存在する筈の音を消せる

【前回からの続き】

私の脳は、物理的に存在する筈のない音まで補充してくれるのだったら(前回のミッシングファンダメンタル)、ある意味、脳はおりこうさんなんじゃないの?って言う方向に考えてくださる人もいるかと思います。
でも、私の脳は人の話し声をちゃんと聴きとってくれないことがあります…
ちなみに私は物理的な音が聴き取りづらい難聴ではありません。
年相応の周波数帯の音はきちんと聞こえています。

例えば、この音源
http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/bandLimitedSpeech/ja/index.html

このデモは、非常に狭い周波数帯域(1/3オクターブ幅)だけを残し、他の周波数成分を除去したものらしいです。
さらに、バックに弱い広帯域雑音を加えてあって、それぞれ、残した帯域の中心周波数が違うだけ。
「いずれも、内容は十分聞き取れるのではないか」と研究者は言っていますが、私は、全然、聴き取れないよ…
だから、外で携帯電話を受けると、片耳ふさいで、静かな所へ行かないと聴こえないわけだよね。
雑音が大きすぎ(泣)

次の音源はもともと、人工内耳装用者の聞こえ方を模擬するために開発されましたものらしいです。音声が劣化しているわけですが、私にはかなりキツイというか、分かんないですヨ。

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/noise_vocodedSpeech/ja/index.html

私の耳は、音そのものは聴こえているし、ピッチを手掛かりにして聴こえない音まで想像できるくせに(ミッシングファンダメンタル)、雑音下では、音を意味のある「言語」として捉える能力が弱いのかも。
まぁ、パーティ会場で、隣にいる人以外と話すの苦手なのはそういうわけでしょう。

あ、でも、語学の試験のスコアは、試験会場が普通に静かであれば、リスニングが割といいんです。
HSKという英語でいうTOEFLみたいな試験があるのですが、今の試験はどうか知らないですけど、昔、レベルの高い試験を受けた際、アナウンサーみたいな会話のやり取りではなく、ワザと雑踏で普通の人にインタビューするというリスニング問題が一問ぐらいありました。
多少のなまりや、俗語みたいなのを聴きとって欲しいという意図は分かりますが、母語でも聴き取れないものが、聴こえるわけないだろ(怒!)
模擬試験を何度かやれば、回答者に何を答えさせたいのか、試験のパターンが分かるので、推測するしかないですよね。

よく入試会場で雑音や機械の不備で、やり直しが問題になりますが、この気持ちはちょっと分かりますね。
大多数の人が少しくらいの雑音なら言語の聴き取りに問題ないと思いますが、発達の仕方が大多数の子とちょっと異なるお子さんですと、特に入試などのヒッカケ問題があるような(日常的には想像しづらいようなワザと間違いを導くような言い回しが多い)リスニングの試験に雑音はキツイんじゃないかと想像するのであります。

大多数の人は、そこに存在する音(雑音)を無かったことにする能力に長けているということを自覚していません。
聴き取りづらい人は、生まれた時からそうなのだから、自分の耳が難聴だと勘違いしている可能性もあります。

ところで、私の場合、例外がありまして、私は集中していればどんな大きな音も聞えません…
もう、人から何て都合のいい耳なんだと言われても仕方ないんですけど、本当に集中して何かをしていると、電話が鳴っても知らないということは大いにあり得ます。
一心不乱に弾いてる時に、誰かが部屋に入ってくると、飛び上って驚きます…
もっとも、友達は、何度もノックしたとか、声かけたって言うので、その通りなのだと思います。
論文書いていた時に、「何で部屋にいるくせに電話に出ないの?」と友人に聞かれたことも。
もっとも、外のオフィスで仕事をすれば、普通に電話に出ると思うけど、ある意味、仕事を本気でしていないからできるのであります(いいんだか、悪いんだか?)
電話の呼び出し音の音量を上げると、天井まで飛び上るほどビックリする羽目になるし、かといって、心地よいメロディだと、集中しすぎている時は、背景の雑音と同じで、気付かないかも。

