存在しない音が聞こえる

このところ、私は自分の音が嫌いで、嫌いでたまりません。
先生方は「自分が思っているほど、ヒドイ音でもないよ」と慰めてくださいますが、この「自分が思っているほど」っていうの、クセモノですよね。
どうして、先生に「私が思っている音」が分かるのでしょうか~
(いや、別にケンカを売っているわけではないので、最後までお付き合いくださいませ)
先生の頭と私の頭をUSB接続して、「私の思っている音」を転送して差し上げたら、驚くかも…と思います…

まず、はじめに、聴覚認知には個人差があります。
以下のテストは、まず、顔を見て、言葉を聞きとってみてください。
「ば」に聞こえますか?それとも「が」ですか?「だ」と聞こえる人もいるみたいです。

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/mcGurkEffect/ja/index.html

私は情報をインプットする時は、視覚よりも聴覚の影響を受けやすい気がします。
この錯聴テストは、顔を見て聴いた時と、目をつぶって聴いた時の音に違いがあるでしょう?という効果を狙ったものです。
大多数の人は、目を開けて聞いたときと、目をつぶって聞いた時、違うみたいですが、私には同じにしか聴こえません。
これは、おそらく私が日常的に人の言葉の裏の意味を上手く理解できないことと関係あると思います。
大人は口先で曖昧なことを言いながら、表情を駆使して「本音を察して欲しい」と違う意思表示をするらしい。
ただ、私は表情から本音が分からなくとも、基本的な喜怒哀楽などは、声の「トーン」や癖から判断していると思います。
空気が読めない、KYって言葉がありますが、大多数の人は、音を聴かずに読んでいる(察している)のでしょうね。

上記は、実際に発している「音」を私が正確に把握しているという証拠になり得ますが、じゃあ、私が本当に音を正確に把握しているのかということに疑問を投げかけるテストが以下です。

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/upOrDown/ja/index.html

二つの音を聞いて、前の音と後ろの音の関係が、上昇するように聴こえるか、同じ音高に聴こえるか、下降して聞こえるのか、どうですか?

人はどのようにして、音の高さを把握しているのでしょうか?

さて、音にはピアノの音とかバイオリンの音という音色の差があります。
同じ音の高さでも、違う楽器だと分かりますね。
音の成分が違うからです。
音叉のような純粋な音でない限り、普通の楽器の音は、基本の音の上に、違う周波数の音がいくつも重なって鳴っていることで(倍音といいます)、音色に差があります。

鼓膜に到達した音は、内耳に届きます。
内耳には蝸牛(かぎゅう)というカタツムリさんの形をした器官があって、蝸牛の中に基底膜という振動板みたいなものがあります。
耳に入ってくる音には、通常いろんな周波数成分が含まれていますが、この基底膜の共振によって、周波数成分がある程度、分解されるのだそうです。
基底膜というのは、目の粗さの違うふるいが互いに重なりながら並んでいるようなもので、音がフィルタにかけられるというイメージでいいかと思います。

ところで、電話の音声を聴いて、あれ、いつもの家族の声と違って聞こえるって普通にありますよね?
下の方の周波数がカットされているからなのですが、それでも、通常、声の高低、抑揚などを聞き分けられるのは、人間は上の方の周波数を聞いて、下の基本の音を脳が判断していると思われるからです。
聞こえない筈の基底音が聞こえる、これを「ミッシング・ファンダメンタル」といいます。

テスト音は、私には二つの音が下降するように聞こえます…
その音程差は長3度ぐらい。

種明かしをすると、
最初の音は、750 Hzと1000 Hzの複合音
二番目の音は800 Hzと1000 Hzの複合音

ミッシング・ファンダメンタルを強烈に知覚すると、最初の音から250 Hz、次の音から200 Hzに相当する高さが聞こえ最初の音の方が高く感じられます(音が下降したと感じます)。
750 Hzと1000 Hzというのは、250 Hzの第三、第四倍音に相当し、800 Hzと1000 Hzというのは、200 Hzの第四、第五倍音です。
周波数成分の重心や、個別の成分に基づいて高さを判断する人は、2つめの音の方が高く感じられます(音が上昇したと感じます)。

ですから、音が下降しようが、上昇しようが、人間の認知としては、どれも正解なのですが、物理的に聞こえない音を聴くタイプの人って、一体どーゆー人なのでしょうか?

