右も左もわからない…

先ほど、歯医者から帰ってきました。他の人が簡単にできることが、自分にはできないということに気づいてしまい、ちょっと凹みました。
何ができないかと言いますと…

歯医者さんは噛み合わせを見るために、何か紙を噛ませて、歯ぎしりさせたりしますよね?
その延長で、「上と下の歯を合わせたまま、下あごだけ右へずらして動かしてください」と言われたのですが、どうしてもできないのです。

何度、練習して上手くできても、いざ、本番で
右へ動かして」と言われると、
「それ、左です!」と注意されてしまう…
「うぅ…先生、ワザとじゃないんです~私本当にどうやって動かしたらいいのか分かんないんですぅ~」とワタシ。
「じゃあ、左に動かしてって言い方変えましょうかね?」と先生もあきれ顔。

「こういう感じです」と顎つかまれて動かしてもらいましたが、やっぱり、本番で間違えるのよね。
「右、右ってあまり言わない方がいいのかな…」と先生も悩む悩む。

最終的には手鏡を持たされたまま、「今、見えた方向ですからね、よく覚えておいてください、動かしてって言ったら、今のように見えるように動かしてください」
ということでなんとか、先生のご指示通り、下あごを動かせました。

どうも、私は実際に(もしくは頭の中で)イメージが見えないと身体が動かないみたい。
治療の終わりに先生は「難しいこと言ってごめんなさいね」と言いましたが…これ、たぶん、普通の人には簡単なことなんだろうな(くすん)

私、子どもの頃から、どうも、大勢多数の人が簡単にできることができない。
たとえば簡単な計算がパッとできずに、今でも指を折って数えたりします。
もちろん、人生経験あるから、どうすべきかを学習しているので、だいたい人と同じことができますが、要するにちょっとおバカでして…
普通に右手挙げてと言われて間違うことは、今はほぼありませんが、握手しようとして左手出してしまうことはあるかも。

いや、子どもの頃は「なんでこんなことが分かんないの」とか「ぐず」と叱られて嫌だったけど、もう、中年にもなりゃ、しゃ~ないわって感じ。
障害があるとか診断されたことはないけど、「普通」の感覚が分かんないことがある(^^;
痛いとか、寒い熱いとかいう感覚は人と同じみたいだけど、左右上下、高低などの人間が作った概念に至ると、間違いそうに…
利き手は右だけど、割と左手でなんでもやるので、「お箸を持つ方」とか言われても無理ですねぇ。
ネットでググるとそういう人、たま~にいるみたいなので、ちょっとホッとしますが…

初めて三味線の文化譜(ギターのタブ譜みたいなもんにツボの数字が書いてある)を見たときも、よく、一の糸(一番上にある一番太い糸)を打つべきときに三の糸(一番下の一番細い糸)を真剣に間違って打って、師匠に「わ~そこはドン(一の糸を打った時の口三味線)」と言われ…
だって、一の糸って実際には自分から見て一番近いところ()にある糸なのに、譜面では一番に書いてあるんだよ~
変じゃない?
なんで、みんな間違わないわけ?

もしも小っちゃくなれたなら…

もし、魔法使いのお婆さんがそこに現れたとして、お願いを一つ聴いてくれたとしたなら、何をお願いしますか?
私は、一寸法師あるいは親指姫の大きさにしてもらって、演奏家の懐に入れてもらって、舞台から客席を見たいです(笑)

なぜだと思います?

私、人前で演奏するのが怖いんですよね。
俗にいうあがり症、ってやつですか…う~ん、もう少し重い恐怖症かも。
だから、演奏家の気分で、客席を見てみたいんです。

私が最初に先生および先輩以外の人前で中国三弦を弾いたのが、いきなりですが、コンクール(^^;
手が震えるどころか、足まで震えました。
足まで震えたけど、頑張って手だけは動かし続け(本当はかなりコントロールしにくかった…)最後まで弾きました。
終わった後、ある人が「震えてる?」と私に小声で聞いたので、かなり他人にも分かったんでしょうね。
そもそも、そんな人を惹きつける実力があるわけでもないのに、人前でわざわざ弾いたのは、この先、人前で弾ける機会もないだろうから、無理したのですよね。
ピアノとかのメジャーな楽器なら、自分の実力に応じて、発表会なりなんなり機会があって、上手でなくとも、それなりに楽しくやっていけるけど、そういう楽器を弾いていない以上、自分が人前で弾かなければ、誰も私に熱心に三弦を教え続けてはくれないだろうし、誰も私と遊んでくれるはずもない。
若くて才能がある人でもないのに、若くて才能がある人の間に挟まれて、日々練習し続けるのは、かなり鈍感でないと続かないよね(笑)

人前で弾く機会がない、場数踏んでないことが、あがりの一因でもあるだろうから、ずいぶん前から、学校ではなるべく窓開けっぱなしにして弾いたり、学内の外でも弾いてたんですけどね。
それでもダメ。
なぜなら、外の公園などで弾く場合は、誰も聴いてないから平気なんですよ。
しょせん、他人は、知り合いでもない人間のたいして興味のない演奏には無関心ですからね(笑)
せいぜい、うるさいな~と思うだけでしょう。
だから、人がこっちを見ている、聴く耳をもっている場面で、平気で弾けるようになるのは、ほんとどうやって訓練したらいいのか分からない。

先日、赤の他人が大勢こっちを見ているというシチュエーションで弾いたら、出だしで見事に薬指が棹から滑って落っこちて、こともあろうに、「ごめんなさい」ととっさに小さな声で謝って、その小節から弾きなおしてしまいました。
そもそも、人が私を見ている、聴く耳をもってくださっていると予測してなかったんです…
どうせ、聴いていないだろうから、十八番のかなり静かな曲を弾いても騒音で消えるだろうと思って、習って日の浅い曲を弾いてしまったのもよくなかったんだよね(汗)

