チャイナ服の三味線を弾く女


何だか絵画的なタイトル…(笑)
陳逸飛(著名な中国の洋画家。1946年4月14日-2005年4月10日)の作品っぽくない?
例えば、「琵琶女」とか「潯陽遺韻」みたいな音楽題材系列の一つには見えないですかね?無理?

さて、日中関係が微妙になってからというもの、私はだいたい午前中、割と人がいない時間帯に三味線を練習することにしています。

しかしながら、先日、忙しくて朝寝坊して午前中、ろくすっぽ練習できなかったので、午後に練習しました。
そしたら、隣でソルフェージュの予習をしていた女の子がドアをノックするんですよね。
なんだろうと思って出ていくと
「それ、何ていう楽器?」と興味津津。

別に日本人だとバレたら、どうこうということもなさそうだし、嘘つくわけにもいかないので「日本の三弦」と言ったら
「きゃ~初めて見るぅ」と目がキラキラ。

一通り説明してあげたら満足して、「ばいばい」と隣の部屋に帰って行きました。

そして、数分後、今度はお友達を連れてきて
「ね、ね、これが日本の三弦なんだよ」とかなり嬉しそう。
さらに彼女は「ね、ね、言ったとおりでしょ?この人、中国語上手なんだよ~」とお友達に私の中国語を自慢(?)してくれました。

そして、「三味線持ってもらって、私と一緒に写真撮らせてください」というので、撮っていただきました。
何だか演奏家の先生の気持ちがちょっと分かりました(^^;

実は私、民族衣装が好きで、当然チャイナ服も好き。
なので、普段着に着ているため、チャイナ風の上着を着た女が三味線持って、女子大生と写真に収まっているッて何か、ちょっとおかしいですよね。
ちなみに、日本だと普段着の和服ってのもよく着ています(笑)
それで二胡弾いてるんだから、訳分かんないかも。
でも、呉服屋さんのイベントで振袖姿で二胡弾いたって話を人から聞いたことあるなぁ。
あ、そうそう、海外の公演とかで振袖で二胡弾くっていう日本人の先生もいるよね(写真どこかでみたような気が…)。
多分、もう、二胡は日本の文化とうまく融合しはじめているんだろうな。

さらに、彼女たちは、ピアノの上に散らかしていた「津軽じょんから(新節)曲弾」の譜面を珍しそうに眺めて、
「これも、写真に撮ってもいい?」と聞くので、いいよと返事しました。

余談ですが、三味線の譜面を珍しがって、写真に撮ってもいいかと聞く学生多いです。
自分が弾くためとかじゃなくて、本当に単に珍しいから、自分の携帯コレクションにしたいっていうだけなんで、遠目にパシャならOKしちゃってます。
お師匠様、スミマセンね…

偉い指揮者の先生とかで、自分のスコアを人に見せたりするの嫌だって言う人もいるらしいですね。
多分、書き込みや勉強の仕方を見られるのが嫌なんでしょうね(企業秘密?)
私の譜面は、三味線文化譜の下に簡譜(数字譜)が赤字で書きこんであります。
だって、そうしないと、音の高さが分からないので不安だから。
しかも絶対音で書かずに相対音で書くため、お師匠様と兄弟子先生は、私の変な書き込みを不思議がっています。
たまに、中国語でメモったり、日本語で関係ないことも書いてあるんだよね(そのときに受けた電話のメモとか…)

二胡LESSON81

えっと、私とナナ先生の都合が合わず、前のレッスンから1ヵ月半も経ってしまいました。
二胡やめちゃったんじゃないのか、と思っておられる読者の方もいると思います。
やめてないです~

【快弓】
さて、快弓ですが、アマチュアだとどのくらい速く均一に出来るようになればOKなんでしょうね。
私の年齢や運動能力の如何にかかわらず、一応、ナナ先生は専門の学生を育てるのと同じように教えてくれたりします。
私が中学生だったら、将来、使い物になっただろうに(泣)。

私の快弓は相変わらず、脱力できていないというか、まだコントロールしてやろうって感じから抜け出せないそうです。
もちろん、弓を全くコントロールしない状態では、ただ速いだけのデタラメ、不均一なわけですが、最低限の力だけで余分な力が抜ければ、非常に滑らかな、見た目も美しい「慣性」だけで動いているような快弓になります。

-練習方法―
前提条件:必ず、メトロノームを使う。
適当に安定して弾ける速度から開始。
快速弓の十六分音符「タタタタ タタタタ」を一組とすると、それを数組続ける。
安定して(均一に)出来るようになったら、すぐに速度を上げるのではなく、長弓に戻る。
長弓をしばらく続けて、先ほどのスピードで快弓をする。
安定して出来るようであれば、速度を上げてみる。
ここで、安定してできないようなら、速度を落とす。
快弓をした後は、また長弓に戻る。

要するに、快弓ばかりをずっと練習したって、あまり効果は期待できないってことらしいです。
それを曲の中で活かせるようになるには、弓使いを変えても、またすぐ元に戻って安定して速く弾けなくては意味がない。

そして、実は思っているほど、自分のリズムっていうのは、合っているようで、合ってないことに気付かないといけないんですよね。
ちなみに、私も自分が弾いている時は、あまりにも一生懸命すぎて、途中でブレても気付きません。
でも、人の乱れはよく分かるものです。

ちなみに、人気曲の「賽馬」ですが、アマチュアのいろんな人の演奏を聴くと、ブレている人も多いなぁと思います。
今は便利な機械やソフトも多いので、それらを利用して、スピードを落として聴くと、一流と言われている先生の演奏は本当に滑らか。
もちろん、表情付けの必要性から、途中でスピードが変わったりはするけど、均一に弾くべき一組の十六分音符がブレることはまずない。
素人の演奏だと、いくら速く弾けていて、その場のノリで、全然問題なく皆で楽しめる演奏であったとしても、実際は、ブレまくり…
(それは、それで楽しむのが目的なので、全然OKなんですけどね)

