二胡LESSON121

さて、本当に内弦のG5の音が出にくい…
左手の指の圧力をかけすぎるとG#になってしまうし、圧力が少なすぎると、ハーモニスクになってG6の音しか出ない…
小指で押さえている場合は、ひーひー言いながらも音になっているので、右手の問題というより左手の問題なのでしょうね。

ナナ先生に聞くと、「小指で何とか音になるなら、小指って押さえ方が他の指とは異なるわけで、他の指も力が入りにくい小指みたいにのっぺりと弦に指をのせるようなつもりで弾いてみたらいいんじゃない?」みたいなこと言われました。
結局のところ、自分でいろいろ力加減を試しながら、ぎぃ~ぎぃ~、ひーひー言わせながら、試すしかないのでしょうね…

ところで、もともと二胡は高音部が苦手な楽器だということは分かって入るけど、バイオリンや三味線とかと比べると、指板がないので、本当に面倒くせぇ楽器だなと思うのでした。

それと、私は耳が悪いので(正確に言うと、頭が悪い)、内弦はF#5より高い音は、だんだん、隙間風のような音、あるいは気管支炎で息が吸い辛い時の音(俗にこれを雑音と言うのでしょうか?でも、二胡の場合、低い音でもこういう感じの音がつきまとっていて、ただ本当の音が大きいので余り気にならないだけだと思うのですが…)の方が強く聴こえて、肝心の音が聴こえづらく、聴こえづらいと音程判断も出来ないわけで、本来、G4からG5で止めたいはずのオクターブの滑音が、AとかA#まで行ってしまっていて、がびーん、となります。
G5の音が全く聞こえないので、更に下へ指を滑らせると、もうAになってたみたいなね…

ところで、どうでもいい音の方がよく聴こえる私の耳は、ナナ先生の愛犬丸子ちゃんが、私の音に飽きて、途中でボリボリとドックフードを食べはじめ、その音がよく聴こえて、可笑しくって、可笑しくって、笑いを我慢するのに苦しかったです。
今のナナ先生のお部屋は、すべてのお部屋が全部突き抜けて見えてしまうプライバシーの欠片もない設計でして、前のお部屋の時は、丸子は隣の部屋で大人しくしていたのですが、今は、レッスン中は目の前の籠の中で寝てます…(笑)

でも、犬って耳がいいとかいうじゃないですか?
毎日、変な音(生徒の音)を聴いていても平気なんですね~
でも、たまにじ~っとこっちを見て、ほほ笑んだり(?)、ツマんなさそうな顔をするので、実は評論家なんじゃないかと思われます…
どんなに上手い人(例えば先生)でも、練習音は本番と違ってウルサイだろうに…
ナナ先生にそう言ったら、子供の頃から、こういう環境だったから慣れてるのよ、って。

二胡LESSON118,119,120

最近は「病中吟」を弾いていますが、これ、やんなっちゃうぐらい難しいですね。
正確に言うと、音取り自体はすごく簡単だと思いますが、弓の速度の変化が難しいと思います。
多分、要領のいい人は、習い始めて一年未満でも弾けちゃうと思いますが、本当に上手い人が弾かないと単調なメロディがダラダラ続くだけ。

簡単な音符がきちんと人の心まで届く音にするには、弓の速度を変えないと。
下手な人っていうのは、八分音符二つの一弓を、弓の長さを半分ずつ使って、同じ速度で引く(または推す)から、音に起伏ができず、平板になるわけですね。

で、理屈が分かっているのなら、強調すべき音と収束させるべき音の対比をきっちりつけて弾けばいいじゃん、ってことですが、天賦の才能に恵まれているか、10年以上地道に専門教育受けた人でないとそう簡単にいかないだろうなぁと思います。
途中から急に弓を速く動かせば、基礎が出来てない人は、弓にかかる圧力の変化をコントロールしきれず、音がかすったりブレたりすると思います。

あと二胡という楽器の宿命ですが、高音がでずらいのですよね。
私の二胡も内弦第四ポジションとかに入って来ると、Gの音がかすってうまく出せません。
これ、先生に訴えても、練習するしかないって言いますね。
かする音が気に障るから、思い切って弾けないままでいると、ますます腕は上がらない。
鳴りやすい楽器にするためには、弾きこんで、皮を育てるということが必要だけど、高音出づらいからっておずおず弾いてると、楽器は余計に鳴らない…
実際、音が全く出ないわけではなく、左手の指の圧力と、右手の弓の圧力と弓の速度がキッチリあっている時はちゃんと二胡の音になるので、楽器が悪いわけではなく、訓練すれば、いつでも楽にこの音が出せるとは思うのです。