ちなみに、厳密に言えば、自分の先生の前で弾くのですら、かなりあがります。
先生と一緒のときは平気ですが、自分ひとりで弾けと言われると、とても怖い(^^;

つきつめると、ミスするのが怖いとか、演奏そのものの評価が怖いというより…
(そんな指摘は、あったとしても次に改善すりゃいい話だから、落ち込む理由にはならないし、むしろありがたいのではないでしょうか?)
つまり、この恐怖は、演奏技術の未熟さを恥じるとかいう次元の問題ではなくて、
自分を受け入れてくれる人はいないんじゃないかというような、人としての自信のなさの表れなんでしょうね。
子どものころから、親に褒められたことがないと、こうなっちゃうんですかね…

ちなみに私の三弦の先生に言わせると
「確かに演奏技術には甲乙つくし、上手下手があるけど、「表現」というものは、もう単なる好き嫌いの問題だから、点数で言い表せるものでもない。10人中8人とか9人が好きっていうのがプロの演奏家かもしれないけど、10人中、1人が心を動かしてくれれば、それでも勝利には違いない」

今の私はノーミスで弾いても、爪が弦を通過するときの速度、強弱、リズムの誤差、全体のスピード、音色、音程の誤差など、どれもこれも技術が未熟な上に、そこから、ミスってしまった分を減点していくと、もう目も当てられない。
そんなダメダメの中でも、心だけは唄うことを止めないでいるのは、かなりキツイ。

でも、確かに過去、素人から「いい音だね」と言われたことはあるけど、どれも無欲に(つまり人に好かれようとは思わずに)楽しく一人で弾いてる時に、たまたま、ひっそり誰かが聴いているときだったなぁ。

さて、話をあがりに戻すと、プロの演奏家でもあがるって言う人は少なくないです。
プロは周囲の期待が大きいので、プレッシャーも大きいわけで、きっと別次元のあがりがあるんでしょうね。

もしも魔法で小っちゃくなれたら、演奏家の懐に潜り込んで、心臓の音を聴きながら
「あ~先生もあがってんじゃん(笑)」とか思いながら、先生の音をまるで自分が弾いているかのように錯覚した状態で聴きながら、客席を見つめたら一体、どう感じるんでしょうね?
同様にあがるのかなぁ?
それとも、上手く弾いてるので(実際には自分が弾いているわけではないが)、あがらないかな?

現実に小っちゃくなれるわけはないけど、今度から、誰かのコンサートに行ったときは、あの懐に入り込んだら…って想像はできるよね(笑)
え?なんかヤラシイですか?
実際に自分が人前で弾けないのなら、人前で弾いている人に、想像上でシンクロしてみたら、一応、場数を踏めるのではないだろうか???と思うのですが…

今、ふと思ったんですが…
魔法使いのお婆さんの魔法は、0時で魔法は解けちゃうんですよね?
わはは、急に元の大きさに戻ったときに、男女問わず演奏家の懐にいたら、大問題だよなぁぁぁ
(*/ω\*)ハジュカチー (〃ノω …
でも、潜り込み先が袖口じゃ、演奏するときに上下するから、頭クラクラすると思うし、ひざ上に座ってると、音が大きすぎて、鼓膜敗れるよなぁ…

妄想は続くのであった…

自分の楽器のここが好き

【問題1】中国三弦のここが好き!を3つ述べよ。

1、フレットがないので、自由な音程を創り出せるところ。特に滑音(ポルタメント)大好き。(上手くないけど)
2、棹が長いところ。上記に通ずるが、とにかく棹が長いので、棹の上に音がいっぱいあるところ。上手い人になると棹を滑る腕の動きも美しい。
3、中国語でいうところの「顆粒性」がある。つまり等間隔の音の粒が美しく細かい。三味線や日本琵琶のようにサワリ(弦が棹に触れて生ずるビーンというノイズ)がつかないので、音がクリア。

【問題2】三味線のここが好き!を3つ述べよ

1、フレットがないので、自由な音程を創り出せるところ。特にポルタメント大好き。(上手くないけど)
2、サワリが付くのがいい。問題1の回答3と矛盾するようだけど、このぼやける音、大好き。
3、津軽三味線の場合、打楽器的要素も強いので、踊りたくなるのがいい。

【問題3】二胡のここが好き!を3つ述べよ

1、フレットがないので、自由な音程を創り出せるところ。特に滑音(ポルタメント)大好き。(上手くないけど)
2、音が長く伸ばせるところ。これは、問題1の回答3と矛盾するけど、上手い人になると弓を反しても音が途切れない、神業である。
3、楽器が軽いところ。紫檀でも全然重くない。そりゃ、大三弦に比べたら、何でも軽いさ~o@(^-^)@o。

【まとめ】
つまるところ、私は滑る音がものすごく好きらしい(人*´∀`)
でも、フレットがないということは、それだけ音程をつかむ耳と指の繊細さが求められるわけで、半音と言ってもピアノの半音みたいにいかないので、あらゆる半音(?)が存在し、そのバランスをとるセンスが問われる。
なんで、音程感覚が鈍いのに、こんなに、おっそろしい楽器ばかりを習い続けられるのか、我ながら謎。
しかも、私が好きなところはすべて、私が上手くできないことばかり。

あ、そうか、「鈍い」というのも、この手の楽器を続ける上では、最高の武器なのではなかろうか。
中途半端に繊細だったら、自分の音に耐え切れず、今頃、自分が二階から飛び降りるか、棹を折るしかないもんね。