いや、もちろん、お金もらうプロの演奏レベルを皆が目指す必要なんて全然ないわけだけど、出来るだけ「賽馬」を上手く弾きたいのなら、最初は超ノロいスピードで、すべて分弓で弾くことがおススメなのだそうです。
(連弓だと、あっと言う間にテキトーに弾いてしまえるので、実は一つ一つの音がきちんと響いていない)

【撥弦】
73小節目から88小節目のピチカート奏法。
私は音が小さい。
棹の方向めがけて、思いっきり弾きなさいと言われています。
そして、指がちょこっと弦をかすって通過するだけなので、ますは指が弦にきちんと触れたところで一回止めて、そして思いっきり弾くというように動作を二段階に分けて練習することをすすめられました。
それができるようになったら、二回に分けた動作を、一回で一気にやると前よりうまくできるかも、です。

はい、ワタクシの「賽馬」ですが、相変わらず、運動場をポテポテ歩いています。
ちなみに、速く弾こうと思えば弾けなくもないですが(といっても、演奏家が舞台で弾く2割減くらいのスピードでしょう…)、本当に惨めな音しかしないので、先を急がずボチボチ訓練していこうと思ってます。

【余談1】

私の新しい二胡の那由多くんですが、ナナ先生いわく、上手く育っているようです。
ナナ先生には、同時期に同じ工房の同じ先生が制作された二胡を持っている生徒さんがいるのですが、その子はどうも奏法にかなり癖があるらしく、二胡に変な癖がついてきたので、あなたはそういう風にならないように、ちゃんと弾きなさいということです。
楽器には奏者の癖って良くも悪くも付きますよね…
ちゃんと振動させてあげれば、よく唄うようになるし、あまり弾いてあげないと、いくらよい職人さんが制作した楽器でもいつまでたっても鳴らない…
本当は、もっと弾いてあげないといけないんだけど、なにせ、私には三弦の瑞峰くんと、津軽三味線の満琉もいるので、子だくさんは大変だぁ。

【余談2】

バスを降りてから「わ、二胡持ってない」と気付き、青ざめました。
何のことはない、背中に背負っているのを忘れていただけ…
二胡と一体化して、重さを感じてない!?
演奏中に一体化してくれよ~
まるで、自分の身体の一部のように、私の胸の内を音にしてくれ~~~

兄弟子先生は昔、マジで電車に商売道具(三味線)を置いたまま降りてしまわれたそうです。
しかも、翌日、仕事が入っているのに…だ。
英語の勉強をしていて、集中のしすぎらしいです。

でも、これ、分からなくもない。
私も電車で寝過ごしたことなど一度もないけど、本を読んでいたり勉強していたりして、乗り越したことは多々あります。
集中して論文書いていた時などは、私はパソコンに文字入力しながら歌うために(何でそうなるかはしらないけど、テンション上がるからなのかな?)、傍からは遊んでいるようにしか見えないらしいけど、実はどっぷりと自分の世界に入り込んでいるので、電話が鳴っても本当に知らない。
後で「何ででないんだよ」と叱られるが、聴こえないものはしょうがない…
楽器の練習中も、気付く時もあるけど、気付かない時もある(^^;ごめんなさい。

三弦国際シンポジウム(学術報告篇)

ところで、私は初めて音楽系の学術討論会に参加しましたが、法学(邦楽じゃないよ)の研究会と違いますね。

まず、思ったことが、研究者であるよりも演奏家に偏っているタイプの先生は、やはり、喋るのがお得意ではない。
弾かせるとあんなに楽器が饒舌に喋るのに、自分の口ではあまり表現できない人もいるんですね…意外だなぁ。
ここらへんが、演劇、演出を専門としている先生とはずいぶん違う(演劇演出系の方の中には、若いころ、自分自身が役者として舞台に立っていたとかいうタイプは喋る喋る…)

そして、ある程度、講演(公演も含む)が得意な大学教授兼演奏家(どっちを前に書くべきだろう)の先生でも、音楽という言葉にしづらいものを対象としている以上、やっぱり伝えにくいことがあるのでしょうね。

談先生が、突然、「言うより、やった方が早いわ」とすっくと立ち上がり、檀の下に降りてきて学生から三弦を受け取り、三弦抱えながら喋り始めました。
「こうすると、北方系の雰囲気は出るでしょう?」
「こうするのと、こうするのでは、スリの効果が違うから、感情表現も違ってくるでしょう?」
などと、あれこれ、弾いてくださいました。

ううむ、一つ一つは、簡単な、あるいはちょっと複雑な単なる演奏技法にすぎないのに、談先生が弾くと、ただの「技」ではなく「表現」になってる。
さすが、先生…(って当たり前ですね、何年も弾いて、これで生計立てているんだから…)

最近、ふと、思うのだけど、やはり、初心者はどうしても「技」の習得に気を取られていて、ややもすると何のためにその技を身につけようとしているのか忘れちゃっているような気がする。

目的と手段がごっちゃになっているですよね。

その技法が出来るようになるのは当然だけど、何のために身につけているのやら。
何かを「表現」できず、誰も感動してくれなかったら、意味ないじゃん~
もっとも、XXが速くできるということ自体が「おお~すげ~」となる見せ場もありかもしれないけど、そんなん…若いうちしかできないし、ある程度運動神経ある人なら、誰がやっても同じでしょ(笑)

わはは、年寄りの言い訳かもしれないけど…
その前に、十六分音符のトレモロを180の速度で、3分弾き続けてみろって>自分