芳音

いい音ってなんか匂いますよね?

よく、個性的な演奏を聴いて「いい味だしてるね」とか「味があっていいんだよね」と皆さんいいますが、「なんかいい匂いするんだよね」っていうセリフにはあまり遭遇したことがないような…

人によっては「色聴」と言って、音に色を感じるとか(絶対音感保持者に多い)、調に色を感じる人がいるのですが、これは聴覚と視覚が分化されないという共感覚といわれているものらしいです。

私にはそういう音を判別するのに便利な能力は皆無ですが、なんか、ここ数年、特定の音色に匂いを感じるのですよ(^^;;
比喩じゃなくて、真面目に。
多分、そう思ったことのある人は私以外にもいると思うけど「いい味出してる」という日本語に置き換えられてるんでしょうね。

例を挙げると二胡の于紅梅先生の生音の滑音とか…
CD音源じゃ何とも思わないけど、生で聴くと、あるんですよ、匂いが!
演奏に感動しすぎると、よく漫画とかで、奏者の背景に薔薇が見えたり、草原が広がったりするじゃないですか?
ああいう想像が私の嗅覚にも影響を与えるんじゃないかと思ったりもするのですが、私の脳内にはバラも草原も浮かばないけど、匂いだけは薫るのよね。
于紅梅先生の場合は、バラとかのゴージャスな騒がしい匂いじゃなくて、なんというか甘酸っぱいような匂い。
ニナリッチのNina Princesse d’Un Jour (ニナ プリンセス ド アンジュール)に似ているかも。
2012年限定で発売された香水らしく、「プリンセスの一日」という意味で、フローラルフルーティノートです。

トップ ライム、レモン
ミドル リンゴ、バニラ、ピオニー、プラリネ、夜咲きサボテン
ラスト リンゴの木、ホワイトシダー、ムスク

別にコンサート会場の隣の席に香水のキツイ人がいたとかというわけではないのですよ。
ましてやご本人に近づいたこともないです。

私の三味線の先生のお稽古場はいろんな匂いしますが(お香の匂い、ルームフレグランスの匂いなど)、に加えてどうもよく分からない匂いを感じます。
前に「何のお香を焚かれているんですか」と伺ったけど、よくわかんなかったんですよね。
「桜」とか普通に「白檀」とかいろいろ焚いたことあるみたいです。
あと、「これかなぁ」とかって先生が机の脇から出してくれたものを嗅がせていただいた香りはどれも違うんだもの。
ルームフレグランスにしているバラとか百合の匂い…。
思うに、先生の特定の箇所の音に香りを感じているのかも(^^;;

以前、先生に「なんか、先生の音って、天気のいい日に猫がご機嫌で散歩してるみたいですね」と真面目に言ったことがあります。
先生は「よく分からないけど、気持ち良さそうな感じで良かった」とおっしゃいましたが、きっと何のことか分からなかったと思います。

エルメスの香水で「屋根の上の庭」というのがあります。
エルメス店舗(パリ)の屋上庭園の香りからヒントを得て調香師が創った香水らしいです。
が…私的には猫の散歩の匂いです(=^ェ^=)
草と花と土、お日様の匂いというか…
おしゃれなパリの空中庭園を猫の散歩と思う私のズレた感覚…ゴメンナサイ。

香水瓶のキャップの裏の匂い嗅ぐと草の匂いしますので、最初の青臭さ(人によっては枯れ草さを感じるらしいけど、いずれにしても、草です)が嫌いな人は嫌いかもです。

トップ:アップル、洋ナシ、グリーングラス、バジル
ミドル:ローズ、マグノリア
ラスト:堆肥、オークモス

先生ご本人が纏っている香りとは全く違うので(聞いたことあるので違います)、ファンの方、心外だったらごめんなさい〜。
ちなみに三味線の先生のとある特定の音に関する匂いについては、舞台上の音響設備を通した場合には何も感じません。
あくまで、お稽古中の至近距離で聴く生音限定です。