ここで紹介したテストの音は、周波数成分の数が少なく、蝸牛の基底膜で周波数分解できる低次の周波数成分なので、誰でも必ずミッシングファンダメンタルが起こるわけではないそうです。

これを研究している先生曰く、講義などで手を上げてもらうとミッシングファンダメンタルが聞こえる人は少数派だそうです。
全体の十分の一程度とか…
日常的な場面では、周波数成分がもっと多いので、ほとんどの人が容易にミッシングファンダメンタルを経験するそうですが。
(参照:「音のイリュージョン ― 知覚を生み出す脳の戦略 ―」 柏野牧夫著 岩波書店 2010年)

もっとも一般の大学等の話だと思うので、これが、音大の学生だったらどうなのか気になるところですね。
耳がよいために、物理的に存在する周波数だけをきちんと拾うのか、はたまた、音の仕組みを知り過ぎているがゆえに、ミッシングファンダメンタルが聞こえてしまうのか…どっちですか?
このような低次の周波数帯、単純な複合音でもミッシングファンダメンタルを起こす人は、聴覚や心理学の研究者には多いみたいですが、私は別にそんな学問を過去にしたことはないんだけど…

このミッシングファンダメンタル、他の感覚の錯覚現象と同じで、単に脳の勝手に補充する機能と片付けられがちですが、音の認知はもっと複雑なのだと考えている学者さんもいるようです。

【次回へ続く…】

二胡LESSON111

久しぶりに行ってきました、二胡のレッスン。
今時分は、一月後に音大附属等の入試があるので、忙しい先生もおられるようです。
いや…全然練習していないのだから、まぁ、気持ちを整理して、やる気出しましょうってことで、今回のレッスンは終わりです。
前からやっている「春詩」を弾いたのですが

「もしかして、この曲、すごく嫌いなの?」

って聞かれてしまいました。
やる気なさそーに弾くからでしょうか(汗)
お芝居ならセリフの棒読み状態です。
実際は、好きも嫌いもないです。
春詩が楽しく弾けない理由は、敢えて言うなら、滑音が多いためか、とにかく自分の音色が気にいらない、それに尽きます。
「自分の音が不愉快だっていう気持ちは分からなくもないけど、私だって5歳の時の滑音と今の滑音じゃ、全然違うんだから、これを我慢して練習して、次のステージ行かないとどうしようもないのよ、諦めなさい」と言われました。
あはは…ナナ先生みたいな人は4歳で初めて二胡を握らされて(でも両親は音楽家じゃないんですよ)、8歳で二胡のグレード試験の最上級をとっちゃった~って人ですからね、神童ですヨ、神童、一緒にしないでください(^^;

理想の音色と、運動神経あるいは脳の情報処理能力の間にものすごくギャップがあると、おそらく、私のようにかなり精神的に辛いと思います。
ところで、私はプロの音楽家でもなければ、子供の頃から音楽専門教育を受けた人でもありませんので、どういう演奏が素晴らしいものなのか、他人の演奏をきちんと評価できませんが、音色に関する好き嫌いというか「こだわり」はキツイような気もします(もちろん個人的な私の基準です)。

先日、どうやら、私は映像と音声だったら、音声の影響の方を強く受けやすいみたいだと書きました。
私の聴覚認知や私が使う擬音語を面白がってくださる人がたまにいらっしゃるので、次回は聴覚認知が人それぞれ違うことについて、もう少し、書いてみたいと思います。

暗譜する際の癖

中国三弦のレッスンにやっとこさ行ってきました。
正直に、あんまり練習してないと告白した上で…
叱られて当然なので覚悟していきました。
もう、先生の家の前で脈拍上がるわ、上がるわ…
これ以上、動悸が速くなると手に震えがくるというギリギリの状態だったのです。

幸い、本日、先生は機嫌がよかったです。
いや、もしかすると、先生が私をこれ以上、落ち込ませないように気を使ってくださったのかもしれません。

一般論として、先生は学生の心理状態をよくご存じです。
自分が出す音は、メンタルの影響を受けますから、特に付き合いが長くなればなるほど、誤魔化しがきかないのですよね。
逆もまた然りで、生徒の方も先生の気分に敏感です。