でもね、日本の光舜堂さんとかの二胡だと、そこまで苦労しなくても鳴るんじゃないかなと思う…(^^;;
実際、私も数回お店で弾かせてもらったし。
ブログを拝見すると、中国の二胡の弾きづらさをいろいろ研究されてるからね。

私としては、自分の右手を甘やかす気は無いので、とりあえず、自分の中国製の二胡で、高音域になっても上手く二胡の音を引き出せた時の感触を覚えて、いかなる環境下でもちゃんと音が出るようになれば、怖いもの無しだなぁと思います。

光舜堂さんのブログで、二胡の演奏家の腕って太いって書いてあったけど、私もそう思います。
それだけの筋肉ついてないと、弓をコントロールしきれないでしょう。
腕の細いお嬢さんで本当に上手い人っていないよなぁと思います。
余談ですが、昔の勤め先に遊びに行って「前より腕とか太くなってない?」と言われました。
太ったんじゃなくて、筋肉だったら嬉しいんですが…どっちでしょうね(^^;;

私、人間が出来ていないので、時々、自分の音が嫌で嫌で仕方なくなって、不機嫌極まりなくなります。
そんな私にナナ先生か言った一言…
「北京の空気がどんなに悪くても、それで、あなたは呼吸をやめるわけにいかないでしょう?それと同じで、二胡を弾くって決めた以上、どんなに気に食わない音が出ても、弾くの!」
ハイ、すごく分かりやすい、北京に住む人ならではの、変な例えに笑っちゃいました。

二胡LESSON117

一曲をキチンと弾きこなせない、つまり途中で緊張して音が狂ったり、しくじったりすると、後はますます緊張してグダグダになって、聴けたもんじゃなくなるのです、私。
そんな私にナナ先生の言ったセリフは…
「途中で、ヤバっ、しくじった、と思ったら、もうここでしくじっちゃったんだから、後はもう、むしろ気楽になりなさいよ。しくじったら、ラッキー、これで後は気楽に楽しく弾けるわ〜と思ってそつなく終わりまで弾くのが、演奏者ってものです」

わはは…しくじったら、むしろラッキーってか?
すごい逆転の発想ね。
職業として弾いている人にとっては当たり前の心得なんだろうなぁ。
自分が自分にとってどんなに気に入らない音だそうが、間違おうが、時間芸術である以上、誰も待ってくれないから、やり直しはきかない。
止まる訳にはいかない。
ヤバっと思っても顔に出さず、不機嫌になるなんてもってのほか、立て直してキチンと最後までそつなく弾くべきなのは、頭では分かっているのですが…。
ずっと、一曲をきちんと弾けません。
ずっと曲の棒読み状態です。
時々、感情を抑えきれず、ヤケクソで弾いてます。
先生と一緒だと、つられて(というか、私が合わせようとするからですが)ちゃんとそれなりに優雅に弾けてたりします。
ナナ先生曰く
「本当に技術的に問題あって弾けない人は一緒に弾こうが、何回弾こうが、弾けないものは弾けないけど、あなたは、弾こうと思えば、流暢に弾けるのよね…」

私、過度な完璧主義とも理想主義とよく言われます。
そういう人は人生楽しくないし、病むよとも言われます。
ハイ、病んでます、すでに。
ただ、この重い性格の自分との付き合いが長いので、病みながらも生きていられるだけです。

今まで師事した先生、全ての方に言われましたが、私、そもそも天賦の才能にはこれっぽちも恵まれておらず、どっちかというとかなり頭悪くて不器用(いや、ここまでハッキリ失礼な言い方はなさいませんが、覚えるのに時間かかると言われてます)普通、そういう大人は続かないのに、やめないのがスゴイと言われます(笑)
どうしたら、出来ないことに対して、そこまで好きを保っていられるのか?
いや、だって、恋愛だって、叶わぬ恋と知ってても、明日から嫌いになれないでしょ(笑)

まぁ、音楽を趣味以外でやってる大多数の人が、程度の差こそあれ、才能を見出されて、子供のころから期待されてて、本人の意思に関係なく音楽やってて、放棄できませんから、そういう人からみたら、むしろ、私みたいに何も期待されてないし、並外れた成果もでるわけもなく、いつ放棄したっていいのにやめないのは不思議でしょうね。

だって、他にしたいこと、もう、何もないからね…。
逆に期待されたことを一生懸命やったからといって、結果が出るわけでもないということが痛いほど分かっているので、じゃあ、死ぬ前にやりたいことをやる方がいいやってか(笑)

だから、ハッキリ言えますが、誰でも続けさえすれば、どんなにドンくさくても私程度には弾けるようになるってことですね。
ただ、そこまでしてイタイ姿を晒して練習する意味やメリットは、普通の人にはあまりないというだけです。