以前、先生に、「舞台上の音より舞台下の音の方が好き」って言っちゃって、それって演奏家に対して「つまらない本番演奏だった」とも取れるすごく失礼なこと言っちゃったんだろうかと数日後にふと気づきました(・_・;
いえ…そういう意味ではありません。
音というのは実際、耳だけで聴いているものではなく、皮膚という触感でも分かりますし、何よりも音の振動を脳が処理しているわけで、特定の環境下で、特定の音色に対して脳が錯覚を起こすことがあるわけで…
私としては、香りというオマケのつく音の方が好きっていう意味です。

私は基本、甘い香りが好きなので、自分の楽器からアイスクリーム、或いはシナモンロール、アップルパイみたいな匂いの音が出せると嬉しいんですが…。

先日、デパートで、シャネルのエゴイスト(エゴイストプラチナムではない)というメンズ香水の匂いをクンクンしたら、なんだか
「仏間でロールケーキを食べている」ような気がしました。
要するに白檀とバニラなどの香りを感じたということですが、こういう香りが付く音がしたらカッコいいなぁと思って帰ってから、ネットの口コミを見て唖然としました。
この香りって、万人受けしないのね(^^;;
あえて言うと、外国のカッコいいある程度年を重ねたオジ様ぐらいじゃないと、許されない香りみたい…

そういえば、画家の岡本太郎氏は、作品展でじぃ〜っと、とある作品に見入っているお客さんがいたので、ずいぶん熱心だな、何なんだろうと思っていたら、そのお客さんは最後に「いやぁね」と呟いて立ち去ったのだとか…
それ聞いた岡本氏、「やったね」と思ってすごく嬉しかったんだって(笑)
なんか、分かるなぁ。
そこまで熱心に嫌われるぐらいの魅力があるってことだよね。

ほとんどの場合、普通の人にとっては誰が弾いても同じなわけで、上手かったね、下手だったね、楽しかったね、つまんなかったね、ぐらいの感想しかないと思う…

「ほんと、しつこくまとわりつく、あの気持ち悪い音、どうにかならないのかしら」とか言いながら、最後まで聴いてくれる人が一人いるというのは、すごいことだと思うので、私はそういう人になりたいと思う(^^;;

弦舞藝幻

gaoyizhen
中央音大の高藝真さんの修士卒業音楽会に行ってきました。
この方は子供の頃は琵琶を弾いてただけあって、手先がとても器用なんですよね。
名前から見て、きっと親は芸術関係の仕事してるんだろうなぁ。
終わってから、私と先輩は「よかった〜」と繰り返しつぶやいちゃいました。
本当に無駄な動きがなくて美しいフォーム、だから音も美しいのですね。
ついでに本人も美しいし…でも中国人学生って、普段はスッピンでシンプルな服装でメガネとかかけて講義に出てたりするから、美人だと気づかないケースもあったりして。(おさげに三つ編みメガネの学級院長が、ドレスアップしたら凄かったっていう少女漫画の王道みたいな女子が中国の音大にはたまにいる気が…)

一、竹溪辞 作曲:孫小松
三弦、二胡、琵琶の三重奏です。
一段、二段は、茶館とかのBGMみたいで、邪魔にならないいい雰囲気の曲です。
三段目はちょっとアレグロで、琵琶と三弦の滑音が聞きどころ。

二、風雨鉄馬 作曲:白鳳岩
これは、三弦やってる人なら、知らない人はいない名曲。「三弦聖手」と呼ばれた芸人の白鳳岩の作曲で20世紀の作品です。白先生は琵琶や四胡もできる人で(昔の芸人さんは往々にして二、三の楽器ができますが…)、三弦の伝統的なポジション移動を見直し、奏法とかに現代的要素をどんどん取り入れ、三弦の独奏作品を残しました。