ちなみに先生は、ノーミスで流暢に弾いたとしても、音色が綺麗でなかったら、すご~くご機嫌斜めです。
逆に音が澄んで綺麗だったら、メロディを多少間違えてしまって誤魔化して弾いてもさほど気になさらないです。

自分が落ち込んでいるほど音は悪くない→弾き方は間違ってない→余分な力が抜けてきた証拠である
ということで、冬休みの宿題、ずいぶん残してたのに、そんなに叱られませんでした。

でも、次回までに、練習曲はすべて暗譜しておいでと言われました(^^;
結局のところ、私は暗譜している曲でないと、メロディの間違いばかりにに気を取られて、肝心の左右の手の力の抜け具合にまで気が回らない(音色に差が出る)ので、暗譜をせざるをえないのです。

ところで暗譜(記憶)といえば、人間にはいろいろな脳のタイプがあるらしいですね。
視覚、聴覚、触覚、言語など、何を常に使って記憶するのが効率いいか、人によって異なるそうです。

私は記憶する時にわりと聴覚を使うタイプです。
曲の仕組みを理解するためや指使いを確認するために、楽譜を見て、まず視覚で理解しますが、曲そのものは楽譜見ても覚えられないんですヨ。
繰り返し聴いて、自分の心の中で再生できるようにならないと覚えられない~
視覚がめちゃくちゃ発達している視覚優位の人で、スゴイ人になると、カメラアイといいますが、まるまる見たままを脳にプリントしちゃうタイプの人がおられます。
私には全く無理です。
何度も練習するうちに手が覚えるという身体感覚に優れた人もいると思います。
私は、しばらくその曲を弾いてないと、手はすぐ忘れちゃいます…
きちんと構造を分析してそのパターンを効率的にシステム化して覚えているという人もいると思います。
私の場合は、心の中で階名で歌って、まるまる覚えているケースが多いです(脳のメモリがかなり費やされることになります)。

そういえば、誰しも子供の頃は記憶力がいいと思いますが、私は、国語の教科書に載っていた平家物語の一部とか、ばあちゃんがよく読みあげるお経とかは、読みあげると、意味が分かってなくてもまるまる覚えてしまって、そのままの抑揚でかなりの分量を唱えることができました。
今はもう全然ダメだけどね。
大人になるとメモリが減っちゃうんでしょうかね?
カメラアイの人も子供の頃は何頁でもまるまる脳内にコピーできたけど、大人になると覚えられる頁数が減ったとおっしゃられた人がいます。
私は電話番号とかは自分で繰り返し唱えるか、頭の中で唱えて覚えるタイプです。
だから、自分の中国の携帯電話番号を日本語でとっさに言えません(笑)
先に中国語で自分で口に出しながら、紙に書きとって、それを日本語で読みあげないと、日本人に教えられません(汗)。
ちなみに、私みたいなタイプはダジャレが妙にツボにハマってしまうのです(音そのもののごろ合わせがたまらなく気持ちいいからね)
語学も状況とセリフをまるまる覚えているようなケースが多いのかも。
こういうタイプは、品の良い先生や学友と一緒にいないと、トンデモナイ低俗な言い回しまでうっかり丸暗記してしまいがちです(笑)
実は私は英語や中国語の文法をきちんと説明することができません…
リスニングのスコアが上がるにつれて、他の領域のスコアが上がり始める傾向にあるだけなんです(大汗)。
ま、要するに、子供が言葉を覚えるのとほんと似てるんですよね。

でも、絶対音感はまったくありましぇ~ん。
いや、でも、なくて良かったと思っています。
唄い手に合わせて、調弦を変えてしまうような伴奏楽器を弾くのであれば、キーを上げ下げすると気持ち悪い、別の曲に聞こえるっておっしゃる絶対音感保持者さんは気の毒だと思います。
しかしながら、私は曲の速度を極端に変えると、別の曲みたい感じますね(笑)。
模範演奏とかでワザと極端に速度落として弾いてくださっている音源は正直、気持ち悪いし、それだとまるまる覚えるのに差し支えて、きちんと覚えられませんので、ワザと1.2倍とか1.5倍速再生にします(ごめんなさい~)