聴覚だけクローズアップしてみも、期待どおりの錯聴が現れない人、現れる人がいるのですから、視覚や触覚などの他の感覚でもそうなのだと思います。
自分が存在しているこの世界は、実は自分に見えたように、聞こえたように、感じたような姿をしていないという…

参考ウェブサイト:イリュージョンフォーラム(錯覚の情報を集めたウェブサイト)

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/index.html

存在しない音が聞こえる

このところ、私は自分の音が嫌いで、嫌いでたまりません。
先生方は「自分が思っているほど、ヒドイ音でもないよ」と慰めてくださいますが、この「自分が思っているほど」っていうの、クセモノですよね。
どうして、先生に「私が思っている音」が分かるのでしょうか~
(いや、別にケンカを売っているわけではないので、最後までお付き合いくださいませ)
先生の頭と私の頭をUSB接続して、「私の思っている音」を転送して差し上げたら、驚くかも…と思います…

まず、はじめに、聴覚認知には個人差があります。
以下のテストは、まず、顔を見て、言葉を聞きとってみてください。
「ば」に聞こえますか?それとも「が」ですか?「だ」と聞こえる人もいるみたいです。

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/mcGurkEffect/ja/index.html

私は情報をインプットする時は、視覚よりも聴覚の影響を受けやすい気がします。
この錯聴テストは、顔を見て聴いた時と、目をつぶって聴いた時の音に違いがあるでしょう?という効果を狙ったものです。
大多数の人は、目を開けて聞いたときと、目をつぶって聞いた時、違うみたいですが、私には同じにしか聴こえません。
これは、おそらく私が日常的に人の言葉の裏の意味を上手く理解できないことと関係あると思います。
大人は口先で曖昧なことを言いながら、表情を駆使して「本音を察して欲しい」と違う意思表示をするらしい。
ただ、私は表情から本音が分からなくとも、基本的な喜怒哀楽などは、声の「トーン」や癖から判断していると思います。
空気が読めない、KYって言葉がありますが、大多数の人は、音を聴かずに読んでいる(察している)のでしょうね。

上記は、実際に発している「音」を私が正確に把握しているという証拠になり得ますが、じゃあ、私が本当に音を正確に把握しているのかということに疑問を投げかけるテストが以下です。

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/upOrDown/ja/index.html

二つの音を聞いて、前の音と後ろの音の関係が、上昇するように聴こえるか、同じ音高に聴こえるか、下降して聞こえるのか、どうですか?

人はどのようにして、音の高さを把握しているのでしょうか?

さて、音にはピアノの音とかバイオリンの音という音色の差があります。
同じ音の高さでも、違う楽器だと分かりますね。
音の成分が違うからです。
音叉のような純粋な音でない限り、普通の楽器の音は、基本の音の上に、違う周波数の音がいくつも重なって鳴っていることで(倍音といいます)、音色に差があります。

鼓膜に到達した音は、内耳に届きます。
内耳には蝸牛(かぎゅう)というカタツムリさんの形をした器官があって、蝸牛の中に基底膜という振動板みたいなものがあります。
耳に入ってくる音には、通常いろんな周波数成分が含まれていますが、この基底膜の共振によって、周波数成分がある程度、分解されるのだそうです。
基底膜というのは、目の粗さの違うふるいが互いに重なりながら並んでいるようなもので、音がフィルタにかけられるというイメージでいいかと思います。

ところで、電話の音声を聴いて、あれ、いつもの家族の声と違って聞こえるって普通にありますよね?
下の方の周波数がカットされているからなのですが、それでも、通常、声の高低、抑揚などを聞き分けられるのは、人間は上の方の周波数を聞いて、下の基本の音を脳が判断していると思われるからです。
聞こえない筈の基底音が聞こえる、これを「ミッシング・ファンダメンタル」といいます。

テスト音は、私には二つの音が下降するように聞こえます…
その音程差は長3度ぐらい。

種明かしをすると、
最初の音は、750 Hzと1000 Hzの複合音
二番目の音は800 Hzと1000 Hzの複合音

ミッシング・ファンダメンタルを強烈に知覚すると、最初の音から250 Hz、次の音から200 Hzに相当する高さが聞こえ最初の音の方が高く感じられます(音が下降したと感じます)。
750 Hzと1000 Hzというのは、250 Hzの第三、第四倍音に相当し、800 Hzと1000 Hzというのは、200 Hzの第四、第五倍音です。
周波数成分の重心や、個別の成分に基づいて高さを判断する人は、2つめの音の方が高く感じられます(音が上昇したと感じます)。

ですから、音が下降しようが、上昇しようが、人間の認知としては、どれも正解なのですが、物理的に聞こえない音を聴くタイプの人って、一体どーゆー人なのでしょうか?