三、舞幻 作曲:徐暁林
作曲者がチベット族の舞曲を素材に作曲しただけあって、テンポのいい曲です。

四、草原(第一楽章)作曲:顧冠仁
五、三弦与楽隊協奏曲 (第一楽章) 作曲:楊勇

四は三弦協奏曲として、2006年にシンガポールの楽団のために作曲されたものです。
数日前、彼女の先生から演奏曲目聞いた時に、「じゃあ、オケをバックに弾くの?」って聞いたら、「そんなわけないでしょ、オケを雇ったらいくらかかると思ってんのよ、ピアノ伴奏だけよ〜」って言われちゃいました。シビアですね。

【余談】
実は、中国三弦という楽器は非常にマイナーな楽器なので、子供の頃からこれ一筋っていう人はあまりいません(笑)
様々な理由で別の楽器から三弦専攻に転向する人と、様々な理由で三弦から別の楽器に転向する人も多いからです…。
子供の頃からこれ一筋だったら、もっと上手くなれるのかというとそうでもないんですよ。
というのも、この楽器、もとは津軽三味線なんかと同じで、唄の伴奏楽器だったのですが、独奏楽器として別ジャンルが確立しているので、昔の芸人さんの弾き方では、とてもじゃないけど、弾きこなせないんです。
琵琶の奏法とかも取り入れたり、両手五本の指全部使いますし…。
だから、家族に芸人がいたとして、芸人の爺さんから基礎習ったとかじゃ、役に立たないんです。
弾き方が全く違うから。
かといって、民族楽器独奏というジャンルの三弦をきちんと教えられる人の数は極めて少ないので、多くの人は、最初、数年適当に習って、途中で壁にぶち当たって、自分の弾き方を変えざるを得なくなります。
逆にこれやってる人が、唄の伴奏できるかっていうと、全くできませんよ。
譜面的には簡単だから技術的に手は回るだろうけど、唄の拍の取り方が西洋音楽とは違うので、唄い手にしてみたら、「このボケ、どういう間の取り方するねん」と切れることでしょう(笑)

三弦って技術的にちゃんと弾くには、他の楽器同様、何年もかかるし、その割りに仕事がないので、実に割に合わない楽器なんですよね。
ところで、三弦の先生は、三弦が一番難しいと言い、琵琶の先生は琵琶が一番難しいといい、二胡の先生は二胡が一番難しいって言いますね(笑)
だから、ちゃんと弾こうと思えば、どれもそれなりに難しいのは確か。

でも、二胡とかだと、技術的にちゃんと弾けない人でも、素人相手なら聞かせられるというところがありますからね。
だから、趣味で弾く人が多いのも、わかります。
さほど、技術的に高いものが要求されなくても、素人受けするテンポのいい曲や感じのいい曲があって、そういう曲は、ちゃんと弾けてなくても、素人目にはバレないというか、テンポがよかったり雰囲気がよかったりするので、ごまかせるというか、別に皆が楽しければ、多少、技術的に下手でも誰も苦にならないという意味です。
三弦ってそういう、受けのいい名曲ないもん…
今日のお客さんの大半は関係者だと思うけど、隣のオジサン寝てるし…

私も三弦が好きで好きでたまらなくて、子供の頃から習った人間ではありませんが、関わった以上、「ド素人で不器用な人でも、この程度の曲なら、この程度の時間で弾けるようになるんだよ」「ど素人でも、だいたい、ここまでならできる」ということを実証するために、練習し続けているようなわけです。
こんな私でも弾ける、耳あたりのいい曲って何かないのかなぁ。

…さて業界の愚痴はこのへんで終わり(^^;;

伝統の継承と文化交流

金曜日の夜、孔子学院設立十周年、日中大学生京劇公演というのを学内の大劇場で見てきました。
日本側は、桜美林大学孔子学院、中国側は孔子学院総部という組織が取り仕切っている公演です。

実は中国語で、「京劇を『見て』きました(原文:看戯)」という表現は、京劇初心者の使う言葉で、ツウな人は「京劇を『聴いて』きました(原文:聴戯)」というものなのです。

