが弾いているのは、音符です。私が聴きたいのは、あなたの音楽!」
そうなんですよね。
私のは、お芝居で言ったら「棒読み」の状態なのです。
何が悪いか、そりゃ、一番の原因は、強弱とビブラートで、後はテキトーな間もないということなのでしょう。
よくいえば、強弱記号を無視した「譜面どおり」の演奏ってことです。
しかしながら、私は小学校の時は、朗読や演劇では褒められた方なんですが、自分でお芝居をするのと、音楽を奏でるのとではずいぶん、違うんですよね。
表情や声は、自分の手足ですから、どうにでもコントロールが効きます。
むしろ、意味のあるセリフを棒読みする方が難しいですよね。
自然に感情が入り込みます。
でも、音楽は、表情を支える技術がないと話にならん。
つまるところ、演奏家というものは、楽器が自分の身体の一部になっているということなのでしょうなぁ~
そんなわけで、私の目下の課題曲、「賽馬」「二泉映月」どちらも、旋律的には大きな問題はなく、単に、熟達の域に達するほど練習してないだけと叱られちゃいました。
「語りかけるように弾け」が宿題です。
あ、思い出しましたが、重大な問題が発覚したのでした。
基礎練をしているときは問題なのですが、曲を弾き始めると、内弦を弾く際に、弓がかなり上まで浮いてしまうのです。
余分な力が入るのでしょうね。
おそらく、無意識にそういうダメな弾き方をしている練習時間が長いせいか、二胡の皮の振動にも悪影響が出てきているようです。
前より、雑音が多いのは、もしかするとそのせいと言われました。
早いうちに矯正しないと、私の腕に変な癖がつくだけではとどまらず、二胡ちゃんにも変な癖がついて、いい音がしなくなっちゃう…(やばい、やばい)
これが、冬休み日本帰国前の最後のレッスンかどうか、まだ未定。
ナナ先生いわく「日本に帰っちゃうと、この次は3月っていうのは間が空き過ぎるから、もう一回ぐらい、やっとく?」って何かすご~く熱心におっしゃった…
うぅ…できるのか、自分。どうしよ~