ここで紹介したテストの音は、周波数成分の数が少なく、蝸牛の基底膜で周波数分解できる低次の周波数成分なので、誰でも必ずミッシングファンダメンタルが起こるわけではないそうです。

これを研究している先生曰く、講義などで手を上げてもらうとミッシングファンダメンタルが聞こえる人は少数派だそうです。
全体の十分の一程度とか…
日常的な場面では、周波数成分がもっと多いので、ほとんどの人が容易にミッシングファンダメンタルを経験するそうですが。
(参照:「音のイリュージョン ― 知覚を生み出す脳の戦略 ―」 柏野牧夫著 岩波書店 2010年)

もっとも一般の大学等の話だと思うので、これが、音大の学生だったらどうなのか気になるところですね。
耳がよいために、物理的に存在する周波数だけをきちんと拾うのか、はたまた、音の仕組みを知り過ぎているがゆえに、ミッシングファンダメンタルが聞こえてしまうのか…どっちですか?
このような低次の周波数帯、単純な複合音でもミッシングファンダメンタルを起こす人は、聴覚や心理学の研究者には多いみたいですが、私は別にそんな学問を過去にしたことはないんだけど…

このミッシングファンダメンタル、他の感覚の錯覚現象と同じで、単に脳の勝手に補充する機能と片付けられがちですが、音の認知はもっと複雑なのだと考えている学者さんもいるようです。

【次回へ続く…】

音楽の見え方、聞こえ方、感じ方

皆さんはどういういきさつでその先生に習ったのでしょうか?
演奏などを聴いて、最初からこの先生の音だ~と思ってご自宅に乗り込んでいったとか、たまたま出会っちゃっただけとか、いろいろあると思います。
自分と見方、聞こえ方、感じ方が似ている先生だと、なんか自分のことを本当に分かってくれそうな気がして嬉しいですよね。
(実際には気がするだけで、他人のことなんて誰も本当には分かりませんけど…)

私は大人になるまで、人と自分は同じように見えて、同じように聞こえて、同じ世界を体感しているものだとばかり思っていました。
だって、普通に目が見えて、耳が聞こえて、身体の痛みを感じられるのだから。
食事や服装などに「好み」というものはあるだろけど、いわゆる天才とか、神童と呼ばれた人を別にすれば、脳の情報処理システムにさほど違いはないだろうと思っていたんです。
でも、本当は違うんですよね。
それを知って非常に驚きました。
どういうことかというと、人は主として視覚、聴覚、触覚、言語などに頼って外界の情報をインプットするわけですが、人によってどの感覚が優位なのか違います。

ところで、ピアノの先生とかが書いた本やウェブを読んでみると、結構、生徒の優位感覚に着目して、指導されていらっしゃるようですね。
考えてみたら、ひとそれぞれ、インプットしやすい方法というのが違うのだから、何年も教えている先生なら、経験的に分かるのでしょうね。
大ざっぱに
視覚優位
聴覚優位
言語感覚優位
触覚優位
という分類ができるようです。

視覚認知が強い子は、初見はお手の物でしょうね…
でも先生の話は右から左へ流れていく傾向あり?
視覚優位の子はピアノ等の楽器の場合、模範演奏は、聞いているというより、指の位置を見て覚えているといいます(笑)。
説明してもちんぷんかんぷんなのに、模範演奏してあげると、すぐに鼻歌歌ったり、演奏できてしまうタイプは聴覚が優位なのでしょう。
言語感覚が優位な子であれば、様々な視点から説明してあげて、生徒に自分で考える時間をあげたり、楽曲に関する予備知識を入れてあげたり、曲にストーリー性を持たせるとやる気が増すのだそうです。
触覚が優位な子というのは、とにかく身体の使い方が上手いので、数さえこなせば自然に身につくみたいですね。でも、間違えて覚えてしまうとなかなか直せないので、最初から正しい音と指づかいで弾けるようレッスンしてあげないとダメらしいです。