というのは、どの国であれ、昔も今も、芝居のストーリーなんて、こう言っては何ですが、大差ないんですよね。
どれもこれも、愛情、忠義などがテーマで、典型的なお話なら、誰だって内容を知っているわけです。
でも、歌は誰が歌うか、誰が伴奏しているかで違ってくるから、何度も足を運ぶというわけで、京劇は見るのではなく、聴くもの。
(もちろん「見せる」ための京劇もありますけどね)

しかしながら、こういう文化交流を目的とした公演は、京劇を「聴かせる」のはもともと無理ですから、いかに演出を上手くやって、皆さんを楽しませるかが鍵となるのです。

ところどころ、「ありがと」「何ィ?」「さよなら」という誰でも知っている日本語を混ぜてコミカルに演じて、中国人のお客様を笑わせていました。
他には、演目的に、セリフや歌がほとんどない武術系の「立ち回り」を演ずることで、目を楽しませてくれました。
交流としては、素敵な公演でした。

最初に京劇を指導している先生も舞台挨拶でおっしゃっていましたが、中国語が母語でない学生が本気で京劇を歌うのはキツイのです。
実際、もちろん悪気はないのですが、お客さまも、笑うところじゃないところで、ちょっとクスってなるところがあったりして…
もちろん、バカにしているわけじゃなくて、例えるなら、言葉を話し始めた幼い我が子のお喋りに「カワイイ」って思わず口元が緩むノリに近いと思います。

中国語の漢字一つの発音にはまず、声調という音の抑揚があって、京劇の京音と標準語は基本的に一致しています。
音に直すと以下の4つのメロディです。
単音を繋げるのではなく、二胡などの弦楽器で、音を滑らせてそのまま滑らかに音程を移動させるイメージです。

1,ソーーー
2,ミーソー
3,レドファー
4,ソードー

つまり、「マー」をソソの音程で言えば、「媽(お母さん)」、ミソの音程なら「麻」、レドファの音程なら「馬」、ソドの音程なら「罵る」という漢字が思い浮かびます。

日本語の単語にも音の高低がありますが、それは、橋と箸の違いのように、三味線で一音ずつ弾く音程みたいなもので、その音程の幅は狭く、中国語みたいに、一つの意味の塊の発音が滑らかに5度も離れるとかはありません。

そういう意味では、そもそも、中国語というのは、短い日常会話であったとしても、外国人が話すと、すんごい音痴なのです。
その点、外国人の話す日本語の日常会話を日本人が聞いても、音痴(音程が狂っている)だとは、あまり思いませんよね。

京劇の歌というのは、本来、歌のメロディと漢字の発音の調子が統一されていて、それが一致しないことを「倒字」と言い、ご法度とされています。
なぜなら、そうなると、聴衆には聴いても分からないという現象が起こるから。
現代の人は、ツウでもない限り、字幕を見ないと歌の意味が分からないと言いますが、昔の人は「倒字」でなければ、分かったということなんですね。

最近では、若い世代にも分かりやすい現代語で芝居を創ろうとか、外国人に分かるように、英語で芝居を創ろうとか、新たな試みも盛んです。
でも、「倒字」をきちんと分かっていない人が創作すると、京劇の味が消えることになります。
それで、分かりやすいならまだしも、中国人のツウな人でも字幕なしでは何言ってるのか分からないという変な作品ができることも…恐ろしや

昔の作品の味を大切にしながらも、現代人や外国人にも分かってもらうというのは、本当に大変なことなのです。
分かってもらう必要もない、という考え方もあるかもしれませんが、古いものをただ守り通すだけでは、いつか化石になっちゃうし、それでいいの?
だから、文化交流とか普及とかのために、古いものも変容せざるを得ないのだけれども、本質を変えずに、変化させて、お客様にも喜んでもらう…そういう演出というのは、とても大変なお仕事だと思うのです。