楽器の先生は、皆、耳がとてもいいことは当たり前なのですが、その次に(あるいは聴覚と同等程度に)何が優位かによって、タイプが分かれるような気もします。
中にはバランスの良い先生もいるかもしれませんが、先生でも得手不得手はありますよね。
この認知の優位性も、どれも平均程度ある人もいれば、どれかが極端に悪い人っていうのも存在するわけですね。
何といいますか、別に身体障害があるわけでもないのに、上手に五感を利用できない、知的障害があるわけでもないのに、物事を上手く理解できない人っていうのもいまして、ひどいと、簡単な読み書き計算ができない(時間がかかる)とか、人の顔が覚えられないという事態を招きます。

ところで、人間は、例えば、腕がないとすると、足を使っていろんなことができるようになります。
それと同じで、目の見えない人の聴力や触覚は、とんでもなく発達します。
同様に、脳のどこかに働きが悪い部分があっても、脳の違う部分を使うことで、あたかも大勢多数の人と同じ結果を導けることもあります。

実は、私は昔から、新しいことを覚えるのにかなり飲みこみが悪く、そうとうなおバカに違いない、絶対に頭のどこかに問題があるか、努力の仕方に問題があるのだろうなと、うすうす思いながら、生きてきました。
あまり気になるので、大人になってから詳しい知能検査を受けてみたら、案の定、総合的な知能は人並みにありますが、特定の分野の結果が著しく悪く、各分野の能力に差がありました。
まぁ、テスト内容はプライバシーの問題もあるし、これから受けようとする人の妨げになるので詳しく書けませんが…

これが原因で日常生活にかなり支障をきたしたり、劣等感にさいなまれ、精神疾患をわずらったりして障害者と位置付けられる人もいます。
そこまではいかないけど、情報のインプット能力が劣っている人というのが私です。
私は言われたことを頭の中でイメージする能力、推論が極端に劣っています。
でも、記憶力が人並みにあるため、ちゃんと聞いていた場合は、言われたことはそのまま覚えているので、ちゃんと聞いているくせに、何で人と同じように期待された言動ができないんだ?となるわけです(とほほ…)
カウンセラーさんには、先天的な(脳の基盤的な)知能が劣っているのに、それを後天的な学習や経験で補っているので、子供の頃は辛かったんじゃないですか?と言われました。

私は子供の頃から初見がとにかくダメでした。
そして聴音させると、譜面に落とすのに時間かかりすぎ…
また、私は、読譜にすごく時間がかかります。
視覚認知がかなり弱いのだと思います。
だから、先に模範演奏を何度か聴いた後で、楽譜を見る方が効率があがります。
私がやたら楽譜に色を付けたがるのも、途中で何処を弾いているのか、本当に分からなくなるからなのです。
よく、どこ見て弾いとるんじゃい、楽譜見てるのかと叱られましたが、別にどこも見てないです…
自分の音、あるいは先生の音、もしくは先生の話を一生懸命に聴いていると眼や手なんて使えないよ~
他ごとを考えていると思われちゃいますね。

もっと徹底的におバカだったら、聴覚が音楽家並みに発達して嬉しい限りですが、そこまでに至らないのが、中途半端で余計に苦しい凡人の辛いところです(笑)

振り返ってみると、先生と呼ばれる人は、もともと先天的な能力も高く、後天的な努力もなさっている優秀な人が多いので、私のバカさ加減をおそらく体感しようがなく、そんでもって私は子供時代、よく叱られたのかなと思います。
自分の特性をよく知り、他人の特性をなるべく短期間で理解できるようになるとコミュニケーションも上手くいくようになるのかもしれないですね。